花束
椿

伝えたい事

 

 

 

 

 

「こんな感じでどうかしら」
「最高っス、さすがママさん」
「あらぁ、鳥束君が良いお花を持ってきてくれたからよ」
「いえいえ、ママさんのセンスがいいんスよ」
「まあ〜うふふ」
 玄関先で、和やかに互いを褒め合う母と奴の姿を斜めに見やり、そっとため息をつく。
「ほらくーちゃん、素敵でしょ」
「どうっスか斉木さん」
 靴箱の上に置かれた生成りの陶器の花瓶を、二人が自慢げに見せてくる。
 花瓶には濃い桃色の椿が生けられ、艶々とした葉の色どりと相まって、しっとりとした和の風情を醸し出していた。
 傍に立つのが母だけならば絵になるが、鳥束、お前がいたんじゃ台無しだ。
 退くか帰るか死ぬかしろ。
 しかし母の前でそんな爆弾を投げるほど僕も馬鹿じゃない。愛想笑いは無理でも、頷くくらいは出来る。
 花も葉も枝ぶりも、どれを取っても悪くない。素直に美しいと思う。
「嬉しいわ、お正月飾りをしまって、次に何を置こうか考えていたところだったから。ありがとね鳥束君」
「喜んでもらえて、自分も嬉しいっス」
 鳥束は無邪気な笑顔でそう言った。
 そう、あの椿は、奴が持ってきたものだった。
 やけにかさばる新聞紙の包みを抱えて、一体何を持ってきたかと思えば数本の椿の切り花。
 近所の人に分けてもらったので、届けに来たのだという。
 植物が大好きな母は、大喜びで奴を迎え入れた。
 やれやれ、休日の昼下がり、のんびりテレビを楽しんでいたというのに、邪魔しに来やがって。
 しかし母の手前すぐ追い返すわけにもいかない、から、用事があるとか言ってさっさと退散しろ鳥束。
「じゃあ鳥束君、ゆっくりしていってね」
「はい、お邪魔します」
 ……そうもいかないよな。
 仕方なく部屋に招き入れる。

 

「寺の向かいのお宅の庭で、とても綺麗に椿が咲いてたので、ちょっと分けてもらえないかとお願いしたら、あんなにもらっちゃいまして」
 それでうちにもおすそ分けに来たのだと、鳥束は説明した。
「うちの寺にも椿は咲いてるんスけど、赤と白なんスよ。そこのお宅のピンクがとても良かったんで」ちょっと口寄せに頼りましたけどね「お陰でああして、何本ももらえちゃいました。すごく喜んでもらえたんで、オレも嬉しいっス」
『……お前な』
「でもほんと、綺麗な椿なんスよ。何年も大事に育ててるんだって、その通りの立派ないい樹でした」
 鳥束の熱の入った説明のせいか、脳内に明確にイメージが伝わってきた。奴の見た実際の光景ではなく、本当にイメージだが、堂々とした貫禄のある風景に僕は素直に感心した。
 なるほど、確かにいい樹だな。
 それにしても。
 別に口寄せなんてしなくても、お前のその言葉のままで、充分喜んでもらえただろうに。
 鳥束は持ってきた小さな花器を差し出して、こう言った。
「斉木さんにも一本、はい。机に飾ってみてはどうです? 緑があるって、結構心が安らぎますよ」
 どうやら、さっき下で一緒に準備したもののようだ。
 小さな一輪挿しに、三枚の葉をつけた椿が一本、差し込まれている。
 僕は言われるまま受け取り、適当に机の空いた場所に置いた。
 まったく……お前みたいなゲス野郎に、その感性は本当にもったいないよ。
 でもまあ確かに、身近に花があるのは悪い気はしないな。

 

 眺めていると、鳥束の喜ぶ心の声が聞こえてきた。
 まったく、毎度毎度気持ち悪いものを聞かせやがって。
 無性に腹が立ったので、どうやって蹴散らしてやろうかと思案していると、はしゃいだ様子で喋り出した。
「そうだ斉木さん、オレの今年の抱負聞いて下さい」
『もう聞いたが』
 お前の頭の中から駄々洩れになってるの、お前もわかってるだろうに。
「口で言わせて下さい、口で!」
『……わかったわかった。言ってみろ』
「オレの今年の抱負は、斉木さんをたくさん笑顔にすること!」
 あと、斉木さんに零太好きって言わせる事!
 頭の中から漏れ出たのを聞く分にはまだ何とか耐えられたが、耳で聞くと殺意が湧くな。僕は黒い死骸を見る目で椅子から奴を見下ろし、鼻から息を抜いた。
 ま、頑張れ
 応援くらいはしてやる。
 一発目が、笑顔どころか死んだ魚のような目では、先は長いだろうが。
「斉木さんの抱負はなんです?」
『今年こそお前を始末することだ』
「もう斉木さん、真面目に」
『お前に、言いたい事を言えるようになる事』
「……えっ」
 たちまち奴はどきりと胸を弾ませ、もしやと期待を膨らませた。
『今まで遠慮して、控えめに言ってばかりだったからな、今年からは、もっと歯に衣着せぬ物言いで、お前をばんばん斬っていきたい』
 奴の淡い期待を、躊躇なく斬り捨てる。ううむ…まだ鋭さが足りないな。
「ひでぇっス!」
 ショックに大口開ける顔は、まあ悪くない。少し気が晴れた。
(今年も斉木さんは容赦ねえ…でもそこが好き)
(斉木さん大好き。毎日好き)
 今のショックを忘れた顔で、鳥束はにこにこと見やってきた。立ち直りの早い奴だ。だからこそ斬り甲斐があるがな。
 内心笑っていると、またしても目が椿に引き寄せられた。普段部屋にない色だからだろうか。不思議な魅力に逆らわず、視線を注ぐ。

 

 そうしていると、階下から母の声がした。といっても肉声ではなく、僕にだけ聞こえる呼びかけだ。買い物と、ついでに銀行に寄ってくるので、留守番よろしく、という内容だ。いってらっしゃいと送り出す。
 さて、丁度いいから鳥束も追い出すかな。人の部屋でのんびりテレビを見てくつろいでるんじゃない、帰る時間だぞ。
「斉木さんもこっちきて、一緒にテレビ見ましょうよ」
 蹴り出してやろうと思った矢先に出ばなをくじかれ、仕方なく隣に腰を下ろす。
 すると奴は当たり前のように頬を引き寄せ、口付けてきた。重なった唇から舌を差し込まれ、ぬるりと絡め取られる。噛み千切ってやりたい衝動と、もっと味わいたい欲求とがせめぎ合う。
 すぐに、ただ気持ち良い事だけに頭が持っていかれ、どうでもよくなる。
 鳥束の与えるものだけが欲しくなって、他の事はどうでもよくなる。
「さいきさん……」
(あ……きもちいい…もっと)
 奴の頭蓋骨を両手でしっかり掴んで、僕は繰り返し舌を貪った。
 長い事吸い合って、ようやく顔を離した時、お互いすっかり息が上がっていた。
「斉木さん……好きだ」
 囁きをもらし、鳥束はきつく抱きしめてきた。
 腕にしっかり閉じ込められても、僕はまだ鳥束の頭蓋骨を持っていた。
 視線の先に、濃桃色の花が一輪見える。
 その傍には時計があり、表示された数字を僕は、ただ無意識に端から読み取っていった。
 時刻は昼下がり、日付は1/20――
 また、今年か。
 そこまで追ったところで耐えきれなくなり、僕は目を閉じた。

 

 去年の事だ。
 四月十日を越えられず、四月十日が過ぎてしまった。
 これで何度目になるか数えたくもないループさせた日の夜、予知夢を見た。
 今まで見た中で一番凄惨で、陰鬱な夢だった。
 これまでとはまるで違う、まさに地獄のような光景が広がっていた。
 踏みしめる大地は淀んで赤黒く、噴煙に覆われた空は真っ黒で、まるで地の底に落とされたかのようだった。
 いつか鳥束の言った、おとしあなを思わせた。
 あの時は空に出口が見えたが、今はどんなに目を凝らしても、一点の光すら見つからない。
 そうだ、鳥束を探さないと。
 そんな使命にかられ、当てもなく歩き回る。
 白骨は至る所に転がっていた。時に積み重なり、時に原形をとどめないほど崩れ、生まれた時から見慣れているはずのものなのに、僕は言いようのない恐怖に包まれた。
 恐ろしく思うのは当然だ。僕がいつも見るのは、生きている人たちなのだから。
 でも今は、みんな死んでしまっている。夢の中では超能力は使えない、つまり透視は発動しない、そこら中に転がってるあれらは、死んで、骨になった人たちだ。
 気分が悪くなる。
 吐きそうだ。
 鳥束はどこだ。
 僕は、一人じゃおとしあなから出られないんだ。
 鳥束を見つけないと。
 だが、この中から鳥束を探し出せるのだろうか。
 どの骨もみな同じに見える。
 どうやって鳥束を見分ければいいんだ。
 歩き続けていると、前方に、ひと際うず高く積もった屍の山があった。
 恐怖で竦む足をどうにか奮い立たせ、一歩一歩近付く。
 すぐそばまで歩み寄った時、一番上に仰向けに重なった白骨の腕が動き、僕の方へゆっくり伸びてきた。
 こいつだと、すぐにわかった。
 ここにいたのか、鳥束。
 僕も手を伸ばす。
 硬く冷たい骨に触れた瞬間、僕を呼ぶ鳥束の声が聞こえ、夢から覚めた。

 

 そして現在も、斉木さん、と少し訝る鳥束の声で、僕は目を覚ます。
 具合が悪いのかそれとも眠いのかと、こちらを心配する心の声が頭に入り込んでくる。
 時計を見るとほんの十数秒の経過だが、妙に思うには充分だろう。
 何でもない事の証明に、掴んでいた手を離し背中へ回す。
 身体がより密着した事で、たちまち鳥束の脳内が生々しい肉欲で満ちていく。
 そんな声に当てられて、僕も同じだけ興奮し、自ら服を脱ぎ去り鳥束に手を伸ばす。
 鳥束は知らないから、階下の母を気にしてうろたえた。
『出掛けた。しばらく戻らない』
 だから余計な事に気を取られず僕だけ見ていろと、まっすぐ見つめる。
「……斉木さん」
 やりたい欲をむき出しにして、今にもはちきれんばかりなのに、僕を床に寝かせる手はやけに丁寧だ。
 だから嫌なんだよコイツ。
 だから――

 

 時が進んだら、鳥束、お前に伝えたい事があるんだ。

 

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