Dominance&Submission
オレンジ
いれたてのコーヒーのふくよかな香りが、二人の間をゆったりと漂う。 テーブルには、サンドイッチとサラダ、少々のフルーツとコーヒー。 サンドイッチはあり合わせの材料で作ったものだが、僚は、先ほどの中断とその後の行為とでよほど腹が減ったようだ。始めはいくらか躊躇したものの、美味そうな匂いに我慢出来なくなり、ひと口かぶりついた後は勢いが止まらなかった。 神取はその様子に安堵し、同時に自省した。 彼が預けてくるものを冷静に受け止めねばならないと頭では理解していても、いざ行為を始めるとどうしても歯止めが効かなくなってしまうのだ。 僚の仕草や手の動き、眼差し、声。それら全てが自分に向けられる歓びに、いつも我を忘れてしまう。 そして気が付けば、同じ事を繰り返している。 欲張りなのはわかっているが、僚の全てを自分で満たし、満たされたい。 今よりも、もっとたくさん。 「……何? ミルク?」 ミルクの入った白い器を差し出す僚の声に、はっと我にかえる。どうやら、自分でも気付かぬ内にじっと見つめてしまっていたようだ。それが僚には、ミルクポットを欲していると見えたらしい。 慌てて首を振り、平静を装ってコーヒーのカップを口に運ぶ。 僚は釈然としない顔で器をテーブルに置くと、それとなく男の顔をかすめ見た。口を開きかけ、すぐに噤む。チケットの為に、これから自分がするべき事は何なのか聞いてみたいのだが、いざ聞こうとすると怖気づいてしまい、聞けないでいた。 そんな事をもう何度も繰り返している。 今もミルクでごまかしたが、本当は聞こうとしていたのだ。 だが、男の目を見るとどうしてもためらいが生じてしまい、聞けずに口を噤む。 カップに残った半分ほどのコーヒーをため息まじりに飲み干し、僚はサーバーに手を伸ばしかけた。それより早く男の手が伸びて、さりげなく二杯目をカップに注ぎ入れる。 小さく礼を言って、僚はちらりと目をやった。 神取は視線に応えると、コーヒーには必ずミルクをたっぷり入れる僚の嗜好に合わせて買った、大きめのミルクポットを目の高さに持ち上げた。 「サンキュ」 言って、受け取ろうとする僚の手が触れる寸前、神取はすっと手を引いて遠ざけた。 掴み損ねた手を軽く握り、僚は戸惑いの眼差しを向けた。ゆっくりと手を引っ込める。 しばし目を見合わせてから、神取はゆっくりと視線を僚のコーヒーカップに向けた。 困惑顔でためらいがちにコーヒーカップを差し出す僚にくすりと笑いかけ、頬杖をついて静かにポットを傾ける。 しかし、まだミルクは注がない。 「僚」 「……何?」 「君の、好きな事はなんだったかな」 突然の質問に、僚は目を瞬かせた。 好きな事。 どう答えればいいのだろうと、しばし考え込む。 好きな事。 一番短い言葉で答えるならば、男と一緒にいる事。 何をする時も、どこにいても、男と一緒にいる事が一番好きだ。 しかし、男の望んでいる答えは別の言葉だろうと、それを飲み込む。 答えられず戸惑っている僚に構わず、神取は口を開いた。 「では、苦手な事は?」 そう聞かれ、僚ははっと目を見開いた。 ようやく、男の望む答えと、意図が見えた。 微妙な表情の変化で、僚が気付いた事を察した神取は、そこでようやくミルクを注ぎ入れた。 とぷんと、ミルクが琥珀の中に入り込む様を見て、僚は顔を強張らせた。 男の言わんとしている事が、その光景に全て表されている。 好きな事。 苦手な事。 それをすれば、チケットをもらえる 琥珀色の中で白い花を咲かせるコーヒーカップから目を上げ、僚は小さく口を開き、噤んだ。 「食事が済んだら、バスルームに行こう」 神取は言った。 少し怯えたような僚の目が、心なしか潤んで、熱く男を見つめる。 辛うじてわかるほど微かに、僚は頷いた。男の口端が、満足そうに持ち上がる。 |
緊張の面持ちで僚は、バスルームに足を踏み入れた。 いつもより幾分ラフな格好で、男もその後に続く。 服は全部脱いだが、浴室の暖房が程よく効いて寒さは感じない。それでも僚の顔が強張っているのは、視界の端にちらちらと見えている大きなガラスのボウルと、器具のせいだろう。 ああ、予想したとおりだ 俯いたまま、目の端でガラスの器具を睨み付ける僚に手を伸ばし、神取は顔を上げさせた。 一瞬抵抗し、すぐに諦めて僚は男に目を向けた。頬を包み込む手に目をやり、男を見上げる。まっすぐ向かってくる鋭くも美しい眼差しに、心が奪われる。言葉もなくただじっと見つめてくる男に、僚は息をひそめた。 「僚」 名を呼ぶ声に、胸が高鳴る。 「……なに?」 かすれた声で応え、僚は喉を上下させた。 「僚」 唇が触れる寸前まで顔を寄せ、神取は何度も僚の名を口にした。 「あ……」 繰り返し耳から入り込む男の声に、知らず息が乱れる。吐息に唇をくすぐられ、僚は困ったように、怯えたように眉を寄せた。 男の声が、自分の名を呼ぶ。 唇が、僚と綴る。 その度に微かな目眩に見舞われ、僚はぎこちなく瞳を揺らした。冷静さが徐々に失われていく。 「僚……僚……」 接吻の時のように顔を傾け、男は尚も名前を呼んだ。 「っ……」 熱い吐息をもらし、僚はかたく目を閉じた。名前を呼ばれるだけで、身体の芯がたまらなく熱くなる。声に満たされていく。 静かに押し寄せる恍惚が、僚を緊張から解き放っていった。 「……いいかい?」 耳元で囁く男に、僚はうんと答えた。薄く目を開けると同時に頬に接吻され、淡い疼きに背筋がざわめく。気付けば、目の端が少し濡れていた。いつの間にか滲んだ涙に瞬きを繰り返し、男に目を向ける。 それより前から見つめていた男と目が合った瞬間、頬に触れていた手が首筋を撫で、僚はあっと小さく息を飲んだ。 男は満足げに口端を持ち上げた。 「何を? 僚」 聞いてきた本人に問われ、僚は言葉に詰まった。 男はくすくすと笑いながら、首筋を撫で、唇を這わせた。 「何をいいと言ったんだい?」 楽しそうに笑う男に、しまったと心の中で後悔する。 「教えてくれないか、僚」 笑みを浮かべた唇で僚の首筋を愛撫しながら、神取は更に問い詰めた。 「っ……」 ひくりと喉を鳴らし、僚は唾を飲み込んだ。 首筋からゆっくり這い上がる男の指と唇が、ピアスをした耳の際まで近付く。弱い箇所を責められる予感に、僚は身を強張らせた。どこが感じるのか、涙が出やすいのはどこか、男は全て知り尽くしている。言いたくない言葉を言わせるために男がそこを狙うだろう事は、すぐに察しがついた。 だが、その予測は外れた。 耳朶に吐息を感じたのはほんの一瞬で、すぐにそれは遠ざかった。 困惑の表情を浮かべ、僚はためらいがちに男の肩に手をあてた。 「僚……」 ぎこちなく縋ってくる僚に呼びかけ、神取はゆっくりと顔を下方にずらす。あえて感じる箇所には触れず、それの周りを軽くついばみながら尚も僚を呼ぶ。 「はっ…あっ……」 短く熱い吐息が、しきりに僚の唇からもれた。音を立てて何度も鎖骨の辺りを吸われ、肌の上を滑るじれったい疼きに顎を上げて喘ぐ。 「僚……」 小刻みに震えを放つ僚に尚も愛撫を重ね、男は静かに名を呼んだ。 彼のいいところはよく知っている。 耳朶をピアスごと唇で挟んで舌で転がすと、腰に響く甘い声をもらす。そこを責めながら乳首に手を伸ばすと、たちまち彼の膝は崩れて、少し高い嬌声が唇から零れる。肩をくすぐる熱い吐息に、こちらまでとろけてしまいそうになる。 けれど今は、それらには一切触れない。 彼が答えるまで、そのまわりをじわじわと責めあげる。 より強い官能を手にする為に。 匂い立つほどに滑らかな若い肌に舌を這わせ、神取はゆっくりと顔を下方にずらしていった。僚の口から不規則な吐息を紡がせながら、身体の中心についばむような口付けを繰り返す。 「っ…あ……」 僚は眉根を寄せて仰のき、身体の震えを抑えようときつく目を閉じた。直後、乳首の際を強く吸われ、思わず肩が弾む。 「た…たかひさ……」 男の愛撫から逃れようと、僚は半ば無意識に後退った。しかし、同時に腰を強く抱き寄せられ、その、回された腕と力強さに、自分でも恥ずかしくなるほどの甘い声を上げてしまう。 「やだっ…て……なんで……」 気持ちよく感じるのはその中心なのに、どうして男はその周りしか触れてくれない。 僚はじれったそうに身体をくねらせ、男の身体を押しやろうとした。 早合点して頷いた自分が悪いのは、よくわかっている。だが、何をいいと言ったのかなんて、とても自分の口からは言えない。 今でもそれは、自分から進んでやりたいとは、思っていない。 以前とは別の意味で、怖いのだ。 こちらを巧みに操る男の手にかかって、どうしても好きになれないものに容易く溺れてしまうからだ。 嗚呼、どうしてこんなにも…… 「たかひさ……」 頼むからやめてくれと、今にも泣きそうな顔で僚は首を振った。 「君が、何をいいと言ったのか答えるまで、やめてあげないよ」 そんな表情まで楽しんで、男は微笑のまま答えた。そして、言い終わると同時に僚の下腹に手を伸ばし、半ば勃ちあがったそれに、羽の先で撫でるように指先を這わせた。 「ふぅ……ん」 男の指が先端をかすめた瞬間、全身を強烈な快感が走り抜けた。鼻にかかった甘い声をもらし、僚は腰を引いた。動きに合わせて、熱茎がふらふらと揺れる。 神取は視線をそこに向けると、今の刺激で球のように雫を浮き上がらせたそれにふっと頬を緩めた。指先を近づけ、球を壊さないようにそっと触れる。しかし、指が接触した途端呆気なく弾けて、更に湧き出た雫とあいまって零れてしまった。 僚の熱塊は尚も雫を溢れさせ、男の愛撫を待ち焦がれてひくひくとわなないた。 「あ…っ……」 それ自体には一切触れず、ただ雫を追って戯れる男の指が、僚を翻弄する。ほんの一瞬、強い快楽を味わう箇所を刺激されるのだが、次の瞬間にはもう別の場所に移動していて、続けられる事はなかった。 「は、あ…ぁ……」 まるで、瞬きする睫毛で遊ばれているようだった。僚はねだるように腰をくねらせ、男に訴えた。 神取の手の中で、僚のそれが不満そうに震える。それでも欲しい刺激は与えてやらず、腰にまわした手をじわじわと下げていった。 「う……」 ゆっくりと降りていく手に、僚は全身を強張らせた。男の舌は相変わらず胸の辺りを刺激している。 本当に欲しいところをわざと避けて、じれったいほどの愛撫で。 それでも、身体の奥深いところまで記憶した男の手によるものはどんなに些細でも快感となり、熱を煽るのだ。 徐々に尻の奥へ向かう指に不規則に身体を震わせ、僚はぐっと息を詰めた。 そんな僚の様子に、神取は密かに笑みを浮かべた。下げた手を尻の奥に滑り込ませ、そこでひっそりと息づく小さな口を軽く突付く。 「んん……」 反射的にそこを締め付け、僚は押し殺したうめきをもらした。 侵入を拒んで固く口を結んだそこを、神取は宥めるように優しく撫で回した。顔を上げ、僚と抱き合う形に身体を引き寄せる。 「う、う…や……」 波のように襲う快楽の疼きに合わせて、男の肩を浮かんだ僚の手にびくびくと力が入る。喘ぎを噛み殺すのが精一杯で、満足に喋れない。それでも必死に、やめろと訴える。 「やめて欲しかったら、言いなさい」 そんな彼の耳元で、神取は静かに囁いた。 僚は即座に首を振った。 意地を張る僚の姿に、思わず笑みが零れる。 ならばと、神取は笑みのまま僚の熱塊を軽く握り込んだ。 「あっ……!」 独特の弾力を見せる僚のそれが、握った瞬間どくりと脈動した。 更に追い詰めようと、親指で先端を刺激する。同時に後方の手も動かし、噤んだ口に中指を強く押し当てた。 指先が、拒む口を強引にこじ開ける。 「あぁ、あ――!」 僚は咄嗟に男の肩を抱き、続けざまに嬌声を迸らせた。腰ばかりか、膝までもがくがくと震え、もはや一人では立っている事さえ出来なくなる。 「言えば、楽になれるよ」 吐息を吹きかけながら甘言を囁く。入りかけた中指を抜き、宥めるように周りを撫でては、また強く押し付ける。 今にも入りかけては引き返す指の動きに焦れて、僚は自ら腰を蠢かせた。 いつでも入ってこられるように、力を抜く。 そうまでして愛撫をねだる自分自身を浅ましいと思っても、前後からの曖昧な刺激に翻弄された身体は、もっと強い、目も眩むような官能を欲して、ひどく貪欲になっていた。とても止められそうになかった。 「……僚」 白金の輪を唇で挟み、軽く引っ張る。 腰の奥を直撃する、痛みと快感が入り混じった強烈な疼きに、僚はびくびくと全身を震わせた。 「言うから……もっ…やめ……」 半ば力の抜けた腕で必死に男に掴まり、僚は負けを認めて訴えた。 神取は耳から顔を離し、俯いて浅い呼吸を繰り返す僚の顔を上げさせると、再度尋ねた。 「さあ、言いなさい」 快感によって潤んだ僚の眼差しを優しく絡め取り、神取は答えを促した。 「か――」 言いかけて、僚は唇を震わせた。口にしようとすると、どうしてもためらいが生じてしまう。 言えずにいると、それまでまっすぐ向かっていた男の視線が突然脇に反れた。 僚は反射的にそれを追った。そして目に入ったものに、はっと息を飲む。 薬液を張ったガラスのボウルと、透明な器具。 曖昧な刺激に熱を煽られた身体が、一際大きく疼いた。僚は唇を歪ませ、男に抱きついた。同じように肩に回された腕の感触にぎゅっと目を瞑り、今にも消え入りそうな声で答えを口にする。 「していい……」 「……何を?」 耳に届いた僚の声に、神取は聞き返した。 更に小さな声で、僚は言った。 浣腸…してください。お願いします―― 「いい子だ」 腕の中で小刻みに震える僚を、強く抱きしめる。 |