はじまる場所で

 

 

 

 

 

 プレイルームから持ち出したゴムボールを手に、コナンは病院の周りをうろうろとさまよった。中庭は駄目、病院横も駄目、駐輪場の隅も駄目、駐車場の裏手も駄目…どこに行こうと必ずすぐに水野に見つかってしまい叱られてしまい、もはや場所は残っていなかった。

 仕方なくとぼとぼとスタート地点の中庭に戻り、並ぶベンチの傍で力なくため息を一つ。

 そこへ、背後から元気な声が聞こえてきた。

 

「よーう、ナマガキ!」

 

 まさかと目を見開きコナンは振り返った。

 

「……園子姉ちゃん!」

 

 大きく手を振り上げ、笑顔で園子が歩いてくるのが目に入った。

 しょっちゅう蘭絡みでからかってくる困りものの悪友…だがしかし、正直飽き飽きしていた入院生活の中で見る彼女の少々ひねくれた笑顔は、中々に嬉しいものだった。

 

「元気そうじゃん、よかったね」

「わざわざ来てくれたの?」

 

「そうよ、嬉しいでしょ」

「うん!」

 

「へえ、素直……ついでにナマイキも治してもらったとか?」

 

 真ん前で立ち止まり、園子は手を腰に半眼でニヤニヤと見下ろした。

 

 ニャロ……

 

 横目で見やるが、これだよなと、心地良くもあった。

 

「中入る? 寒くない?」

「マフラーあるから平気だよ」

 

「そう、あんまり疲れないように、早く帰るからさ」

 

 言って園子はベンチに腰掛けた。

 

「特にお見舞いとか持ってこなかったんだ。病院は食べ物の持ち込み禁止だし、あんたの好きそうなものは、蘭がもう持ってってるだろうしさ」

 

 蘭が…そこでわざと斜めに見やる園子を軽く受け流し、コナンは隣に腰かけた。

 

「まあ、園子様の笑顔で我慢なさいな」

「うん……ははは」

 

 よそを向き、乾いた笑いを零す。

 

「これでも結構気を使ってあげてんのよ。あんた、前に熱出した時いっちょまえに周り気にしてたじゃない。だから、あんまり元気ない時に来られたらイヤかなーって思ってさ。蘭から聞いたらもうすぐ退院だっていうから、今日来てあげたのよ。どうこの気遣い…優しいでしょ?」

 

 自信たっぷりに顔を覗き込む園子に、また乾いた笑いが零れる。

 

 優しいって…自分で言うかフツー

 

 けれどやはり、素直に嬉しい。

 

「まあでもホント、元気そうで何よりだわ。あんたが元気ないと、蘭も元気なくなるしね……」

「……園子姉ちゃん、やっぱり蘭姉ちゃん、元気なかった?」

 

 尋ねるコナンをちらりと見やり、正面に目を戻し、園子は小さく頷いた。

 

「う、ん……でも蘭てばさ、そういうの絶対見せないじゃない? 周りを心配させない為に、どんなに心配ごとがあっても元気に振る舞っちゃったりしてさ。でも…そういうのも全部見てきてるから、分かっちゃうんだよね。あんたも、結構目が利くから何となくでも分かるでしょ?」

 

 ああ、やはり…コナンは俯くように頷いた。

 

「でね、心配だから、少しでも気が紛れたらいいかなって思って、毎晩ちょっとずつだけど電話してたの。蘭の奴、あんたの……怪我で、やっぱりすごくへこんだみたいで、いつもとちょっと声が違うのよ。何となくだけど、違うのね。学校じゃ元気にしてたけど、夜とか……泣いてたんじゃないかな」

 

 すかさず園子は『でも!』と付け加えた。

 

「あんたはそんな顔しなくていいからね。あんたまでそんな顔しないの!」

 

 コナンの頭に手を置き、少し乱暴に撫でまわす。

 

「うん……でもボクも、蘭姉ちゃんいつもと違うって何となく気付いてたから」

「……あんたは近い分、色々見えちゃうよね」

 

 珍しく慈しむ手で、園子はゆっくり頭を撫でた。

 いつもはすぐさま振り払うコナンだが、この時ばかりは大人しく身を委ねた。

 

「だけど、あんたの退院の日がはっきりしたからか、昨日の夜電話した時はすごくはつらつとした声してたよ。それはもう、とろけそうなくらいにね」

 聞いてるこっちが嫌になるくらいだったわ

 

 コナンはさりげなく顔を背け、ほてる頬を隠した。

 

「そんなわけだから、帰ったらうんと蘭に甘えてやりな。留守にしてた分、ちゃんと埋めてやんなよ。それで、あんたも蘭にうんと甘えさせてあげな。男の子なんだからね」

「うん、もちろんだよ」

 

 励ます手に力強く頷き、コナンは顔を上げた。

 

「蘭姉ちゃん、ああ見えて結構甘えん坊だからね」

「まーたナマイキ言って」

 

 園子はくすくす笑うと、指先でコナンの頭をつついた。

 

「ところであんた、そのボールはまずいんじゃない」

「え……?」

 

「蘭から聞いて知ってんのよ。毎日無茶して、看護師の水野さんに叱られてるんだって?」

 

 いひひと横目で笑い、園子はもう一度コナンの頭をつついた。

 

 蘭のやつ……

 

 恥ずかしいやら悔しいやら…もやもやと胸でわだかまる。だからといって蘭に文句を言ったりなどはしないが。

 何度叱られようが、身体を動かしたくてたまらないのだから仕方ない。こればっかりは止められない。

 今こうしていてもむずむずと、ボールを見るほどに身体が疼いてしようがない。

 コナンは大袈裟にため息をついた。

 

「ま、退院したら思う存分出来るんだから、もうちょっとの辛抱と我慢なさいな」

「……うん」

 

「頑張れナマガキ!」

 

 余りに萎れた返事にさすがに可哀想になり、園子はぽんと背中を叩いてやった。

 

「さ、叱られない内にそのボール持って病室戻りな。私も、帰るからさ」

「あ……うん、園子姉ちゃん、来てくれてありがとね!」

 

 立ち上がる園子に合わせコナンもベンチからおり、名残惜しそうに手の中のボールを一瞥する。

 

「……そうだ」

 

 と、園子はしゃがんで目線を合わせると、改めて口を開いた。

 

「私の大事な友達、助けてくれてありがとね」

 

 そして、コナンの左手をそっと掴み続ける。

 

「早く良くなるように、私も祈ってるから」

「園子…姉ちゃん。うん、ありがとう!」

 まったく…根は呆れるほどまっすぐなひねくれ者

 

 片手を上げ去っていく園子の後ろ姿を、コナンは見えなくなるまで見送った。

 その後、やはり水野に見つかってしまい、さすがに叱られはしなかったが首根っこを掴まれ病室まで連れ戻された。

 本当に、どこかに発信器でもついてるんじゃないか…泣き笑いでコナンは病室に戻った。

 

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