お月見
夏は斉木さんが優しくなる季節。
三個パックのコーヒーゼリー、食前に斉木さんが一個、残りの二個は、食後のデザートに二人仲良く食べました。

冷やし月見そば

 

 

 

 

 

 昼休みまであと十五分ほど、オレは時計ばかり見て授業を放棄していた。
 一応見てくれだけは、ノートに向かい真面目に話を聞いている風を装っている。
 けれど開いたノートは白紙、落書き一つない。腹は減ったし眠たいし、手を動かす元気もない。
 教科書に至っては開きもせずただ机に置いているだけ。
 早く昼飯にならないかと、そればっかり思っていた。
 あと十分とあくびを噛み殺す。
(斉木さん、斉木さーん、昼、一緒に食べましょー)
 隣のクラスに投げかけ、オレは出来もしない透視をしてみた。
 斉木さんの事だから、真面目に授業受けているんだろうな。
 あと七分。
(ねえ斉木さん、お昼、一緒にいいスよね)
 ああ、早く本物に会いたい。もう透視(偽)は駄目だ、透視(ニセ)じゃ我慢出来ない。
 眠気で頭がぼうっとしてきた時、斜め後ろの席から、抑えたあくびが聞こえてきた。
 それにつられたのか、その隣で一つ、後ろで一つとあくびの連鎖が起きる、
 回りまわってオレも一つあくびをする。
 古典の授業はみんな特に眠くなるな。
 あと四分。
(斉木さん、もうすぐ昼っスね)
 オレもう目蓋くっつきそう、いっそ机に突っ伏そうか。
『真面目に受けないなら一緒は無しだ』
 今にも気を失うという時、斉木さんからテレパシーが飛んできた。
 頬杖からずり落ちそうになっていた顔を慌てて持ち上げ、オレはしっかと目を見開いた。
 ああまったく、斉木さんはコントロールが上手いね。
 オレは残り三分、斉木さんと昼を過ごす為、せめて姿勢だけはと真面目に授業を受けた。

 

 授業が終わり、古典の教師が教室を出るより早くオレは教室を飛び出した。
 チャイムが鳴っても話は続いて少し苛々した。
 隣のクラスを覗くが、席に斉木さんの姿はなかった。
 え、あれ?
 どうした事だと廊下に目をやると、はるか先を行く後ろ姿が見えた。
 食堂に向かう者、体育の授業が終わり戻ってくる者、大勢の生徒が行き交う廊下を、オレは早足ですり抜けながら斉木さんに追い付こうと急いだ。
 頑張ったが、結局食堂に着くまで追い付けず、席に着いたところでオレは文句を垂れた。
「もう、なんで置いてくんスか」
『急がないと席が埋まるだろ』
 食堂内を見渡すとわかるが、確かにぎりぎりのところであった。
 だったらひと言告げてくれればいいのに、まったくこの人は。
 オレを置いていったわけではないとわかって、少し笑いたくなる。
「ねえ斉木さん、今日帰りお邪魔してもいいっスか」
 俺は少し身を乗り出した。向かいでは、斉木さんが親子丼を口に運んでいる。
 しばし返事を待つが、うんともすんとも返答がない。
 それどころか、オレに向いているがオレを見ていない目で、ひたすら飯を噛みしめていた。
「ちょっと、斉木さん? ねえ、ちょっと!」
 それこの前もやったやつ!
 そしてこの前は、オレの不用意なひと言で危うく声が出せなくなるところだった。
 思い出してまたぞっとし、恐怖のあまり不規則になった呼吸を元に戻そうとオレは慌てて深呼吸した。
『うむ、中々良い反応だな』
 もう斉木さん、人で遊ばないで下さいよ。
 大変満足そうな恋人に、オレは泣き笑いだ。
「今日は駄目っスか?」
 ああこりゃ十中八九断られるパターンだと、諦め半分で訊く。
 しかし意外にも斉木さんは来てもいいと言った。
 なんでも、今日はご両親が外出で不在との事。
『だから招いても何の問題もないんだが、お前と夕飯を共にするくらいなら、一人で道端の草か氷でもかじってた方がずっとましだな』
「何スかもう、ちゃんと食べなきゃダメっスよ」
『夏バテでぶっ倒れた奴に言われたくない』
 先日の失態を口にされ、オレは言葉に詰まった。
「うぐ……いいから斉木さん、しっかり食べてスタミナつけましょう。なんならオレ、作りますから」
『ソーメンくらいしか浮かばない奴に言われたくない』
「うぐぐ……」
『食欲は失せてるのに性欲は失せてないゲス野郎に言われたくない』
「うぐぐぐ……すみません」
 頭の中を隅々まで暴かれ、畳みかけられ、オレは力なく白旗を上げた。
『とはいえ、また手を煩わされるのは御免だからな。うちに来い、ちゃんと食わせてやる』
 ただし作るのはお前だぞと付け加える斉木さんに、オレはもちろんと応えた。食べたいものなんでも作ります、なんでも言って下さい。そう告げると、斉木さんは少し考え込む顔になった。
『そうだな……よし、激辛麻婆ラーメンにしよう!』
「斉木さんから一番遠いやつ出た!」
 衝撃にオレは目を剥く。
 さすがに冗談ですよね斉木さん、アンタの口から激辛とかここ最近で一番の衝撃っスよ。
「てかそれ、斉木さんも食べるんスよね?」
『いいや。僕は普通に冷やしきつねうどんを食べるが』
 ちょっとー!

 

 その後何とか修正し、夕飯の献立は冷やし月見うどんに決定した。
 昼休みの間に、斉木さんに足りないものはあるか千里眼で確かめてもらった。
 うどんはある、めんつゆに卵に薬味も海苔も揃っているという事で、特に買い物の必要はなさそうだ。
 いや、あった。コーヒーゼリーだ。お邪魔するのだから、手土産の一つも持っていくべきだろう。
「つっても、最高級のは無理っスけど」
 だからそれ以外で頼みますねと、オレは苦笑いで念を押す。
 すると斉木さん、今日は三個パックが特売日だからと指定してきた。
 了解したオレの脳裏に、ある光景がぱっと浮かび上がった。
 斉木さん、オレは超能力者じゃないから予知能力なんてないはずなんスけど、アンタが、食事前に一個、食後のデザートに一個、夕飯後のくつろぎタイムに一個、コーヒーゼリーを食べる姿が予知出来ました。
 なんだかおかしくなって斉木さんを見やる。
「当たってます?」
『残念だが、お前とお別れする時が来たようだな』
「え、なに、なに?」
『超能力を使えるようになったら、始末する約束だったろ。寂しくなるなあ』
「全然寂しい顔じゃないし!」
 てか斉木さん、これ予知能力でもなんでもないですよね、だから始末は後のお楽しみに取っといて下さい!
 オレは何とか宥め、思いとどまるよう説得した。
 はぁまったく、命がけだよ。

 

 学校帰りに寄ったスーパーで、オレは指示通り特価コーヒーゼリーを買い求め、斉木さんちに向かった。
 斉木さんとは学校で別れた。調理に必要な鍋やら材料やらを用意しておくから先に帰ってる、との事だ。
 一緒に帰れないのは少々寂しいが、斉木さんが待っててくれているかと思うと足取りは軽かった。
 チャイムに手を伸ばした時、開いてるから入れとテレパシーが届く。
 超能力者のいるお宅ってのは便利っスねえ。
 オレのテレパシーを感知してるのか、それとも千里眼か。
 斉木さんが見ていると思うと何だか嬉しくなったオレは、うきうきしながら家の中に向けて手を振った。
『気持ち悪い、帰れ』
 案の定というか、冷たい声が頭の中に響いた。続けて、玄関から鍵の閉まる音がした。
 ちょ、ひどいっス斉木さん、開けて下さい。
『玄関のとこに、セールスと鳥束零太お断りと張り紙がしてあるだろ』
「ないっスよ、もう斉木さぁん」
(てか、入れてくれないとコーヒーゼリー食べられないっスよ)
 オレは手に提げていた袋の中を覗いた。
 いつまでも締め出していると、コーヒーゼリーぬるくなりますよ斉木さん。
『僕の手元に、その三個パックと同価値の廃材があってな。あとは言わなくてもわかるな』
 そりゃないっス!
 舌打ちと、やれやれの言葉の後、鍵が開けられる。
 さっきの訂正。超能力者のいるお宅はかなり手こずる。
 やれやれって言いたいのはこっちですよ斉木さん。
 オレはようやく入れてもらい、鍵をかけキッチンに向かった。
(あれ? なんかいい匂いがするな)
 廊下を行く途中でそれに気付いた。キッチンに入るとよりはっきりして、お待たせと口の中に用意していた言葉を出しそびれる。
「え、なんです?」
 代わりに出たのはそんな言葉だ。
 いい匂いの正体は、コンロに乗ったフライパンだった。コマ肉と玉ねぎがいい具合に炒め煮されており、じゅうじゅうという音とともに胃袋をくすぐるたまらない匂いを立ち上らせていた。
 フライパンの隣では、深鍋で湯がくつくつと湯気を上げている。
 呆気に取られていると、斉木さんが手を伸ばしてきた。
『鳥束、コーヒーゼリー』
「ああ、はい……」
 オレは慌てて袋を差し出した。代わりにエプロンが手渡される。オレはそれを半ば自動的に身に着けて、紐を結んだ。
 斉木さんがダイニングテーブルで早速コーヒーゼリーを食べ始める。それをしばし眺め、それからコンロの方へ顔をやり、また斉木さんに向き直った。
「あの斉木さん……あれ」
 あれじゃわからんと自分でも思いながら、オレは間抜けな質問をする。
 でも斉木さんには問題ない。オレの頭の中を読み取って、何が言いたいか的確に理解してくれた。
『うどんだけじゃ足りないだろ』
 だから、牛コマと玉ねぎですき焼きもどきを作った。うどんの上にのせて食べる用にだ。
 説明を聞き、オレは思いきり目を見開いた。あの斉木さんが、わざわざコンロの前に立って、調理を……。
『立ってはいないぞ。僕も暑いのはうんざりだからな』
 ダイニングテーブルでコーヒーゼリーをひと口ずつ味わいながら、同時に斉木さんは離れた場所のフライパンを揺すってみせた。
 なるほど、と笑みが浮かぶ。まさにアメージング。
 何の気なしにコンロに近付くオレを、斉木さんが制した。
『あまりそっちへ行くなよ、換気扇を付けててもかなり暑い』
 だからお前はそこに座って、これでも飲んでろとコップ一杯の水が用意される。
『これはサービスだ』
 ほんとにサービスっスね。
 オレはまた笑って、言われた通り椅子に腰かけた。
「でも斉木さん、さっきはオレに作れって言ったのに」
『気が変わった。お前は盛り付けだけすればいい』
 オレはぎゅっと口を結んだ。
 何だよ、夏は斉木さんが優しくなる季節なの?
『というより、面倒ごとを回避しているだけだ』
 コーヒーゼリーだけを見つめて、斉木さんが言う。
 またそんな言い方して、この人はさ。
 オレはより意識して口を引き締めた。
 それでも溢れそうになって、慌てて水で流し込む。

 

 ぐらぐらと沸騰するたっぷりのお湯の中で思う存分踊ったうどんは、誰の手も借りずに流しのザルに移動すると、真上から注がれる冷水を浴びてぎゅっと引き締まった。
 オレは一連の流れを、椅子に座ったままずっと眺めていた。キッチンの方へ身体を捻って、斉木さんの超能力による鮮やかな手口にいちいち感心する。
『手口って言うな』
「はは、すんません」
 斉木さんを振り返り、眉を下げる。
『よし、出来たな。さっさと盛り付けしてこい』
「了解っス」
 オレは立ち上がり、今一度紐を締め直した。キッチンに向かうと、すでに器も薬味も必要なものは全部手の届く範囲にきちんと用意されていた。思わず口が緩む。
 うどんをそれぞれの器に盛り、つゆを入れ、フライパンのすき焼きもどきを乗せて、ネギと刻み海苔を散らす、そしてその上に黄身を落としたら完成だ。
 ああ、美味そう。オレは騒ぐ腹の虫を宥めつつ、最後の仕上げの卵を手に取った。
 一つ目は出来上がり、あと一つ。
 斉木さん、もう出来ますよ。
 オレはコンコンと卵にヒビを入れた。
「あ」
 思わず声が出る。手ごたえでわかってしまったのだ。
 別段そこまで不器用という訳ではないが、飛びぬけて器用でもないオレは、うっかり卵の黄身をつぶしてしまったのだ。
 ああ、やってしまったかと小さく舌打ちをする。
 まあいいや、これはオレの分にしよう。
 手にした卵の殻を三角コーナーに捨てる――寸前、いつの間にか横に立っていた斉木さんに、鼻で笑われる。
『お前らしいな』
「ほんと、いつもあと一歩なんスよね」
 これに限らず、なんでもそうだ。オレはわざと歯を見せて笑った。
「斉木さんはこっちの、綺麗な方食べて下さい」
 オレは顎で、お手本のような仕上がりの月見うどんを示した。
 すると斉木さんはオレの手から殻を取ると、ためらいなく黄身に突き刺してつぶした。
「ああ……何スか斉木さん」
 オレは目を丸くした。せっかく綺麗に出来上がっていたのに、もったいない。
『お前の真似だ。どうせ食べる時崩すんだから、今でもいいだろ』
 冷やかすようにちょっと笑って、斉木さんは二つ並んだ器を満足そうに見やった。
「………」
 ねえ斉木さん、オレ、そういうのに弱いんスよ。
 思いきり口をへの字に曲げる。
 この人を好きになって良かったとしみじみ思うのが、こういう時だ。
 こういう時があるから愛さずにいられないのだ。
 テーブルを振り返ると、不機嫌そうに鼻の頭にしわを寄せる斉木さんが目に入った。
 だからオレは、思いきり笑顔を向けた。斉木さんの顔がますます険悪になる。いや、険悪というより、困惑かもしれない。
「じゃ、食べましょうか」
 オレはいそいそと器をテーブルに運んだ。
 渋々と着席する斉木さんに続いて腰かける。
『鳥束』
「はい?」
『唐辛子はここだからな、好きなだけかけていいぞ』
 斉木さんはとてもいい笑顔で思いきり手を伸ばし、こっちの器の傍に小瓶を置いた。
 まだ激辛にこだわってるのか、まったく。
 アンタのそういうところも含めて全部、大好きっス。
「斉木さん、次は、ちゃんと作りますね」
『期待しないでおこう』

――いただきます。

 

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