Ⅲ_ⅱ
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「ごちそうさまでした」 「あら…肉野菜炒め、味付け濃かったかしら？」 半分ほどを残して箸を置いた真物に、心配そうに清が尋ねた。 「あ、そうじゃないです。ごめんなさい、ちょっと食欲がないだけで……」 真物は慌てて首を振った。 「まあ……季節の変わり目だからかしら。そういえば去年も、今くらいの時期は体調を崩してたものね。御免なさい、気が付かなくて」 「そんな……」 彼女が謝るべき事は何一つ無いのだ。こちらの身体が丈夫に出来ていないだけの事なのだから…真物は言葉に詰まってしまった。 彼女は見た目以上に温厚で柔和な性格をしており、話し方や仕草は上品で、嫌味な所が一つもない、優しい女性だった。 子供は女の子が二人いて、二人とももう結婚して子供もそれぞれいるそうだ。 始めにそう聞かされた時は、正直驚いた。とても孫までいる歳には見えない。 彼女は、家族というものをとても大事にしていた。 成人したばかりで相次いで嫁いでいった娘達の事が気がかりで、あれこれ理由を付けては家に招いて食事を一緒に摂るのだが、娘達は面倒くさがって二回に一回くらいしか招きに応じないそうだ。 けれど、娘達の方も母親の過ぎる気遣いを本当には鬱陶しく思っていないようで、たまに向こうからもお誘いが来る事もあるという。 ある時、家族皆で撮った一番新しい写真を見せてもらった。 『これが私の家族なの』 そう言って写真を差し出し、はにかんだように笑う清さんの顔は、とても印象的だった。 彼女の夫は、娘達の成人を待たず他界した。不慮の事故だった。朝、いつもと変わりなく家を出て、そのまま…… 『いなくなって初めて、その存在がいかに大事だったか思い知るほど、ないがしろにしていたつもりはなかったのだけれど……』 清の言葉は心に重く響いた。 だから余計、娘達の世話を焼いてしまうのかもね。一瞬だけ、寂しい横顔はすぐまたいつもの柔らかい微笑みに戻って、一人一人指を差しながら教えてくれた。 七人と一匹は、皆楽しそうに笑って写っている。 純粋に羨ましかった。 家族、考え方。 妬ましい気持ちも、あるにはあった。 僕はこんなに不幸なのにどうしてあんたらはと、逆恨みしそうになる自分にも気付かされ、その日はどうしても眠れなかった。 巧妙に押し殺しているが、今でも時々取り付かれそうになる事がある。 正直、そんな自分こそが怖かった。 他人の陰に怯えて暮らしながらも、人間不信に陥らずやっていけるのは、彼女のお陰でもあるのに。 思えば自分は、稲葉や清や、霧子でさえも中途半端に疑いその実依存して生きている。 いつか離れていってしまうだろう、恨まれているかもしれないと思う反面、そんな事はないだろうと自分自身打ち消して寄りかかっている。 ふらふらと揺れる気持ちはどうにも弱くて、どちらか一方を（選ぶ方は決まっている。自分だけ甘えるなんて許されるはずがない）断ち切る事が出来ないでいる。 いっそ死ねば――心を死なせてしまえば、今感じているあらゆる苦痛、あらゆる恐怖、罪悪感や絶望が分からなくなって、生きてゆく事がたやすくなるかもしれない。 けれどそれをしないのは、自分を受け入れ接してくれる人たちが事実いるという喜びを、ほんのわずかずつでも――辛さ苦しさに支配されている時間の方が遥かに長いだけに――感じていたいからに他ならない。 弱くて滑稽で惨めたらしくても、しがみついていたいのだ。 本当には、まだ、死にたくないのだ。 「今、あたたかいお茶でも入れますね」 テーブルを拭き終えて、清が言う。 「あ、じゃあ僕が――」 「だめだめ、食休みは十分取らないと。消化不良を起こしたら辛いでしょう？」 やんわりと言って聞かせる。 「ありがとうございます」 律義に礼を言う真物に、優しい笑みを返す。 いつもこうして細やかな気配りを見せる真物を、清は自分の子供のように愛しく感じていた。 礼儀正しく優しい。突然両親を亡くして自分自身辛いだろうに、そんな素振りはおくびにも出さず自分よりも妹の事を第一に考えている。亡くなられたご両親は、さぞ立派な方だったに違いない。 けれど、ふとした瞬間目にする切ない表情は、彼がまだ親を必要とする年齢でありながら、頼るものをなくしてしまった喪失感に苛まれているからなのだろう。 彼の抱えている空虚さを埋める事は、自分には出来ないだろうし、彼も受け入れてはくれないだろう。 少しでも助けになるように、精一杯見守っていこう。 |