頭の中で考えていたよりもずっと、現実は義務的でつれなかった。
何度自分に言い聞かせた事だろう。
「見神、次、教室移動だぜ」さりげなく声をかけてくれる友人。
一夜にして両親を亡くした者に対する周りの反応は、心に痛く染みるほど優しく、本来ならありがたく思えるはず。
あえてその話題を避けて、今までと同じように振る舞おうと皆努力した。
自分もその努力をしなければいけない事は、充分すぎるほど理解していた。
「なんだよ見神、んな嫌そうな顔すんなよ」ただ見上げたつもりが、嫌悪だと受け取られる。
出来るものなら…誰か、誰でもいい。
どうすれば気持ちを切り替えられる？
恐くて恐くて、どうしようもないんだ
側に立たれるのが恐い
肩にさえ触れられるのを拒む
誰とも目を合わせられない
周囲の人間の行動をみんなそこに繋げて考えてしまう。
こんな事を考えてしまう自分がどうしようもなく醜く思えた。
でも、なら――どうすれば、気持ちを切り替えられる？
「なんか…なんかさ、見神……」言い出しにくい言葉が、友人の口元近くに立ち上る。
それを優しさが引き止める。面と向かって言われる事のない疑問は、直接真物に触れる事はなかった。
その代わり、耳に届かないだけの距離を置いて、友人たちは真物の変質を囁きあった。
一人、二人と連れ立って離れてゆく、かつて親しく話し笑いあった者達の切り替えの早さに、様々な思いが胸に去来する。
しかし、それら全てを「仕方ない事」で強引にまるめこんで、心の片隅に押しやる。
そうするしかないのだ。
真物は必死になって取り組んだ。
そして何度も自分に言い聞かせる。
「これは罰なんだ」
そう、妹を死なせかけた愚兄に最も相応しい…罰。
だから、耐えなければいけない。
永遠に続くとしても。
＊
漠然と、「将来は画家にでも……」と思い描いていた。
いつ頃から絵を描くようになったのか、そもそものきっかけはなんだったのか、その辺りの細かい記憶はほとんどない。多分に、母親の趣味に感化されて、と推測される。
高校時代から彫金を始め、自分自身の才能に嬉しい発見をした母親は、古くからの友人の勧めもあって、彫金の教室を開いた。
自宅での小ぢんまりとしたものであったが、彫金に興味を持っている人は意外に多く、週に一度の教室には常に十人以上が集まった。彼らが、創造する事の楽しさを教えてくれたのだと思う。そして気付けば、自分の興味が、平面に無限の広がりを映し出す事に強く惹かれていた。
中学に入学した頃は、とにかく絵を描くのが好きだから、迷わず美術部に飛び込んだ。活動のひとたびごとに、絵画は魅力的な多面性をもって僕の腕を引っ張った。
導かれるまま、「将来は画家にでも……」と歩き始めた。
聖エルミン学園に進学を希望したのは、より本格的に絵の勉強をしたいという思いからだ。
自由な校風で知られるこの私立高校は、学業以上にクラブ活動で数多くの実績を残していた為、さまざまなタイプの学生に人気があった。
高校案内の資料を見て、ひと目で気に入ってしまった。
当時は、絵を描く事が何より好きだったから。
受験校をエルミン一校に絞り、年を越した。
凍えそうな季節に…生き方を変える日を迎えた。
＊
心の奥底まで作り変える気でいるのだと思った。
今までと何もかも正反対の生活を送らなければいけないのは、それほどお前のした事は罪深いものなんだよと教える為。
助けを必要とする妹の手に、冷たい唾を吐き掛けた自分を戒める為に。
だとしたら最も効果的な罰が下された事になる。
今までと何もかも正反対の生活はなにより堪え難い。
友人を失い、肉親を亡くし、穢れを知る。
不思議なのはたった一つだけ、以前と変わらず手元に残った…以前よりも強まった感のものがある。
意味のある付き合いをするようになった、と言うべきだろう。
それまではただ、顔を知っている程度の間柄だった。
その、顔見知り程度の相手が、唯一残された…友人と呼べる存在となったのだ。
そうなって始めて、お互い共通の趣味を持っている事に気付いた。
まるで他人を避けるかのように振る舞う警戒心を気にも留めず、かといって無遠慮に近付いてくるわけでもない。
微妙な距離を置いて付き纏う人懐こい笑顔こそ、真物が求めていた救いそのものだった。
彼はまず、『稲葉正男』と名乗る事から始めた。
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