雨宿り
瑞雨
夏に生きる生命へもたらす恵みの雨の一種。

恵みの雨

 

 

 

 

 

 昼休みのチャイムと同時に、オレは弁当箱片手に隣のクラスに向かった。
「斉木さーん、お昼にしましょー」
 ようやく昼だと浮かれてざわめく教室内に踏み入り、斉木さんの席に近付く。
『来たか、二年の女子全員に嫌われている鳥束零太君』
「ちょっ! まだクラスの女子だけにっスよ!」
 とんでもない大嘘にオレは青くなって否定する。この回答もどうなんだと自分で悲しくなるが、これから楽しいお昼タイムなんだから、そういうどぎついジョークは勘弁してほしいっス。
 斉木さんの前の席の椅子を借りて座り、斉木さんの机に弁当箱を置く。
「今日はおにぎりにしたんスよ」
 いそいそと包みをほどきながら、窓の外へ目をやる。
「ここんとこ、雨の日続くっスね」
 オレにつられてか、斉木さんもちらっと外へ顔を向けた。
 どうせ降るならちょっとは涼しくなってくれりゃいいのに、ジメジメもわっとしてすっきりしない。
 まあ、先週までのあの凶悪な日差しがないだけ、ましといえばましか。

 

 嫌な季節が今年もやってきた。何とか乗り切らねばとオレは改めて思う。
『で? 次はいつぶっ倒れるんだ?』
「もっ……もう、もう倒れませんから!」
 寝不足と食欲不振と諸々が重なって、ついに熱中症で倒れたある日を取り上げ、斉木さんが顔を覗き込む。オレは慌てて首を振り、もう二度と迷惑かけないようちゃんとこうして毎日食べるようにしていると、両手で弁当を指差す、
「もう御心配には及びませんよ」
 とにかく食べて栄養つけて、夏を乗り切るっス。
 オレは、でっかい梅干を詰め込んできたでっかいおにぎりにかぶりついた。
 向かいでは斉木さんが、斉木さんママさん特製の可愛らしいお弁当を口に運んでいた。
 オレはそれをしばらくにこにこと眺めた後、何気なく窓の外を見やった。
 今年は、七月に入ってやけに雨の日が多い。
『確かにな』
「けど、雨降りもそう悪くもないっスよ」
 オレが今厄介になってる寺の、台所の窓から見える景色、雨が降ると結構風情あるんスよ。
 窓自体はすりガラスになってるんで、開けないと見えないんスけどね、茂った葉が雨に濡れて青々としてね、結構綺麗っスよ。
 六月はずっと日照りが続いていたから、水やりとか大変でしたし。
 そうそう、窓から見えるところに大きな柿の木があるんですよ、まあ渋柿なんスけど、今丁度花が咲いてて可愛いっスよ。
 足元には紫陽花も植わってるんで、そっちもまた雨の日の方が見応えあるっスね。
「よかったら斉木さん、今度見物にでも来てくださいよ」
「お前…どうした急に、熱があるなそれも高熱だ、ケ病か? 救急車呼ぶか?」
「何ケ病って! ちょっと斉木さん、スマホしまって、呼ばないからいいから!」
 慌てて携帯機器を取り出す斉木さんに、オレは急いで手を振る。
「何スかもう、たまにはオレがそういう事口にしても、いいじゃないっスか」
 いつもいつも常に四六時中ゲスでエロじゃないっスよ。
 まったく失礼しちゃうわ。
 オレは殊更大きな口でおにぎりをかじった。

 

 そんな話をしたのが、二日前の木曜日。
 その日は夜暗くなる頃やっと雨が上がって、次の日は晴天で、夜遅くから雨が降り出し、今日もまた、朝からしとしとぱらぱら雨模様だ。
 ただ今日は、ほんの二度とはいえ気温が低い。じとじと湿っぽいのは相変わらずで、お堂の掃除とか足の裏がべたべたして厄介だが、たかが二度でも少し涼しく過ごせるのはありがたかった。
 それと、斉木さんに言ったように、雨の日の窓の景色にも救われる。
 日がよく当たっているのもいいが、生い茂った青葉が雨に濡れる様は独特の美しさが感じられ、オレは好きだ。

 

 夕飯の下ごしらえをしようと台所に入ったところで、オレはびっくりした。すりガラスの向こうに、見慣れない色の花が咲いているのだ。この窓から、こんな色の花が見えた事はない。
(てかこれ花じゃない、これ斉木さんの髪の色……!)
 わかったと同時にオレは外に飛び出した。
 ぐるりと回り込んで台所の窓の下にたどり着くと、軒下で雨宿りしている斉木さんに遭遇した。
 今日の降りはそれほど強いものではないから、軒下でも十分雨をしのげるが、それにしても驚きだ。
「何してんスか!」
『何って、お前が見に来いって言うから来たんだが』
 驚くオレと対照的に、斉木さんはいたって静かだった。まあテレパシーあるものな、この人を驚かそうとするなら、それ相応の準備と覚悟が必要になる。主に、仕返しされる覚悟を。
 それはともかく、数日前の会話を思い出したオレは、ちょっと赤くなって頭をかいた。
「ああ……ああ、そうでしたね」でもだったら来るよって言ってくれたら「お茶菓子とか用意したのに」
『お前がちゃんと修行しているか、抜き打ちで確かめに来たんだ』
「うわ、斉木さんてばストーカー」
『お前に言われたくないな』
「でもオレ、斉木さんにだったらどんどんストーキングされたいっス!」
『くたばれ変態野郎』
 来て来て大歓迎と両手を広げると、半年掃除してない排水溝を見る目で、斉木さんは見やってきた。同時に血も凍る冷気が足元にまとわりついて、オレは即座にすんませんと竦み上がった。
「……それはそれとしてどうですここ、結構綺麗でしょ」
 気を取り直し、オレは片手を軽く振り上げた。大きく育った柿の木、足元の山紫陽花を、順繰りに示す。
 雨をまといしっとり濡れた大きな紫陽花の葉、折り重なる柿の葉から滴る雫、水気を含んだ地面の柔らかさ。
『ああ。これが炊事中に見えるのか、中々贅沢だな』
 斉木さんの穏やかな声に、オレは少しいい気分になった。
 そのまま二人でしばらくの間、雨の降る様を黙って眺め続けた。
 オレはぽつりと口を開いた。
「ちゃんとやってますよ、修行。一応」
『一応か。まあ、そうだな。そこそこにやってはいるようだな』
「……もしかして斉木さん、もう何度か、来てたりします?」
『さあな』
 素っ気なくよそへ視線を向ける様は、オレの推測が見当外れだと言ってるようであり、正解を示すものでもあるように思えた。
(まさか……オレがちゃんと飯食ってるか気になって、来てたり…とか……?)
 馬鹿な考えだと頭から追い払おうとした時、斉木さんから声が届く。
『そうだと言ったらどうする?』
 怖いかと続けられ、オレは憤慨して目をむいた。
 なんでそんな言い方するんスか斉木さん、好きな人に大事に想われて、何が怖いんですか。
 オレは息が詰まるようであった。
「もしそうだったら……泣いちゃうっス」
 ありがたくて。
 オレは情けなく歪む顔でどうにか笑い、斉木さんを見た。
 こんな風に愛情を注いでくれる人に、今まで出会った事がない。
 心の隅々まで満たされていくようであった。細い細い血管の先まで充分に栄養が届けられ、オレの身体は魂ごと潤う。
 ああ、涙を堪えるのが難しい。
『湿っぽいのは雨で充分だ』
 斉木さんは少し上の方を向いて、やれやれとため息を零した。

 

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