ⅲ-6
| これほどまでに打ちのめされても、彼は自ら死を選ぶ事はないだろう。 神取は、奥歯を噛み締め強い顔で俯いている真物に一瞥をくれ、ふと…そんな事を思い考えた。それからゆっくり目を上げ、『手術中』の赤いランプに目を移す。 今あの中で処置を受けているのは誰あろう真物の妹。 自殺を図り、幸か不幸か未遂に終わったものの、生死の境をさ迷っている。医師達は必死に霧子を生の側に引き戻そうと、尽力している事だろう。 真物も同じく、霧子が助かる事を一心に祈り願っているに違いない。 だがその顔は、内側で渦巻く激しい憤りを抑え切れず…自分自身に向ける殺意と憎悪に振り回され、混乱していた。 『いい顔…これは絶望ね。そして憎悪。この子の――やっぱり最高に美しいわ』 神取の目を通して真物の様子を内側まで見透かし、沈んだ朱赤の目を妖しく輝かせて、「彼」がささやかに漏らす。 『気も狂わんばかりに自分を責めているわ。こう立て続けに起こったのでは、無理もないわね……自殺を思い立つほど妹を追い詰めたのは自分だ。自分の力が足りないから守り切れなかった。どうして気付かなかったんだろう。もしも死んでしまったら……』 延々と繰り返す自責の言葉を真似てみたものの、余りのおかしさに途中から笑いが込み上げてしまいそれ以上続けられないようだった。 肩を震わせ笑い転げる「彼」と同様、抑え切れない高揚感を懸命に噛み殺し神取はじっと真物の様子を見守っていた。 死の誘いはうっとりするほど甘やかで、気付けばいつも傍らに寄り添っている。そして事ある毎に絶妙のタイミングで囁きかけ、たった一歩を踏み越えさせようと、機会を伺っている。取り返しのつかない領域に侵入するのは、どんなに重大なものであっても、驚くほど簡単な事だ。 彼がただの人間であったなら、とっくにこの世から消滅していただろう。 最初の、両親が『自殺』した時点で。 だが真物は、彼の手の誘いを跳ね除けた。 その強い生への執着が、彼を彼たらしめるもの ……あれになる器 『大丈夫。大丈夫よ。今まで幾度もその兆候は見られたけれど、私が抑えている限り決してあれにはなれないわ。それにご覧なさい。これほどの事実にも反応出来ないほど、彼の心は萎縮してしまっている。目を覚ますどころか、今までよりずっと激しく自分を殺そうと…自分に力を向けているわ』 神取が隠そうとする畏れを両の腕に絡め取り、「彼」はその強固な守りで心を慰めた。 （私の心に畏れはない。彼には、そう……憐れみすら、感じる） 隠す事も無意味な「彼」の前に本音を連ねる。 そう、胸が痛むなどありえないのだ。 『しようのない子ね……『私』が望みさえしなければ、平穏な生を送れたのに――これは、今更でしょう？』 嘲りに唇を歪め、問い質すように首を傾げる。 （だからこそ憐れむのさ。自分の手では何一つ変える事の出来ない弱く愚かしいこの子を） 『いいえ、決して侮っては駄目よ。弱く愚かしくも、この子はあれになる器。生きている限りは決して力を失わない。その証に、あの目障りな『ガキども』を知らず内に呼び寄せている。でも、この子には感謝もしなくてはね。あの出逢いがあったからこそ『私』は……』 「はい」と答えるしか出来ない知恵遅れだったわたしが 視界の端で赤く光っていたランプが唐突に消え、ややあって扉が開かれた。そして、ストレッチャーに横たわる霧子に続いて医師が姿を現した。 弾かれたように真物が立ち上がる。 掴み掛からんばかりの勢いにも怯まず、医師は「手術は成功した」と告げた。 『お嬢ちゃんの死があるいは引き金になったかもしれないから、不本意ながら助けてあげたわ』 殺せるものなら殺していたんだけれど 悔しそうに「彼」が歯噛みする。 人殺しを免れた安堵感からか、真物はその場に崩れるように座り込んだ。 神取は咄嗟に腕を掴んで身体を支えたが、すでに意識はなかった。 『目を覚ましたら、言っておあげなさい。お前のせいで周りの人間が不幸になるんだ……ってね』 そうすれば、もう未練がましく寄りかかる事もしなくなるはず 追い詰める為の最良の策を耳元にそっと囁き、「彼」は毒のように甘く微笑み瞳を細めた。 そそのかされ、男は同じように笑おうとしたが、その顔は苦渋に満ちていた。 |