花束
チューリップ

いつも通り

 

 

 

 

 

 新学期を迎え、一週間が過ぎようとしていた。
 桜の木も、段々と花より葉が目立つようになってきたそんなとある夜、オレは幽霊たちから聞かされた話に、一つの決意をした。
 翌日から早速実行に移す。

 

「斉木さーん、お昼食べましょー」
 オレは昼休みになると同時に隣のクラスに駆け込み、持ってきた弁当包みを高く掲げた。
 丁度空いた前の席の椅子をお借りして、斉木さんの机に普段より大きめの弁当箱を置く。
『一緒に食べると言ってないが……』
「まあまあいいから見て下さいよ、ちょっと色々試作品をね。こしらえてきたんスよ、その味見をしてもらえないかなー、と思って」
 オレは包みをほどいて蓋を開けた。春の野菜を使って、三種類ほど新作に挑戦してみたのだ。
 どうぞと差し出すと、斉木さんは思い切りうさん臭そうに顔を歪め、それでも一応箸を伸ばしてくれた。
 見た目は地味だが、味見した限りでは斉木さんの好みから大きく外れていない…と思う。
 ドキドキしながら評価を待つ。
 狭められていた目から力が抜けるのを見て、オレはホッとする。
『悪くないな、これ』
「でしょ! よかった……」
 強張っていた肩の力を抜き、オレは満面の笑みを浮かべた。
 とりあえず、一つは実行出来た。

 

「斉木さーん、一緒に帰りましょー、お供するっス」
 オレは放課後になると同時に隣のクラスに向かい、大きく手を振った。
「今日はどっか寄ります?」
『別に予定はないな。まっすぐ帰るつもりだ』
「そっスか。じゃあ、ちょっと一件付き合ってもらえます? すぐ済みますから」
 オレは商店街に足を向け、その中ほどにある花屋を目指した。
 外に斉木さんを待たせ、きょろきょろと店内を見回す。
 下手に考えるよりお店の人に任せた方がいいだろうかと思った時、丁度チューリップに目が留まった。
 これだと思った時、更に良いものが目に入る。
 すでに小さな花束にまとめられていて、値段も手が出せないほどではないので、オレは迷わずそれを選んだ。
 色は――この、薄いピンクと紫のにしよう。控えめな色合いが、春にぴったりに思えた。
 良い買い物をしたとホクホク顔で店を出たオレは、待っていた斉木さんにお礼を言って歩き出した。
 そして斉木さんちの前で別れる時、花束を渡す。
 普段こんな事しないから、斉木さんに思いきり不審者を見る目で見られたけど、家の前でごたごたするのも面倒だからとどうにか受け取ってもらえた。
「じゃ斉木さん、また明日」
『……じゃあな』
 玄関の向こうに消える斉木さんに手を振る。
 なんとか二つ目も実行出来た。

 

「斉木さーん、帰りカラオケ寄ってきませんか?」
 翌日の放課後、オレは駅前のカラオケ店に斉木さんを誘った。
 オレの呼びかけに、斉木さんは荷物を持ってついてきてくれた。
 これで三つ目も達成出来ると喜んだのも束の間、オレは駅前に向かうどころか学校から出る事も叶わず、斉木さんにトイレに引っ張り込まれた。
 そして、まるで転校初日のように壁に追い詰められた。
「あ、の……斉木さん」
『自分から洗いざらい白状するなら、膝蹴り一回で許してやる』
 だから、今すぐこの気持ち悪い企みをやめろと、片手で胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられた。
「えと…オレの考え、筒抜けなんスよね……」
 しどろもどろに尋ねると、斉木さんは首をゆっくり左右に振った。
『あまりに多くの事を一度に考えているせいで、上手く読み取れない。さあ、さっさと白状しろ』
 苛々した様子で、斉木さんはオレの身体を一層強く押し付けた。オレは何をどう説明すればよいやら言葉に詰まり、とりあえず手を緩めてくれと訴える。
『喋る方が先だ』
「わかりました、ええと……一週間くらい前に、幽霊たちにですね……」
『あいつらに僕を監視させてるのか』
「ち、違います、聞いて下さい!」
 激高する斉木さんを両手で宥め、オレは必死に頭の中を整理した。自分が喋りやすいように、斉木さんが読み取りやすいように、事の発端を強く思い浮かべる。

 

 新学期が始まって、一週間くらい経ったとある夜のこと。
 部屋でくつろいでいると、思案顔のおばあちゃんの幽霊がふらりと入ってきて、遠慮がちにオレに話しかけてきた。
 幽霊たちは、定位置という訳じゃないけどある程度決まった場所を好むようで、もちろんそうでなくあちこち立ち寄る幽霊もいるけど大抵はお気に入りの場所があり、そこを行ったり来たり、いついたり、顔触れは決まっている。
 そのおばあちゃんは普段見かけない幽霊で、何か困っているようでもあったので、オレは気になって耳を傾けた。
 オレは向こうに見覚えなかったけど、向こうはオレを知っていて、どこでオレを見かけたかと思えば、なんと斉木さんの部屋でよく見かけるという。
 まったく覚えがないが、おばあちゃん、つまり若い女性でないという事で、オレは記憶していなかったらしい。
 オレは両手を合わせて謝り、何か困り事かと話を聞き出した。
 おばあちゃんの悩みとは、ずばり斉木さんの事だった。
 なんでも、とある日を境に、夜になるとひどく打ち沈んだ様子を見せるようになって、見ていてとてもいたたまれないという。そこで親しい間柄のオレなら元気付けられるんじゃないかと、どうか励ましてあげて欲しいと、そういう相談だった。
 おばあちゃんの話にオレはひどいショックを受けた。だって昼間はいつも通りの斉木さんだし、変わったところなんて、一つもなかった。
 オレが何かしでかしてしまったのかと慌てて記憶を探るが、これといって思い浮かばない。
 オレはいつも通りで、斉木さんもいつも通りで、変わった事もおかしな事も起きていない。
 けれど確実に、何かあったのだ。
 オレの知らない何かが起こったのだ。
 それを知りたいし聞きたい気持ちが強く湧いたが、それよりも、どうしたら元気付けられるか、その方法を知りたい気持ちが勝った。
 すると部屋にいた他の幽霊たちが、色々とアイデアを出してくれた。
 美味しいものを食べさせてあげるのはどうか。
 好きな人からお花を貰うって、幸せよ。
 歌うとハッピーな気持ちになるよ。
 どうしたらいいか一人で考えるのは限界があるから、幽霊たちのアイデアに頼る事にした。

 

「――てわけで、やってたんです」
 オレは出来るだけ順序良く思い返し、つっかえつっかえ斉木さんに説明した。
 しかし、斉木さんの険しい目付きは変わらない。思わずごくりと喉を鳴らす。
『僕の部屋を監視してないと、本当に言えるか?』
 そう問い詰められ、オレはつい、秘めた願望を思い浮かべてしまった。
 斉木さんて一人遊びするのかどうか知りたいと、密かに思っていた思考が筒抜けになる。
『コロス』
 握り締めた拳を構えられ、オレは真っ青になって必死に手を振った。
「幽霊たちは、そういう事はまず教えてくれないです、プライバシーにかかわるからって!」
 それにオレも、そこまでしたらほんとにクズ野郎だから、そんなクズ野郎にはなりたくないから、してないです!
 ウソかホントかは、オレの頭覗けば一発でしょ!
 斉木さんはしばらくオレを睨み付けた後、手を下ろした。そして締め上げていた手を離し、一歩退いた。
 喉の奥で詰まっていた息をふうっと吐き出し、オレは壁に寄りかかった。
『ああ。本当だな』
 はい、本当なんです。
 オレは冷や汗をダラダラ流しながら頷いた。
 斉木さんは更に一歩、よろけるように後退した。
 そのまま倒れてしまいそうに思え、オレは慌てて手を差し伸べた。それを、斉木さんは片手で制した。行き場をなくした手を下ろし、オレは遠慮がちに斉木さんを見やった。
『お前に心配されるとは、僕も落ちぶれたな』
「そんな……そんな事言わないで下さいよ、オレと斉木さんの仲じゃないっスか」
 努めて明るく言うと、斉木さんは両手で顔を覆った。
「そこまで落ち込む?」
 オレは血の気が引く思いだった。恐怖めいたものが胸を過り、鼓動を速くさせる。
 そうじゃないと斉木さんは首を振り、自分の不甲斐なさに落ち込むと云ってきた。
「……斉木さん、俺じゃダメっスかね。元気出ないっスか?」
 ようやく顔を覆っていた手を外してくれたが、いつものような勢いが感じられず、胸が締め付けられる。
『お前の顔を見ていると気が滅入る』
「……わかりました。しばらく大人しくしてるっス」
 ショックではあったが、いっそはっきり言ってもらえて、すっきりする。
 余計な事してすんませんと、オレは小さく笑った。
『そうじゃない』
 また胸ぐらを掴まれ、オレは目を白黒させた。
『お前が能天気にしてないと、余計気が滅入るって言ってるんだ』
 普段通りにしてくれればいいと続けられ、オレは素直に頷いた。
『花はまだ綺麗に咲いている。料理も悪くなかった。でもそうじゃない、お前がいつも通りへらへらしているほうがずっといいんだ』
「わかりました、あの、斉木さん……」
 何があったのか問うべきか、ひどく迷う。
 斉木さんほどの人が、一体どんな事で悩み苦しむのか、オレには見当もつかない。
 きっとよほどの事に違いない。オレごときが、その苦しみを晴らしてやれるのか、それもわからない。
 でも斉木さんは、いつも通りのオレが多少の救いになると言ってくれた。
 ならば聞かなくていいだろう。
『ああ、いつも通りのゲス野郎でいろ』
 それが欲しいと、斉木さんは小さく息を吐いた。
 オレは強張っていた肩から力を抜き、頬を緩めた。
「すんません、ガラにもない事して」
『……だからってなんで抱き着いてくるんだ』
「だって、これがいつも通りのオレっスから」
 いつも通りにするならば、斉木さんへの想い一筋に行動して、当然、こうなる。
 それにさっき、来るなって手で拒まれたのも結構ショックだったし。
 オレは腕に力を込め、ぎゅうっと抱きしめた。
『そうだったな』
 笑ったような息遣いに、斉木さんへの愛しさが一気に膨れ上がる。
 直後。
「げほっ……!」
 脇腹に走った衝撃に咳き込み、オレは身体を折り曲げた。
 ごく近い位置からの重いパンチに内臓がねじれそうだ。
『なら僕も、いつも通りにさせてもらう』
「うう……斉木さん」
 壁にもたれ、なんとか倒れるのを防ぐ。
 斉木さん、いつも通りの愛が痛いっス。
 悶絶しているオレをちらりとだけ振り返り、さっさと歩き出す斉木さん。
『何してる、早くカラオケ行くぞ』
「は…ひゃい! でもちょっと待って……」
 身体がよじれたように苦しかったが、それでも嬉しくてたまらなかった。
 痛む脇腹を庇い斉木さんの後を追う。
 カラオケだって。斉木さんは、何歌うのかな。
『僕は歌わないぞ。食べる専門だ』
「あ、例のパフェっスね」
『そうだ。お前の奢りでな』
「はいはい、全部お任せ下さいっス」
 オレは、牛丼食べ過ぎて脇腹が痛くなった人みたいな恰好で駆けながら、斉木さんについていく為に身体も心も鍛えないとな、と思った。

 

 いつか斉木さんが、この春の日の事を話したくなった時、ちゃんと受け止められるように、強くなりたい。

 

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