お月見
春のお月見。
ストレスが凄まじい斉木さん、ゆっくり出来そうで出来ない鳥束君と一緒に秘湯でお月見。

春満月

 

 

 

 

 

 暦の上じゃ春だってのに、まだまだ寒いっスねえ。

 学校からの帰り道、オレは斉木さんと肩を寄せ合って歩きながら、吹き抜ける冷たい風に身を縮ませた。
 マフラーで首周りはしのいでいるものの、頭が寒い、顔が寒い、腕も寒い足も寒いと全身冷え切っていた。
 しかもひっきりなしに風が吹きつけるものだから、どんどん体温が奪われていって実にしんどい。
 隣を歩く斉木さんは、オレと違って特に寒がる様子もなく平然と歩いている。
 超能力者、いいなあ。
 ぐすっと鼻をすする。
「こう寒い日はやっぱり、風呂であったまるのが一番っスね」
 ね、斉木さん。
『そうだな。僕も風呂は嫌いじゃない』
「あ、じゃあどうです? 今夜、オレと一緒に入りません?」
 オレんとこの風呂でもいいし、斉木さんちに入りに行くのもありだな。
『ありません、入りません』
「冷てぇ!」
 今日の風より冷えてる。
 そりゃまあ断られるとは思ってたよオレも、けどさもうちょっとこう柔らかい断り方ってあるじゃん、斉木さん。
 むくれて拗ねていると、じゃあまた明日と、素っ気なく手を上げて斉木さんは角を曲がっていってしまった。
 ちぇー、つれないの。
 オレはしばし後ろ姿を見送った後、仕方ないと歩き出す。
 じゃあまた明日、斉木さん…一緒に歩いていた時より何倍も。寒風が身に染みた。

 

 夜、オレはいつものように床に寝転がって愛読書をめくっていた。
 今回買った本はちょっと微妙だったな、残念だ。
 来そうで来ない波は意外とストレスになる。
 嫌なもやもやだけ溜まって気持ち悪い事この上ない。
 オレはばらばらっと雑にめくって、脇に本を置いた。丁度大の字になった姿勢でしばらく寝っ転がった後、がばっと起き上がる。
 仕方ない、そろそろ風呂に入るかと思い立ったその時だ。
『そりゃ丁度いい』
「のわ!」
 テレパシーと共に背後に斉木さんが現れた。それだけでも驚くのに、腕で喉を締め上げられ、オレは尻が浮くほど仰天した。
 何故こんな事にと、オレは狭まる気道に目を白黒させながら斉木さんの腕を叩いた。
「ちょ、ストップストップ! オレが何したっていうんスか!」
『特に何もしていないな』
「じゃあこれ何スか!」
『恋人同士のスキンシップ?』
 こんな命ぎりぎりのスキンシップねえよ!
 そこでようやく解放され、オレは思いきり息を吸って吐いて助かったと安堵した後、このやろうと斉木さんを振り返った。
「もう、突然何の用っスか?」
『風呂に入るぞ』
 今度は胸ぐらを掴まれ、有無を言わさず引き立てられる。掴む斉木さんの手首に掴まり、オレは何とか自分の足で立った。
 もう、だからなんでアンタはそういちいち…と思う間に、周囲の光景が一気に切り替わった。
「うお! さむ!」
 まず思ったのはそれだった。
 当然だろう、今の今まで暖房の利いた部屋でぬくぬくしていたのが、突然、雪の積もる山中の岩場に放り出されれば、誰だってそう言うに違いない。
 雪を乗せた風がびゅうびゅうと吹き付け、容赦なく体温を奪っていく。
 こんな中で平然としていられるのは、超能力者の斉木さんくらいなものだ、
 オレは自分の肩を抱き寄せ、がたがたと震え上がった。
「なんすかここ、どこっスか!」
『北海道だが』
「北海道かよ!」
 斉木さんが説明を始める。
 なんでも、先日見つけたばかりの秘湯中の秘湯で、ヒグマが出没するわ渓流を越えなきゃたどり着かないわ、まず人が来る事はない場所で、のんびりするには最適なのだそうだ。
 うん、斉木さん、説明は後でちゃんとじっくり聞きますから、まずは風呂に入らせてください…さもないとオレあと三分かそこらで死にます。

 

 ふう〜
 湯船に浸かって数分、ようやく身体の芯まで温まり、オレは人心地ついた。
 身体の内側から込み上げる気持ち良さに逆らわず、とろけた声を出す。
「はあぁ〜」
『おい、気持ち悪い声を出すな』
「わぶっ!」
 顔面にタオルを叩き付けられ、オレはばしゃりと波を立てた。
「そうは言うけど斉木さん、オレほんとのマジで死にかけたんスよ、凍死寸前だったんスからね!」
 やっと生き返った。
 タオルを畳んで頭に乗せ、オレは湯船の縁に頭をもたせた。コンクリートで固められた四角い湯舟で、無色透明、温度もほどほどに熱く言う事なしだ。
『だらしないな、寺生まれのくせに』
「そんな無茶言わないで下さいよ」
 斉木さんは相変わらずだと笑って、オレは空を見上げた。
 ああ…すごい、今気付いた。
 今日って満月だったんだ。
 思わずため息がもれる。
 優しい輪郭の、どことなく親しみを覚える満月にしばし目を奪われる。
 眺めていてふと思った事を、オレは素直に口に出した。
「なんかあの月、斉木さんみたいっスね」
 優しくて柔らかくて、親しみがあるところが。
『ほう、ありがたい事を言ってくれるな』
 その割に顔には怒り混じりの笑みが浮かんでおり、オレは肩を強張らせた。
「な、何スか斉木さん」
 怒ったの?
 オレ怒らしちゃった?
 ええ、なんでぇ?
 訳がわからないまま、オレは少し距離を取った。
『ふん、そんなに怯える癖に何が親しみだ』
 わざとそんな風に振舞ってみせる斉木さんに、オレはむきなって言った。
「いやだって、斉木さんの本当のところは優しいものだって、オレもう知ってますよ」
 みんなも知ってますよ。だからみんなに愛されるんじゃないですか。
 オレも大好きですよ。
 オレの希望を叶える為だけに、わざわざこんなところまで連れてきてくれるなんて。
 いつになくオレの扱いが雑でいい加減なのは、照れ隠しの表れだって、もうバレバレですよ斉木さん。
 オレは離れた距離を一気に縮め、斉木さんの手を握った。
 すぐに振りほどかれたが、めげずにオレは手を繋ぎたいと素直に告げた。
 憎々しげに舌打ちされたけど、今度は手を繋いでくれた。
「ほら、斉木さん、やっぱり優しい」
『ふん、勝手に言ってろ』
「ええ、勝手に言いますー」
 斉木さんは優しい優しい良い人でー
 オレの好きな人ーオレの大切な人ー
 オレは上機嫌で繋いだ手をちゃぷちゃぷ振りながら、心に浮かぶ気持ちを全部口に出した。
 心の中はその十倍も百倍も、斉木さんを想って謳っている。
『鳥束、うるさい』
 目にかかる前髪を払うように斉木さんが言う。
「むむ、勝手に言えって言ったの斉木さんなのに」
『黙って聞いやるとは言ってない』
「むむむ、何スかそれ」
 不満げに見やると、月明かりに照らされた斉木さんの顔がほんのり赤く染まっていることに気付いた。
 目にした途端痛い程心臓が高鳴った。
 それ、のぼせただけ?
 いいや、ついさっきまで平然と入ってたんだから、のぼせた訳はないな。
 じゃあ斉木さん、じゃあ……
『本当にうるさいなお前は』
 慌てて身体の向きを変える斉木さんを見て、オレは確信を持った。
 乱暴に振り払われた手を繋ぎ直し、斉木さんに寄り添う。
「向こうばっか見てないで、一緒にお月見しましょうよ」
 ねえ、斉木さん、アンタみたいな月が空に浮かんでますよ。

 

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