お出かけ
紅葉狩り。
中身が何だかわかってたって、まだ楽しみは残ってます。

蓋を開ける楽しさ

 

 

 

 

 

「斉木さん、今度の土曜日、一緒に紅葉狩り行きましょー」

 

 週の半ばに学食で、オレは同席した斉木さんに誘いをかけた。
 すっかり秋も深まり、校内の木々も通学路の街路樹もそろそろ赤や黄色に色付き始めて、道行く人の目を楽しませている。
 これは出かけない手はない。
 オレは近場の観光地を調べ、今度の週末に行こうと斉木さんに声をかける。
『残念だが、先約がある』
 斉木さんは、学食名物の限定カツカレーをもりもり食べながらそう返してきた。
「あ…ああそうっスか」
 お出かけにばかり気を取られ、断られる可能性をちっとも考えてなかったオレは、なんだかひどくショックに感じ、装う事も出来ず沈んだ声をもらしてしまった。
 そんな自分がひどく恥ずかしくて、オレはそわそわと落ち着きなく辺りを見回した。
『日曜日なら空いてるぞ』
 見かねて、斉木さんが宥めるように声をかけてくる。ますます恥ずかしくなり、オレは肩を竦めた。
『どうなんだ?』
 はっきりしろと斉木さんが迫る。この人が乗り気になってくれる事は滅多にないんだ、つまらんいじけにいつまでも囚われてる場合じゃないと、オレは気を取り直して誘った。
「日曜日、よかったら一緒に紅葉狩り行きませんか斉木さん。オレ、行楽弁当作りますから」
 喋りながらオレは、弁当の中身についてあれこれ思いを馳せた。秋の味はどんなものを詰めよう、どういう風に詰めよう、斉木さん好みのスイーツは……次々に溢れるアイデアに脳内がバラ色に染まる。
 斉木さんはそんなオレを見て、逐一読み取って、行ってもいいと目を輝かせた。
 なんだか複雑な気持ちになる。
 この人は、ささいな小箱でも記念日の特別な贈り物でも、蓋を開ける瞬間のドキドキを味わう事は一生出来ないのだ、それを思うと、何とも言い表しようのない気持ちに見舞われる。
 それでも別の楽しみ方を見出し、実際に楽しみ、喜びを知っている。それを思うとたまらなく愛おしい気持ちが募って、抱きしめたくなってしまう。
「楽しみにしてて下さい。斉木さんの為に、腕によりをかけて作るっスよ」
 オレは自分を鼓舞する意味も込めて宣言した。

 

 ところが、土曜日の夕方頃から天候は崩れ、明日の日曜日も一日雨でしょうと予報が下った。数日前、斉木さんを誘った時は、週末どちらも晴れの予報だったのに。
 予報が外れる事を願って寝床に入るが、雨音はいつまでも途切れる事はなく、オレは中々寝付けなかった。
 そしてやはりというか、朝から雨模様だった。それも土砂降りだ。昨日の秋晴れが嘘のような降りに、オレは膝に力が入らないでいた。
 せっかく色々準備したのに。オレも涙の雨あられだ。
 半分やけっぱちになって、せっせと弁当作りに励む。
 出来上がったおかずを一つひとつ詰めながら、斉木さん、昨日は楽しめたかなと、余計な事を考える。
 野菜をむいたり刻んだり下ごしらえしている時や、焼いて炒めて調理している時は、それらに集中してそんなの浮かびもしなかったのに。
 ちょっと考える暇があるからとそんな余計な事をするものだから、段々と視界がぼやけて鬱陶しくなった。
 出来上がった重箱を風呂敷に包んで固く結び、部屋に運んでテーブルに置く。
 オレの、ちょっとだらしない日常の中で、ここだけ非日常。
 本当だったら、コイツを持って斉木さんと紅葉狩りに浮かれるはずだったのに。
 オレだって、楽しみたかったのに――。
『まためそめそしてるのか、お前は』
「ひぃっ!」
 突如真横に現れた斉木さんに、オレはたまらずに仰け反った。
『なんだ、人を化け物みたいに』
「すんません、けど毎度びっくりさせすぎっスよ」
『いい加減慣れろ』
「……努力します」
『この週末は、僕も今日がメインのつもりだったからな』
「え……珍しいっスね、オレと出かけるの、いつも結構ごねるのに」
 楽しみにしてくれたとか、嬉しいな。
 そう思っていると、斉木さんはちらりと冷ややかな視線を寄越した。
『その弁当、どうするんだ?』
「ええ、昼に、食べちまおうかと」
『お前一人でか。それは聞き捨てならないな』
 斉木さんの目が少々険しくなる。
 おっかないが、ついつい笑ってしまう。
「じゃあ斉木さん、持っていかれます?」
 お昼にどうですかとすすめる。
 量は二人分だが、斉木さんには何の問題もないだろう。
 詰めたおかずだって全部斉木さん好みに仕上げてあるし、好物の甘味も秋らしく作ったし、きっと気に入るはずだ。
 オレの胃に収まるより、斉木さんが食べてくれた方が断然嬉しい。
『いや持ってかない。お前と食べるつもりだ』
 え……なんスかそれ、嬉しくなるじゃないっスか。
 オレはむずむずしてしまう頬を軽く擦った。
『昨日が……楽しかったからな』
 ……はあ、そうっスか。そりゃ良かったっスね。
 オレは曖昧に笑って斉木さんを見た。
 楽しかったという割にはその仏頂面、何スか。
『なら、今日はもっと楽しくなるはずだ』
 ますます表情を険しくして、全然言葉と合ってないっスよ、何なんスか。
 斉木さんの目が風呂敷包にじっと注がれる。
 こいつが楽しみなら、もっとそれらしい顔してくださいよ、まったく…素直じゃないんだから。
 そういうところがたまらなく可愛いのだと、笑顔を向ける。
 斉木さんの表情はいよいよどす黒くなり、これ以上つついたらこりゃ頭から丸かじりされるなってくらいで、それがまた愛しくて、オレは必死に堪えつつ内心大いに悶えた。
 落ち着け、オレ、生きて斉木さんと美味しく楽しくお昼を過ごす為にも、平常心だ…もういい、丸かじりされたってかまうもんか、今すぐキスしたいんだ!
「斉木さぁん!」
 オレは全力でぶつかった。
 斉木さんは余裕で避けた。
 オレはテーブルですねを打った。
 斉木さんはそれ見てにやりと笑った。
 床にうずくまり苦悶するオレを見下ろし、斉木さんがやれやれと首を振る。
 それでもオレはめげずに、出せない声の代わりに人差し指を立てて、一回だけでもと食い下がった。
『おっと、こんな事してる場合じゃなかった。さっさと用意しろ鳥束』
 斉木さんの目がさっとオレを通り過ぎ、壁の時計に注がれる。
「……はいっス。今、テーブル片付けちゃいますね」
 オレはすねをさすりさすり応え、滲む涙を堪えた。
『片付けはしろ。でもここで食べるわけじゃない』

 

「……え?」
 ここでじゃないなら、斉木さん、どこで食べるつもりですか?
 まさかと湧き起こる期待を何とか抑え込み、オレは尋ねた。
『今日晴れている地域は、東北から北と、東海から向こうだ』
「はい」
 そのどちらかかと、オレはわくわくを素直に顔に乗せて頷いた。
『まだ紅葉の時期に当たる場所を北から調べたらな、鳥束、見逃せない秋限定のフェアをやっている、素晴らしいカフェが見つかったんだ』
 斉木さんもうきうきと弾むものだから、オレも少し身を乗り出してうんうんと乗った。
「そりゃ最高じゃないっスか」
 目的が変わってしまっているが、斉木さんのこんな晴れ晴れとした顔を拝めるなら、二の次三の次でちっとも構わない。
「で、どこっスか?」
『北海道だ』
「北海道か!」
 また随分遠いな。けど斉木さんにかかれば、どこだって日帰りだ。
 ようし。
「お供するっスよ」
『じゃあ行くぞ、用意しろ』
「はいはい、ええと……」
 弁当包みと、あと靴だな。オレは急いで玄関から取ってくる。
「準備出来たっスよ」
 二つを両手に提げ、オレは斉木さんの隣に並んだ。肩に手がかかり、さあシュッと行くんだ…と思ったオレを待っていたのは、唇に触れる柔らかい何かだった。
「!…」
 びっくりして目を丸くするオレを見て、斉木さんがごく間近でしてやったりと小さく笑う。
 ああもう、こんな可愛い事してからに!
 アンタって人は本当にもう!
 喉元まで出かかった言葉は、一瞬にして移り変わった周りの景色によってかき消され、オレの口から出る事はなかった。

 

 土砂降りの雨のせいで、明かりをつけていてもなんとなく薄暗かった部屋の中から、人けのない雑木林の中へと飛ぶ。
 オレは靴に履き替えながら、高くそびえる木を見上げ空を仰いだ。
 十月半ばの北海道、どこか山の奥とあって、かなり肌寒い。オレは肩を竦めた。
『用意をしろと、言っただろうが』
 呆れた様子の斉木さんに、オレはすんませんと眉を下げた。と、何か放って寄越された。
「……オレのコート!」
 見慣れた色と形に、思わず目を瞬く。
「あざっス!」
 感謝を向けるオレを無視して、斉木さんは歩き出した。
 オレは急いで羽織り、斉木さんの後を追う。
 少しすると、轟音が響いてきた。あまり身近で聞く事はないが、何の音かはわかった、
 滝の音だ。
 そこで斉木さんが、オレの手を握ってきた。外ではあまり接触を好まない人が、と、どぎまぎするオレに、人差し指を一本立てて静かにしろとサインを送ってくる。なるほど、二人一緒の透明化を発動させたというわけか。
 確かに、この先は見頃を迎えた紅葉の観光地で、人も大勢だものな、不用意に声を出したら、不審に思われてしまう。
 オレは神妙な顔で頷き、手を引く斉木さんの後を歩いた。
 もう少し行くと雑木林から抜け、山道に出た。
 落下防止の柵と、綺麗に整備された小路と滝そして、綺麗な秋晴れに映える見事な紅葉。
「!…」
 思わず声を出してしまいそうになり、オレは慌てて息を飲み込んだ。睨んでくる斉木さんにわかってますと頷く。
 叫びたいのをため息で堪え、オレは目を見張った。思わず手にした弁当を落っことしそうになり、慌ててぎゅっと握り締める。
 すごいすごいと、大はしゃぎで斉木さんを見やる。
『僕はこの先のカフェに用があるんだ。紅葉狩りはそのついでた』
(ついでだってなんだって、嬉しいです斉木さん、本当にありがとうございます!)
(よかった、よかった……天気だ、晴れてる、斉木さんと一緒に来てる、マジで嬉しい!)
『お前の泣き顔は、気が滅入るからな』
 そう言ってそっぽを向く斉木さんの顔は、気のせいでは済まない程紅色に染まっていた。
 顔真っ赤だ、はは、照れちゃって可愛いな。
(あれぇ斉木さん、紅葉より赤いっスよ)
『ここに骨を埋めるか、鳥束』
(ちょ、もー…ここでキスするんスよ)
『さっきしただろ』
(何回したっていいじゃないっスか)
 むすっとした顔で横を向く斉木さん。構わずオレは、自分の方に向けて唇を重ねた。表情は変わらなかったけど、オレはめげない。
(ほら、せっかく美味しいもの食べに行くんだから、もっと楽しい顔しなきゃ損っスよ)
 美味しいものも、美味しくなくなっちゃいますよ。
『お前がいるんじゃ、どっちにしろ美味くない』
(もー……)
 斉木さんは、どこに素直さを置いてきちゃったんですかねえ。
 オレは感情に任せて、繋いだ手をぶんぶんと振った。
 と、こんな事をしている場合ではない。透明化の効果は十分、急がないと妙なところで効果が切れてしまう。
(行きましょう斉木さん、どのくらいで着きますか?)
 オレは、さっき斉木さんが差した方に向けて手を引いた。
『いい。次に身を隠せる場所までは間に合わないから、お前は景色を見てろ。あと七分だ』
(……斉木さん)
 本当に、アンタの素直さって――。

 

「ちょ……ちょっと待って斉木さん」
 オレは、今にも挫きそうになる足をどうにか踏ん張って、急な斜面を滑り降りていた。そんなオレを置いて、斉木さんは身軽にぽんぽんと足を運び地面へと着地した。
 いくら身を隠す場所がここしかなかったからって、こんな急斜面で解除とか…しかもオレを置き去りに一人でさっさと行っちゃうとか、斉木さんのばかー。
 ここ、もう斜面じゃないっスよ、ほぼ縦、壁っスよ。オレは、踏ん張ってもずるずる滑り落ちていく身体に恐怖しながら、どうにかこうにか平らな場所に着地した。
「はぁ……寿命縮んだっスわ」
 そこは、斉木さんが目指すカフェの裏手側だった。表の方は舗装された車道になっているが、こちらは草ぼうぼうで人はまず立ち寄らないだろう。
 いくら人目につかず安心とはいえ、もう少し場所を選んでほしかった。もしくは超能力で手助けするとか。
 よくここ無事に下りられたなと、ついさっきまで自分がいたところを見上げて冷や汗を拭う。
『めんどくさい』
 お前ごときに無駄な労力は使いたくないと冷たく斬って捨てる斉木さんに、オレは声を抑えて噛み付いた。
「もー、ほんとアンタって人はひでぇんだから!」
『鳥束』
「……何スか?」
『顔が赤いぞ』
 紅葉よりも…先刻の自分のからかい文句を返され、オレは恥ずかしさと憤慨とで更に顔を真っ赤にした。そりゃ、あんだけ踏ん張れば顔も赤くなりますよ!
 誰のせいでこんなになったと思って…そんなオレを見て斉木さんは満足そうに笑い、カフェの表側へと向かっていった。
 もっと文句を言ってやりたいのに!
 収まらない気持ちをくすぶらせながら、オレは少し乱暴に足を踏みしめて後に続いた。

 

 

 そんなトゲトゲくさくさした気持ちも、一緒にカフェに入って、向かい合って座って、一緒に甘いものを食べる頃には、綺麗さっぱり消え去っていた。
 外観は可愛くメルヘンチックな造りで、中に入ると一転して和の風情と、ギャップが面白いカフェで、提供しているメニューは和と洋が融合したスイーツが揃っていた。
 斉木さんの心を鷲掴みにした秋限定のそれは、抹茶と栗を使用した綺麗な色合いのパフェで、店内を見渡すと大半のお客が同じものを注文していた。
 オレはさすがにあの量は食べ切れないので、紫芋を使ったあんみつを注文した。
 この時まではまだ斜面で置き去りにされた恨みがくすぶっていたが、いざ注文の品がテーブルに並びスプーンを取る頃には、顔も気持ちもすっかりほぐれていた。
 いただきますと頭を下げ、お互い無言のまま二口、三口と食べ進める。あまりの美味しさに口を開く暇もなかった。
 オレがうっとりする理由の大半は正面の斉木さんにあって、この世にこんなに喜ばしい事があって本当に幸せだと、素直に柔らかくとろける表情に目が釘付けになって、うっとりする。
(良かったっスね、斉木さん)
(可愛い可愛い斉木さん)
 オレはしばし食べるのも忘れて、ぽーっと見惚れた。
『気持ち悪い、見るなクズ野郎』
「はっ……さーせん」
 ふんだ、そんな至福の顔で言ったって、全然迫力ないですよ。効かねっスよ斉木さん。
「それより、お味はどうです?」
『うむ、悪くない……全然嫌いじゃない』
「はは、よかった」
 しみじみとした響きに、オレの心も喜びで一杯になる。
「にしても、結構大きいグラスっスね。沢山食べられて、サイコーでしょ」
 そう言うと、斉木さんは軽く首を傾けた。
『僕には少々足りないかな。お前の弁当が入るくらいは、空いている』
「……斉木さん」
 オレは、隣の席にある風呂敷包に手を置いた。
 なんだろうな、この人――。
 斉木さんはグラスの中を一心に見つめ、ぱくぱく食べ進めた。
『僕には蓋を開ける楽しさはわからないが、お前の味に期待する楽しさは残っている』
 結局それも、蓋を開ける楽しさだろ。
「ええ、うん……そうっスね」
 どういうわけか、唇が震えてならなかった。

 なんだか急に暑くなってきたな。お冷のお替りもらおうかな。

 

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