雨宿り
山茶花時雨
山茶花が咲く頃に降る時雨。
妙な気分
十二月に入って最初の週末、僕は駅前のスーパーに母のお使いで来ていた、 ついでに自分のコーヒーゼリーを補充しようと入る前に決め、入り口でかごを持つ。 その辺りから奴の声には気付いていた。通りの先で僕を見つけたのだろう、駆け足のように弾む声が段々と近付いてくるのを聞き流しながら、僕は店内に足を踏み入れた。 今日は夕方から雨だとお天気お姉さんが言っていた。万一を考え傘は持参したが、出来れば使わずに済ませたい。 さっさと買い物を終えて家に帰ろう。 さて、まずはキャベツ、青果コーナーだな。 「斉木さん!」 何やら声がするが無視だ。 「ちょ、斉木さん」 多分幻聴だろう。きっと、寒い屋外から暖かい店内に入って、耳がきーんてなったんだな。 「斉木さんてば」 まったくうるさいな、変態の癖に気安く肩を掴むな。 とりあえず顔は見てやるから、それで満足して帰れ変態。 僕は一秒ほど鳥束の顔を視認してから、野菜売り場に向き直った。 手ごろなキャベツを選び、かごに入れる。そして次の目的地へ向かう。 「いやいや、がっつり顔見たうえでまだ無視とか、そりゃないっスよ斉木さん」 『なんだ変態ストーカー』 「ひでぇっ」 今更これくらいの単語で泣くなよ。変態なのもストーカーなのも事実だろうが。 『嘘は言ってないぞ』 「いやていうか、オレもれっきとした買い物客っスよ」 乾物類の買い置きが切れたので、補充の為に来たのだと鳥束は説明した。 話半分に、僕は卵のパックを一つかごに入れた。 『僕をつけ回す仕事があったらいいのになあ、なんて思ってる変態の言葉を信じろと?』 「ええー…でもそれ、好きな人がいるやつはみんな、絶対そう思ってますって」 『お前はそんな可愛いレベルじゃないだろ』 僕がなんでも見通すのを知っていて尚、ごまかす事なく脳内を煩悩まみれにするのは、ある種感心するがな。 「そりゃちょっとはアレかもしれませんけど、オレだって可愛いもん……ちょっと斉木さん」 そんなどんどん行っちゃわないで一緒に回りましょう、そう提案してくる鳥束にため息を一つ零し、渋々乾物のコーナーに向かう。 まったく、こんな事ならゲームを優先して、お使いは後にすればよかった。夕飯の支度にはまだ十分時間があったから後でもよかったのだ。そうすればコイツと鉢合わせしなくて済んだのに。 鳥束が、メモにある品をかごに入れていくのを、僕は少し離れた場所で眺めていた。 こういった事を的確に予知出来る能力があったら、どんなにいいか。 妙な気分になりそうな自分を慌てて押しとどめ、僕はその場に鳥束を置いて自分の買い物に戻った。どうせ奴の入用はあと一つ、それまで律義に待つ事もないだろう。 案の定、特に文句も言わず奴は小走りに追いかけてきた。 「斉木さんちの今日の夕餉は、何スか?」 かごの中身からあれこれ推測する心の声を聞きながら、僕はとりとめのない話に乗った。 またもや妙な気分に見舞われるが、今度は素直に流される。 |
レジで精算して出口に向かうと、外はしとしとと雨が降り出していた。やはり傘を持ってきて正解だった。 コイツは…手ぶらか。まあそうだな、さっきまでは薄日が差していたものな、油断するのも仕方ない。 「あっちゃー…お天気お姉さんはずれちゃったか」 隣で、鳥束がぼそぼそ零す。僕は空を見渡し、遠くの雲まで目を凝らした。 『三十分ほどしたら一旦上がる。すぐまた降り出すが、走って帰れば間に合うぞ』 「え、そんな事もわかるんスか、斉木さんすげーっスね」 鳥束は大きく見開いた目をきらきらと輝かせた。 『という事で、三十分頑張れ。じゃあな』 傘を差して行こうとした時、鳥束が呼び止めた。 「ねえ斉木さん、よかったらオレと、雨宿り兼ねてお茶してきません?」 『してきません』 「あそこのパン屋さんのクリスマス限定セット、奢るっスよ」 『さっさと行くぞ』 くるりと踵を返しパン屋さんへまっすぐ向かう。鳥束ごときに微笑ましい顔をされるのは非常に不快だが、致し方ない。 (さっき、じっと見てましたよね斉木さん) (これなら絶対斉木さんは断らないし断れない!) くそ、鳥束のくせに目敏いな。ああその通りだよ断れねぇよ。 やっぱりお前ストーカーじゃないか。 まあいい、たっぷりご馳走になるとするか。 |
イートインコーナーで待っていると、鳥束が例の品を手にやってきた。 「お待たせ斉木さん、はいどうぞ」 ふうん、これが限定セット…悪くないな。 クリスマスツリー、雪ダルマ、そして星の形のパン。それぞれ華やかに色が付けられ、チョコレートやラズベリージャムが喉をくすぐってくる。 中身は、チョコにカスタードに粒あんか。変わり種で無いのも好感が持てる。 早速いただくとしよう。僕は手を合わせた。 まずは粒あん入りからかじりつく。 向かいに座った鳥束は、自分用の無糖のホットカフェオレを少しずつ啜りながら、やたらにこにことをこちらを見ていた。 変態ストーカーは無視するに限る。 「なんか十二月入ると、今年ももう終わりだなーって感じになりますね」 クリスマスセットに集中し聞き流す。 (心奪われ中の斉木さん、聞いちゃいねえ) ああ、聞き流すのは得意なんだ、好きなだけ喋るがいい。 「町の様子もそうだし、テレビとかも、クリスマスだのおせちだの初詣だのばんばん流れて、段々煽られてる気分になってくるっスよ」 何かやり残した事はないかなーって、これで年越ししていいのかなーって焦りみたいなものが、もやもや渦巻くんです。 おっと、この話題は乗れるな。 『やり残した事か。僕はあるぞ』 「なんです?」 『お前の始末だ』 「はぁ?」 『どうやってお前という存在をこの世から消そうか、いい方法が中々思い浮かばなくてな。気が付けばもう十二月だ。っく、一体どうすれば』 僕は固めた拳をわなわなと震わせた。 「わあ…恋人にそこまで思われるって、オレって本当に幸せ者だな……」 そうだろう鳥束、だからそんな切ない顔しないで、もっと嬉しそうにしろ。 (斉木さんのばか…もう泣いちゃう……ああ、オレにあったかくしてくれるのはカフェオレだけだよ) 鳥束は泣き笑いでカフェオレを啜り、窓の外へと目をやった。 僕もつられて同じ方を見る。 植え込みに椿…いや山茶花を見つけ、樹の上から下までまんべんなくついた花の数々にしばし見惚れる。 こんな凍てつく季節にも花を咲かせるとは…そう思って見ていると、鳥束も似たような感想を抱いている事に気付いた。 空はどんより曇って雨を降らせているのに、よく綺麗に咲くものだ、植物はすごいなと、感心して見入っている。 夏にも過った感覚が強烈に思い出される。 鳥束、お前のその観念こそ、僕は素晴らしいと思うがな。 (この花の色、ちょっと斉木さんの髪に似てるなー。綺麗だなあ。ああ…今年はあと何回斉木さんとやれるかな) ちょっと褒めたらすぐこれだよ。まったく、死んでほしい一号め。 (あとはそう、斉木さんの笑った顔。今年はあと何回見られるかなー) (たくさん見たいな、心残りがないように) (うーん、一体どうすれば……うーん) 『お前が死んでくれたら、心の底から笑えるんだがな』 「もぉー! いい加減オレの死から離れて下さいよ」 『毎日コーヒーゼリー貢いでくれるなら、十日にいっぺんは見せてやってもいいぞ』 「そっ……ええ?」 何か割に合わない? 文句言うな、鳥束の癖に生意気だぞ。 がっくりうなだれる奴にちょっとだけ唇の端を持ち上げる。 僕はいい気分でセットのココアを啜った。うん、甘さが丁度好みだ。クリスマスツリーに詰まったカスタードクリームも、雪ダルマのチョコクリームも、全然嫌いじゃない。 残念なのは、向かいにいる鳥束だ。コイツの澄ましたツラさえなければいいのに。 そして、なければないで自分がどうなってしまうかを、僕は知っている。だからまずいのだ。 妙な気分がまとわりついて離れない。 逃げるようにパンをかじる。 |
ココアも、カスタードも、チョコクリームも、どれも頬っぺたが落ちそうなほど美味い。 当然だ、どれも自分の好物なのだから美味いに決まってる。 一人で食べたって同じくらい美味いと感じるに決まってる。 いや、一人の方が断然いい。どうせ心の声が聞こえるなら、自分とは無関係の声で溢れ返っている方がいいに決まってる。 こんな煩悩まみれのエロ坊主といるより、きっとずっと……。 |
そう思いながら噛みしめていると、鳥束が声をかけてきた。 「ねえ斉木さん」 ついさっきまでどんより落ち込んだ顔をしていたのに、随分明るい目をしている。 最後のひと口を頬張って応える。 『なんだ』 「オレ、斉木さんが大好きっス」 満面の笑みで言われうんざりした気分になる。 わざわざ口で言って来なくてもわかってるよ、頭の中も同じじゃないか、こっちが聞こえてるの知ってるだろ、いい加減にしろ。 「ずっと斉木さんの傍にいますから」 『何を言ってんだ……』 本格的にあきれ果てる。 何とか笑わせたくて必死なのは、もう筒抜けだぞ。手の内がわかりきって身構えている人間相手に、一体何をやっているんだ。 カッコつけて、カッコいいセリフを口にしたって無駄だと、自分でも理解してるじゃないか、それでも挑戦するとはお前は本当に馬鹿だな鳥束。 手に着いたパンくずを払う。 たくさん笑顔を見たい、たくさんやりたい、それ一色だが、その事が僕を安心させた。 まったく、意外性のかけらもない事を言うわ脳内は相変わらずだわ、本当にお前ときたら笑えるよ。 カップに手を伸ばす。 (やっぱりダメか…斉木さん手強いなー) お前、わかってはいたけど本当にどうしようもない馬鹿だな。やれやれと息を吐く。 妙な気分に包まれて飲むココアは、最高の味がした。 |
もっと雨が続けばいいのに…思いの外速く移動するかなたの雲を睨み、僕は小さくため息をついた。 |