Ⅱ_ⅱ
| 真夜中、街灯の灯りに浮き上がる桜の青々とした葉を間近に見上げ、真物は涙を流さず泣いていた。 行為の後だからではない。 屈辱的な事には違いないが、それで泣く弱い自分を認めたくない一心で涙をこらえてきた。 だが、今夜神取から聞かされた報せは、少しずつ築いてきた砦を一度に突き崩してしまうほど衝撃的だった。 もうね、少しなら走れるようにもなったんだよ もうベッドの上は飽き飽き、といった感じで苦笑いした霧子の顔が思い浮かぶ。 半年前、二度と元に戻らないのでは、と絶望してしまうほど大怪我を負ったのが信じられないくらいだ。 それなのに。 先週くらい、かな。薬の種類が変わったの。 前より少なくなった、とだけ聞いたので、必要がなくなった証拠なのだと安易に思ってしまった。 どんな形状かを知れば、少しは疑問に思ったかもしれないのに。 友達とか、私の事忘れてたらどうしよう。 学区域からそう離れていない事もあって、時々友人達が見舞いに来てくれるからこそ言える冗談を口にして、霧子は大袈裟に困った顔をしてみせた。 それに合わせて真物も、真剣な顔で悩んで見せた。 霧子には無用の心配事だと、疑いもしなかった。 「だって…あんなに元気になったのに……」 唇から零れた自分の声にも気付かず、真物は途方に暮れた眼差しで天を仰いだ。 心のどこかでは、霧子の身体が元通りになったら今の生活から解放されると思っていた。 それもあって。 相反して夜中外出する言い訳も、頭の中に組み立ててあった。完璧なまでに。 それもあって。 「精密検査をしてみないと詳しい結果が出ないが、心臓に異常があると……」 苦痛が薄らいで、焼け爛れるような快感の波に足をすくわれた直後、見計らったように神取が言った。 血の生暖かな感触が一気に奪われる。 神取は動き続けた。 こちらは、心臓の律動さえも止まってしまったかのようだった。 転院の必要があるというのだ。 今の病院では、満足な治療が受けられないばかりか、病気の進行を手助けするようなものだと、神取は言った。 （心臓に、異常がある……） 思考が、一足飛びに死に結び付こうとする。真物には、勢いを止めるのが精一杯だった。考えても…何をどう考えれば、どう組み立てればいいのか見当も付かない。言葉の断片が意味もなく頭の中を方々に飛び交い、そのくせ真っ白のままだった。 全てが現実味を失ってしまったように感じられる。 ともすれば、自分が誰なのか、名前、記憶、存在、そのものが解らなくなってしまいそうだった。 やがて意識が溶かされ、散らばって、離れた場所・霧子の元に集まってゆく。 |
| 医者と兄と見知らぬ大人がやってきて、ここから出てゆく準備をしろと言う。 やっと家に帰れるのかと思えばそうではなく、別の病院で別の治療をする為だという。 どこにも不具合は感じていないし不自由もしていない、それでも自分には故障個所があるそうだ。 そこでなら治るのかと問えば、はっきり返事は出来ないが設備は整っているから安心出来るのだという。 一体何が安心なのだろう、一体どこが悪いのだろう、どこも痛くないし苦しくもなっていないのに。 それとももうすでに、おかしくなり始めているのだろうか。 一生このままだったらどうしよう。 家にも帰れず、兄とも離れ離れになったままで――死ぬのだろうか。 |