チクロ
一緒に食べよう
てきぱきと荷物を下ろす男に遅れて、僚は車を降りた。一歩二歩、よろけるようにして一旦道路まで出て、そこから玄関を望む。玄関までのアプローチは緩くカーブし、両脇には腰までの低木と、見上げるほどの高木とが絶妙に配されていた。高く生い茂り、日射しに透けて青く輝く葉の形に目を凝らす。綺麗に切れ込みが入った独特の形から、一本はモミジだとわかった。 真っ白な壁と、赤や茶色、オレンジと様々な色が入り混じった賑やかな瓦屋根。対比はとても綺麗だった。 玄関の側は端から端まで庇のように屋根が張り出し、それを等間隔に並んだ白い柱が支えていた。柱の間は弧を描き、アーチのようになっていた。その屋根に乗っかるようにして、木の枝が伸びている。道路に面した敷地には何本かの木が奔放に生え、枝葉を茂らせていた。 少し身を乗り出すようにして向こうの端まで見渡していると、男が声をかけてきた。 「あれらは、元からここに生えていたものだ。一本でも切ってしまうのは忍びなくてね、出来るだけ残してくれとお願いしたんだ」 「へえ」 僚は伸びやかに育つ樹木を見渡した。男の大切にしているものがなんだか嬉しい。 「さあ、こちらだ」 「……うん」 半ば呆けた声で応える。僚はすぐにはっと目を瞬き、クーラーボックスを担ぎトランクを持っている男にどちらか持つと申し出た。ピクニックトランクを任される。ずっしりと重量があった。しっかり持ち手を握りしめる。 家の横手を通り、庭に案内される。ひらけた景色に僚は息を飲んだ。 高台に建つこの別邸からは、海にすぐ手が届くようであった。 綺麗に手入れされた緑の芝生との対比が美しい。 海の見える芝生の庭で、ピクニック。男が言っていたのはここだったのだ。彼の所有する別荘で、二人で屋外のランチを楽しもう。そういう事だったのだ。 日の光を受けて、きらきらと眩い水平線をぐっと見渡し、僚はため息をついた。 はっと我に返り、横に立つ男の存在を思い出す。振り返ると、とても嬉しげな顔をしていた。これは確かに自慢の一つもしたくなる庭だと、僚は笑顔で応えた。 「荷物はここへ」 男がデッキの一端を指差した。僚は頷き、クーラーボックスの横にそっとトランクを置いた。それから、デッキを見渡す。 よく日の当たる南側には、家の端から端まで届く大きなデッキがあった。充分な奥行きがあり、屋根が大きく張り出して下にあるデッキにかかっている。デッキの端には数段のステップがかけられていた。 屋根は大きく、一部が四角くくりぬかれて半透明の素材になっていた。柔らかな光が通り、充分明るい。 「ここへはよく来るの?」 「ああ、時間が許せば訪れる。本を読んだり、ぼんやり海や庭を眺めたり、そのままうたた寝したり。気ままに過ごしている」 「へえ。……他の人とか、来るの?」 「いいや。ここは私個人のもので、二年前に建てて以来業者以外は入れた事がない」つまり君が初めてだ「やっと君を招待出来て、嬉しいよ」 ずっと考えていたが、せっかく招待するならばより良い季節に見てもらいたかった。自分のお気に入りの場所なので、好きになってもらいたかった。 「とはいえ、庭の具合を見てもらうとわかるように、色々中途半端だがね」 荷物を探りながら、男は言った。 広い芝生のあちこちに、思い思いに木が植わっていた。それらは前面同様切らずに残したもので、庭のあちらこちらで花を咲かせる草花も同じように、いくつかはまとめたり場所を変えたりしたが、出来るだけ以前のままにしてある。それらをうまく取り入れてさらに発展させ、これからより良い庭にしていくつもりだと、神取は続けた。 腕の見せ所だと、肩越しの微笑に、一気に汗が噴き出すようだった。初夏の爽やかな風が、それを拭ってくれた。 まっすぐだった玄関側と異なり、南側は端が引っ込んでいた。その分屋根が深くかかり、デッキも広くなっていた。そこに、ガーデンテーブルと椅子が揃っていた。 それを見て、ああだから雨天でも決行だと、男は言ったのだ。僚は得心した。 目線と仕草で読み取った神取は、そうだと頷いた。 「ここならば気兼ねなくくつろげるし、トイレの心配もない。雨の場合は、このサンデッキで雨の庭を楽しみながら、ランチにしようと考えていた」 確かにこれなら、雨の日でも問題なくデッキで過ごす事が出来る。 「木々の、枝葉の先から落ちる滴や、しっとり濡れた芝生、日差しの下で見るのとはまた違った花の色も、中々風情があるものだよ」 僚は想像しながら軽く頷いた。 あらためて、この人はすごいのだと僚は思い知る。 神取は荷物から鍵を取り出した。家の鍵のようだ。 「今開けてくるから、少しここで待っていてくれ」 足早に去ってゆく背中をしばし見送り、僚はまた海へと向き直った。海面を照らす煌きに見入っていると、背後で窓の開く音がした。 「おいで、案内しよう」 招く声に僚はデッキに上がり室内を覗き込んだ。用意されたスリッパに履き替え、男に続く。 入った窓はリビングだった。窓を向くどっしりとした背の高い一人掛けのソファーやテーブル、そっとたたずむあめ色のキャビネット、真っ白な壁紙。 その中で一面だけ、思わずどきりとする派手な柄で彩られた面があった。目を向けると、真っ白な暖炉と、その両脇に塔のように天井まで届く本棚があった。 暖炉は縦、横のラインのみの、白一色のすっきりとした端正なデザインで、佇む様はどこか男を思わせた。小さく息を飲む。 暖炉上部には中央に時計、右側に小さめのガラス瓶が二つ、そして壁には鏡がかけられていた。壁紙がまたユニークで、暖炉の上面と両脇とでそれぞれ違う柄の壁紙が使われていた。上面はくっきりした色使いのストライプ、両脇は雰囲気のある柄が床から天井まで覆いつくしていた。他は全て目の覚める白色の壁であるだけに、対比が面白かった。 「その暖炉は飾り。実際に火は入れない」 頷きながら、炉の中を覗き込む。 暖炉の傍には、マンションにあるのと同じデザインの揺り椅子が斜めを向いていた。とても雰囲気のあるたたずまいについ頬が緩む。 「ここで、うたた寝」 そうだと神取は微笑んだ。 「本棚から適当に一冊引っ張り出してきて、ここでね」 僚は天井まである本棚を見上げ、渋い顔で唇を曲げた。やはりどれも、ひと目でなんの本がわからない専門書ばかりだからだ。軽く肩を竦め、振り返る。リビングの向こうはキッチンになっているようだ。手前の、アンティークの家具を揃えたリビングとはがらりと変わって、キッチンはシンプルで機能的だった。 それからトイレに案内され、僚はひと息ついた。実は少々切羽詰まっていて、しかしせっかくの案内の最中に水を差すのは忍びなく、自分の身体に焦れていたところだったのだ。 特注品であろう、壁の端から端までぴったり隙間なく設置された洗面台で手を洗いながら、僚は細部までじっくり眺めた。ここもまた、鏡のある正面の壁だけ壁紙を変え、独特の雰囲気を醸し出していた。鏡、照明に至るまで男のこだわりが感じられ、らしいともいえる色遣いにふと笑みが込み上げる。 リビングに戻ると、高い背もたれのソファーの傍に男が立っていて、座ってごらんと誘ってきた。艶やかでしっとりとした革張りの一人掛けのソファーは、独特の雰囲気で威風堂々と佇んでいた。 「そこ、鷹久の特等席だろ」 「そう。実にいい気分だよ」 「座っていいのか」 「もちろん。君の特等席でもある」 「ほんと、じゃあ」 「ああ。二度と立てなくなる」 にこにことソファーに近付いた僚は、その一言で目を丸くし、おっかなびっくり腰かけた。一気にもたれるのではなく、恐々と力を抜く。適度な柔らかさで受け止めるクッションに埋もれてゆくにつれ、二度と立てなくなるといった男の言葉が実感出来た。 正面からの眩しい光と、眩しい風景、くつろぐのに最適な椅子に捕らわれ、僚は深いため息をついた。 「ほんとだ……」 少し力の抜けた声で呟く。男のマンションでもう知っているが、暖炉の前に置かれている揺り椅子の威力も中々のものだが、このソファーも実に驚異的であった。肘置きの高さや、床につく足の、膝の角度に至るまで、絶妙なのだ。 笑えて仕方なく、僚は片手で顔を覆った。 「いい気分だろう」 神取は、違う角度で置いたもう一つの一人掛けに身を沈めた。 僚は声もなく何度も頷く。時間が許す限り、どこがどう素晴らしいかどう気持ち良いか、とことん語りたいくらいだ。 このままでは眠ってしまうと、僚は片手を男に突き出した。引っ張ってくれ、と頼む。 「もっとゆっくり味わうといい」 神取は立ち上がると、傍に歩み寄り、くつろぐ少年の頭を撫でた。 「サンドイッチが出来上がったら、呼びに来るよ」 「待って、だめだめ」 僚は慌てて引き止めた。渾身の力を…離れがたい気持ちを何とかねじ伏せて立ち上がり、自分も一緒に作ると後についた。 「ほんとに恐ろしい、良い椅子だね」 僚はしみじみと呟いた。 神取はにっこり笑い、肩を抱いた。 |