雨宿り
花時雨
花の季節に降る、時雨のような冷たい雨の呼び名。

お前といると、余計に

 

 

 

 

 

「ああ、やっぱり降ってきちゃいましたね」
 食堂の大きな窓に細かな雨粒が一つまたひとつと弾けるのを見て、オレは正面の斉木さんに向かって言った。
 朝の予報通りっスね。
 窓際に陣取る生徒たちの間からちらほらと、傘持ってきてない、と声が上がるのを聞きながら、確かに午前中は晴れてたから油断もするよねとオレは思った。
 オレは、お天気お姉さんの言い付けを守ってばっちり忘れず持ってきてるっス。
 斉木さんはもぐもぐとB定食を噛みしめながら、ちらりと窓へ目をやった。
『降ったり止んだりといったところか。帰る時、丁度止んでるといいな』
 傘は持ってきているが、差して歩くのは地味に面倒だからな。
 ああ、確かに。オレは同意して頷く。
「帰りどっか寄るんスか?」
 斉木さんは窓からオレへ視線を移し、今日は隣町のゲームショップに寄ろうと思っていると言った。左脇腹の主だったショップを色々回り過ぎたからか、最近いいのが発掘出来なくなったのだそうだ。隣町なら、また違ったものが見つかるかもしれないと。なるほど。
「へえ、新しいクソゲー探しっスか。じゃあ――」
『いいぞ』
 じゃあお供するっス――オレが言うより早く斉木さんは頷いたが、その顔は煩わしさを隠しもせず歪み切っていた。
 そんなにうんざりしなくてもいいじゃないっスか。
『別にうんざりなんかしてない』
 そう言いながら斉木さんは、頬杖付いてどこか遠くを見つめながら、大きなため息をついた。それがうんざりしてないなら何だってんですか。
 もう斉木さん、そんな憂鬱丸出しの顔してないで、もっとオレとの放課後デート楽しみにしてよ。
『すごく楽しみだ』
 斉木さんは両手を膝の上に力なく置くと、がっくりとうなだれた。
 完全に食欲の失せた人を演出しながら、何が楽しみなんですか。ひでぇや斉木さん。
『まあいい。めぼしいものがあったら、全部お前に買ってもらうとしよう』
 そうしようと、斉木さんはたちまち明るい顔付きになってぐっとこぶしを握った。
『という事で、放課後昇降口で待ってろ』
「はいはい、了解っス」
 なんだか安請け合いしてしまった気がするが、アンタが元気ならオレは何でもかまわないのだ。

 

 乗り込んだ車内は空いていて、人もまばらだった。座ろうかと誘うも、次で降りるからいいとの斉木さんに倣い、オレは閉まったドアに寄りかかった。
 窓に当たって弾ける雨粒を横目に眺めながら、オレは放課後デートに浮かれた。
 何か買うあてはあるのか、どういうジャンルのゲームにするのか、斉木さんとお喋りを楽しむ。
 目的地が近付くと斉木さんも期待が増したのか、食堂の時とは打って変わって明るい表情を見せた。勢い付いて上向く目はとても可愛かった。
 そして期待があれば当然不安も湧き起こるもので、どうせ見つからないだろうと悲観的になって、投げやりに窓の外を向く目も、やはり可愛かった。
 表情の移り変わりが乏しいように見えてそんな事は全くなく、狭められた選択肢の中でも楽しもうとするこの人が、オレはたまらなく愛おしかった。
 電車で移動している間に、雨は一旦上がったようだ。駅から信号を渡ってすぐのショップだが、傘を差さずに済むのは助かる。、
 でも、またすぐ降りそうな空模様。空気も冷たく、だから余計、足を踏み入れた店内の暖かさにほっと肩が緩んだ。
 さて、どんなお宝が見つかりますか。
 オレたちは店の奥深くを目指した。

 

 くそゲーマニアも避けて通るような素敵なソフトが見つかった。
 それも三つも。
 全部買うかと思いきや、クソゲーとはいえ出来るだけ楽しみたいとの斉木さんの言葉に、オレは幽霊たちの力を借りる事にした。
 最初に、絶対ネタバレしない事を約束させ、ちょっとずつ情報を聞き出す。
 ゲームショップにたむろする幽霊だけあって、オレは見た事も聞いた事もない制作会社の、素敵なタイトルのゲームを、知っているという幽霊がいた。
 他の人間は見向きもしないような、どうにもしようがないクソゲーを愛する人はいるもので…世界は広いな…そいつがプレイしているのを見た事があるというのだ。
 ただ残念な事にわかったのは三つの内二つだけだった。そしてその二つの内の片方は、本当にダメな、さっぱり訳の分からないゲームだったと幽霊は言う。
 幽霊から聞き出した情報をオレ経由で知った斉木さんは、さっぱり訳の分からないゲームというのに心惹かれるものがあったらしく、ちょっと悩んだ末に三つ全部買う決意をした。
 早速レジに向かう斉木さんの背中を微笑ましく見送って数秒、そうだオレが買うと約束したのだったと慌てて後を追うも、あんなのは冗談だと斉木さんは片手を振った。
 別に、本当でもよかったのに。
 オレたちは情報をくれた幽霊たちに礼を言い、ショップを後にした。
 お前がいてよかったとうきうき顔で斉木さんに言われ、思いも寄らない言葉にオレは何と返してよいやらわからず、笑顔を浮かべるのが精一杯だった。

 

 店を出ると、案の定雨がぱらついていた。
 しょうがないので傘を差して帰ろうかと空を見上げた時、隣のカフェで雨宿りしていこうと斉木さんが提案した。
『冷たい雨に濡れてお前が風邪を引いたらと思うと、気が気じゃなくてな』
 笑うべきか怒るべきか、調子を合わせるべきか外すべきか…真面目ぶった顔の斉木さんに翻弄されオレは苦い顔になる。
 まったく、何言ってんスか斉木さん、学校出る時もちょっとぱらついてたじゃないっスか。途中で止んだけど、全然気にせず傘差して歩いたの忘れたんスか。
 んで、ゲーム屋入る前、歩み遅くしてまでカフェのショーケース覗いてたの、オレちゃんと知ってるんスからね。
『よく見てるな、さすがストーカーだ』
 このやろ!
 まあいいや、店に入りましょう。
 いらっしゃいませ、二名様ですか
 はつらつとした声の女の子に迎えられ、オレは澄まし顔で指を二本立てた。店内はそこそこの入りで、丁度良く空いていた窓際の席に案内された。店内の角っこで、オレが壁側に座る。そうすれば、さっきの可愛い声の店員さんもすぐに目に入るし、お客で可愛い子がいればお得だし。それに。
 店内を見回していたオレは、正面の斉木さんに目を戻した。お冷と一緒に渡されたメニューを、随分眩しそうに眺めている。
 斉木さんはオレの視線に気付くと、自分はこれにすると指差して、メニューを見せてきた。
 目にして、ああこりゃ眩しい顔になるのも当然だと、オレは思わず笑った。
 桜色を背景に、パフェグラスに山と盛り付けられたイチゴパフェが映っている。春パフェ、ね、なるほど。お前、斉木さんを虜にするとはやるなあ。
 オレはざっとメニューに目を通し、お替り自由なカフェオレに決めた。さっきの女の子に向けてすっと片手を上げ、やってきた彼女にちらちらと目線を送りながら注文する。
 少々お待ちくださいませ、その声も可愛いな。でれでれと見送った後、オレはお冷に口をつけた。
 正面では斉木さんが、さっき買ったソフトを袋から出し一つずつじっくり眺めていた。
 一つは、どこかで見た事あるような、つまりパクリちっくなデザインで、しかし人物の絵が致命的にダサく、それでいて妙に心くすぐるのが摩訶不思議であった。
 もう一つは、可愛らしいタッチで描かれた動物たちが全員集合したみたいなパッケージで、一見しただけでは何をするゲームなのかさっぱりだ。斉木さんは裏面を読んで解読しようと試みたが、力なく首を振るだけだった。つまり、説明書を見るまではさっぱり分からんという訳だ。
 あの斉木さんを悩ますとは、やるなクソゲー。オレはちょっと笑ってしまった。
 そして件の三つ目。
「一体、どんな風に訳がわからないのか、楽しみっスね」
 クソゲーだって事も忘れて、オレはウキウキと声を張り上げた。
 ところで斉木さん、今までやった中で、これは割と当たりだったってソフトはありますか。
『まあ、結構あるぞ』
 いずれも古いゲームソフトだがと前置きして、斉木さんは喋り出した。オレはテーブルに身を乗り出して聞き入る。
 しばらくお喋りしていると、お待たせしましたと注文の品が運ばれる。
 ご注文は以上ですかとの声にオレは頷き、きびきびと去っていく後ろ姿をしばし見送った。
 斉木さんは早速スプーンを手に取り、小さく開けた口からそっとため息を零すと、きらきらと目を輝かせた。それから畏れ入ったようにそっとスプーンでクリームをすくい、口に運ぶ。
 はは、かわいーの。
 オレはむずむずする口を意識してぎゅっと噤み、パフェに心奪われる斉木さんを眺めた。手探りでカップを掴み、カフェオレを啜る。
 やっぱり、オレが壁側で正解だった。斉木さんのこんな可愛い顔、誰にも見せたくない。
 あちこち横目で見てしまいがちな性分のオレだけど、一番たくさん目に映したいのは、斉木さんしかいない。
 オレは思う存分心に焼き付けた。

 

 外では、しとしとと弱くも冷たい雨が降っていた。
 街路樹の桜はまだ咲き始めたばかりで、つぼみの方が多い。
 彩のささやかな桜の木に、雨が降り注ぐ。
 花弁はごく薄いピンクで、つぼみの方が色が濃く、それが雨に濡れたせいでより色味が増していた。
 雨空の元で見る濃いピンクは、前に座る人の髪色に重なって見えた。
「期間限定の、春のナントカイチゴパフェでしたっけ」
『春爛漫イチゴパフェだ』
「そうそれ、お味はいかが?」
 真っ赤なイチゴと真っ白なクリームの対比が、実に目に鮮やか。見ていると唾が溜まる。
『うむ、全然嫌いじゃない』
 イチゴの爽やかな甘酸っぱさと、すっきりした甘さのクリームがとてもよく合うとご満悦。
 見てるこっちまで気分が良くなるいい笑顔だ。
 オレはカフェオレのカップを持ち上げた。
「良かったっスね、斉木さん」
『悪くない。お前といると、余計に――』
 頭に響いた言葉にひゅっと息が乱れる。危うくカフェオレが気管に入るところだった。恐る恐る息を吐き、正面の斉木さんを見やる。
 余計に……何スか?
 微笑んでオレを見つめるばかりの斉木さん。
 その笑顔は、スイーツが美味しくてほころんでいるのか、それともオレに笑いかけてくれているのか。
 斉木さんは答えを秘めて、真っ赤で真っ白なパフェをひと匙ずつ丁寧に口に運んでいた。
 オレは息苦しくなった胸を喘がせながら、じっと斉木さんの顔を見続けた。
 顔が熱い。
 目が離せない。

 斉木さん、オレほんとに……アンタが大好きだ。

 

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