はじまる場所で

 

 

 

 

 

 迎えた退院の日は、雲一つない晴天にめぐまれた。

 日が昇るより先に目を覚ましたコナンは、そんな自分に苦笑いしながらも着替えを済まし、早く時間が来ないかと、ベッドの上そわそわしながら待っていた。

 入院時の荷物は、昨日の内にあらかた持って帰ってもらっていた。着替えやこまごました物の他、同室の子供たちにもらったメダルや元太たちからの手紙といった新しい宝物も、そこに一緒にまとめた。本当にありがたい、何にも代え難い大切なもの。

 少しむず痒くもあった。

 涙が零れそうなほど。

 ギプスが外れるのはまだ先の事だが、順調に回復に向かっていると担当医は言っていた。

 ふと目を向け、コナンは小さく笑った。

 沢山の寄せ書きで埋まったギプス。

 実はまだ、人数を数えていない。

 少し薄汚れてしまったが、これも宝物の一つだ。

 ありがとうと感謝を込めて、そっと撫でてみる。

 これが外れた時、また新しく始める事があるだろう。

 もしかしたらまた、あの場所へ行く事になるかもしれない。

 きっと、おそらく…今はまだ分からない。

 その時になってみないと分からない。

 けれどいつか、三人であの場所へ。

 三人であの場所から、はじめるのだろう。

 コナンは窓の外へ目を向けた。

 しばらく眺めていると、いつものようにきびきびと水野がやってきた。

 

「おはようコナン君、水野のお姉さんが来ましたよ」

「おはよう、水野さん!」

 

「今日は一段と元気だね。やっとおうちに帰れるんだもんね」

 嬉しいよね

 

 にこにこと話しかける水野に、素直に頷く。

 

「水野さん、毎日迷惑かけて本当にごめんなさい」

 

 そして素直に頭を下げる。最後の方はもう諦め気味だったのを思い出し、コナンは済まなそうに見上げた。

 

「いいよいいよ、コナン君の元気に私も元気もらってたし。コナン君のお陰でね、病棟のみんなも一杯元気になったよ」

 

 それは胸を張っていいと、水野は笑顔で言った。

 

「でもあんまり無茶して、お姉さんに心配かけないようにね」

「うん、絶対しないよ」

 

 子供の振りにまぜて本心から約束する。

 

「これね、私たちからのお祝い。退院おめでとう、コナン君」

 

 そう言って差し出されたのは、首にかけられる長さの赤いリボンが付いた立派なメダルだった。

 

「え……」

 

 思い掛けない贈り物にコナンは声を詰まらせた。

 メダルには、サッカーボールの絵と、退院おめでとうの文字が書かれていた。

 

「サッカーボールって描くの結構難しいね……何回も描き直しちゃった」

 

 でもまだヘタクソだな…小首を傾げ、水野は苦笑いした。

「……ありがとうございます」

 どこか子供らしからぬ物言いに水野は思わず目を瞬いた。

 

「らんねーちゃん!」

「らんねえちゃんだ!」

「彼女! おにいちゃんの彼女!」

 

 その時にわかに病室が騒がしくなった。

 コナンと水野は同時に顔を上げて、子供たちに迎えられて入ってきた蘭に目を向けた。

 寝起きから元気な子供たちに少し圧倒されながらも、蘭は窓際のベッドにたどり着いた。

 

「おはようございます、水野さん」

「おはようございます、今コナン君とちょっとお話していたの」

「お待たせコナン君……あ、メダルね」

 

 コナンの手にあるメダルを目に止め、蘭は驚きの声を上げた。

 

「うん、今水野さんにもらったところ」

「ありがとうございます、こんなに立派な……」

 

「いいでしょ、あげないよ」

 

 あー、またそういう意地悪言って

 あげないもん

 

 無邪気に言い合う二人を水野は微笑ましく見つめた。

 

「お父さんも車で迎えに来てるよ」

「……え、おじさんが」

 

「うん、それがおかしいんだよ、こんな時間に起きるなんて仕事以外じゃ滅多にないのに、今日はすっごく早起きして」

 

 けれど、あまり驚きはなかった。知らず笑みが浮かぶ。

 ひとしきり水野に感謝を述べ、二人は長らく世話になったベッドを離れた。

 そして十日と少々一緒に過ごした同室の子供たち一人ひとりと言葉を交わし、別れを惜しむ。

 何度も手を振りあって、コナンは病室を後にした。

 手を繋いで廊下を少し進んだところで、蘭がぽつりと言った。

 

「皆も早く、退院出来るといいね」

「うん……皆ももうすぐだよ」

 

 願いを込めて、コナンはこたえた。

 と、蘭はさりげなく手をほどくと、コナンの左に位置を変えた。

 

「……どうしたの?」

 

 見上げると、正面を向いたまま蘭が言った。

 

「絶対めそめそしたりしないから、私にも半分負わせて」

 お願い

 

 見つめる先にはかたい決意が宿る顔。

 歩きながら、コナンは自分の左手に目を向けた。

 蘭の言わんとしているところを理解し、はいといいえとせめぎ合う自分に口を引き結ぶ。

 もう一度蘭を見上げ、そこに浮かぶ厳然たる光に肩を竦める。

 

「ダメって言っても、無駄だしね」

 

 少し呆れた声でコナンは言った。

 彼女の性質は分かりすぎるほど分かっている。

 だから目が離せなくて、だから。

 

「じゃあ、めそめそしたら罰金ね。一回百円!」

「……まじめに言ってるの」

 

「ボクだってまじめだよ」

「いいのか悪いのか言って」

 

「いいよ」

「ウソ!」

 

「ホントだよ、もう、蘭姉ちゃん疑り深いなあ」

「だ…だって……コナン君がそんな……」

 

 一大決心だったのだろう。悪い事をしたと、コナンは改めて口を開いた。

 

「蘭姉ちゃんの思うように、やればいいよ」

 

 しかしどうも、茶化した風になってしまう。その気はないのに。

 

「ホントにいいのね?」

「いいよ」

 

 念を押す蘭にコナンは即座に答えた。しかしそれがいけなかったのか、蘭はまたも疑いの声を上げた。

 

「ウソ!」

「ホントだってば……だって蘭姉ちゃん、目を離すとすぐ一人で抱え込んで突っ走っちゃうし――」

 

「そ……それはコナン君も同じでしょ!」

 

 これだけは言わずにいられないと、蘭は即座に反論した。

 

「……うん」

 

 コナンは素直に認めた。

 

「だから、一緒に行こう……三人で」

「うん!」

 

 ようやく蘭の口からはつらつとした声が出る。

 コナンはほっと胸を撫で下ろし、並んで正面玄関から外へと足を踏み出した。

 すぐ傍の駐車場では、小五郎が二人の到着をわざとらしく大あくびしながら待っていた。

 

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