お月見
お月見シリーズでまず浮かんだのが、この秋のお話。
今日も二人は仲良しです。

お月見風呂

 

 

 

 

 

 昼休みが終わる頃、ぽつぽつと雨が降り出した。
 初めは弱い雫だったが次第に勢いを増し、午後の授業の合間に外を見ると、完全に本降りとなっていた。
 そのせいか肌寒さも一気に増し、オレははくしょん、とくしゃみを一つした。
 降るのは夜になってからって、お天気お姉さん言ってたのに。
 念の為傘は持ってきたが、雨の中帰るのかと思うとああかったるい。
 うすら寒いし雨は面倒だし、授業はまだ始まったばっかだし、あーあ。
 憂鬱だと、オレはふてくされたように頬杖をついた。
(ハライタつって保健室行って、幽霊だちとだべってようかな)
『真面目にやれ』
 そんな暇つぶしの方法を思い浮かべていると、隣のクラスの超能力者さんから眉間にゲンコツを食らう。もちろん実際にグーを当てられたわけではないが、どれだけ離れていようがあの人には些細な問題だ。
 じわっと滲む涙と痛みを黙って堪え、オレは隣のクラスに文句を垂れた。
『そうか、二発目が欲しいのか』
(いらないです!)
 即座に答え、オレはさっと避ける。そういうのも無駄なのだが、どうしても反射で身体が動いてしまうのだ。
『せめて起きてろ。もしも寝たら、お前の真上の天井を崩して脳天に落とす』
(もう〜勘弁してくださいよ斉木さん)
 机の上で両手の拳を握り締める。
 そこでオレはふと思った。あまりこうして授業中に交信する事はない、珍しい方だ。
 もしかして斉木さんもヒマなのかな。
 即座に違うと返ってきた。
『自習中なだけだ』
 ああそう。
(あ、じゃあ斉木さん、二人で教室抜け出して保健室に――いた!)
 邪な考えに脳内が染まりかけた時、右手にちくりと痛みが走った。はっとなって見ると、机の上に転がしていたシャーペンの先が、右の手のひらにぷすりと刺さっているのが目に入った。
「!…」
 実際に皮膚を突き破ってはいないが、今にも突き刺さるギリギリの際どいところまできていた。
「ちょ……」
 オレは声を出しそうになり慌てて口を噤んだ。
(ちょっと斉木さん!)
 こんな事が出来るのはあの人しかいない。
 オレはすぐさまシャーペンを掴んだ。しかしどんなに力を入れてもびくともしない。皮膚を突き破るかどうかの瀬戸際で、ぴったり止まっている。
 まるで、見えない右手に右手を押さえ込まれ、見えない左手でペンを突き刺されているような…とにかく恐ろしい状況だ。
 オレはだらだら汗を流しながら、斉木さんとの妙な綱引きを続けた。
『中々器用になっただろ』
 こんな微妙な力加減も出来るようになったぞと、斉木さんの得意げな声が頭の中に響く。
 はい、本当にすごいです、さすがは天下の超能力者様です、だからもう勘弁してください!
 ごめんなさいごめんなさいと、オレは何度も繰り返した。
 どれだけ謝っただろうか、唐突に力が抜け、かたんとシャーペンは机に落ちた。
(はあ……おおいてぇ)
 オレは赤くなった跡をさすりながら、ようやく肩を落とした。
 厳しい恋人だよまったく。

 

「ほらここ、もうちょっとで穴が開くとこだったんスよ!」
 放課後、オレは斉木さんに手のひらを見せながら下駄箱へと向かった。
 ほらほらと指差して示すが、斉木さんはちらとも目を向けなかった。
「ちょっともう、見てったら見てよお」
 誰のせいで穴が開くとこだったと思ってんだ、この人は。
『お前が不真面目なのがいけないんだろ』
「うぐ……」
『今度気持ち悪い妄想を聞かせてみろ、手のひらをペンが通過するマジックを見る事になるぞ』
「ひっ……さーせん」
 オレはしょんぼりと肩を落とした。不真面目で不埒で不純でどうしようもないオレでほんとすんません。
 でも、だって、今日があんまり寒いものだから、人肌が恋しくなっちゃったんスよ。
 寒い日はいちゃいちゃくっついてあっため合うのが、恋人同士の定番じゃないっスか。
『お前は季節関係ないだろ』
 小さくため息を零される、
「そこまでわかってるなら斉木さん、今日オレんち寄りませんか」
 ゆっくりあっため合いましょうよ。
 対する斉木さんの返事は、行けたら行くという定型の断り文句だった。
 オレは思い切り唇をひん曲げ、ちぇっと零した。
 玄関口で傘を差し、雨の中歩き出す。

 

 一日一日と、日を追うごとに夜の訪れは早くなっていた。
 夏真っ盛りの頃は、この時間でもまだ外は昼間くらい明るかった気がするのに。
 そろそろ風呂に入るかと思い立った時、雨戸を閉め忘れていた事に気付いた。
 愛読書に夢中になるあまりすっかり頭から抜けていた。
 外はまだ冷たい雨が降り続いていた。急いで窓を閉め、戸締りを確認して、部屋を振り返る。
 そこに、斉木さんが立っていた。
「うわっ……!」
 オレは肩が弾むほど驚いた。どきどきっと跳ね上がった心臓を押さえ、大きく息を吐く。
「来るなら来るって言って下さいよ」
『行けたら行くって言ったろ』
「ああ……うん、はい」
 確かにそうだった。オレは苦笑いで頭をかいた。
 でもまさか、あのセリフで本当に来てくれるなんて、思ってもいなかった。
 遅れてやってきた嬉しさにオレは顔一杯で笑い、斉木さんに飛び付いた。正面からがばっと抱き着いたはずだった。
 気付いたら背後に立たれて、自分の手足がどうなっているやらよくわからないほど複雑に関節を極められていた。
「なにこれ? いたたたた!」
『何って、恋人同士のいちゃいちゃだ』
「いやこれ違うっス!」
『くっついてあっため合うと、お前が言ったんだろ』
「これじゃないから! これじゃないからっ!」
 オレは斉木さんの身体のどこでもいいから、とにかく叩いてギブアップした。
 確かにお互いとても密着しているが、オレが望んでいるのはこういう触れ合いじゃない!
 そういえばいつだったかも、こんな事をしたっけ。
 次第に遠のく意識で思った時、ようやくオレは解放された。
 ふらふらと数歩よろけ、地面に這いつくばる。
 地面?
 部屋の中でない事に驚き、がばっと起き上がる。いつの間にかオレは、どことも知れない山奥の岩場に来ていた。
「寒いっ!」
 身を切る冷たさに叫んだ瞬間、見覚えのある場所である事に気付いた。
 以前、そうあれは春だった、斉木さんに連れられてやってきたここは――。
「北海道だ!」
『正解だ』
 斉木さんはちょっと嬉しそうな声で言った。
 オレは慌てて辺りを見回し、温泉を探した。
 こっちは雨が降っていないだけましだが、寒さが堪える。
 早く湯に浸かって温まらないと死ぬ。
 オレは腕をさすさすりやっとこ立ち上がり、がたがた震えながら早く入りましょうと訴えた。

 

「はふぅ〜極楽だぁ〜」
 オレは温泉の縁に組んだ腕を置いて、そこに顎を乗せ、いい心持ちだとため息をついた。
 やっぱり寒い日は温泉に限るね、ね、斉木さん。
 また連れてきてくれて、ありがとうございます。
 オレはごろりと頭を動かして斉木さんを振り返り、えへへと顔を緩ませた。
 ちょっと熱めだけど、中々いい湯加減。
「あーごくらくごくらく」
 残念なのは、あいにくの曇り空で月も星も見えない事。
 灯りのないここでは、斉木さんの顔を見るのもままならない。
 まあ、向こうのように雨が降っていないだけよしとするか。
『僕は見えるぞ。お前の小汚い顔も、今日の月も』
「見えてます?」
 小汚いは余計っス。
 オレは斉木さんがいると思われる方を向き、それから空を仰いだ。
 ここは開けた場所なので、木々に遮られる事なく空一杯を見渡す事が出来るが、どんなに目を凝らしても雲の様子もわからなかった。
 しかし斉木さんには関係ない。
『ああ、よく見える』
「今日の月、綺麗っスか?」
『ああ』
「そりゃ良かったっス」
 斉木さんの穏やかな返答にオレは無性に嬉しくなり、心から喜んだ。
『鳥束、空に向かって手を上げろ』
「え、え? こうっスか?」
 突然の注文に、オレは言われるまま手を上げた。
『もう少しこっちだ』
 そこに斉木さんの手が重なり、ほんの少し右へと傾ぐ。
 何をする気だろうとうかがっていると、見上げる先の雲がくりぬかれるように消え去り、ぱあっと月明かりが差した。
 斉木さんの超能力だ。
 現れた煌々と輝く満月に、オレは大きく目を見開いた。
 はあ、と間抜けな音で息を吐く。
 まるで夢のような出来事にオレはしばらく声もなく見入った。
 それからはっと斉木さんを振り返る。
「斉木さん、オレ、もう……死んでもいいっス!」
『そうか、では遠慮なく』
 斉木さんは両手でオレの頭を掴むと、何ら躊躇せず湯船に沈めた。
 突然の事に混乱し、オレはじたばたと手足を動かしてもがいた。
「げほ、げほ! 鼻いてぇ! げほっ!」
 すぐに解放されたオレは慌てて顔を拭い、ずきずきと痛む鼻を押さえて悶絶した。
 はあびっくりした。
「なんすかもう、斉木さん……ひどいっス!」
 人のせっかくの情緒を、このやろう!
『何が情緒だ、黙れこの変態煩悩小僧』
 うう…ひでえっス。
 オレはさめざめと泣いた。
 なんだってこんなへし折られなきゃいけないんだ。
「てか斉木さん、オレまだ超能力会得してないんスから、始末するには早いっスよ」
『ふむ、そうだったな。やれやれ、さっさと死んでほしいのに面倒だな』
 斉木さんはわざとらしく両手を広げ、大きく首を振ってみせた。
 もう、やれやれってため息つきたいのはこっちの方っスよ、
 月明かりのお陰でよく見えるようになった斉木さんにずいと近付く。
「物騒な事言ってないで、せっかくの月見風呂楽しみましょうよ」
『やる事しか頭にないエロ坊主が、何を言うか』
「心配いりませんよ斉木さん。大丈夫、ちゃんと楽しませてあげますから」
 肩を抱き寄せると、射殺さんばかりに睨み付けられオレは一瞬怯んだ。
 いや、ここで退いては男が廃る、そんなのオレじゃないっス。
 頬に手を添え、オレはゆっくり唇を重ねた。
 斉木さんは少しばかり抵抗した後、諦めたように力を抜いた。
 それはそれでちょっと悲しくなったが、抱き返されてオレはすぐに持ち直す。
 ああ、斉木さん…好き。
『お前の頭の中、本当に最悪だ』
 うんざりだと言わんばかりに斉木さんが吐き捨てる。
 それでいて、オレの肩に甘えるように頭を乗せるものだから、オレはたまらなくなって斉木さんを抱きしめた。
「綺麗な満月見せてもらったお礼に、うんとよくしてあげます」
『言うほどじゃなかったら、承知しないからな』
 脅し文句を吐きながら、斉木さんは抱き返してきた。
 やりたくてたまらないのと、泣きたくてたまらないのとでごちゃ混ぜになって、オレはしばらく動けなかった。

 

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