GUESS 赤 2

終焉に向かう為の始まり

 

 

 

 

 

 瞼を通して、白い光が瞳を覆う。身体の内側深くに沈み込んでいた意識が、ゆっくり浮上してゆくにつれ、遠ざかっていたあらゆる音が、徐々に戻ってきた。
 真物は深く息を吸い込んだ。

「まさかホントに起こるなんて思ってもいなかったよ。あんなにはっきり見えるものなんだね」

 ゆきのの声がする。まだ、内容までは理解出来ない。

「ああ、まさしく……驚天動地だな。俺もしっかりこの目で見た。信じるしかあるまい」

 今度は南条の声。何を話しているのだろうか。

(ここは……)

 真物はもう一度深く息を吸い込んだ。

(……嫌なにおいがする)

 かすかに眉を寄せて、真物は目を開けようとした。

「見神!」

 突然耳に飛び込んできた声に、真物は反射的にはっと飛び起きて、そちらに目を向けた。その拍子に額から転げ落ちた濡れタオルを無意識に掴み、未だ焦点の定まらぬ眼差しで辺りを見回す。
 様々な薬品の入り混じった独特のにおい、白い壁、白いカーテン、白い服を着た女の人……

「……病院」

 嫌悪の響きで、真物は呟いた。

「よかった……倒れたって聞いて、びっくりしてすっ飛んできたんだよ」

 開け放った扉を閉めて、冴子がほっと胸を撫で下ろした。

「大丈夫なの?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる冴子に、真物はぎこちなく頷いてみせた。知らず知らずに身体が強張る。
 傍に寄られるのは、正直苦手だった。

「……見神、ここは保健室よ。分かる?」

 ぼんやりと正面を見据えたままの真物に、冴子はゆっくりと言葉を綴った。意識して冴子と目を合わせ、真物は「はい」と短く頷いた。

「すみません、夏美先生。うちの子達が迷惑かけちゃって」
「いえいえ。どういたしまして」

 壁際の机に寄り添っていた保険医の吉野夏美は、済まなそうに詫びる冴子ににっこり微笑むと、ベッドの傍に歩み寄った。

「保健室にようこそ、見神クン。寝顔も可愛かったけど、やっぱり起きている方がいい男ね」

 夏美は猫のように目を細めて真物の顔を覗き込んだ。男勝りの冴子とは対照的な夏美の容貌を間近に目にし、驚きのあまり表情を失う。

「それで、あんたたちはなんともないの?」

 窓際に集まって様子をうかがっていた南条、ゆきの、マークの三人を振り返り、冴子は確認した。

「オレ達は別に何ともないぜ」

 両脇の二人に目をやってから、マークは言った。冴子を安心させる為に、二人とも軽く頷く。

「でもねえ、病院できちんと検査を受けた方がいいと思うわよ」

 軽く腕組みをして、夏美はやや真剣な顔で言った。
 病院という言葉に真物は息をひそめた。

「そうね。そうしなさい、あなたたち」

 冴子は四人の顔を順繰りに見回して言った。

「冴子先生まで、あたしらがおかしいと……」

 少し顔を曇らせて、ゆきのが聞き返す。

「あんたたちがまともな事くらい、見れば分かるよ」

 ゆきのの深刻そうな顔に、冴子は軽く笑いながら首を振った。

「ただ、倒れた時にどこか打ってないか心配で」
「ふうん、意外」

 わざとびっくりした顔でゆきのは言った。

「そうよ。頭は一番怖いからね。外傷はなくても、異常が起きているなんて事、よくあるもの。そうね、ここからだとちょっと遠いけど、御影総合病院がいいわ。なんなら車で送ってあげるわよ?」
「そこまで大げさにしなくても大丈夫だよ、夏美先生」

 ゆきのは慌てて手を振った。夏美の運転は強引で有名だという、いつかの噂話がちらりと脳裏を過ぎる。
もし本当に異常があった場合、これ以上悪化させるのは遠慮したかった。

「見神、歩けるかい?」

 ゆきのの言葉に、真物は緩めてあった襟元を直し頷いた。

「ま、病院には行けるから安心してよ」
「そういえば、あそこの病院に入院しているのよね、冴子先生の生徒さん」

 誰に言うでもない夏美の言葉に、ベッドから降りて靴紐を結んでいた真物の手がびくりと跳ねた。
 一番に園村麻希の名前を思い浮かべたのは、マークだった。その切れ端が、真物の頭の中に響いてくる。

「名前は確か……」
「園村の…ことだろ、夏美先生」

 わざとぶっきらぼうに言い放ち、マークは誰からも視線を逸らした。

「ああ、そうそう」
「そうだ、じゃああんたたち、ついでってわけじゃないけどお見舞いに行ってあげてよ。もう一年近く入院してるわけだし、きっと寂しがってるんじゃないかな」
「そうだね。実はずっと気になってたんだ」

 ゆきのが賛成の声を上げる。

「面倒な事は早く済ませるに限る。行くぞ」

 ちらりと真物に目を向けて、南条はさっさと歩き出した。

「あーあ、また仕切りたがる。ったくえらそーに」

 マークが聞こえよがしにこぼし、ゆきのの後に続く。最後に、真物が保健室を出る。

「気を付けて行きなよ!」

 戸口から身を乗り出して、冴子が四人に向かって言った。

「それにしても!」

 振り向きざま、腰に手を当て思案顔で冴子は言った。
「体育祭の準備してただけなのに、なんで倒れたりするかなぁ」
「さあねぇ。今時の子供って、案外身体弱かったりするから」

 日誌をつけながら、夏美が当り障りのない答えを口にする。

「稲葉がぁ? う〜ん……」

 とても信じられないといった冴子の唸り声に、夏美は思わず苦笑した。

 

 

 

「なあシン、オマエもあれ、見たよな」

 保健室を出てすぐの階段をのぼりながら、マークは肩越しに真物を振り返って確かめるように聞いた。

「白い服の……」

 そう口にした途端、少女の顔が鮮明によみがえった。脳裏に赤いリボンがふわりと舞う。
 と同時に、眉間に激痛が走った。
 ほんの一瞬だったが、骨が砕けたかと思うほどの衝撃に真物は咄嗟に額を押さえた。

「やっぱ見たか……ありゃ幻なんかじゃなかったよな。幽霊にも見えなかったし…なあ、あれ一体なんだと思う?」

 踊り場で立ち止まり、考え込むマークの顔を目の端に映す。そこでまた、今度は金色の翅のようなものが浮かんで消えた。

「……蝶だ」

 手をおろしながら真物はぼんやりと呟いた。言葉にする事で、より明確に思い出されてきた。
 気を失った後、自分は何か夢を見たはずだ。それがどんな夢だったか、かけらさえも思い出せないのに、蝶を見た事だけははっきりと覚えている。しかし蝶を手がかりに夢の内容を思い出そうとすればするほど、記憶は砂のように崩れていった。

「んぁ? 蝶……!」
「ごめん、独り言」

 言いつくろって、真物は再度思い出そうとしたが、一度崩れ出した砂は最後の一粒まで忘却の小瓶に落ちてしまった。完全に形を失い、無意識の彼方に去ってしまった記憶を振り払うように、真物はかすかに首を振った。

「待てよ、そうだ。それオレも見たわ。金色の蝶だろ」

 こめかみの辺りを軽く小突いて、マークはしきりに唸った。

『そうだよ、金色に光る蝶が飛んでって…んでそれから……』『そう、誰かと喋ったんだよ。間違いねぇのに、全然思い出せねぇ』『思い出せ思い出せ思い出せ!』

 思考に没頭しマークは立ち止まった。
 それに気付かずさっさと階段をのぼっていく南条たちに目を向け、真物は声をかけるべきか迷った。
 何事も直感で行動を始めるマークにとって、物事を建設的に考えるのは苦手のようだった。しきりに思い出せと繰り返すばかりである。

「とにかく蝶なんだよ」

 ある程度予想はしていたが、いきなり大声を上げたマークに、真物はあらためて驚きの眼差しを向けた。
 呆れ顔で南条が振り返る。怒りが目に表れているのを見て、真物は咄嗟に心を遮断し、外側の声だけが聞こえるよう身構えた。

「何のつもりだ? 稲葉」
「あ、聞こえちゃった?」
「あんな大声を出されれば、誰でも分かる!」

 眼鏡越しに鋭く睨み付け、マークに詰め寄る。

「んな怒んなって。どーしても思い出せない事があんだよ」
「だとしても、貴様には分別というものがないのか? いきなり大声を出すやつがあるか!」
「だーから悪かったって。んでな、どうしても思い出せないってのが……」

 はぐらかす気はないのだろうが、自分の話を優先させたいマークは、南条の言葉を遮るように先を続けた。

「人の話を……!」
「稲葉!」

 怒り心頭に発した様子で南条が口を開きかけた。が、またしても言葉を遮られる。今度は、ゆきのだ。

「ゆきのまでそんなおっかない顔しなくたって……」
「あんた、今蝶がどうこう言ったよね」
「ああ、そうなんだよ。気ぃ失って倒れた後、確かに何か見たような覚えがあるんだけどよ、蝶が飛んでたのしか思い出せねぇんだよ」
「あたしもだよ。なんかもっと色々見たような気がするんだけど……」
「ゆきのも? シンも同じだって」
「金色の蝶の事か?」

 苛立ちを無理やり抑えて、南条が言った。

「オマエもかよ!」

 叫んで、マークは三人の顔を順に見回した。
 一度は完全に消えたと思った謎が、扉の隙間からほんの少し姿を覗かせる。

「気持ち悪いね。四人とも、同じ夢を見たって事?」
「マジかよ……気味悪ぃ。こうなったらよ、早いとこ病院行って診てもらおうぜ」

 そう言うなり、マークは三人を急かして歩き出した。
 真物の頭の中に、前を行く三人の、それぞれの心の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
 だが、意識の浅い部分を垣間見るだけの能力では、とても手がかりになるような声は見つからなかった。
 そして、奇妙で不可解な金色の蝶も気になるが、直前に現れた白い服の少女も心に引っかかっていた。

(あの女の子……何が言いたかったんだろう)

 自分の知る誰かに似ていたあの少女が、何故か少し気になった。
 しかし、これ以上考えても無駄だろうと頭から追い払い、四組の教室に向かおうとした時、誰かの思考に辛うじて残っていた金色の蝶が視界を過ぎるのを目にした。
 呼ばれて振り返るのと同じように、思考の断片が飛んできた方に反射的に目を向ける。
 右手に伸びる廊下の突き当たりに、背の高い一人の男子生徒が立っていた。両手を無造作にポケットに突っ込んで、じっと何かを考え込んでいる。周りには、他に生徒の姿はない。とすると、今見た光景はあの生徒のものだろうか。
 かなり離れた場所にいる他人の思考を掴んだのも驚きだが、自分たち以外にも蝶の夢を見た人間がいる事にかき消され、真物は自分の身に起きた異変に気付かなかった。
 ふと正面を見ると、三人は随分先を歩いていた。真物は、しばらく動きそうにないその生徒をもう一度だけ見て、歩き出した。

 

 

 

「でもよぉ、あんな子供騙しみたいなお遊びで出てくるなっつーんだよな。なんか思い出したら腹立ってきたぜ。そー思わねぇ? シン」

 靴を履き替えながら零し、マークが口をとがらせた。

「なんでさ、稲葉」

 あまりにも憮然としたマークの口調に、ゆきのが口を挟む。

「上杉のヤローが腹立つってんだよ。アイツ一人だけとっととバックレやがって」

 零しながら段々腹が立ってきたのか、語気を荒げて続ける。

「まさか病院行きになんるなんて、思ってなかったしよぉ」
「そういや、あたしらだけだね。英理子たちはなんともなかった……前にも『ペルソナ様』遊びをした事のあるやつら。あの三人も、蝶の夢を見た事あるのかな」

 思案顔でゆきのは呟いた。
 その事については、真物も疑問に感じていた。
 もしもあの、不可解な夢が『ペルソナ様』遊びが原因だとするならば、当然彼らも見ている事だろう。
 そして、先ほど見かけた生徒も……?

「オイオイ何だよ、二人してんなおっかねぇ顔して」

 両脇にいるゆきのと真物に交互に目をやり、マークは呆れたように肩を竦めた。

「いつまで下らんお喋りをしているつもりだ、貴様ら」

 うんざりした表情で南条が三人を睨み付けた。
 マークはうるさそうに舌打ちすると、肩越しに南条を振り返った。

「まったくとろいな、貴様らは。少年老い易く、と言うだろうが」
「ったく細けぇ事をいちいちうっせぇなぁ。むかつくったらありゃしねぇ。いつか弱みを握ってやるぜ」

 南条に聞こえないよう吐き捨てて、マークはもう一度舌打ちした。

「またやってるよ。稲葉も南条も、どっちも子供なんだから」

 毎度の事と呆れ果て、ゆきのがため息混じりに首を振る。
 エリーとはまた違った意味で、ゆきのも大人びていた。それは背伸びしているわけではなく、自分なりの考え方を積み重ねた上に成り立っている。

「早くせんか」

 扉に手をかけて、南条が振り返った。いつのまにかゆきのが、素知らぬ顔で南条の横に立っている。仕方なくマークが歩き出し、真物はその後に続いた。

 

 

 

「ぼっちゃま!」

 校門を出ようとした時、明らかにこちらに向けられた声が、真物の耳に飛び込んだ。さりげなく視線を向ける。黒い服を着た初老の男性がそうに違いない。銀色の鳥の飾りがついた、外国産の高級車の脇にかしこまって立っている。

「や、山岡!」

 自分には無関係だと、真物はなるべくそちらを見ないようにしていた。と、突然南条がひどくうろたえた様子で足を止めた。
 思わず笑ってしまいたくなるほど、南条の反応は大げさなものだった。
 マークとゆきのが、きょとんとした顔付きで棒立ちになる。

「なんと! 圭ぼっちゃまがお友達と下校されてくるとは……う、嬉しゅうございます!」

 驚きと喜びの入り混じった声で、山岡と呼ばれた初老の男性は白手袋をした両手を組み合わせた。

「圭……ぼっちゃまぁ〜?」

 南条より数歩先を歩いていたマークが、唖然とした表情で振り返った。

「や、山岡! その呼び方は止めろといつも言っているだろう!」

 やや混乱した様子で、南条は言った。

「ボクは……」
「なに! ボクうぅ〜?」

 ここぞとばかりにマークが詰め寄る。

「あ、いや……う、うるさいぞ稲葉!」

 鼻先を突き付けてくるマークを懸命に押しやり、南条は怒鳴った。
 偶然母親に出くわしたかのような南条のうろたえぶりに、真物は小さく笑った。南条とは直接話した事はないが、いつの時も毅然とした態度で過ごしているだけに、今の状況は素直におかしいと感じた。

「山岡! 今日はいいから先に帰れ!」

 目を細め、にやにや笑いながら自分の顔を覗き込んでくるマークを必死に無視して、南条は強い口調で命じた。

「なんと! 皆様とお出掛けでございますか、ぼっちゃま」

 べっ甲縁の眼鏡の奥で嬉しそうに目を細め、山岡は問い掛けた。

「病院に行くだけだ! ぼっちゃまは止めろ!」

 ますます混乱する思考を何とか奮い立たせ、とにかく南条は山岡を帰らせようと必死になった。

「なんと…病院とは! どこかお怪我でもされたのですかぼっちゃま!」

 微笑はたちまちの内に驚愕に変わり、青ざめた顔で山岡は年若い主人の元に歩み寄ろうとした。

「違う違う! そうじゃなくて……」

 いいから来るな、と両手を振って、南条は言葉に詰まった。顔だけでなく、耳まで真っ赤だ。傍では、マークがずっと腹を抱えて笑っている。

「ぷっ……アハハハハハ!」

 そしてついにゆきのも耐え切れなくなって、腹を抱え大声で笑い出した。

「もう知らん! 行くぞおまえら!」

 恥ずかしさのあまり顔から火を噴きそうになるのを懸命にこらえて、南条は早足で歩き出した。

「山岡! 絶対ついてくるなよ!」

 振り返らずに念を押す。

「何もあんなに照れる事ねえのによ」

 あっという間に、一つ目の曲がり角まで行ってしまった南条を見て、さもおかしそうにマークが指差した。

「まいっか。オレたちも行こうぜ」

 二人を振り返り、マークが呼びかけた。
 そこでゆきのが、普段からは想像も出来ないほど柔らかな口調で、山岡に納得のいく説明をし、急ぎ足で南条を追いかけた。

「今まで一度も見た事なかったけどよ、やっぱあいつお坊ちゃまなんだよな。そう! ぼっちゃまだぜ、ぼっちゃま! こいつは究極の弱みになるよな」

 肩を震わせて、マークが忍び笑いをもらす。
 呆れているのか、ゆきのは取り合おうともしない。

「なあなあ南条、あの人何だ? 運転手?」

 やっと追い付いた南条に、マークはからかい半分に問い掛けた。

「うるさい黙れ!」

 照れ隠しに大声を張り上げる南条に、一瞬腹を立てたマークだが、すぐににやりと含み笑いをもらし、言い返した。

「ぼっちゃまのくせに、そんな乱暴な言葉遣いはいけません事よ!」

 明らかにからかいを含んだマークの口調に、南条の目が鋭く光った。

「貴様にそう呼ばれる筋合いはない!」

 今にも殴りかからんばかりの剣幕に圧倒され、マークは口を噤んだ。

『自分をそう呼んでいいのは山岡だけだ!』

 決して許さない、決して入り込めない特別な絆を、南条は心の中できっぱりと言い切った。
 その声に真物は、南条がどれだけあの人物を大事に思っているかを知った。
 けれど自分にはその感情を理解する事が出来ない。

「また始まった!」

 いつにもまして南条の声が尖っているのに気付いて、ゆきのが割って入る。

「どうせやるなら別の場所で、徹底的にやるんだね。じゃあなかったら、迷惑だから静かにしてな!」

 ゆきのの渇に、南条とマークが立ち止まる。何か言いたそうに互いの顔を睨んでいたが、先に南条がふいと顔を背け、いつもの足取りで歩き出した。

「ケッ」

 そんな南条の態度に腹を立てたのか、あるいは素直に謝れない自分自身に腹を立てたのか、マークは口を尖らせて後をついていった。

『そんなに嫌いなら、話をしなければいいんですわ』

 妙にくっきりと、エリーの言葉が思い出された。
 言い争う姿を見るのは、たまらなく嫌いだった。真物は心の中が重く傾いでいくのを懸命に食い止めて、かすかに首を振った。
 四人は沈黙したまま、大通りに出た。
 御影総合病院までは、バスで二駅分ある。徒歩では二十分程度の、区内で一番設備の整った病院だ。
 商店街にさしかかった所でゆきのが、重い雰囲気を切り替えようと口を開いた。

「園村にさ、何か手土産でも買っていかないかい? 花か何か」
「そりゃいいな。んじゃ、そこの花屋に寄ってこうぜ」

 二、三軒先にちょうど見えた花屋の看板を目指して、四人は進んだ。
『園村の好きな花って、なんだろうな』『いつも手ぶらで行ってたからよくわかんねぇや』『ああ見えてゆきのも結構気が付くよな』『園村…喜んでくれっかな』

 店先に広く並べられた様々な種類の鉢植えは、どれもこれから咲き揃うように大きなつぼみを誇らしげにかがげていた。
 一つ一つじっくり観察しながら、マークは麻希の事ばかりを思い浮かべる。
 春が間近な頃の柔らかな風のような思考が、真物の心を吹き抜けていった。薄々気付いていたが、あらためて覗き込んだマークの心は、麻希に対する思いで鮮やかに彩られていた。
 心なしか、暖かささえ感じられる。余りの居心地の悪さに、真物は即座にマークの思考から遠ざかった。

「いらっしゃいませ。あら、あなた達エルミンの生徒さん?」

 床に散らばった、葉や茎を履き集めていた店員の女性が、四人に気付いて声をかけた。

「あら、マーくん!」

 鉢植えのコーナーにしゃがみこんであれこれ思案していた小太りの女性が、店員の声に何気なく振り返り、四人を見るなり甲高い声を上げて立ち上がった。

「げっ! お、おふくろ」

 真物にも、南条にも、ゆきのにも見覚えのないその女性に、踏まれたカエルのような声を上げてマークが反応した。

「今帰りなの? ねぇ、ちょっとこれ見てマーくん。この鉢植え、どうかしら。お店のカウンターに飾ろうと思うんだけど、どう?」

 慌てふためくマークの様子に気付かないのか、母親は桜色の小さなつぼみをいっぱいつけた鉢植えを差し出した。

「息子さんですか?」
「ええ、そうなのよ。そこのエルミンに通っているんですよ」
「まあ、偶然ですね。私の息子も、同じ学校に通っているんですよ」
「あら、それはホント偶然ねぇ。息子さんのお名前は?」
「城戸玲司っていうんですけど、皆さんご存知かしら。二年生なんだけど」

 一連のやり取りに、四人はいくつもの衝撃を一度に味わわなければならなかった。この、どう見ても二十代後半としか思えない女性に高校生の息子がいて、しかもその息子が、いつも仏頂面をしていてお世辞にも愛想の良いとはいえない人物とは。
 城戸玲司という人物について真物が知っているのは、半年前に転校してきた、という事くらいだ。他人を故意に避けてきた真物にとって、常に一人で行動する城戸玲司のような人物とは接点がないからだ。

「マーくん知ってる? 同じ二年生でしょ?」

 振り向きざまそう聞かれ、マークはひどくうろたえた様子で真物たちに目を向けた。

「え、あ……」

 背後できっと笑っているだろう南条を懸命に無視して、マークは照れたように俯いた。

「マーくんとは貴様の事か? なあ、稲葉正男」
「う、うるせーよ!」

 くすくすと笑いながら小声で囁きかけてくる南条に、マークも小声で怒鳴り返した。

「ぼっちゃまと同じくらい恥ずかしい呼び名だね」
「ゆ、ゆきのまで何言ってんだよ!」

 恥ずかしさの余り、顔を真っ赤にしてマークは舌打ちした。
 友人と学校帰り、母親に遭遇した年頃の少年に相応しいうろたえぶりに、ゆきのも南条も声をひそめて笑った。

「同じクラスなので、よく知っていますよ」

 南条は口元を引き締めると、答えを待ち侘びている玲司の母親にそう答えた。

「まあ、そうなの。あの子、あまり人付き合い良くなくて……勝手なお願いですけど、皆さん玲司と仲良くしてやって下さるかしら」
「そういう事でしたら。ほら、マーくん、ちゃんとお返事して」
「う、うるせーなババァ!」

 お辞儀をさせようと頭に手をかけた母親に、マークは照れ隠しに大声を上げた。

「こら、マーくん! お母さんに向かってばばぁなんて言っちゃ駄目でしょ。本当にもう、恥ずかしいですわ。一人息子だからってついつい甘やかしちゃって」
「元気があっていいじゃないですか。うちの子は無愛想だから、羨ましいですよ」
「まぁねぇ。でも男の子ってホントに手がかかるし。マーくん、ちゃんと仲良くしてあげるのよ」
「わ、わーったよ! おい、もう行こうぜ!」

 言うが早いか、マークは返事も待たずさっさと歩き出した。

「あ、ちょっと稲葉、花はどうすんだい?」

 ゆきのが呼び止めるのも聞かず、逃げるように遠ざかっていく。

「しようのない男だな」

 店先から身を乗り出すようにして、南条もマークの後ろ姿を見やった。

「おや、人の事が言えるのかい?」

 皮肉たっぷりに、ゆきのが目を細めて南条を見つめた。
 ごまかすように咳払いをして、南条はそっぽを向いた。

「皆さん、ごめんなさいね。代わりにおばさんがお金出すから、許してちょうだいね」
「え……そんないいです」

 財布を取り出したマークの母親に、真物は慌てて手を振った。言ってすぐに、心の中で、もう少しまともな受け答えがあるだろうにと自分自身に腹を立て、取り繕うようにぎこちなく笑みを浮かべる。

「あら、いいのよ。気にしないで。その代わりマーくんには内緒ね」

 安心させるように笑って、母親は首を振った。何度も断るのはかえって失礼かと、三人は好意に甘え麻希の見舞い用の花束を受け取った。

「早く退院出来るといいわね」

 そう言って逆方向に歩き出したマークの母親に、三人は丁寧に頭を下げた。
 振り向くと、はるか前方に、背中を向けて突っ立っているマークの姿が見えた。

「あいつったら、あんな所にいるよ」
「親に対してまでもあの口のきき方とは。やはりサル並だな」
「おや、全くその通りだね、南条」

 いつになく優しい口調のゆきのに、彼女が何を言わんとしているか瞬時に悟った南条は、心なしか顔を赤くして再び咳払いをした。

「でもさ、城戸のおばさんには驚いたね。あれじゃ、どう見ても二十代後半にしか思えないよ!」

 思い出したように声音を高くして、ゆきのは肩を竦めた。

「そうだな。あの変わり者の城戸玲司の母親とは、到底思えん」

 南条が本音の感想を口にした時、真物の心の中にかすかな感情が真上に向かって放り投げられた。あまりにも瞬間的な思いだったのか、それとも自分自身認めたくない感情だったのか、真物はまともに取り合おうともせずに意識の底に埋め込んだ。
 それが羨ましいという言葉だったのを、「彼女」は聞き逃さなかった。

 

 

 

 病院に到着し、ロビーの長椅子に落ち着くと同時に、マークは財布を取り出して言った。

「いくらだよ、それ」

 自分の分を払うというマークに、たまたま花束を持っていた真物は困ったように南条とゆきのの顔を交互に見やった。

「これは見神のおごりって事でいいじゃない、稲葉」
「そうはいかねぇよ。いくらだよ」

 金銭についてはきっちりけじめをつけねば気が済まない性分なのか、マークはきっぱりとした口調で真物に聞いた。
 ゆきのが、真物と南条に目配せするように視線をかすめて、最後にマークを見た。

「じゃあ、六百円てことで」

 ゆきのの言葉に、マークは素直に差し出した。
 真物はためらいがちにそれを受け取ったが、ポケットに収めるのはどうにも気が引けた。

「診察時間聞いてくるわ」

 何か言いたげな真物の視線に気付かず、マークは受付へと歩き出した。

「これは……」

 真物は手の上に乗せたままの硬貨を見せて、小声でゆきのに尋ねた。

「さっきの失礼な態度の詫び賃て事で、二百円ずつ三人で六百円。いいからもらっときな。ほら、南条も二百円」

 にっこり笑って説明し、ゆきのは南条に二百円を手渡した。

「ふん、こういうのも悪くないな」

 南条はそう言って笑った。
 少なからず真物も同じ気持ちになった。心の中で詫びて、二百円をポケットにしまう。

「午後の診察、三時からだってよ」

 そこへ、何も知らないマークが戻ってきた。

「何? 随分待たせるものだな、病院というものは」
「今何時……? じゃあ、先に園村の見舞い済ませてこようか」

 壁の時計を見上げて、ゆきのは立ち上がった。

「そうだな。時は金なり。時間は有効に使わねば」

 一分一秒でも惜しいとばかりに、南条は早足で歩き出した。
 ロビーから病棟へと続く扉をくぐりぬける寸前、真物は誰かに呼ばれたような気がして、ふと足を止め振り返った。
 柱の影に隠れるようにして立っているのではっきりと確認出来なかったが、診察にも見舞いにも似つかわしくない服装の男性が、こちらを気にした様子でちらちらと伺っているのが目に入った。

「へいへいわぁーったよ。少年老い易くなんたらってんだろ! しつけぇな! 耳にタコ出来るぜ」

 もしやと思い身を乗り出して確かめようとした矢先、マークの大声が耳に飛び込んできた。突然の声に驚いて、真物は咄嗟に向き直った。

「バカ! 病院では静かにしな!」

 潜めた声に凄みを利かせ、ゆきのがたしなめる。

「見神、どうかした?」

 と、少し離れた場所で立ち止まっている真物に気付き、声音を変えて問いかける。

「ああ……いや」

 自分の思い違いだろうと首を振り、真物は曖昧に応えて三人に追い付いた。

「ったくよお、南条といると調子狂うぜ」
「それはこちらの台詞だ」

 今言われたばかりなのに、またしても火花を散らせる二人を、真物は不思議な面持ちで眺めていた。寄ると触ると言い争いばかりするのに、奇妙なバランスが保たれているのが不思議でならない。

「で、園村は何階にいるんだい?」
「……302号室だよ」

 必要以上につっけんどんに答えると、マークは踵を返して階段を上っていった。
 真物は、もう一度振り返り、先ほどの人物をちらりとだけ見やりそれから三人の後をついていった。
 待合室は大勢の人でごった返していたのに、階を上がるごとに人影は極端に減っていき、目的の三階には、足早に通り過ぎて行く看護士の姿しかなかった。すぐ傍の、開け放たれた六人部屋の中には患者の姿も見えるが、独特の寒々しさが吹き抜けていた。
 素っ気ない白塗りの壁、リノリウムの白いタイル、天井のぼやけた白。
 真物には、我慢出来ない空間だった。
 目指す園村麻希の病室は個室だった。扉はぴったりと閉められ、まるで、拒絶を表しているようだった。
 あるいは、閉じ込められているのか。
 そう思うと、プレートに書かれた名前もどことなく心細そうに見えた。
 大嫌いな場所
 知らず内に険しくなった真物の表情が、次に起こったゆきのの声でふっと和らぐ。

「稲葉、お先にどうぞ」

 訳知り風な顔で微笑むゆきのにぎくりと頬を強張らせ、マークはぎこちなく首を振った。
 ゆきのが口を開くと同時に、彼女が何故そう言ったのか、心の声に触れて理由を知った真物は、無言でマークに花束を差し出し一歩下がった。

「お、おい……」

 うろたえたように二人の顔を交互に見て、マークは言葉に詰まった。

「どうしたんだ、入らないのか」
「まあまあ南条」

 おかしな奴だと言わんばかりの南条をさりげなく宥め、ゆきのは代わりにノックし扉を開けて、マークの背中を押した。

「お、い!」

 勢い込んで病室に足を一歩踏み入れたマークは、回診に訪れていた医師と鉢合わせになり慌てて立ち止まった。

「おや、園村さん。一番の薬が来ましたよ」

 三十代半ばに見えるその医師は、柔らかな物腰でベッドの方を振り返った。

「今日はお友達も一緒なんですね」

 何度か面識のある医師に曖昧な笑みで応えると、マークは戸口の横に突っ立ったまま照れ臭そうに俯いた。
 医師と看護士は隣の病室に移り、四人は麻希を取り囲むようにベッドの周りに集まった。
 前よりも少しやつれた感のある麻希だが、四人を見るなりか細い声に精一杯の喜びを込めて歓迎した。

「稲葉君、みんなも…来てくれたんだ!」

 最後に病室に入った真物は、向けられる麻希の視線を曖昧にとらえ、頷く程度に頭を下げた。
 今のところ、麻希からは何の声も聞こえてこない。

「これ……お見舞い」

 真っ赤な顔でぶっきらぼうに、マークは花束を差し出した。

「わぁ、ありがとう稲葉君。嬉しいな…覚えててくれたんだね」

 最高の贈り物に麻希がはしゃいだ声を上げた。

「え…いや…その」

 隠し事の出来ない性格のマークは、うまく言いつくろえずに言葉に詰まった。

「この前、みんなに会いたいって願いしたばかりなのに、本当にありがとう」

 にっこり微笑んだ麻希の笑顔を消したくなくて、マークは適当に笑ってごまかした。

「元気そうじゃない。具合はどう?」

 言葉の端々から事情を察したゆきのが、頃合を見計らってさりげなく尋ねた。

「大分落ち着いてきたみたい。最近、良い夢を見るからかな」
「へえ、どんな」

 聞き返し、ゆきのは花束を受け取ると花瓶を用意した。

「起きるとほとんど覚えてないんだけど……気持ちが安らぐような、とても優しい夢なの」

 二人のやりとりを耳にしながら、真物はさりげなく病室の中を見回した。まず一番に目を引くのは、壁にかけられた一幅の絵だった。
 一年前、麻希がコンクールで賞を取った例の絵。
 木目の額縁に収められた、無限の広がりを表す楽園の扉。
 目にするのは二度目だが、あの時のように麻希の残留思念に引き込まれないよう、真物は視界の端に映していた。
 と、吸い寄せられるように、一つの人影が絵の前に立ち、食い入るように見つめている。
 マークだ。
 感嘆の声すら出せない様子で、マークは長い事眺めていた。
 そんなマークの後ろ姿を、真物はぼんやりと見つめていた。
 そして唐突に、一年前、彼が同じように麻希の絵を食い入るように見つめていた事を思い出した。
 マークが今、心の中でどんな声を上げているか、真物には容易に想像出来た。
 ふと視線をずらすと、ベッドサイドの椅子に座っている熊のぬいぐるみが目に入った。大分年寄りのようで、あちこちほつれている。よくよく見ると、真綿のように柔らかい思考がぬいぐるみを包んでいるのが感じられた。恐らく、麻希の一番古い友人なのだろう。

「……私あの人嫌い」

 不意に耳に飛び込んできた『嫌い』という麻希の言葉に、真物はどきりとなった。
 囁くような声にもかかわらず、真物にはまるで耳元で怒鳴られたように鋭く刺さって聞こえた。

「何かされんのか?」
「そうじゃないけど……」

 過剰に反応し、まるで怒っているようなマークの剣幕に驚いて、麻希の声はますます小さくなった。

「お医者さん、嫌いだから」

 苦笑いを浮かべて麻希は肩を竦めた。

「ところで真物君、千里や内藤君は、元気にしてる?」

 気持ちを切り替えようと、麻希は声のトーンを上げてそう尋ねた。
 一瞬、殴られたような衝撃を感じて、真物はぐっと奥歯を噛みしめた。
 麻希の問いかけに、四人の視線が一斉に集中する。

『そういや、園村には言ってなかったっけ……』『余計な気遣い、させたくねえから……』

 上目遣いに麻希を見やるマークの心の中から、焦りと緊張が混ざり合った、切羽詰った声が溢れた。

「忙しいのかな……」

 寂しげに俯く麻希を見て、真物は混乱しかけた頭を元に戻そうと必死になった。
 浮かんでくるいくつもの言葉はどれも空々しいものばかりで、とても口に出来るものではなかった。
 懸命になって探す真物の思考を邪魔するように、誰かの思考の断片が無遠慮に割り込んできた。追い払おうとして、真物は愕然となった。

『どうしよう……もう止められないよ!』『誰か助けて。ここへ来て』
『ホントは全部あきのものにしたかったのに、何で邪魔するんだ』『お前なんか泣き虫の弱虫のくせに。いいもん。パパの所に行こうっと』
『ダメです! あの人は悪い人です!』
『うるさい! みんな消してやる!』

 立て続けに聞こえてくるいくつもの…いや何人もの声に、真物は動揺を隠し切れなかった。中には、幼い子供の声も混じっていた。顔から血の気が引いていくのが、手に取るようにわかる。
 波立つ感情を必死に抑え、麻希の顔を恐る恐る見やる。大の親友が見舞いに来ない事に落胆している少女の顔のはずなのに、彼女の心の中で一体何が起こったというのだろう。

『そう……何もかも無駄なのよ……!』

 言い争う幼い少女らの声を押しのけて最後に聞こえてきた言葉は、真物の心を凍り付かせた。これほど強烈で、また異様な感情に触れたのは、今まででただ一度きりだ。
 「彼女」が選ぶはずのない、憎悪という醜い色彩。

「園村さん……」

 無意識の内に、真物は名を呼んでいた。
 と同時に、麻希の身に異変が生じた。

「く……」

 胸の辺りを押さえ、前屈みになって麻希は苦しみだした。

「園村?」マークは驚いて顔を覗き込み、
「どうした!」やや冷静さを欠いた様子で南条が叫び、
「早く先生を!」言うが早いかゆきのがナースコールのボタンを強く押した。

 真物は棒立ちのまま、指先が痺れるような感覚に茫然としていた。
 コールを受けて駆け付けた二人の看護士が、手早く麻希の状態を確かめ足早に出て行くと、担当医を連れて戻ってきた。
 ストレッチャーに移され、慌しく運び出される麻希を、真物は夢の中のような感覚で見つめていた。

「おいシン! 何突っ立ってんだ!」

 顔面蒼白で後を追うマークが、戸口に踏みとどまり振り向き様に叫んだ。
 そこでやっと真物は我に返り、取り乱すマークについて病室を出た。
 半ば意識を失った麻希を乗せたストレッチャーは集中治療室に駆け込み、四人は扉の前で遮断された。

(十二年前とまるで同じ……)

 息を切らせて立ち止まった真物を、激しい既視感が襲った。

 理解する暇も与えてくれず、赤い服を着た女の人は扉の向こうに連れていかれた。

 当時は、今よりもずっと背が低かった。高い位置にある赤いランプを、身体を反らせてぼんやり見上げていた。
 今もまた、同じように忌々しい気持ちで赤いランプを睨み付ける。

「くそったれ……」

 誰に言うでもなく、マークは吐き捨てるように小声で呟いた。
 誰も何も言えないまま、時間だけが少しずつ確実に過ぎていった。
 長い長い数分が経過したその時、突如激しい揺れが四人を襲った。

「地震……!」
「な……でかいぞ!」

 立っているのも困難なほどの激しい揺れに、四人はなす術もなく翻弄された。
 建物の軋む音の向こうから、子供の甲高い叫び声が聞こえてくるのを、真物は耳にした。
 それは、取り返しのつかない過ちに絶望した、寒々しい響きをしていた。
 気のせいかと耳を澄ませた直後、唐突に揺れはおさまった。
 しんと静まり返った空間に、冷たい汗が背筋を伝う。

 

GUESS 赤 1

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GUESS 赤 3