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日曜日 早朝

 

 

 

 

 

 深夜から降り出した雨はやがて雪に変わり、人々が活動を始める頃には街を真っ白に覆いつくしていた。
 予報では一日降り続け、降雪量は二十センチ近くなるという。
 清さんが朝食の支度をする音で目を覚ました真物は、浅い眠りを繰り返したせいで腫れぼったく感じられる瞼を指で押さえ、暫くベッドの上でまどろんでいた。
 遠く去って霞んでいた思考が徐々に自分の手の届く場所に戻るにつれ、昨日の出来事が細かい泡のようにぷつぷつと弾け甦る。
 思い出す度に、あそこではああするべきだった、こう言えばまだましだったと、悔やんでも悔やみきれない激しい苦悩が、胸の内に淡い苦みをもたらしながら広がってゆく。
 完全に目覚めていないせいで、最も苦しい部分だけが何度も何度も繰り返され、傷を抉り広げる。
 それも何ヶ所も。
 傷口からは緑色に濁ったインクのような液体が流れ出し、心を凍えさせた。
 もう自分には、赤い血は流れていないのだ…と、思い知らされる。
 足元に滴る血のようなものを見下ろし、真物は重い足を引き摺りたった一つ残された道をたどり歩き始めた。
 それでもまだ食べる事が出来る自分が不思議だった。
 自分自身の意志か、何者かの命令か、本能か。
 何であれ、清さんの料理は美味しく、暖かかった。
 そして、朝食の後片付けを手伝っている時に、唐突にそれに気付いた。
 清さんには、全くといっていいほど、理不尽な警戒心を抱いていない自分に気が付いたのだ。肩が触れるほど隣り合っていても、背後に立たれても、視野の外から手を伸ばされても、だ。面と向かって話す時も、彼女とは目を見合わせている事が出来た。
 はっきりした理由を手にしたいという欲求はなかったが、とにかく、身近にほんの少しでも安穏が残されていた事にほっとする。
 都会でこんなに大雪が降るなんて何年ぶりかしらね、と子供のように目を輝かせる清さんを、エントランスホールまで出て見送る。
 音もなく降りしきる雪は、すでに足首が埋まるほど積もっていた。空を見上げると、綿菓子を千切ったような雪が灰白色の雲から舞い降りてくる。
 汗だくになって何度目かの雪かきの作業に勤しむ管理人に軽く頭を下げ、真物は踵を返して歩き出した。
 突き当たりのエレベーターホールにさしかかった所で、真物はぎょっとなって足を踏み止めた。
 そこに立つ神取と、一瞬とはいえ目を合わせてしまった。白い雪を見た後だけに、真物の瞳は急激に深く濃く沈んだ黒に染まり、本来の輝きが消え失せる。
 黙って立っているだけだったが、彼の眼差しが何を命じているのか即座に理解した真物は、ぎこちない足取りで傍まで歩いていった。

「出かける用意ができたら、降りてきなさい。私はここで待っている」

 言って神取は軽く背中を押した。
 問いかける真物の眼差しを冷たく見下ろし、素っ気無い口調で神取は言い放った。

「連絡があった。ようやく妹御に会えるぞ。今朝方、集中治療室から一般の病室に移されたそうだ。面会も許されている」

 それを聞いて、真物の口元にかすかな歓喜の色が浮かんだ。表情は追いつかなかったが、瞳は本来の輝きを取り戻し、中心に強い光を宿らせている。
 真物はすぐさま部屋に向かい、身支度もそこそこにエントランスホールに戻った。
 玄関口で、雪の積もる様をじっと眺めていた神取は、やってきた真物に一瞥をくれると、無言で駐車場に向かって歩き出した。
 苦痛の対象でしかなかった『閉ざされた空間に神取と二人きりになる状況』も、今は全くといっていいほど感じられなかった。
 虜囚の身であると思い知らされるよりも、霧子に会える喜びの方がはるかに強かったからだ。

『さて、どうする? この子供はきっと糧をとるぞ。たった一つ残されたものだからこそ、尚更強くな』

 ひび割れた、低い声が神取の頭に響いた。試すような目付きでこちらを見据えている。黒に近い紫の目が見る間に血の色に変わり、糸よりも細くなる。「彼」には何か策があるようだ。神取は助言を求めた。

『任せておけ。いくら不完全とはいえ、私も、どこからでも糧を取れるからな。お前は、閉ざされた扉に専念すればいい』

 おぞましくもいやらしい声が消え去り、暗闇に閉ざされる。昂ぶる感情の余韻を味わいながら、神取は心の中で密かにほくそ笑んだ。やがて訪れる解放の日に、全てを託す。
 降りしきる雪の中を、滑るように車は走っていった。


 ベッドに横たわる、変わり果てた妹…霧子の姿を目にして、真物は思った。
 今までの事は全て報いなのだ――と。
 二度の手術に耐え、今朝やっと霧子は集中治療室から出され個室に移された。
 入り口の扉は開け放たれており、ベッドの横に一人の看護師が付き添っているのがまず、目に入った。
 前を歩いていた神取は脇に退くと、先に入るよう身振りで促す。
 視界を遮るものがなくなり、真物は遠目ながらやっと霧子に再会した。
 だが、ベッドに横たわる霧子の姿に、真物は愕然となった。
 霧子の身体は、ほんの一部を残してそのほとんどが白い布で覆われていた。
 手も、足も、顔も。
 人工呼吸器はつけていなかった。けれど、息をしているようには、生きているようには見えなかった。
 ほんのわずか露になっている右頬にも、醜い擦過傷の跡が生々しく残っている。

「ご家族の方ですか?」

 手にしたボードに何やら書き込んでいた年配の看護師が、真物に気付いてそう質問した。

「……霧子の兄です」

 長く尾を引く驚愕の余韻を顔に張り付かせたまま、真物はぼんやりした声で言った。肩越しにちらりと振り返ると、神取は廊下の隅に立っていた。入ってくるつもりはないようだ。

「そうですか。今さっき、意識が戻って、少しお話していたところです。経過は順調ですよ」

 そう言うと、身を屈めて霧子の耳元に顔を近付け、「お兄さんがお見舞いに来てくれましたよ」と呼びかけた。それを聞いて、霧子の頭がかすかに揺れた。

「投薬の副作用ですぐ眠ってしまうかもしれませんけど、お話くらいなら大丈夫ですよ。何かあったら、そこにかけてあるコールボタンを強く押してくださいね」

 その他にもいくつか注意する点を指示し、病室を出ていった。
 真物は看護師を見送るついでにもう一度神取に目を向けたが、同じ場所に立ったまま動く気配はなかった。
 警戒を解いて霧子に向き直り、恐る恐る傍に歩み寄る。

「……お兄ちゃん?」

 気配で解ったのだろうか。
 真物が呼びかける直前、霧子の唇がかすかに動いて真物を呼んだ。

「そうだよ」

 霧子は、声のした方に首を傾けて、その口元に笑みを浮かべた。

「良かった……本当に」

 今まで聞いた事もないくらい、霧子の声は弱々しくかすれていた。

「もう会えないかと……思ってたの。きっと私…罰が当たったんだ。お兄ちゃんにあんなひどい事を――」
「何…言ってるんだよ。霧子が悪いんじゃない、僕のせいだ」

 霧子の言葉を遮り、真物は心底詫びた。
 本当になんてひどい兄だろう。妹に大怪我を負わせて、その上謝らせるなんて。
 慙愧の念が怒涛のように押し寄せる。霧子の手を握って、もっとちゃんと謝りたかったが、彼女の両手は指先まで白い布で覆われており、まるで自分を拒絶しているかのようだった。
 辛かったろうに。
 苦しかったろうに。
 君がどんなに傷ついてしまったか。自分には外側しか解ってやれない。
 許されるはずもない

「でもごめんなさい」

 霧子の言葉に、胸が締め付けられる思いがした。涙で視界がぼやけ、今にも零れ落ちそうになる。

「今は、怪我を治す事だけを考えような」

 努めて明るい声でそう励まし、気付かれないように目尻を拭う。

「……うん」

 ありがとうという気持ちを込めて、霧子は小さく頷いた。
 それから暫く、沈黙が続いた。
 少しも動かないところを見ると、眠ってしまったのかもしれない。
 確かめようと口を開きかけて、真物は思いとどまった。今は頭を撫でてやる事も出来ない。気持ちを眼差しに込めて、真物は長い事霧子を見つめていた。

「……お兄ちゃん、まだいる?」

 と、思いつめたような声で霧子は兄を呼んだ。

「ああ、ここにいるよ」

 証明しようと霧子の手に触れそうになり、真物は慌てて手を引っ込めた。

「お願いがあるの」
「何でも聞くよ」

 けれど霧子は、困ったように唇を引き結んで中々言おうとしなかった。

「大丈夫だよ、言ってみなよ」
「あのね…夢を、見たの。昨日か、それくらいだと思う」

 小さく相槌を打って、その先を促す。

「うんと小さい頃の夢なの。喘息の発作を起こして…お母さんに、看病してもらってるところだった」

 霧子の話に、真物の顔がかすかに強張る。

「咳が止まらなくて、すごく苦しくて泣いていると…お母さんが来て、私の頬にキスしてくれたの。そうしたらすぐに、苦しくなくなった。お兄ちゃん、今…してくれる?」

 霧子の顔はそのほとんどが包帯で覆われており、表情はわからなかったが、きっと、今にも泣き出しそうな哀しさを浮かべている事だろう。
 死と生の境目に立たされ、ようやく生の側に戻ってきた霧子が、亡くなった母親の優しさを求めるのは当然だろう。今までどれほど幸せに満ちていたか知っている真物には、容易に理解出来た。

「ああ、いいよ」

 霧子には、親を憎む因はない。けれど自分は、心の底では親に憎しみを抱いている。そんな自分が、母親の代わりに霧子にキスして良いものだろうか。

 ああ、それに…自分の身体は随分と汚れてしまった――

 真物は苦悩した。
 霧子は右の頬を向けてじっと待っている。真物は、何一つ解決出来ないままそっと霧子の頬に唇を寄せた。
 忘れようと努める両親の優しさを、上辺だけでも真似しながら。
 霧子の為なら何でもすると言った。
 何でも出来ると。
 ならば、霧子の前では自分の醜悪な部分を見せないように努力する必要がある。微塵も感じさせてはならない。
 出来るとも

「冷たくていい気持ち……」
「外は雪が降ってるからね」
「本当? 積もるかな」
「今でももう随分積もってるよ」
「……見たいな」

 涙に震える声で霧子は呟いた。
 妹の両目を覆う包帯が、心底憎らしかった。

「すぐに、見られるようになるよ。手術は成功したんだから」

 手の甲で頬を撫でてやりながら、精一杯の優しさで囁きかける。霧子は小さく頷いた。

「他に出来る事はない?」
「大丈夫。なんだかとても眠くなってきた……」
「薬が効いてきたんだ。ゆっくり眠るといいよ」
「待って、待って……」

 半ば意識を失いかけているのか、霧子の声はうわ言のようにも聞こえた。

「次は…いつ……?」
 次はいつ来てくれるの?

 まだ帰らないで、と同等の意味を含んでいる言葉。
 兄は、妹の苦しみが一刻も早く過ぎ去ってくれる事を一心に祈った。

「来週、また来るよ」

 静かな声でそう答える。
 頷くように霧子は首を振り、再び口を動かした。けれど、もう声は出なかった。
 辛うじて読み取れたのは『ありがとう』だった。
 こらえきれず、真物はぽろぽろと涙を零した。
 心の中が、激しい痛みを伴う悲しみで埋め尽くされ、息も出来ないほど苦しめられる。
 大丈夫、大丈夫。
 霧子にもう苦痛は訪れない。

 それでもまだ足りないなら、僕のところにくればいい!

 俯いたまま、真物は声を殺して泣いた。

『やった、ついにやった! とうとう言わせたぞ! まああの状況じゃあ、そう言っちまうのが人情ってもんだけどよぉ』

 身体に不釣り合いなほど長く伸びた前肢で何かを捧げ持ち、「彼」は狂喜乱舞した。
 二本の指で摘まんだそれは、肉の塊のようなものらしかった。
 病室の外にいた神取は、突然歓喜の金切り声を上げた「彼」が持っているものを見て、少なからず驚いた。
 それは、人間の心臓に他ならなかった。

『いやいやいや、マジモンってわけじゃねぇけどな。ま、魂の一部ってとこかな。よく見てみ』

 「彼」は暗がりの向こうからぬっと手を伸ばし、神取に見える位置に突き出す。
 闇の中では心臓に見えたそれは、一体の人形だった。霧子と瓜二つの、小さな人形。

『後はちびりちびりと啜ってやれば、死ぬでもなく、生きるでもなく。どうよ? これであのガキどもは、一生拘束出来たも同然だぜ』

 大口を開けて舌を垂らし、霧子の人形をちろちろと舐める。
 「彼」の味わう恐怖と絶望が、神取にも伝わった。
 今までの人生で、これほどの官能を感じた記憶はない。

『さあ行け。仕上げだ、仕上げ。人払いはしといてやるから、散々に犯してこい。あのガキを「あれ」にさせるな』

 興奮気味にまくしたてる「彼」の奇声に後押しされて、神取は病室に足を踏み入れた。
 驚きの表情で振り返る真物に、嗜虐心が高まる。
 真物は顔を背けると、慌てて涙を拭った。けれど、心の奥底まで食い込んだ悲しみと切なさは中々消え去ってはくれず、一番見せたくない相手にいつまでも泣き顔を見せ続ける屈辱を味わわされる。

「脱げ。下だけでいい」

 扉を後ろ手に閉め、神取は冷やかにそう命じた。

「!…」

 驚愕の塊が喉につかえたように胸を喘がせ、真っ赤に泣き腫らした目を見開いて顔を上げる。
 霧子に目を向け、非難するような眼差しで神取を見やる。
 信じられないといった顔付きをしているのが神取にはたまらなくおかしかった。

「聞こえなかったのか?」

 素早く歩み寄り真物の二の腕をつかむと、壁に向かって乱暴に突き放し、声を荒げず同じ言葉を繰り返す。
 数歩よろけて真物は肩越しに神取を振り返った。
 黙ってこちらを見つめている。冗談を言っている目ではない。

「さあ、ほら」

 背後から手を伸ばし、ベルトの金具に触れる。

「っ……」

 苦しそうに顔を歪ませ、真物はゆっくりとうなだれた。頭の片隅では諦めて理解しており、別の片隅では従う事に抵抗している。
 けれど、躊躇する事も、逆らう事も許されていない。
 引き攣る喉で浅い呼吸を繰り返しながら、真物は言われた事に従った。
 靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンと下着をベッドの下に置いて神取に背を向けて立つ。
 鼓動は痛みと共に刻まれ、真物は苦しげに喘いだ。
 恐る恐る霧子を見やる。
 眠っている。
 気付かずに眠っている。
 薬の副作用で。
 絶対声を上げてはならない
 ――出来るとも
 死を宣告されるよりもっとひどい。けれど真物は、抗いようのない現実に負けぬよう足を踏ん張った。
 と、いきなり背後から喉首を鷲掴みにされ、真物は踏まれた蛙のような呻きを上げてもがいた。

「うう……」

 神取の指に爪を立て、引き剥がそうと懸命に力を込める。
 絞め殺そうとしているのではない。苦しむ様を見て楽しんでいるだけだと気付き、真物は無性に腹が立つのを覚えた。怒りをぎりぎりのところで抑え、手を離し出来るだけ平静を装う。
 まだ足りないのだ…きっと。
 何の前触れもなく、神取の指がゆっくりと後孔に押し込まれる。

「う……」

 痛みでも、おぞましさでもない、認め難い快感が背筋を這い上がる。
 真物は顔を顰めて耐えた。異物を押し出そうと無意識の内に下腹に力がこもり、根元まで埋め込まれた指を締め付け、嫌悪感が増す。
 手のひらに、真物のくぐもった呻きを感じ、神取は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
 少しだけ力を抜いてやる。

「ここを…潰せば、人は死ぬ」

 指先で喉仏の骨を軽く押しながら、耳朶を甘噛みする。

「いっ……!」

 真物は反射的に首を振り、壁に手をついて身じろいだ。

「あの時教えてやればよかったかな?」

 真物の顎に手をかけ、強引に自分の方を向かせ吐息と共に囁きかける。
 熱い囀りが、真物の耳をかすめた。
 途端に真物の息遣いがあからさまなそれに変わり、神取の下腹を疼かせた。
 神取は埋め込んだ指を内壁に押し付け、内部をほぐすように左右に揺すった。

「くっ……、う……」

 ねじりながら抽送を繰り返すと、真物の身体は小刻みに震え、口からは声にならない喘ぎが漏れた。
 真物はきつく歯を噛み締め、乱れる息を噛み千切ろうとする。
 認めたくはなかった。
 不潔感しか持ち合わせていない箇所で、別の感触を味わうなんて事は。

「大分、痛み以外の物も分かるようになってきたな」

 深奥で二本の指を蠢かしながら、神取は嘲った。言葉は無数の刺に変わり、身体ではなく心を串刺しにする。
 折れそうな程歯を食いしばり、真物は喉の奥で抗議の呻きをもらした。

「いや。お前は感じてる。私にこうされて……ここも」

 左手を下ろし、真物のペニスに触れた。
 平常時とは異なるしなりを見せるそれをやんわりと包み込み、ゆるゆると扱く。
 始まりの行為に、真物の身体がひくりと跳ねた。

「足を開け」

 靴の先で真物のかかとを軽く突いた。しばらくの静止の後、真物は弱々しく首を振った。

 やっぱり……出来ない

 神取は指を引き抜くと、後孔の周辺を撫でさすりながら小声で言った。

「どちらの命が惜しい?」
「――!」

 命、の一言に、真物は目を見開いて神取を凝視した。
 神取はしばらく真物を見つめた後、横目で霧子を見やり選択を促した。
 驚愕の眼差しで真物は何度も首を振った。

「お前が声を出さなければ――妹御に気付かれなければいい。そうだろう?」

 何か言いかけた真物の口をふさぎ、神取は貪欲に舌を絡めた。同時に三本の指を後孔にねじ込み、突き上げるように動かす。

「んん…んっ……」

 抗議よりも、甘えに近い声に神取は満足げに笑い、なおも指で後孔を貪った。時折ひくひくと締め付ける動きを味わいながら、執拗に内部を責める。
 押し広げられる感触にぞっとし、真物は膝を寄せて腰をくねらせた。そのせいでいたるところが刺激され、おぞましいと思ったのも一瞬、たちまち快感にすりかわる。

「あ、あぁ……」

 病にも似た虚ろさとけだるさを伴い、快感はじわじわと真物の身体を蝕んでいった。
 指が引き抜かれる。
 ついに犯されるのだと、真物は向かい合った壁に寄り添い小さく震えた。

「んんっ……!」

 後孔を割りぐぐっと押し入ってくる怒漲におののき、仰け反る。
 神取は両手で真物の腰を掴むと、じわじわと埋めていった。

「ぐ、うぅ……」

 真物は必死に声を噛み殺すが、骨を軋ませてせり上がってくる感触には未だ慣れずにいた。そして今日は、いつも以上に痛みが強い。
 すぐ傍に霧子がいる…それが心を脅かしているからだ。

「あ、くぅ……」

 意思に反して、真物の後孔がびくびくと男の物を締め付ける。
 まるで愛撫するかのような蠢きに神取は薄く笑い、前に手を回した。

「っ……!」

 後孔を指でかき回され、感じてしまった分だけ勃起したペニスを摘まみ、ゆっくり扱く。

「あ……!」
「妹御の為だ……最後まで、我慢出来るな?」

 今にも声を出しそうな真物に囁く。
 真物は悲痛な顔で拳を握りしめ、小さく頷いた。

「……いい子だ」

『まったく、子供はイジメ甲斐があっていいねぇ』

 命がけで妹を守ろうとする兄を嗤い、「彼」は手にした人形に接吻した。
 まったくだと心の中で同意し、神取は手にした真物のそれを垂れた涎もろとも扱き、同時に後孔を抉った。

「っ、う……っ!」

 たちまち真物は息を荒げ、噛み締めた歯の合間から時折押し殺した喘ぎを漏らした。
 どこまで耐えられるものか…神取は薄く笑い、ぬるぬるとペニスを撫で回した。

「く――くぅ……」

 後孔を一杯に拡げられ苦しんでも、真物はここを弄られると感じてしまい、快感と苦痛に激しく喘ぎ身悶えながら射精する。
 そう、ここを責められると、彼は声を抑えきれなくなる。
 さあ、どこまで耐えられるものか。
 神取はゆっくり抽送を繰り返しながら、火傷しそうなほど熱く反り返った真物のそれを手指で舐め回した。同時に唇で首筋を撫で、時折強く吸う。
 しばしぐっと息を詰め耐えていた真物だが、身体じゅうを覆う甘い痺れについに堪え切れなくなり、握りしめた拳に強く噛み付いた。声を出せないつらさを、痛みに変える事で紛らそうとする。
 十五歳の少年の儚い抵抗は、男の嗜虐心に火を付けた。
 これまでに探し当てた弱い箇所を、手のひらで指先で唇で舌で責め抜く。
 それでも決して声を出さず、真物は最後まで堪え切った。
 どんなに責められても、兄は最後まで妹の安眠を守り抜いた。
 立っていられずうずくまった真物を床に押し付け、三度中に放った後、ようやく神取は己を抜き去った。

「……あぁ」

 少しして、真物は小さく呻いた。
 その、息も絶え絶えの様子に「彼」は嗤う。恐怖と絶望を腹いっぱい啜れたと満足して。
 やがて真物は、床に這いつくばっていた身体をのろのろと起こし、恐る恐る霧子を見上げた。耳を澄ますと、かすかな寝息が聞こえた。
 責め抜かれ、疲れきった顔には、いく筋も涙の跡が残っていた。手の甲にはあちこちに赤黒い噛み跡が残り、ところどころ血が滲んで痛々しい。それでも真物は、安堵の笑みを浮かべた。
 苦痛は耐え難く、恐怖と絶望は深まってゆくばかりだったが、真物にはすでに受け入れるだけの決意がなされていた。
 味わわされる感覚がどんなに致命的でも、それで霧子を守れるならば、完全に死に絶える事はなかった。

 

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