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土曜日 昼下り

 

 

 

 

 

 静かに車は走り出し、病院を後にした。
 市内を抜けて環状線に入る。前後には数台の車が走っているだけで、このまま順調に流れれば、小一時間ほどで瀬田区に着くだろう。
 頭上の案内板に記された瀬田区までの距離が少しずつ減っていく。
 半時間は沈黙が続いただろうか。
 真物は時折意識が遠退くのを感じていた。自分がどこへ連れて行かれるのか。そこで何をされるのか。考えまいとすればするほど、過ぎ去ったはずの醜悪な痛みがぶよぶよと膨らんできて、心を重苦しくさせた。

「なんでまた、あんな……事を」

 真物は弱々しく呟いた。声に出すつもりはなかったが、明確な答えが欲しかったのかもしれない。自分の想像を遥かに越えた答えが返ってくる可能性だってあるのに、その事は少しも考えずに。

「何故犯すのかと聞いているのか?」
「そう…だ!」

 今の真物にとっては、聞くに耐えない汚い言葉だった。苦しそうに胸を喘がせ、かたく目を閉じる。

「契約は成立したはずだが……昨日私は何と言った? それに君は何と答えた?」

 神取はちらと見やり、口元にゆるく笑みを浮かべた。

「私に従うと誓っただろう? 何故は必要ない」
「あんなひどい事を……!」
「確かに昨日は少々やり過ぎた。今度はもっとちゃんと、抱いてやろう」
「僕は女じゃない…!」

 そう言い返すのが精一杯だった。
 事の異常さを少しも感じさせない物言いに、真物は目も眩むほどの怒りを感じた。粘りつくいやらしい手から逃れようと顔を背ける。

「もちろん、君は女じゃない」

 喉の奥で笑いをこらえ、神取は続けた。

「あんな事が痛みだけではない事を教えてやろう……男の君にも、解るように」

 薄く口元を歪めて笑う神取を見た途端、血の気がすっと引いていく思いがした。隣に座っているのは、人ではない何かなのだ。それは、暗がりにひそむ得体の知れない『何か』と全く同じだった。
 理解出来ようはずがない。
 人ではないのだから。
 再び沈黙が戻ってきた。
 今度は、意識を手放す事さえ許されない、ちりちりと刺すような痛みを伴う沈黙だった。
 緩やかにカーブする道の先に目を向け、神取は一人呟いた。

「………」

 けれどそれは自分の耳にも届かなかった。「彼」も沈黙を守っている。
 わずかに傾き始めた太陽が、雲に覆われ鈍く輝いていた。

 

 

 

 真物は部屋の中央で足を止め、神取に背を向けたままじっと立っていた。
 傍にゆっくりと迫ってくるのを、気配で感じる。
 神取はゆるやかに両手をのばし、背後から真物の頬に触れた。途端に真物の肩がびくっと跳ねる。
 そのまま神取はゆるゆると真物を抱きすくめ、耳元に熱く囁きかけた。

「痛み以外のものを教えてやる……」

 耳朶を甘噛みされ、真物は思わず喉を引き攣らせた。
 じんわりと広がってゆく奇妙な感覚。
 神取は反応を楽しむように舌を這わせ、うなじに唇を寄せた。

「っ…!」

 かろうじて声を押し殺し、真物は身をかたくして耐えた。
 神取は頬に触れていた手をゆっくりと下ろし、真物の制服を脱がし始めた。

「……いやだ!」

 襟元に手をかけられた瞬間、真物は無意識にそう叫んでしまった。叫んでから、はっとなって口を覆う。
 その手を掴み、神取は強引に振り向かせる。
 抵抗した事を咎められるのではと思い、真物は唇をわななかせ目を伏せた。
 怯えは指先にも表れていた。
 小刻みに震える手にそっと口付け、神取はちらりと目を上げた。

「そんなに怖がる事はない」

 優しい口調とは裏腹に、神取は内心煮えたぎるほどの怒りを感じていた。愕然とした表情であるのに、その瞳だけは意志を失わず強い光を宿している。魂の窓が、そこにある。真物の、はかりしれない力を無言で表す光。
 それが神取には気に入らなかった。半ば無意識に睨み付け、右手で彼の顎を鷲掴み恐怖を煽る。
 真物は反射的に神取の腕に手をかけたが、自分の立場を思い出し、反抗する片割れの意識を無理に引き止め手を下ろした。

「お前が味わうのは、目も眩むほどの快楽と――」

 神取は鼻先が触れるほど顔を近付け、

「――狂わんばかりの屈辱だ」

 人差し指で真物の頬をさすりながら囁いた。
 侮蔑の言葉を吐きかける事で、動揺している自分を隠そうとする。
 はっきりそうとは気付かずに。

「………」

 真物は不快そうに身震いしたが、それだけで、抵抗らしい抵抗はしなかった。
 顎に手をかけたまま、神取は唇を重ね合わせた。

「っ……!」

 咄嗟に真物は唇を引き結んで拒絶したが、首筋を撫でられた途端、叫ぶように小さく口を開いてしまった。
 その隙を突いて、神取はさらに深く、貪るように口付ける。

「ん、んむ…んっ……あぁ……!」

 ぬるりと割り込んできた感触のあまりのおぞましさに、真物は無意識に体を引いて逃げようとする。
 させまいと神取は腰に手を回し、右手で制服を脱がせ始めた。
 腕の中で身を捩り逃れようともがく少年を無視して、神取はシャツの合間から手を滑り込ませ身体を撫でさすった。

「んぐ…んんん!」

 嫌悪感に呻きをもらし、真物は両の拳を握り締めた。
 しかしすぐに、嫌悪は別の感覚に移り変わった。それがなんであるか、真物には理解出来なかった。
 重ねられた唇から垂らし込まれる感覚は、痺れに似た感触をもたらしながら身体の芯をゆっくり伝い落ちてゆく。喉元から下腹へと降りてくるじんわりとした感触に、真物は視界がぼんやりと霞む思いがした。
 瞳は強すぎる刺激に驚きを表し大きく見開かれ、眦に大粒の涙が浮かんでくる。それは痛みや悲しみとは根本的に異なる涙だった。
 自分が何故泣いているのか、まるで説明がつかなかった。行為そのものは心底嫌悪しているが、泣くような見苦しい真似はすまいと、決心したはずだった。

「泣くほど感じたのか?」

 親指で唇に触れ、神取は優しくそう聞いた。
 信じられないといった表情で、真物は頬に触れる。わなわなと震える指先が冷たい雫をかすめた。
 まだ涙は止まらない。
 他人に泣き顔を見せている恥ずかしさよりも、混乱の方が遥かに強かった。

「知らなくて当然だ……」

 呆然と立ち尽くす真物の身体から、ゆっくりと服を剥ぎ取る。肩に、首筋に、頬に口付けを繰り返し、恋人の優しさで愛撫する。
 肉付きも骨格も、彼が十五歳の男子である事を言外に示しているのに、滑らかな肌や、脇から腰にかけてのゆるやかな曲線、腹のへこみ、強すぎない肩幅は色気を感じると言い切ってもいいくらいなまめかしく思えた。
 目的を果たす為の手段にすぎないが、神取は真物の身体に少なからず興味を抱いた。男が女を抱く時に感じるそれと酷似した高揚感。真物の身体には独特の匂いがある。それが、神取の、男としての征服欲を無性に掻き立てた。
 神取は真物の身体をしっかり抱きしめると、よろける彼を支えてベッドに押し倒した。
 左手で顎を捉え、右手で下衣を脱がしにかかる。
 途端に真物は表情を強張らせ、浅く喘いだ。

「今日はいきなり入れたりはしないよ」

 安心させるように頬を撫でながら囁く。ファスナーを下ろし、手を滑り込ませ下着の上から性器に触れる。他人の手の中で、真物のそれがぴくりと跳ねる。

「やめろ……!」

 非難めいた眼差しで真物が叫ぶ。

「逆らうな」

 静かな、しかし反抗を許さない響きを含んだ神取の声。
 真物は、切り裂くような神取の鋭い眼差しに射抜かれ、湧き上がる羞恥心に苛まれながらもじっとしていた。
 男の手がゆっくりと動く。
 感触を確かめるように、手のひらで何度も撫でられる。

「く…う……」

 真物には曖昧な感覚だった。
 他人に触られて気持ち悪いはずなのに、それでも快感を覚えるのは何故だろう。
 真物は困惑したように瞳を小刻みに震わせ、唇を噛んだ。自分のそれを撫でる神取の手が熱い。息が引き攣る。

「まだ、怯えているようだな」

 うろたえる真物を面白そうに見下ろし、神取は唇の端を歪めた。
 真物は与えられる快感を拒むのに必死だった。
 こんな状況でも、性的欲求は構わずやってくる。
 全く別の意志があるように。

「そんなっ……!」

 そんなはずはない、とはっきり口に出して拒絶したかった。だが、いざ口を開いた途端、見苦しいほど声は引き攣り、吐息をもらしてしまった。
 初めて自慰を行い、射精する時に思わず上げてしまったそれに似た嬌声。
 自分自身に驚いて、真物は噛み千切らんばかりに唇に歯を立てた。

「それは構わない」

 遠慮する事はない、と、神取は直接真物のペニスを握り込んだ。

「……あっ!」

 びくっと真物の膝が跳ねる。
 構わず神取は手にしたそれ…幾分芯を持ち始めた真物のペニスを、ゆっくり扱き始めた。
 いくらもしないで、先端から透明な雫がぷっくり湧き出し、垂れた。
 次第に手の中で育っていく独特の弾力を感じながら、神取は手指が濡れるのも構わず誘うように熱をあやした。

「あっ……あく、う…ん……」

 真物はシーツに顔を埋め、必死に喉の奥で喘ぎを押し潰した。
 男の手が、ペニスの裏に通った筋を微妙な強さで扱き、刺激する。
 軽く、激しく。
 しかし射精するぎりぎりのところで神取は手を緩め、閉じ込められた快感は真物の下腹に重く圧し掛かってきつく締め上げた。

「うぅ……」

 もどかしい……
 何もかももどかしかった。
 神取に弄ばれている事を思うと、情けなさの余り頭がおかしくなりそうだった。
 それでいて、男の手の動きに合わせ腰が動いてしまう。

「もう、も…やめて…くださ……い、いやだ……」

 真物はかすれた声で訴えた。頭の中が、射精したくて一杯になっているのを悟られまいと、必死に首を振る。
 こんな男に縋ってたまるものかと。
 しかし抵抗など無駄に等しかった。

「……本当は、早くいきたくてたまらないのだろう?」

 神取は喉の奥でいやらしく笑うと、扱く手を殊更ゆっくり動かした。時折先端を親指の腹で舐め、我慢しきれず溢れた透明な涎を塗り付ける。

「ち…ちがう……こんなの、い…いや、だ……」

 上擦った声で喘ぎ、真物は途方に暮れた眼差しを宙にさまよわせた。
 神取の言う通りだった。
 誰の手だろうとそれが快感ならば構わなかった。
 霧子を助けられるなら、こんな事くらい何でもなかった。
 射精したいと思っている自分がどんなに醜悪でも……

「嫌ではないだろう? ほら、どんどん溢れてきているよ」

 楽しげに笑って、神取は濡れた手を上下に動かした。
 その度に粘ついた音がして、真物の耳を犯した。

「いやだ……こんなの…あ、あ…あっ……!」

 内股を引き攣らせ、真物は切迫した声を上げた。
 見れば手の動きに合わせて、腰をくねらせている。

「我慢せずに、いくといい」

 言って神取は熱を追い上げた。
 見下ろす真物の顔は、迫りくる射精を遠ざけようとあがいているのか、きつく眉根を寄せ、息も詰めていた。

「いや……あうぅっ!」

 しかしついに堪え切れず、真物は男の手に煽られるまま白液を飛び散らせた。

「あ…あ……」

 その瞬間は、虚脱感も羞恥心もなかった。ようやく吐き出せたつかえに浸り、真物はしばしぼんやりと空を見ていた。
 そして唐突に、どっと襲ってくる後悔。
 しかし神取は考える間を与えまいと、力無く投げ出された両足の奥、昨日犯した後孔に指先で触れた。

「ひっ……!」

 びくんと身体をわななかせ、真物は咄嗟に足を閉じて拒絶した。

「四つん這いになるんだ――犬のように」

 小刻みに首を振り、今にも泣きそうな顔で見上げる真物にそう言って、神取は促した。
 真物はぎょっとなって頬を強張らせた。
 組み敷かれて一体どれだけの苦痛を味わわされるのか。
 瞼の裏に、悲鳴を上げてうずくまる自分が見える。
 背後から貫かれて叫んでいる自分の姿が。

「ぐ……」

 耳の奥でこだまする絶叫を無理やり押え付け、真物は言われた通りの姿勢をとろうとした。ところが身体はまるで言う事をきかず、震えをこらえるのがやっとだった。
 それでも真物は、昨日のように痛い思いをしたくないとそればかりを考え、必死に身体を動かした。
 背後で、神取が服を脱いでいる気配がする。
 極度の緊張で呼吸は浅くなり、こめかみの辺りがずきんずきんと疼いた。
「恐いか……?」
 覆いかぶさって、額にかかる髪をかきあげてやり、神取は青ざめた頬に唇を寄せた。一度味わえば、その痛みがどれほど堪えがたいものであるか十分理解出来るはずだ。
 それでも真物は、妹の為にと、同じ痛みを甘んじて受けようとしている。
 怯えて震えながらも、言う事に従い、あられもない格好をして。
 きっと今、真物の瞳は強烈な光を宿しているだろう。
 極限状態で、最後の拠り所になる意志の強さに縋るように。

「………」

 長く続く沈黙に耐えきれず、真物は声にならない声で呻いた。
 早く過ぎて欲しい
 首筋から肩にかけて、軽くついばむような神取の口付けを受けながら、真物は心の中で何度もそう繰り返した。
 じんわりとした曖昧な感覚が全身に広がってゆく。
 神取の唇はとろとろとした甘やかさで背中を滑り、脇腹に触れる手とあいまって奇妙な感覚をもたらした。
 おぞましさと隣り合わせの快感。
 はっきりそうと自覚してしまった途端、自分自身が酷く汚らしいものに変わり果てたように思え、真物は悲しさを通り越した激しい怒りを抱いた。

「!…」

 しかしそれも一瞬の事で、神取の唇が自分の身体の中心に向かっているのだと知るや、ばっと頭を跳ね上げて驚きの表情を浮かべた。

「ああ…こんなに傷付いてしまっては、無理もない」

 真物の身体の中心でひっそり息づく小さな口を目にして、神取は低く呟いた。内側から続いているだろう、生々しく残る裂けた傷跡。見るからに痛々しいそれはまるで『自分の物の証』のようで、しようもなく嬉しくなる。弾む心のまま舌を伸ばす。

「うわっ…!」

 あまりの非常識さに、真物は言葉を失った。止めようという気も起きない。

 これはなんだ?

 神取はわずかに骨の浮き上がった真物の腰を掴むと、口に含んだ後孔を丁寧に愛撫した。

「く、んっ……んん」

 真物はシーツを握り込んで、荒い息と共に切れ切れの喘ぎをもらした。
 しっとりとしたぬめりが、後孔の周りを這いずる。

「……ああぁっ!」

 舌先が差し込まれた瞬間、一際大きな悲鳴が漏れる。
 全身の力が抜けていくように思えた。今にも両手が崩れて倒れそうになるのを辛うじてこらえ、真物は必死に喘ぎを噛み殺す。それでも時折、自分でも説明のつかない感覚に見舞われ、見苦しく声を上げてしまう。
 違う、違う!

 ……いや、わからない―――

 真物はまだ、男女間の性交渉がどんなものかよく分かっていない。行為も、感覚も、感情も。女性の快感がどんなもので、男性の快感はどう違うのか。
 同性同志でセックスをする事も知らない。
 そもそもこれはセックスなのか、強姦なのか。
 あるいは他人の身体を使った自慰行為なのか。
 そんな事は考えも及ばなかった。

「あっ…あぁ、あ……く…あうぅ……」

 与えられもたらされているものが快感である事も分からず、真物は困惑しきった表情で途切れ途切れの嬌声を漏らす。

「も、もう…しないで……あぁっ…ゆるし、て……いや…いやだ……」

 短い爪が手のひらに食い込むほどきつく拳を握り締め、真物はわなわなと震えながら首を振った。
 神取は顔を離すと、代わりに指先で後孔を弄くりながら笑った。

「なら、何故ここを硬くしている?」

 手を前に回し、真物のペニスに触れる。

「ひっ――!」

 後孔を刺激されたせいか、すでに二度目の極まりをしらせるように、張り詰めたそれは時折ひくひくと跳ねた。

「どうやら君は、人一倍感じやすいようだ」
「わ、わからな…そんな……そん…な」

 そんなはずはないと、真物は半ば混乱気味に首を振った。
 こんなにおぞましいと思っているのに、何故。

「本当は、こうされるのが…好きなんだろう?」

 唾液に濡れ、時折ひくりとわななく後孔を指先で軽く揉みしだく。

「素質がある…とでも言うべきかな」
「な、なにを……う…あぁ…いや…こんな……いやだ」

 嫌と言いながら、真物は強く否定出来ない自分に激しく戸惑っていた。

「……つまり君は、こういう事を楽しめる身体をしている、という事だよ」

 言って神取は再び内部に舌を突き込んだ。

「んんん――!」

 大きく首を逸らし、真物は鼻にかかった声で鳴いた。
 ねじ込んだ舌で内襞を刺激しながら、同時にペニスを扱く。

「ああぅ……いや……あぁっ!」

 先程の熱の名残を先端に絡み付かせたそれは、神取の手に一瞬拒む素振りをみせたが、根元から先端まで余す事無く扱いてやると驚くほど素直に悦びわなないた。
 握り直すように指先で刺激を与えると、呼応するように脈打つ。
 神取の扱く手の動きに合わせて、またも真物は腰を揺すり始めた。
 後孔を舌で舐められ、同時に前も扱かれ、襲い来る二つの堪え難い快感に為す術もなく翻弄される。

「あぁ…もう……ん、んん……ん!」

 息を詰め、真物は呻いた。
 射精が近い。
 雄の本能に従う真物の反応に触発されたのか、神取は焦らさずに追いつめた。
 真物は神取の手がかかっている事も忘れて淫らに腰を振り、無我夢中で熱をぶちまけた。

「――……あ」

 その直後、遠く去って霞んでいた理性が急に目前に迫り、真物は冷水を浴びせられたように青ざめた。
 醜態をさらした事を後悔している暇はなかった。
 柔らかくぬめる舌の次に後孔を嬲るのは、神取のいきり立つ熱の塊。

「あぅっ!」

 あてがわれた部分がわずかに広げられ、傷が引き攣れて鋭い痛みが脳天を直撃した。
 咄嗟に身体を引いて逃げようとする。
 蘇る恐怖。
 そして死にそうな程の痛み。

「いやだ…許して!」

 髪を振り乱して拒絶する。

「だめだ――」

 がっちりと腰を押さえつけて、神取は即座に言い返した。

『そうだ。恐怖…!』
「や……許してくださ……」

 浅い息の合間にかちかちと歯をならし、真物は弱々しく首を振った。

「ゆっくりと呼吸するんだ」

 神取は聞き入れず、背中に覆い被さるように身を寄せ真物の頬を優しく撫でてやった。
 血の気の引いた頬は驚くほど冷たく、指先からも彼の怯えが感じ取れた。

『ああ…たまらない!』

 愉悦に目を細め、「彼」は吐息を洩らした。それはそのまま神取に伝わり、同じだけの快楽を味わう。
 きつく目を閉じ、真物は理由も分からずただ言われたとおり引き攣る喉で息を吸い込んだ。

「ゆっくり吐き出して――そう」

 息を吐き出す動作で身体が弛緩したのを確かめると、神取は反動をつけて突出した先端を押し込んだ。

「あ――っ!」

 獣の断末魔のような叫びがほとばしる。
 聞くものの心を凍り付かせるほど悲痛な声音だった。
 だがどうやら、くびれの辺りまでは飲み込んだようだ。血は…出ていない。
 鬱血しそうなほどきつい締め付けも厭わず、神取は二度三度と反動をつけて押し進めた。

「うぐ! うっ! あぁ! あうぅ……」

 その度に真物の口から潰れた悲鳴が上がり、やがてすすり泣きに変わった。
 実際に泣いてはいないようだが。
 女のようにすすり泣く真物の声に、神取は劣情を煽られた。本人は気付いていないだろうが、苦しげな呻きに時折混じる艶のある声は、犯す方の下腹を抉るほどの威力をもっている。こんな声を聞かされては、たとえゲイでなくても彼を犯したくなるだろう。至高の悦楽が手に入るのだから。

「そんなに力んでいては、自分自身を苦しめる事になるぞ」

 ぐっと息を詰めたまま身体を強張らせる真物に、一つ忠告を与える。「彼」が味わう快楽と同じだけの感触を味わっているとはいえ、外側がこれでは釣り合いが取れない。

「う、う……ふっ……」

 しかし真物は、だからといってどうすればいいのか解らず、少しずつ息を吐き出すだけの事をした。
 一度道をつけられたせいか、今度は気を失わずにいられたが、それが逆に真物を苦しめた。
 意識をなくして何もかも解らなくなってしまえばいいのに。
 そうすれば、どんなに楽になるか。
 これは…こんな陰湿な苛めを受けなくて済むのに!

『いいんだ。もっと…恐怖するがいい』

 神取は束の間思案し、彼の緊張を解く方法をいくつか思い付く。
 最も強かったのは、彼の声が聞きたいという欲望だった。
 神取は躊躇せず真物のペニスに手を伸ばし、ゆるく指先で包み込んだ。

「んっ……!」

 途端に真物の腰が跳ね、後孔の締め付けが微妙に変化する。
 内壁を圧され性感帯を刺激されたせいか、それは真物とは別の意志を主張するようにゆるく起ち始めていた。

「う、はぁ……」

 真物の喉の奥から、かすれた嬌声が上がる。
 その声を自分もろとも隠すように片手で顔を覆い、真物はついに前のめりにシーツに倒れ伏した。羞恥心は消えないのに、それでも感じて声まで上げてしまうのは何故だ。
 痛みは変わらないのに。
 それとは別なものを感じているように思える。

「そんなはずっ……ない――!」

 喘ぎをまじえながらも、真物はそう叫んだ。声は自分の耳にもいやらしく響いたが、それでも神取に言ってやりたかった。

「どうした?」

 わざと卑猥な音をたててペニスを弄びながら、神取は問い掛けた。真物の言いたい事は解っている。

「……身体が憎らしいだろう? 心の中では私を激しく嫌悪していながらも、こうして触れられれば反応してしまう。だが…心底嫌悪するものには、身体も何の反応も示さないものだよ」

 真物は肘をついてわずかに身体を起こすと、唇を噛んで首を振った。

「ひぅっ……」

 その動作はたちどころに痛みに繋がり腰の深奥を苛んだが、構わなかった。はっきり違うと主張する自分を見せ付けてやりたかった。
 神取に。

「……」

 これほど追いつめても、まだ抵抗する素振りを見せる真物に、神取は驚きを感じていた。
 驚きではなく、脅威なのかもしれない。
 だがそこに辿り着く前に、神取は考える事を止めた。
 組み敷いた少年の身体に視線を這わせ、腰から肩、うなじ、指の先まで舐め尽くす。

「……動くぞ」

 一瞬の沈黙の後、神取は抽送を始めた。

「い、やっ……ああぁ! あぁ――!」

 途端に真物の口から悲鳴が上がる。少し高めの、張りのある声音に、劣情が増してゆく。
 支配欲、征服欲、嗜虐心は否応無しに高まり、神取は相手が十五歳の少年である事も忘れて散々に犯した。

 

 

 

 黒く濁った川の底へ、物凄い勢いで向かっているようだった。流されているのか沈んでいるのかは解らない。思うように息が出来なくて、ひどく苦しかった。目に映るものといえば緑色に澱んだ汚い水だけ。
 その中をどこまでも落ちてゆく。
 恐いのは、一人きりという事だ。誰もいない。誰も思い浮かばない。一人きりで落ちていかなければならないんだ、と考えただけで、心臓が止まりそうなほど恐くなった。
 その時、ずっと底の方で何かが動いた。なにかは人の形をしていて、こちらに気付いた途端驚いて顔を上げた。
 こちらからはまったく姿が見えないけれど、向こうは、僕が見えているようだった。
 その誰かは、困ったようにゆらゆらと左右に揺れた。不思議とこの時は、姿の見えない『何か』に対する恐怖は湧いてこなかった。何故なら、落ちてくる僕を受け止めようと思案しているのが解ったからだ。
 僕の身体は少しも動かなかった。もし向こうが掴み損ねたら、手を伸ばす事も出来ない僕は、更なる深みへ落ちていく事だろう。
 けれどそんな心配は無用だった。何かは、僕が望む通りの優しさで、広げた両手に僕を受け止めてくれた。しっかりと。
 ひどく驚いているようだった。
 ここに僕が来たからだろうか。
 僕は濁った水が嫌で目を閉じていたので、相手の姿を確かめる事が出来なかった。
 けれどそんな事はどうでもよかった。
 嘘も偽りも存在しないこの場所で、こんなに優しく抱きしめてくれる。それだけで充分だった。
 誰か、の腕は力強く、そして優しかった。
 僕は安心して――眠った。

 

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