Dominance&Submission

手を繋いで

 

 

 

 

 

 恥ずかしさに、消えてしまいたくなる。
 繋いだ男の手に引かれるようにして、僚はよろけながら歩き続けた。踏み出す度に中に埋め込まれたローターが蠢き、解放されないまま押さえ付けられた性器が革に擦られる。
 後方のじれったい異物感と前方の鈍い痛みに、何度も転びそうになり、僚はその度に男の手に縋り付いた。重ねた手にじっとりと汗が浮かぶ。
 僚が歩みを止めれば神取も立ち止まり、再び歩き出すまでじっと待ち続けた。無理に手を引く事はしなかった。

「ご…ごめんなさい……」

 小さく呟く僚に首を振り、神取は優しく微笑んだ。不安に身を縮ませ、今にも泣きそうに眉を寄せた彼を、思わず抱きしめてしまいそうになる。
 そしてそれ以上に、涙を絞りたいとも思った。
 より大きな羞恥を与える方法で。
 僚は俯き、一歩踏み出した。途端に内股が引き攣り、鈍い痛みが下腹に走る。
 歩けないほどではない。
 しかし、出来るならもう帰りたかった。時間帯と、裏通りのせいか、人とすれ違う事はほとんどなかった。それは安堵すべき事かもしれないが、全く逢わないわけではない。男がどこに向かっているのかはわからないが、もしこのまま人通りの多い場所に連れて行かれたらと思うと、気が気ではなかった。
 もしそんな場所に連れて行かれたら、何人かは、きっと自分の異変に気付くだろう。もしかしたら、すれ違う全ての人に知れてしまうかもしれない。

 コートの下に隠した姿を……

 途端に恐ろしくなり、僚は歩けなくなってしまった。繋いだ手をぎゅっと握り締め、俯いて立ち尽くす。

「少し休もうか」

 帰ろうかという言葉を期待していたが、耳に届いたのはその一言だった。
 ぐっと奥歯を噛み締め、僚は首を振った。
 男はまだ、目的を果たしていないのだ。それが済むまで、帰れない。
 僚は羞恥を必死に押し殺し、再び歩き出した男の後をそろそろとついていった。今までどうやって歩いていたのかわからないほど、身体が言う事をきかない。それでも必死に歩き、前後から襲うじれったい刺激に耐えた。
 やがて道は大通りへと抜ける。ひっきりなしに行き交う車の列と、歩道を行く人影に、僚は喉を引き攣らせた。足が竦む。
 立ち止まった僚を振り返り、神取はじっと顔を見つめた。
 何も言わず、ただまっすぐ見つめてくるその眼差しに、僚は息をするのも忘れて見入った。
 そこにあるのは、紛れもなく支配者のそれだ。
 背筋がぞくりとざわめく。
 どんなに嫌だと思っても、最後には必ず従ってしまう強さを秘めた眼差しに見据えられ、僚は思わずごめんなさいと呟いた。
 男の表情がふっと和らぐ。

「もう少し、頑張れるね」

 僚は声もなく頷いた。知らず、目が潤む。
 神取は繋いだ手を握りなおすと、後に続く僚を気遣ってゆっくりと足を踏み出した。時折、背後から切なげな吐息が聞こえてくる。同時に繋いだ手に力がこもり、彼が転びかけた事を知る。
 大通りに出るまで二人は何度も立ち止まり、その度に僚は小さく謝ってまた歩き出した。
 角を曲がり、いくつも連なる店の前を歩く。
 帽子で顔が隠れるよう、僚は深く俯いた。ひたすら地面だけを見つめて歩き、視界に通り過ぎる人の足が入る度びくっと身体を強張らせる。
 呼吸は乱れ、まっすぐ歩く事もままならなかった。
 顔を隠しているせいで、彼らがこちらを見ているかどうかもわからない。だが、顔を上げて確認する勇気はなかった。
 もし、もし彼らが、奇異の目で見ていたとしたら。
 一度疑心暗鬼に囚われると、思考はどこまでも悪い方に傾いていく。
 通り過ぎる人全てが、自分を見て嗤っているように思えた。あるいは蔑みの目で見ている。あるいは…僚は唇を噛み締めた。
 だが、恐怖を感じれば感じるほど、身体は熱い疼きを放ち、昂ぶっていった。
 ついには、自らコートを脱ぎ捨て、衆目に晒してしまいたい衝動にまで駆られ、僚はぞっと震え上がった。自分がわからなくなり、思わず涙を滲ませる。
 もう、苦しい。
 帰りたい。
 早く、楽になりたい。
 こらえきれず名を呼ぼうとした時、男が声をかけてきた。

「ここで、待っていなさい」

 道を折れて住宅街に続く狭い路地に導き、角に置かれた自動販売機の脇に僚を立たせると、神取はそう言い付けた。
 僚はわずかに顔を上げ、不安そうに男を見つめた。

「ここなら滅多に人も通らない。顔を隠して立っていれば誰も気付きはしないよ」

 女物のコートの下は全裸で、ローターを入れた上に貞操帯までつけているなど、誰も気付きはしまい
 僚の顔がぎくりと強張る。
 怒りとも羞恥ともつかない強い眼差しを、神取はにこやかに受け止めた。

「すぐに戻るから、大人しく待っているんだよ」

 幼児に向ける口調で僚に伝い、目を覗き込む。
 確かに今の状態では、立って待っているのが精一杯だろう。
 とはいえ、あからさまに声音を変え伝われるのは屈辱以外のなにものでもなかった。
 それでも、僚は、男の優しい口調に胸を疼かせ、素直にこくりと頷いた。頭は半ば混乱しかけ、今にも泣いてしまいそうになる。
 神取は帽子の上からそっと頭を撫で、するりと手を離した。

「あ……」

 不安が思わず口から零れ出たが、男は振り向く事無く歩き去った。目で追うが、男とすれ違う二人連れに慌てて顔を伏せる。心臓が痛いほど高鳴る。
 今の二人に、見られてしまっただろうか。
 気付かれてしまっただろうか。
 冷静になろうと努め、自分の姿を見つめ直す。顔を見れば男とわかるだろうが、今は帽子で隠している。喉仏を隠すためにマフラーも巻いているのだから、黙って立っていれば気付かれる筈はない。
 気付かれる筈はない
 そうやって必死に、自分に言い聞かせる。
 通りを行き交う人々の足音に耳を傾け、誰もこの道を通る事がないようにと祈りながら、僚は男が戻るのを待った。
 じれったい刺激を受け続けたせいで下半身は重く疼き、感覚が麻痺しかけていた。
 なのに時折突き上げるような脈動が起こり、その度に僚はびくんと肩を弾ませ声にならない声をもらした。
 無意識に両手をポケットに収め、僚ははっとなった。ポケットの中でそろそろと手を伸ばし、太股の外側に貼り付けられた塊を探り当てる。
 受信機だ。
 背筋が凍り付く。
 まさか。
 まさかそんなはずは。
 ごくりと喉を鳴らし、僚は頭に浮かんだ考えを必死になって追い払おうとした。
 意識した途端、今まで麻痺していた感覚は即座に戻り、僚を内側から苦しめた。
 ウズラの卵ほどしかない大きさの塊に、思考がかき乱される。
 神経が全て、そこに集中していくようだった。
 そして、今にも、男が手にしているであろうスイッチが入れられるように思え、僚は気が気ではなかった。
 往来の真ん中ではないが、通りから一歩入っただけで、通りを行く人は少なからずこちらを目にとめるはずだ。ただ視界に入るだけに過ぎないだろうが、それだけでも充分、堪えがたい。
 路地の隅で、性具に弄ばれあられもない声を上げて乱れ狂う自分の姿を想像し、僚は激しく混乱した。内股が引き攣れるように痛む。
 一刻も早く男が戻る事を祈った。
 しかし、その祈りは儚く崩れ去る。
 後方から、二人以上の足音が近付いてくるのに気付き、僚は息も止まらんばかりに驚き肩を強張らせた。振り向いて確認する事など、出来るはずもなかった。ただひたすら、早く通り過ぎてくれる事を祈るばかりだった。
 足元に視線を落とし、おしゃべりをしながら近付いてくる彼らに全神経を集中する。
 若いカップルだった。
 彼らに集中する余り、僚は、今立っている路地が見える場所…通りの向こうにいる男に、全く気付いていなかった。

 

 車道を挟んだ向かいの通りに神取は立ち、僚と、その横を通り過ぎようとしているカップルを見ていた。ポケットに忍ばせたローターのスイッチを握り、タイミングを計る。車道は一車線ずつしかない為、僚の様子は手に取るようにわかった。
 カップルが三メートル程の位置にさしかかったところで、神取はスイッチを入れた。僚の肩がわずかに跳ねる。
 神取は思わず笑みを浮かべた。それからゆっくりと歩き出す。

 

 祈りも虚しく、あともう少しで二人が通り過ぎるという時に、僚の内部に埋め込まれた性具は指令どおり振動を始めた。
 思わずもれそうになった声を噛み殺すがしかし、肩の震えは止められなかった。
 不意に冷たいものを首に押し付けられたかのように肩を跳ねさせ、僚は更に深く俯いた。
 身体の深奥で、ローターが微かな音を立て振動している。外に漏れ聞こえる事はないが、全身で受け止めている僚には、その音は何倍にも膨れ上がって聞こえ、近付いてくる二人の耳に届いてしまうのではと焦りを抱いた。

 頼むから、早く通り過ぎてくれ――

 乱れる息を必死に飲み込み、それだけを繰り返す。
 そんな事にはお構いなしに、ローターは規則正しい振動を続けて僚を苦しめた。
 極度の緊張に苛まれているにも関わらず、僚の身体は確実に絶頂に向かっていた。気付いたのは、今まさに二人がすれ違おうとしている時だった。陰部を覆う革の下で、一度は鎮まりかけた熱が、後方からの刺激によって再び硬くそそり立つ。
 大きな脈動と共に。

「あっ……」

 今度は、声を隠せなかった。僚とすれ違った二人組みが、声に気付いて振り返った。勿論、僚がそれを見る事はなかったが、自分がどれだけの声を出したかはわかっている。彼らが気付かないはずがないくらいの、大きな声だった。不審に思い、振り返っているに違いない。
 全身から血の気が引いていく思いだった。見えないにも関わらず、二人からの突き刺すような視線を感じ、僚は今にも逃げ出したい気持ちをぐっとこらえなんでもない風を装った。
 そうやって彼らに、自分たちの空耳だったと思わせるよう努めた。
 しかしもう、直立を保っているのは限界に近かった。今にも、達してしまいそうなのだ。
 後方からの刺激に急速に上り詰めたそこは、痛いほどに硬くそそり立ち、背中を後押しする一撃を待っている。
 自分自身にぞっとする。
 こんな、人の目に触れる場所で達してしまうなんて、考えるのも恐ろしかった。そして同時に、その事に言葉に出来ない興奮を味わう。
 頭は激しく混乱し、ただひたすら、男が戻ってくるのを待つ。
 不意に、振動が一段強まった。

「うっ――」

 苦しげな呻きを発し、僚は身体を屈めた。
 その頃にはカップルも遠くに歩き去っていて、僚の異変には気付かなかった。
 しかし今の僚にそうと考える余裕などあるわけもなく、すぐそこに立っている二人がまだ自分の事を奇異な目で見ているという、恐怖に縛られていた。
 信号を渡り、神取はゆっくりと僚に近付いていく。途中、僚の横を通り過ぎたカップルとすれ違う。しきりに話し合っているのは、どうやら、すぐそこの路地で見かけた不審な女性の事らしかった。
 片方は、どこか具合でも悪いのではないかと心配し、もう一方は、それに同意しつつ気味が悪いと顔をしかめていた。
 大事なパートナーに、なんてひどい事を。
 神取は心の中で密かに笑った。見知らぬ他人にそう言わせたのは、他でもない自分なのだ。今ごろ僚は、どんな顔であの路地に立っているだろう。
 ゆっくりとした足取りで、神取は戻っていった。
 自動販売機の陰に隠れるようにして、僚は俯いたまま立っていた。
 遠目には人待ち風に見えるが、近付いてみると、明らかに様子がおかしかった。
 事情を知らない人間には、具合を悪くして苦しんでいるように見えた。少し前屈みになって、浅い呼吸を繰り返している。
 更に近付けば、唇がかすかに震えているのが目に入った。
 僚の視界に、近付いてくる足元が飛び込んだ。一瞬ぎくりと凍り付き、すぐにそれが男のものであると理解し安堵する。詰めていた息を肩でつき、全身を弛緩させる。無意識に涙が滲んだ。

「僚」

 名前を呼ばれ、ぎこちなく仰のく。
 赤く潤んだ瞳が、まっすぐ男を捕らえた。

「も…止めて……お願い……」

 わななく唇から、やっとの思いで言葉を紡ぐ。

「目が赤いね。どうかしたのかい」

 優しく微笑み、白々しい言葉をかけてくる男に僚はもう一度お願いした。
 濡れた睫毛が、かすかに震えていた。

「どこか具合でも悪いのかな」

 しかし、再度のお願いも無視して神取は首を傾げた。
 聞き入れてもらえない事に、僚は悲しそうに顔を歪ませた。
 神取は通りから僚の姿が見えないよう身体で遮り、路地に人通りがない事を確認すると、コントローラーのつまみをもう一段強くした。柔らかい内壁に包まれたローターが、奔放に跳ね回る。

「!…」

 寸でのところで叫びを飲み込み、僚はポケットの中で両手を握り締めた。
 神取はやおら手を伸ばすと、僚の股間を強く圧迫した。
 コートによって幾分弱まった力は、僚の身体が待ち望んでいた一撃となり、絶頂をもたらした。

「あぁっ――……」

 かすれた悲鳴を上げ、僚は陰部を包み込む革の中に白液を吐き出した。
 神取はローターのスイッチを切った。ゆっくりと手を離し、僚の顎をすくう。

「いったのかい?」

 答えはなかった。絶頂の衝撃に涙が溢れ、とてもすぐに答えられる状態ではないようだ。もう一度訊くと、僚はかすかに頷いた。

「こんな場所で」

 その言葉に、僚は目を逸らした。
 新たに涙が零れる。
 僚はしきりにごめんなさいと繰り返した。追い詰めた本人に何度も謝る。それしか言葉が出てこなかった。

「私の許しも得ずに、こんな場所でいくような悪い子には、お仕置きが必要だね」

 逸らしていた目を戻し、僚は怯えた眼差しをぎこちなく揺らし男を見た。
 微笑みの中に支配者の貌を隠した男を。

「ごめ…なさい……」

 瞳には怯えが色濃く浮かんでいたが、心なしか、悦んでいるようにも見えた。

 

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