雨宿り
霧時雨
時雨のように短時間降ってやむ霧雨。
干し柿
「今日は良く晴れて、最高っスね」 屋上に出るドアを開け、オレはすぐ後ろにいる斉木さんを振り返った。 強い日差しが眩しいのか、オレに返事をするのが億劫なのか、斉木さんは少し目を細めただけだった。 気にせずオレは手ごろな日陰に腰を下ろし、持ってきた弁当を置いた。 昨日とは打って変わって晴天、夕方まで降り続いた雨も夜には上がり、今日はこうして屋上で昼を食べられるようになった。 抜けるような青空が心地良くて、オレはつい、何もないのに隣の斉木さんに笑いかけた。 こっち見んなと、げんなりした顔で斉木さんがそっぽを向く。そんな反応も想像した通りなので、オレはますます笑いたくなった。 「せっかくの昼休みなんですから、楽しくいきましょうよ」 『学園一のゲス野郎といて、何を楽しめって言うんだ』 わあ手厳しい。じゃあ話題を替えますか。 お天気お姉さんが襟の深い、秋らしい装いに変わっちゃってオレがちょっぴり寂しくなってる話…じゃなく、テニス部のアイコちゃんとよりを戻せるかどうかの話…でもなく、えーと。 オレは考えながら弁当箱の蓋を開け、いただきますと頭を下げた。ひと口食べたところではっと頭に思い浮かんだ。 「そうだ斉木さん、夏に見た柿の木、覚えてます?」 『ああ』 「あれ、この前収穫して、んで今干し柿作ってるんスよ」 『ほう』 斉木さんの目の色が変わる。オレは笑い出しそうになるのをぐっと堪え、話を続けた。 鐘撞き堂の軒下にぐるっと吊り下げて、二十日ほど干しておく…今、その真っ最中なんスよ。 「オレも吊るし手伝ったんで、美味しく出来るのが待ち遠しいっス。このまま天気が続けばあと数日で出来上がるんで、そうしたら斉木さんにもお分けしますね」 今日が金曜日だから、遅くても来週の初めには持っていけると思います。 そう伝えると、斉木さんは楽しみに待ってるとつばを飲み込んだ。 「干し柿、お好きでよかったっス」 『嫌いじゃないぞ。そのまま食べるのはもちろん、冷蔵庫で冷やすもよし、冷凍庫で凍らすもよし、いずれも違った面が楽しめる』 どう食べても悪くないと続けられ、今度はオレがつばを飲み込む番だった。 まあ食べれば美味いと思うけど、今まで干し柿なんて特に興味もなかった。でも、今年から好きになりそうだ。オレはほんとに易いんだなあ。それもまた全然悪くないと、隣に座る人を見ながらオレは思った。 |
翌土曜日の昼下がり。 朝からあいにくの雨模様で、身体にまとわりつく霧のような湿りが空から舞って、止んで、はっきりしない天気だった。 昼飯を終えたオレは、腹ごなしに掃き掃除でもするかと、箒片手に廊下を進んだ。 その時、向こうの木陰にほんのちらりと、ツツジの花が揺れるのが目に入った。 「はっ……?」 (あんな場所にツツジは植わっていないし、そもそも時期が違うし、季節外れだとしても……まさか) そんな事を考え瞬きする間に消えた幻のような濃桃のツツジを追って、オレは箒片手に外へ飛び出した。 あっちの木陰、こっちの灯篭と探し回り、敷地の隅にそびえる大樹の下に来てようやく、オレはツツジの花を見つけた。 走り回って少し上がった息で、その人の名前を口にする。 「……斉木さん」 『近くまで来る用があったからついでに寄っただけだ』 本人も、こんなの見え見えで苦しい言い訳だと思っているのだろう、とても気まずそうだ。 まったく、甘いものに目がない斉木さんらしいや。 「ここからだと鐘撞き堂は見えないですけど、斉木さんには関係ないっスね」 『……まあな』 そう言うだけあって、斉木さんの視線はまっすぐお堂に向いていた。ならばあの、綺麗な橙色のすだれも、ちゃんと見えている事だろう。 「晴れてると、もっと見応えあるんスけどね」 今また降ってきた霧雨と、どんより曇った空を梢の間から見上げ、オレは残念だと肩を竦めた。 「来週には持っていきますから、干し柿、もう少しだけ待って下さいね」 返事はない。ちらりと顔をうかがうと、つまらんとふてくされた顔の斉木さん。 「………」 もう、小さい子みたいに拗ねて、なんて可愛い人なんだろう。 込み上げてくる激しい感情に唇が震える。 |
「ねえ斉木さん知ってます? 干し柿って、渋柿で作るんスよ」 顔が少しだけ自分の方を向く。目は干し柿を見たままだけど、聞いてくれているのはわかったのでオレは続けた。 「そのまま食べるなら甘柿の方が断然美味しいですけど、実は甘さは渋柿の方がうーんと甘いんです」 干したりアルコールにつけたり、渋抜きすると、本来の甘さが出て美味しくなるのだ。 「ほんとはうんと甘いって、誰かさんみたいっスね」 誰かさんは、どうやったら渋抜き出来るんスかねえ。 『知るか』 まるで放り投げるような返答。 はは、誰かさんは渋い渋い。 だのにオレの顔はだらしなく緩む。 その時少し風が吹き、霧雨がさあっと髪や顔や身体に降りかかった 肌寒さにオレはぶるりと震え、腕をさすった。 不意に斉木さんの腕が肩に回り、抱き寄せられる。力強い抱擁に続いて唇が重ねられ、オレは束の間目を見張り、それから目を閉じた。 あ、寒くなくなった……やっぱり斉木さんはすごいや。 そんな感動にうっとりしていると、抱擁が解かれた。しかしオレは未練がましく斉木さんの背中を抱いていた。 『冷えるからさっさと中に戻れ。僕ももう帰る』 「……はいっス。じゃあまた来週、学校で」 『じゃあな』 腕の中にあったツツジの花がふっとかき消える。 身体にじんわり残る温かさが続いている内に中に入ろうと、オレは箒を握り締めた。もう片方の手で唇に触れる。たちまち顔がにんまりと崩れた。 斉木さんはそのままで十分甘い、何よりも甘い。 |