秋の色に

 

 

 

 

 

「元太君…今日は三日ぶりとか言わないですよね」

 

 脱衣所で浴衣を脱ぎながら、光彦がいつぞやを持ち出し隣の元太にそろりと尋ねた。

 それに対して元太は、何かを含んだ顔で笑うばかり。

 傍で聞いていた博士は、微笑ましさに少々渋みを混ぜた顔で二人を見やった。

 と、自分をはさんで反対側でもたもたと浴衣を脱いでいるコナンに気付く。右そでを抜いた状態で動きを止め、何かを待っているようだった。

 痛めた左手のせいで脱ぎ着が辛いのかと様子をうかがうが、特にそういった表情は見られない。

 声をかけようかと思った矢先、元太たちが口を開いた。

 

「おいコナン、行こうぜ!」

「大きな露天風呂ですよ」

 

 タオル片手に、二人が硝子戸の向こうを指差す。

 

「ああ、すぐ行く」

 

 軽く応え、コナンは先に行くよう促した。

 

「早く来いよ!」

「ああ」

「滑らんように気を付けるんじゃぞ」

「はーい」

 

 はしゃぐ二人にそう注意し、博士はコナンを振り返った。

 

「……手が痛むのか、新一」

 

 そっと耳打ちすると、コナンは首を振りながらようやく左そでを抜いた。

 

「手はまあ痛い事は痛いけど…ちょっとだから大丈夫なんだけどよ……」

 

 現れた左腕を見て、博士は納得した。思わず顔をしかめる。

 横に何本も並行に連なる縫い跡が、肩口から肘の先まで続いていた。傷のいくつかは皮膚に馴染み、いくつかはまだうっすらと赤紫に染まっていた。

 そういえばと思い出す。部屋に到着し浴衣に着替える際、隅の方で素早く済ませていた。その時はさして何も思わなかったが、あの行動は子供たちにこれを見せない為だったのだ。

 

「これでも大分色は薄れたんだけど……」

 

 包帯が取れてすぐの頃は腕全体が赤紫に染まり、自分でも見るたびぎょっとするほどだったと、コナンは苦笑いで付け加えた。

 

「大変な怪我だったんじゃのう……」

「どってことねえよ」

 

 いたわりを込めて撫でる親友に歯を見せて笑い、コナンはサポーターを外した。

 

「前に刺された右肩は、良くなったのか?」

「ああ、ほら。もうすっかり目立たなくなっただろ」

 

 尋ねられ、コナンは軽く身体をひねって右肩を見せた。

 

「本当じゃ…良かったのう」

 

 心から喜ぶ博士に『若い証拠』と茶目っ気を含んで笑う。

 途端にうんと年上の友人はしかめっ面になり、ふんとそっぽを向いた。

 

「まあそんなわけでさ、博士にはちょっと陰になってもらいてーんだ」

 

 あいつらだけじゃなくて、他の客からも見えないように

 言ってコナンは、左半身を博士の身体で隠す位置に立った。

 

「見えるのは仕方ないけど、見せるもんじゃねーしな」

「うむ、わかった」

 

 任せろと、博士はずいと一歩踏み出した。

 意気込む親友に笑って礼を言い、コナンは歩調を合わせて露天風呂へと向かった。

 硝子戸を越えると、数か所に設置された明かりの橙に照らし出された、大きな岩風呂が待ち構えていた。

 手前から数えて三つ目の岩に寄りかかるようにして、元太と光彦がとろけるような笑顔を浮かべぬるめの温泉につかっている。

 温泉、最高です…目配せする二人にコナンは軽く笑んで手を上げた。

 

「あと、入ってる時に右手貸してくれねーか」

「構わんが、どうするんじゃ…ああ」

 

 すぐに理解し、博士は頷いた。リハビリの為、手指の曲げ伸ばしをしたいとの申し出だ。

 

「あ、けど…博士のだったら、手首より指二本の方がちょうどいいかな……」

 

 コナンは顎に指を添え、重要事件さながらに深刻な顔で呟いた。

 

「ほっといて……」

 

 遠回しに『太りすぎ』を口にする友人に渋く笑い、博士は手前の段差から入っていった。

 続いてコナンも、歩美推薦の温泉に肩までつかった。

 冷えた身体にじっくり染み込むぬるめの湯が、芯までとろけさせてゆく。

 

「これは…利くのお……」

「ああ……」

 

 二人はうっとりと声をもらした。

 何気なく見回せば、自分たちだけでなく、温泉につかった誰もかれもがみな同じ顔で幸せに浸っていた。

 共有する楽しさに頬を緩め、コナンは大きく息を吐いた。

 今頃彼女も幸せを味わっているだろうか。

 始めは純粋にただ思い浮かべたのだが、ついうっかり不純を混ぜてしまい、コナンは後悔しながら謝りながら頬を赤く染めた。

 気付いた博士が心配して顔を覗き込む。

 慌ててごまかし、コナンはあたふたと博士の手を掴んだ。

 曲げ伸ばしの繰り返しでどうにか冷静さを取り戻していると、岩風呂を堪能した元太と光彦が、隣にある檜の露天風呂へ行こうと誘ってきた。

 後から行くと博士は答え、二人が向かった隙にコナンを洗い場に連れてゆき慌ただしく髪を洗う。

 ありがたいとコナンは礼を言うが、急いでいるせいで少々行動が乱暴になっている博士にざぶざぶ湯をかけられ、耳に水が入ってしまったのに苦笑いを一つ。

 そしてすぐに檜風呂に向かい、同じように隠れながら隠しながら湯につかる。

 すっかりとろけきった元太と光彦を微笑ましく眺め、博士はゆったり肩をしずめた。

 コナンもまた同じように、癒しの湯に首までつかった。

 

 

 

 最後に温泉を出たコナンが、軽くのぼせたせいでふらつきながら休憩コーナーに着くと、他の五人も同じようにほてった顔で椅子に座り、とろけた表情を浮かべていた。

 あまりの気持ち良さに、みんな長湯をしようだ。

 霞む目を瞬かせ、コナンはふと笑った。

 六人揃って、少し疲れた顔でふらふらと部屋に戻る。

 

「もう動けねえ……」

「最高でしたね……」

「ホントホント……」

 

 部屋に着くなり、子供たち三人は敷かれた布団に揃って倒れ込んだ。どの顔もみな、可愛らしくほっぺたが赤く染まっていた。

 

「博士、お茶でもどうですか」

 

 その様子を微笑ましく眺めながら、蘭はポットに手を伸ばした。

 

「済まんのお蘭君」

 

 好意に甘え、博士はテーブルをはさんで向かいに座った。

 

「コナン君も飲む?」

 

 三つ目の湯飲みを軽く差し出して、蘭は尋ねた。

 

「あ、うん」

 

 頷いて、コナンは博士の隣にちょこんと座った。

 そこでようやく、はっきり目が開く。

 向かいに座る蘭の姿が、はっきり目に映る。

 いつもは下ろしている髪をお団子にして、まとめ上げていた。当然、いつもは隠れているうなじがはっきりと見える。

 前髪をかき上げているせいで、形良い額も。

 ただそれだけだが、ほんのり朱に染まった頬とあいまって、妙に。

 

 ……なんだよ

 

 どこまでも行きそうな自分を慌ててとどめ、コナンは目を瞬いた。

 

「はいどうぞ」

「ありがとう」

「すまんの」

「みんなも何か飲む? 冷蔵庫に、ジュースがあったわよ」

 

 背後で寝転がる三人を振り返り、蘭は窓辺に置かれた冷蔵庫を示した。

 

「オレなんにしようかな!」

「さっきのお水置いてあるかな!」

 

 途端に子供たちはぱっと起き上がり、揃って元気に冷蔵庫へと駆けた。

 ついさっきまでくたくたの顔をして倒れていたが、ほんの少しでも横になれば元気が漲ってくる、そんな彼らに蘭は嬉しげに微笑んだ。

 三人は冷蔵庫の前でしばらく議論した後、夕食時に味わった何の変哲もない湧き水がいいと落ち着き、一本のボトルを手にテーブルに集まった。そして茶碗にそれぞれ注ぎ、風呂上がりの一杯を楽しむ。

 

「お風呂の後だと、更に美味しいですね!」

「だな!」

 

 きりりと冷えた水の美味さに三人は顔をほころばせた。

 

「コナン君、手の方はどう?」

 

 歩美は、右隣のコナンに身体ごと向け尋ねた。

 

「ああ、すごく良く利いたよ」

 ありがとな

 

 茶碗に添えていた左手を軽く持ち上げ、コナンは礼を言った。大事を取って、寝るまでの間再度サポーターを巻いていた。

 

「良かった!」

 

 心底嬉しそうに歩美は顔を輝かせた。

 

「明日の朝も入れば、きっともっと良くなるよ!」

 

 にこにこと付け足す。

 実際はそこまで単純ではないけれども、そんな単純なものだと力を与える歩美の笑顔を、博士はにこにこと見守っていた。

 

「では明日の為に、今日は早く寝るとするかの」

 

 博士の号令に子供たちは元気に手を上げた。

 それでは皆でトランプでもしませんかと、光彦が提案する。もちろん皆揃って賛成、さっそくゲームを開始する…が、何回やっても蘭の一位は不動のもので、子供たちの声が驚きから慄きに変わったところで蘭は見物側に回る事にした。

 コナンはそっと脇を向き、苦笑いを零した。

 それから小一時間ほど、大いに盛り上がった子供たちもそろそろ小舟をこぎ出した頃、博士が再び号令をかけ就寝の時間を告げる。

 時刻は十時を少し過ぎたところだが、昼間のハプニングは思いの外身体に響いていた。

 もうあと十分も起きていられない。

 簡単に片付けを済ませ、六人はお休みを言い合って布団にもぐり込んだ。

 

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