Dominance&Submission

手を繋いで

 

 

 

 

 

 傍目には、どんな風に映っているだろうか。きっと、おかしな二人組みと思われている事だろう。
 しかし今の桜井僚には、それを考える余裕はほとんどなかった。
 冬も近い秋晴れの小道を、神取鷹久と手を繋ぎ転ばないよう歩くのが精一杯だ。
僚の足取りはかなり遅かった。そして心なしか、ふらついているようにも見えた。
 長めのコートに薄茶のマフラー、ベージュの広つば帽子を目深に被り、しきりに足元を気にしながら歩いている。だが、怪我を負っているわけではない。
 手を握ってもらい、ゆっくりと、足元を気にしながら歩かなければならない理由が、彼にはあった。
 僚は俯いたまま目だけを上げ、一歩先を行く男の後ろ姿を恨めしそうに睨んだ。

 

 

 

 昨日の金曜日、男はまた一つ歳を重ねた。
 その記念にと、男は僚に、ある曲の演奏をねだった。彼がいつか完璧に弾きたいと切望する無伴奏。これまでの成果、その出来栄えを、是非聞かせてほしいと望んだ。
 僚は喜び勇んで引き受け、練習に練習を重ね、不完全ではあるがと前置きして男に披露した。
 チェロを初めて半年、充分過ぎるほどの出来だった。
 無論まだまだ改善すべき点はあるが、お互い満足のいく仕上がりだった。
 神取は、これまでで一番素晴らしい贈り物を貰えて満足だった。
 僚は、喜んでもらえる事に心から満足した…が、これだけでプレゼントとするには、少々納得がいかなかった。寂しい気持ちがした。
 他に何か欲しいものはないのか。
 いち高校生が、おこがましいとは思いながらも、尋ねる。

――一度やってみたい事なら、あるのだが

 協力してくれるかと聞いてくる男の貌をよく見ずに、僚は承諾した。してしまった。
 直後、たくらみを含んだ顔で笑う男に、遅れて後悔する。
 神取は緩く笑い、明日、少し付き合ってほしいと僚に言った。
 夜は静かに更けていった。

 

 

 

 翌朝、土曜日の今日、空は快晴だった。
 目覚めた瞬間から僚は、昨日の不穏な約束に悩まされた。
 一方の神取は、素知らぬ顔で朝食を振る舞い、いつも通りお喋りを繰り広げた。最近の学校の様子、この先の行事、授業で躓いているところはないか等、尋ねた。
 始めは警戒していた僚だが、お喋りを進める内次第に薄れてゆき、実はちょっと苦手としている箇所があるのだ、と零した。
 朝食後、食休みとソファーに移って、お喋りを続けた。
 いつでも、真剣に話に耳を傾け、それでいて言えない事は決して詮索しない男に甘え、いくつか吐露する。
 話し終えると、いつものようにすっきりした気持ちになっていた。
 僚はソファーにもたれ自然に目の向くまま窓の外を見た。食後に振る舞われた、好みにぴったり合ったコーヒーをひと口啜り、朝の日射しを少し眩しげに見やる。
 半分ほどになったところで、カップを大きく傾け一気に飲み干した。
 やや置いて神取は口を開いた。いつもの牛乳と、少々の買い物をしたいので、一緒にどうかとの誘い。

「よかったら、少し外を歩かないかい」
「うん、いいよ。天気もいいし――」

 何気なく頷いてから、僚ははっと目を見開く。男が昨日言っていた事、付き合ってほしい事に、遅れて思い至る。
 僚の表情の変化で察した神取は、小さく笑い、首を傾けるようにして彼を見た。

「ただ歩くだけではつまらないから、君さえよければ、少し準備をしたいんだが」
「……何を、するんだ?」

 そう返した後、男の顔に不気味なほど穏やかな笑みが浮かぶのを見て、僚は嫌な予感が過ぎるのを感じた。

「少し、恥ずかしい思いをしてもらう。いいかい?」

 案の定、予感は的中した。

「嫌な事じゃなきゃ…別に」
「構わないかい」

 そっぽを向いて頷く。よからぬ事を考えているのは顔を見ればわかるが、それを避けたいと思いながらも、心のどこかでたくさんの言葉を…浴びせられたいと密かに思っていた。

 

 

 

 男に促されて寝室にやってきた僚は、下を全部脱いで壁に手をつくよう言われ、躊躇いつつもジーンズを下ろし、武器の所持を確かめられる容疑者よろしく壁に手をついた。
 恥ずかしさと少々の不安を振り払おうと、天井を仰ぎ見る。
 晒した尻を鞭で打たれるのだろうか。
 それとも、いきなり突っ込まれるのだろうか。
 男の性格を考えればそんな事は絶対にないが、無防備に背中を向けているのは少なからず恐怖を煽った。

「何……するんだ?」
「怖がらなくていい。これを入れるだけだから」

 そう言って、僚の視界にあるものを差し出す。それは、ピンク色をした親指大のプラスチックの塊…ローターだった。
 まさか…僚の中である推測が巡る。

「ただ歩くだけではつまらないから、少しスリルをと思ってね」

 思ったとおりだった。
 僚は強い目で男を見やった。

「君が嫌なら、やめるよ。どうする?」

 男が手にするものからぎこちなく目を逸らし、僚は口を噤んだ。首を振り、震える声でお願いしますとだけ言う。
 男はいつも、選択を僚に任せていた。
 逆らえないわけではない。逆らって、ひどい目にあう事もない。選ぶのは自由なのだ。
 それでも僚が男にお願いをするのは、見て欲しいからだ。自分を隅々まで知って欲しいからだ。
 どんなに恥ずかしい思いをしても、それを理由にからかわれても、そうする事で男が喜ぶのなら、僚にとってもまたそれは歓びなのだ。だからお願いをする。

「いい子だ」

 僚のお願いに、神取は耳元で短く囁いた。

「……うるさい。早くやれよ」

 好きだよと囁かれ、僚は顔を真っ赤にしてぶっきらぼうに言い放った。好きという言葉を臆面もなく口に出来る男に、意味もなく腹を立てる。
 素直に喜べない自分にも。
 そんな僚の反応に神取は楽しそうに笑いながら、手にしたローターで脇腹をくすぐった。

「本当だよ。わかってくれるかい」

 身をよじってよける僚の顔を覗き込み、神取は尚も好きだよと繰り返した。

「わ…わかったよ」

 応えている自分に目がくらくらする。僚は半ばやけになって頷き、強い顔をして見せた。
 男は全く動じず、くすくす笑いながら視線を受け止める。

「入れるよ。力を抜いて」

 言葉と同時に、返事も待たず後方に手を持っていく。
 僚は慌てて息を吐いた。小さな口にプラスチックの塊が押し当てられる。
 つるんとした表面はほとんど抵抗もなく僚の口をこじ開け、徐々に内部へと入り込んでいった。
 少しずつ侵入してくる塊に、思わず声を上げてしまいそうになる。僚は意識して口を噤み、ローターが収まりきるのを待った。
 神取は指が届くぎりぎりまでローターを押し込むと、ゆっくりと指を引き抜いた。途中、入口近くのある一点を指先で抉り、閉じた僚の口から短い喘ぎを上げさせる。
 思った以上に敏感な反応に、神取は口端を緩めた。

「痛くはないかい?」

 平気だと僚は頷いたが、体内に収まったそれは目にするよりもずっと異物感が大きく、深奥ではっきりと存在を主張していた。心なしか頬が熱い。
 僚は壁から手を離し、ゆっくり男を振り返った。服を着ていいものかわからず、所在なげに立ち尽くす。
 頬だけではない。身体も熱かった。埋め込まれたそこから、じわじわと熱が広がっていくようだった。
 神取はベッドサイドのチェストから透明なテープを取り出すと、ローターから伸びるライターほどの大きさの受信機を、僚の太股に貼り付けた。そしてクローゼットから一着のコートを手に取り、僚に差し出す。

「上も脱いで、それだけを着なさい」

 驚きの余り、声もなく叫ぶ。

「今日は暖かいから、コートだけで充分だろう」

 神取はその言葉で言い包める。
 男が寄越すものだから、それが上質なものであるのは容易に理解出来た。しかし問題はそこではない。
 神取は、受け取ったきり動けなくなった僚に構わず、一旦コートを預かると、着ているものを脱がしにかかった。

「っ……」

 非難の声を上げかけたが、結局僚は男の言うとおりに従った。全裸になり、コートをひったくる。
 しかしいざ羽織ろうとして、ためらいが生じた。
 上げかけた手をおろし、伝い辛い言葉におずおずと男を見上げる。

「どうした。どこか具合でも悪いのかい」
「ち…ちがう」

 こちらが何故戸惑っているかわかっているだろうに、わざと意地の悪い物言いをする男にもどかしさを感じながらも、僚は伝えない言葉に途方に暮れた。

「君に似合うと思って、買っておいたんだ。ものは悪くないよ。とても軽いのに、ちゃんと暖かいんだ」

 そんな僚の様子を心の中で愉しみながら、神取はコートを着せようと手を伸ばした。

「ま…待って……あの……」

 慌てて身をよじり、今度こそ言おうとしてまた失敗する。
 眼差しで訴えて来る僚を見つめ返し、これ以上苛めるのも可哀想かと、神取は彼が飲み込んだ言葉を誘導した。

「コートを着るのに、何か不都合でもあるのかい?」

 すぐには答えない僚の顎にすっと指をかけ、自分の方に向けさせる。
 表面上は穏やかに微笑んでいる男をまっすぐ見る事が出来ず、僚はやや伏目がちにちらりとかすめ見た。それから、ぎこちなく頷く。

「どうして?」

 子供に対するように優しく、神取は問いただした。無論、聞くまでもなくわかっている。
 僚も、わかっている。
 外で何をされるのか、それでどうなってしまうのか。その時に、コートを汚してしまうのを恐れ、動けなくなっているのだ。
 それを僚の口から言わせる為、神取はゆっくりと誘導した。

「どうしてなのか、言ってごらん。僚」

 もう逃れられないと観念し、僚は宙を漂わせていた視線を男に戻し、つかえながら答えた。

「コート……汚したくない…から……だよ」
「確かに今日は陽気もいいが、風は冷たいよ。汗をかく事はないと思うんだが」
「……」

 誘導されているのは、僚もわかっていた。男はどうしても、こちらの口から言わせたいのだ。それもわかっている。言うまで解放してくれない事も。
 顎にかかる男の指が、幾分熱く感じられた。
 目が眩む。
 どうしてこんなに恥ずかしい思いをしなければならないのだろう。
 僚は心密かに男を恨んだ。しかしだからといって、ただ優しくされるだけは、物足りなく思うのだ。
 消えてしまいたいほど恥ずかしい目に逢わされても、また、同じ思いを味わわせて欲しいと望んでしまう。矛盾を塗りつぶしてしまうほど強い力を、男は持っていた。
 それは眼差しや言葉に、表れる。

「僚」

 静かに名を呼ばれる。その途端、外気に晒された自身が大きく疼き、僚は声にならない声をもらした。
 そう。僚が拒んでいる原因はこれだ。ローターを埋め込まれただけで、普段とは明らかに異なる姿に変わりつつあるこれのせいで、ろくに返事すら出来なくなってしまったのだ。
 疼きは不規則に続いていた。
 恐らくは、目に見えてはっきりと勃ちかけているだろう。もし、男の目にとまったら、何を言われてしまうだろう。興奮とも恐怖ともつかぬ息の乱れに、僚は胸を喘がせた。
 神取は、視線を僚に向けたまま、もう一方の手をさりげなく下腹に伸ばしやんわりと握った。
 僚の身体がびくんと跳ねる。
 腰を引いて逃げようとするが、まっすぐ向かってくる男の眼差しがそれを許さない。

「う…」

 僚は小さく呻いた。

「少し、硬いね」

 手触りを確かめるように指を這わされ、僚は真っ赤になって顔を背けた。

「どうしてだろう。まだ、何もしていないのに」

 白々しい台詞にも、怒るより先に羞恥が沸き起こり、僚は何も言えず立ち尽くしていた。
 途方にくれる僚を見つめ、神取はくすくすと笑った。
 耳をくすぐる吐息に、身体を縮ませる。
 嗚呼、消えてしまいたい。

「さ…わんな……」

 それだけを口にするのが精一杯だった。

「触られるのは嫌いかい?」

 聞き返され、僚は口を噤んだ。ちらりと顔をかすめ見ると、男は心底楽しそうに笑っていた。色んな感情が一気に沸き起こり、一瞬、目の前が真っ白になる。

「嫌いなら、手を離すよ」

 俯き、僚は首を振った。かすれた声で嫌いじゃないと告げる。

「なら、もっと触ってあげようか」

 言葉と共に唇を塞がれる。あっと思う間もなくキスを受け、舌を絡め取られる。
 互いの唾液が卑猥な音を立て、その間も男の手は休む事無く僚を追い上げた。

「ん…んん……」

 耳を打つ湿った音に、身体の芯がかっと熱くなる。下腹を弄くる男の手に、僚は我を忘れて腰を振った。男の口内に導かれ舌の裏側を舐められると、それだけでとろけてしまいそうになる。徐々に追い上げる男の手に従って、僚はのぼりつめていった。
 しかし、盛り上がった波の半ばで神取は唐突に手を離した。先端から雫を溢れさせ、硬く張り詰めた僚のそれは不満を露わにしてゆらゆらと揺れ、時折びくんとわなないた。

「ん…ふ……」

 吐息をもらし、僚は間近にある男を見上げた。すっと顔が離れる。二人の間で唾液が糸を引き、僚は慌てて手を振り上げた。
 神取は視線を落とすと、僚の下腹で震えを放っているそれを手の中に握り込み、指が濡れるのも構わず先端の淡い窪みを親指で刺激した。

「っ…あ……」
「こうなって、コートを汚してしまうのが嫌だったんだね」

 円を描いて擦られ、襲ってくる刺激に声を噛み殺しながら僚はかすかに頷いた。

「一回着て終わりにしてしまっては、もったいないね」

 握っていたそれを先端に向かって撫で上げ、濡れた手指をサイドボードの上にあるティッシュで拭うと、クローゼットを開け、奥のチェストから何かを取り出した。
 軽い鎖の音が僚の耳に届く。背を向けていた男が振り返り、手にしたあるものを見て僚は我が目を疑った。
 陰部を覆い隠すだけの大きさしかない革と、それを腰で固定する為の四連の鎖で出来たそれは…ショックに言葉を失う。
 神取は茫然と見つめる僚の前で膝をつくと、取り出した貞操帯を手際よく装着していった。
 冷たい鎖の感触で我に返った僚は、本来なら女体を戒める為のものを身に付けさせられた屈辱感と、異常とも言える己の姿に羞恥心を募らせ、呼吸もままならないほど混乱してしまった。

「な……」

 言葉も満足に喋れない。完全に勃起した自身を革で押さえ付けられ、じりじりとした疼きとも痛みともつかぬ痺れが下腹に広がる。
 驚きの表情を顔に貼り付けたまま微動だにしない僚を、神取は無理やり鏡の前に引き立てその姿を見せつけた。

「!…」

 鏡に映る己の姿に、僚は目を見開いた。太股に絡み付いたコードと、ローターの受信機。全裸に女性用の貞操帯だけを身に付けた、はしたない自分の姿。
 視線が、ある一点に釘付けになる。
 革の表面に走る艶が、そこに隠した僚の輪郭をくっきりと浮き上がらせている。

「よく似合っているよ。こうしておけば、粗相をしてしまってもコートを汚す心配はない」

 驚愕のまま凍り付いた僚とは対照的に、神取は鏡の中で穏やかな微笑を浮かべた。上げた手で僚の頬に触れ、少しずつ下に這わせて目で追わせ、最後に下部に触れる。
 止める事も出来ず、僚は革越しに性器を撫でられ熱い吐息をもらした。

 いやらしい形に光っている

 耳元でそう揶揄され、息を引き攣らせる。

「さあ、コートを着て」

 今にも泣きそうに顔を歪めた僚の肩にコートを羽織らせ、抱きしめるように背後から手を回し一つ一つボタンを止めていく。
 袖を通したコートは、男の言うとおり軽く暖かかったが、今の僚にそれを感動する余裕はなかった。
 違和感に気付かない僚にコートを着せ終え、神取は心の中で密かに笑った。足首まで届く、ラインのすっきりしたボルドーのコートは、実は女物なのだ。
 だが、思った以上によく似合った。
 次いでマフラーを巻き、最後につばのある帽子を目深に被せる。間近では男とわかるが、傍目にはそうとわからないくらい、性別をごまかせるほどにはなった。
 パートナーに女装をさせる趣味はないが、一度くらいなら、化粧をさせて外を歩かせてみたくなる。そんな悪戯心をくすぐる魅力が、僚にはあった。
 本人にしてみれば、この上もない屈辱に違いないだろうが。

「少し、外を歩こうか」

 僚の頬を撫で、下ろされた手を握る。
 羞恥に潤んだ目を上げて、僚は男を見つめた。

 

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