お出かけ
夜光虫が見える条件を満たさないかもしれませんが、そこは大目に見てやってください。

お出かけは日が沈んでから

 

 

 

 

 

 終業式も済んで、いよいよ、とうとう、待ちに待った夏休みの到来!

 

 オレはうきうき弾む心を全力で前面に押し出して、ルンルン気分で斉木さんに話しかけた。
「海とか山とか、色々いろいろ行きたいっスね。いっそ、海外とかどうっスか斉木さん」
 斉木さんの力で、シュッと。
 たちまち斉木さんはうんざりした顔になって、オレを置き去りに玄関を出ていった。
 大勢の生徒たちで混み合う中、器用にすり抜けて校門へと向かっていく斉木さんを追って、オレは早足になる。
(待って待って斉木さん、ねえ斉木さあん!)
 ようやく隣に並び、オレはまだしかめっ面の斉木さんにおねだりする。
『めんどくさい、何で僕がお前ごときにそんな労力を。大人しく家にこもってろ』
「冷たいなあー…それが恋人にかける言葉っスか」
 ひどいひどいと文句を言うと、白けた視線とともに言葉が寄越される。
『夏バテ熱中症でぶっ倒れた鳥束君、うるさい』
「うぐ……」
 オレは喉を詰まらせた。それを口にされると、本当に弱い。
 あれから夏は気を付けて、斉木さんの手を煩わさないようにしているんだけど、何だかんだ世話になってしまっている。
 今だって、家に引っ込んでろとか一見冷たいようだけど、それもこれも全部オレを気遣っての事だ。
 ああ……不甲斐ない。
 ありがと、ずんません斉木さん。
「でも、家にこもりっぱなしはやっぱりつまんないっス」
 海外なんて言わない、近場でもいいから、どっか遊びに行きたいよ、斉木さん。
 粘るオレに、斉木さん唸るようにため息をついた。
『こんな炎天下でお前のお守りなんて、冗談じゃない。考えただけでゾッとする。虫の活動がほぼ停止する季節になったら、ちょっとは考えてやるよ』
 ちらともオレに向かず、ひたすら正面を見据えたまま、斉木さんは淡々と伝えてきた。
(……わかりましたよ。大人しく家にこもってるっス)
 まだ諦めきれない思いを引きずりながら、斉木さんの少し後ろをとぼとぼ歩く。
 分かれ道でようやく、斉木さんの目がオレに向けられた。けれど挨拶は短く素っ気ないもので、しばらく見送るが振り返りもしない。
「大人しくしてりゃいいんでしょ……」
 少し拗ねた気分で、オレは呟いた。未練がましく斉木さんの去っていく後ろ姿を見送り、オレは重い足を引きずって家路についた。

 

 夕飯を済ませて部屋に戻ったオレは、腹ごなしにエロ本でもと手を伸ばすが、なんだか気分が乗らず、少しめくっただけでやめにした。
 斉木さんとわかれてからずっと、しょんぼりしたりムカムカしたり、気持ちが落ち着かないのだ。そんな状態では何も楽しめない、楽しくない。
 大の字に寝っ転がって、息をするのがやっとだ。
「斉木さんなんか、斉木さんなんか……」
 頭の中では、曖昧ながら罵倒の言葉が浮かびかけていたが、それを口にしたら終わりだとオレは慌てて追いやった。
 まあどうせオレの事だから、感情に任せてばかー、あほー、って叫んだところですぐに斉木さん大好き―に取って代わるだろうし、ばかーって言う端から罪悪感に見舞われて泣きたくなるだろうし、どうあっても本気で憎めないのだ。
 斉木さんに、そういう身体にされてしまったのだ。
 そこで、春に姐さんが言った言葉がふと思い出され、オレは一人笑ってしまった。
(ほんとだよ、オレ、ほんと斉木さんに調教されてるよなー)
 はははと声に出して笑う。仰向けだったのが災いしてか、その拍子にひゅっと唾が気管に入ってしまった。慌てて横向きになり、ごほごほと咳を繰り返す。
 その時――。
『おい』
「!…」
 低い響きと共に、オレの頭に片足が乗る。突然の圧迫にひっと硬直し、背後に現れた斉木さんに背筋を凍らす。
『誰が、何だって?』
「あ、さっ……!」
『だれが、なんだって?』
「なんでもないです……」
 オレは出来るだけ刺激しないよう囁いて、足をどけてくれるよう必死に願った。
 しかし斉木さんは、踏み潰そうとはしないまでも、中々オレの頭から足を退けてくれなかった。
 普段忘れがちだが、斉木さんがオレを消すのなんてたやすいのだ。もちろん滅多な事じゃそんな事態にならないが、度を越えればその限りじゃない。最低限の敬意は必要なのだ。
「……すみませんでした」
 オレは蚊の鳴くような声で言った。
 そこでようやく精神的な重みから解放される。
 命拾いした事に、オレは心の底から安堵した。

 

 起き上がって振り返る頃には斉木さんの機嫌も直っていたようで、それどころかむしろ上機嫌で、手にしたあるものを見せてきた。
「えと、ランタン、スか?」
『以前行った無人島、覚えているな』
「あ、ええ、覚えてますよ――て、え、連れてってくれるんスか?」
 まさかと、半信半疑で尋ねるオレに、斉木さんはそうだとランタンを掲げた。
 え、うそ、本当に?
 本当に連れてってくれるの?
 しかもランタンまで準備してくれるなんて。
 オレは、今しがた頭を踏まれた事も忘れて、舞い上がった。
『踏まれたのはお前の自業自得だろ』
「ぐっ……その通りっス」
 しかし元はといえば斉木さんが冷たくするから悪いのであって――。
『さらにもとをただせば、お前が不規則な生活をして、僕の手を煩わせたのが原因だが?』
「……すんませんでした!」
 オレは腰を直角に曲げて謝った。
『まあいい。それより見ろ鳥束、これはすごいぞ、虫よけもしてくれるんだそうだ。サイトの口コミも中々信ぴょう性があるようなのでな、これにした』
 いい買い物だろうと見せびらかしてくる斉木さん、可愛い。
 ほんと可愛いっスよ!
 オレの為にわざわざそこまでしてくれるなんて……。
「斉木さん、ありがとうございます!」
 オレは少し涙ぐんで礼を言った。
『支払いはお前の財布からしておいたぞ』
 エエ顔でとんでもない事実を告げられ、オレは一瞬耳が聞こえなくなる事態に陥った。
「……ええー!」
 そんなまさかと慌てて鞄を探り、財布を覗くと、確かに減っていた。
「斉木さんっ……!」
 わなわな震えながら、とんでもねえ恋人を見上げる。
『さあ行くぞ』
 そんなオレに構わず、斉木さんは片手を差し出した。
 いい顔してんな、まったく……。
 オレは泣き笑いの複雑な心境でその手を握った。

 

 瞬きする間に、オレたちは狭い部屋から解放された。
 外はもう真っ暗かと思われたが、意外と空はまだ明るく、遠く水平線に沿って茜色に染まった雲が見えた。少し目を凝らすとちかちかと星の瞬きも見えたが、今は空よりも、波打ち際の方に目を奪われる。
「青い……すげえ何これ、この青いの、これ何スか斉木さん!」
 オレは興奮もあらわに隣へ声をかけた。
 ざぶんざぶんと砂浜に打ち寄せる波が、まるで水中にブルーのライトを仕掛けたかのように青く光っているのだ。
『夜光虫だ。見るのは初めてか』
 斉木さんは、手近な木の枝にランタンを引っ掛け、そう説明した。ランタンにばかり気を取られていたが、斉木さんてばシートも用意していたんだな。
「へー……これが、っスか……」
 オレは瞬きも忘れて見入った。聞いた事はあるし、テレビで見た事もあるが、自分の目で本物を見るのは初めてだ。いやはや、テレビとは大違いだ。本当に違う、何もかも圧倒されてしまう。
 夜の海もいいものだと、オレの気分はどこまでも高揚する。
 ここを歩かない手はない。
 オレは意気揚々と誘った。
「ね、ね、ちょっと砂浜散歩しましょうよ」
『いい。一人で行ってこい』
 まるで追い払うように片手であしらい、斉木さんはランタン近くに座り込んだ。
「ええー!」
『ランタン忘れるなよ、転んでピーピー泣いても知らんぞ』
「てかオレが持ってったら、斉木さん虫よけ出来ないじゃないっスか」
 すると、膝を抱えて丸くなり、こうして目を閉じていればいないものとして扱えるから平気だと斉木さんは言った。
「そんな……大体、オレ一人で行っても意味ないっスよ。せっかく二人で来てるんスから、ロマンチックな夜の海見ながら散歩しましょうよ」
 食い下がるオレを、斉木さんが鼻で笑う。
『お前の口からロマンチックとか最高に笑えるな』
「もー、斉木さん」
『いいから行ってこい』
 木の枝に引っ掛けられていたランタンがひとりでにオレのもとに近付いてくる。
 オレはとりあえずそいつを掴んで、シートの上に置いた。
「何スか斉木さん……そんなにオレ追っ払いたいんスか?」
『そういう意味じゃない』
 そんなつもりはないと含む調子に、ちょっとほっとする。純粋に、オレに楽しんでほしいと願っての事だ。
 その気遣いはすごく嬉しい、嬉しくてたまらないけど、わかってないなあ斉木さん。
 ……オレもわかってないか。人の事は言えないな。斉木さんはあまり、こういうの楽しいと感じる方でないものな。
 よし、じゃあオレが教えてやるっスよ。
「ほら斉木さん、騙されたと思って」
 オレは、膝を抱える斉木さんの腕を掴み、ぐいぐい引っ張った。
 っち。
 面倒だと隠しもせず舌打ちするのを無視して、オレは尚も引っ張った。
 しかし斉木さんは頑として動かない。
 はぁん……根競べっスか、上等っスよ斉木さん、
 オレは肝を据えた。
 確かに力じゃオレは…いや、誰一人としてアンタに敵う者はいないけど、そんなもんで諦めなかったから、オレはアンタをものに出来たんだ。
 オレはアンタのものになったんだ。
 絶対、浜辺の散歩に連れ出してやる!
 ――しかし。
 斉木さんに手首を掴まれ、そのまま躊躇なく外側に捻られ、オレは呆気なく降参した。
「いでででで! まいった! まいりました!」
『さっきの決意はなんなんだよ……』
「すみませんでしたー!」
 声を限りに叫ぶ。

 

 ねじられた関節を庇って丸くなりめそめそ嘆いていると、斉木さんに仰向けに押し倒された。
「うわっ……!」
『したいのは散歩じゃなくて、こっちだろ』
「いや、えと…順序ってものがあるんスよ斉木さん!」
 散歩で気分を盛り上げて、それから二人で燃え上がるっていう段取りがね、あるんスよ。
『めんどくさい。結局やるんだろ』
「……まあ、そうなんスけどね」
 ランタン灯りに照らされた斉木さんの目が、欲望でぎらついているのがわかった。
 そんな目を向けられては、もう我慢出来ない。
 斉木さんの肩を掴んで位置を入れ替わり、そっと頬に触れる。
 小さく鼻を鳴らして斉木さんが笑う。
『ほらみろ』
「斉木さんが誘ったんスよ」
 こんなとこまで連れてきて。
「覚悟して下さいね」
 間近で囁き、口付ける。
 一刻も早く繋がりたい欲求ではちきれんばかりになっていたが、一緒に浜辺を歩きたいという望みも、頭の片隅にしつこく残っていた。
『僕を満足させられたら、付き合ってやるよ』
 言おうかぐずぐず迷っていると、斉木さんから交換条件として突き付けられる。
 アンタって人は、ほんとうにもう。
「忘れないで下さいよ」
『……ああ』
 オレは唇の端を歪めて笑い、再び斉木さんにキスをした。

 

 ランタンの、ぼんやりと幻想的な灯りに照らされた斉木さんの肌はひどく色っぽく、オレの目と脳を刺激した。
 突き抜けた鋭い感覚は下腹部に集まり、オレを急かす。
「綺麗っスね……背中」
 四つん這いになった斉木さんが喘ぐ度に光を反射する角度が変わり、しみ一つ、傷一つない滑らかな肌が際立って、ますますオレを刺激する。
 オレは突き動かされるまま、斉木さんの中をこれでもかと抉った。
「うっ……んんん!」
 もう堪えきれないといった風に悶え、とうとう斉木さんは肘を折ってシートの上に倒れ伏した。
「またいきそうなんスか……?」
 崩れた背中にぴったり寄り添って耳元で囁くと、斉木さんは二度ほど頷いた後低く呻いて身を強張らせた。手を貸す前に、後ろだけで達してしまったようだ。
 最後まで搾り取ろうと、手を前に回す。
 触れると斉木さんはびくりと腰を弾ませ、高い声を一つもらした。
 オレはにやりと笑い、ゆっくり扱きながら腰を叩き付けた。
『やだ、気持ち良い……もっと』
 もっとして
 素直にねだられ、あまりの可愛さにオレは息が詰まった。下っ腹に力を込め踏ん張る。
 ついさっきまではもう少し強気だったけど、今はもうすっかりとろとろに溶けてしまっている。
「どっちも可愛いっスよ…斉木さん」
 どんなアンタもたまらなく愛おしい。
 オレは動きを速め、自分の絶頂めがけて目を閉じた。
『とりつか…またいく、いく、また……』
「オレも、出そう……斉木さん、斉木さん……中に出していい?」
『いい…早くよこせ、早く』
 はあはあと大きく喘く音、頭に響く声、繋がった個所からもれるいやらしい音、オレのだらしない息遣い。
 全部がないまぜになり、どろりと濃い空気に包まれて、オレは斉木さんの中に欲を弾けさせた。
 いっそう強く腰を押し付け、一番奥で熱を放つ。
「……――あぁっ!」
 堪えに堪え、それでも我慢出来なくて、斉木さんが叫ぶ。背骨を直接くすぐられたような少しぞっとする気持ち良さに、オレは震えが止まらなかった。
 今いったばかり、満足したばかりだというのに、もう一回その声を味わいたくなり、オレは体位を替えて斉木さんに覆いかぶさった。
 まだ息も整わなくて苦しいというのに、そうせずにいられない魅力があった。
(斉木さん…やべー。斉木さんになら、搾り取られて干からびてもいい)
 それくらいの威力があった。
 うつ伏せだったのを仰向けにかえて抱きしめ、唇を塞ぐ。
 少しだるそうにしながらも抱き返され、腕に包まれて、オレはまた滾る。
 何度目になるかわからない射精に向けて、オレは動き出した。

 

 オレはランタン片手に上機嫌で斉木さんと手を繋ぎ、浜辺の散策に出た。
 ああよかった、満足してもらえて。
 すると横から、不機嫌極まりない声が響いてきた。
『……別にしてない』
「えーと、さっき可愛くあんあん泣いてた斉木さん、なんですかー?」
 顔を覗き込むと、たちまち繋いだ手を力一杯握り締められた。まるで万力のような容赦のなさに、オレは声も出せず悶絶した。
 オレはしくしく泣きながら、してたくせに、満足したくせにと心の中で繰り返した。
『今度は反対の手いくか?』
 同時にきゅっと握り締められ、オレは即座にお断りした。
 出来るだけ心を平静にして、夜の浜辺をさくさくと歩く。
 気を取り直して夜の海へ目を向ける。
 すっかり夜闇に包まれた中で見る夜光虫の青色は幻想的で、オレは歩くのも忘れてしばし見入った。
 はっと思い出し、斉木さんの手を引いてまた歩き出す。
 少し進んだところで、斉木さんが呼びかけてきた。
『鳥束』
「はい?」
『悪くはなかった』
「はい、――はい!」
 たちまちオレはでれでれと顔をとろけさせた。
「オレも、最高だったっス」
『気持ち悪い顔見せんな』
「ひでぇっス!」
 オレは繋いだ手をぶんぶん振った。
 けど、そんな尖った気持ちはすぐにほどけた。

 出来た事も、このお出かけも、何もかも最高です、ありがとう、斉木さん。

 

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