Dominance&Submission

夜を貪る

 

 

 

 

 

 風呂の前にトイレに寄った際は、さして何も思わなかった。もっと言えば、あの翌日の朝風呂の時も、昨夜風呂に入った時も、特に気にする事はなかった。
 朝風呂の時は、朝から一人贅沢に外を眺めながらのんびり湯に浸かる事に気持ちがいっていたからだろう。
 昨夜は昨夜で、農園で目一杯特技を披露し、男に喜んでもらえた嬉しさと興奮から疲れて、思う余裕がなかったのだろう。
 今日も、朝の内は連休明け特有のだるさがあったがじき晴れた。
 だからだろう、とても気になるのは。
 僚は、浴室内の防湿鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめ、下腹にそっと手をやった。指でなぞるとわずかに引っ掛かりを感じるが、見る限りは綺麗に無毛だった。
 あらためて、こんな事をしたのだなと実感に見舞われる。
 行為の最中、夢中になるあまり引っかいてしまった辺りを恐る恐るさすってみた。あの後男がすぐに綺麗に洗い流し、薬と保護テープで丁寧に処置してくれたお陰か、痕も痛みもない。

「……つるつる」

 ぼんやりと鏡を見つめ、僚は半ば無意識に呟いた。

――終わったよ

「!…」

 男の声が聞こえた気がして、はっと目を瞬く。同時に痛いほど鼓動が高鳴った。見えない爪で胸を引っかかれたようだ。
 覆い隠すもののない奇妙に白い下腹に、目が釘付けになる。自分の他に男の視線もあるように感じられ、僚はごくりとつばを飲み込んだ。
 あの時男がしたように、根元から先端まで軽く指を滑らせてみる。もう一度、もう一度。
 一度目はただむず痒く感じただけだったが、二度目で背中がぞくりと疼き、三度目ではっきりと劣情が弾けた。そのまま耽りたかったが、気付くと手はへその辺りを押さえていた。ここだけでなく、全身が苦しかった。どこがどう苦しいのかもわからないほどだった。
 男にお願いして、初めて浣腸してもらった。つい二日前の事だ。
 どこもかしこも苦しくなったけど、やっぱり全然違う。何から何まで大違いだ。好きでもないのに無理やりしていた頃の、かつての苦痛が不意に身を襲い、涙が出そうになる。僚は慌てて鼻を啜った。
 どうしてあんな事をしてしまったのだろう。
 どうしてあんな事に逃げたのだろう。
 でもあの時は他に、どうにもしようがなかった。ただ、真っ白に塗りつぶされる瞬間が、欲しかった。
 男はそれを、塗り替えてくれた。
 僚は唇に手をやった。指先で軽く摘まみ、男とのキスに酔い痴れる。するとまた、今度は立ったまま後ろから抱かれている自分が脳裏で閃いた。
 僚は鏡と向かい合い、背中に意識を集中させた。最中の、背中にかかる男の吐息が思い出されたからだ。自分を貪って興奮する息遣い、肌にかかるその熱さが鮮明に蘇り、いっとき呼吸が引き攣る。大きく息を吸い込み、唇を引き結ぶ。ろくに触っていないのに、先端に涎がにじみ出ていた。潤む目を何度も瞬いて、僚は少し乱暴に下腹を掴み取った。違う、乱暴なんじゃない。男の手は乱暴とは違う。あの力強さは独特で、一気に自分を燃え上がらせる。
 僚は懸命に男をなぞり、妄想に没頭した。腕も脚も、身体中が引き攣って立っているのもままならなくなる。慌てて鏡の横に手をついて支え、もう一方の手で男がしたように指を絡めて煽る。ゆっくり上下に動かすと、あの時と同じように下品でいやらしい音が浴室に満ちて、首の後ろがぞくぞくっと疼いた。鼓膜を犯す音に全身がかっかと熱くなる。たまらずに僚は下腹を弄る手を速めた。

「っ……」

 今にも声がもれそうになり、慌てて歯を食いしばる。浴室の小窓から出ていかないように、強引に飲み込む。
 またしても記憶がぱらぱらとめくられ、椅子の上で繋がった記憶が蘇った。
 丁寧に、時々意地悪を交えて、男は中をほぐしてくれた。二本の指で思うままに操る男の巧みさに翻弄され、瞬く間に追い詰められた。もっと太くて硬いもので満たされ、何も考える余裕もないほど支配される事を望んだ。

 

 椅子に座った男に抱き付くようにして、後ろに受け入れた。肌がぴったりとくっついて、中は男のものが隙間なく埋め尽くしていて、全身がのぼせたようにたまらなく心地良い。内部で時折男のものがびくびくとわななき、腰が抜けそうになった。不規則な脈動を感じる度脳天が痺れて、幸せな気持ちになる。狭い孔を一杯に拡げられ、苦しいしきついけど、その、とろけてしまいそうな鈍い痛みがしようもなく快かった。男に抱かれているというのが身体じゅうで感じられ、幸せでたまらなくなる。
 男は肘に脚を抱え、ゆっくりと揺さぶり始めた。

「あっ…ああ…あ、あ、あ……」

 奥深くを熱く硬いもので擦られ、僚は高い声で喘いだ。もうずっとこのままでもいい、このままでいたいと抱き縋る。繋がった部分から粘膜が擦れる卑猥な音がして、いっそう気持ちを昂らせた。恥ずかしさと気持ち良さに顔を真っ赤にして浸り、ひたすら男を貪った。何もわからなくなる、真っ白な瞬間が目前に迫ったところで、男は不意に動きを止めた。あと一歩のところで取り上げられ、怒りと不満が体内で逆流する。

 

「………」

 その時のもやもやと溜まる不快さを思い出し、僚は喉の奥で唸った。
 中断の後、テーブルの上での自慰を強制された。
 また小さく唸る。

 

「見せてごらん」

 神取は自分で脚を抱える格好を取らせると、不満げな眼差しで見上げてくる少年に支配者の貌で微笑んだ。

「右足は私が支えていてあげるから、始めなさい」

 膝を押さえ、開放した右手を下腹へと誘う。
 僚は頭をわずかに持ち上げ、自分の左右を確認した。ダイニングテーブルは広く、自分の上半身を乗せておくだけの余裕はある。だからといって、素直に従うにはひどく抵抗があった。本当にこんなところでしろというのかと、男の顔を見上げる。

「さあほら、手を動かすんだ」

 いっそ優しい微笑みを浮かべ、神取は促した。テーブルの真上にある灯りが目を突きさす。僚は泣きそうに顔を歪め、恐る恐る触れた。恥ずかしさと情けなさが交互に襲ってくる。しかし、触れた下腹は心待ちにしていた再開に喜び、素直に反応した。中断され、一旦は鎮まりかけた熱が瞬く間に燃え上がる。
 こんなところで、こんな事をするなんて。
 僚は男から目を背けた。それでも、全身に注がれる視線は感じ取れた。あまさず見ている男の眼差しを思うほど、身体は鋭敏になっていった。こんなところで、こんな事をしている情けない自分が、恐ろしいほど気持ち良かった。恥ずかしさが心地良かった。
 息を乱し、僚は自慰に耽った。

「ああ、気分が乗ってきたようだね」

 滑らかに動くようになった手を嗤う男の声に、僚は反射的に膝を閉じようとした。

「う……」

 しかし、男の手によって阻まれる。決して乱暴にはしないが、有無を言わさぬ力で開かされ、僚は小さく呻いた。恥ずかしさに胸が疼いた。しかし同時に、支配される悦びが胸を抉った。どちらのせいで胸が痛いのか判別がつかない。
 僚は半ば無意識に首を振った。その間も、扱く手を止めない。

「恥ずかしいなら、目を覆っていてあげよう」
「……あ」

 男の片手が瞼に置かれる。暗くなった目の前に、僚はきつく眉根を寄せた。目を閉じた事で、余計に苛まれると気付いたからだ。自分の匂いと音、興奮しているいやらしい匂いと、粘膜を擦るいやらしい音が、同時に自分を苛む。

「あぁ……あ」

 僚はわなわなと唇を震わせた。こんなところでなんて事をしているのだろうと、頭の後ろがひやりと冷たくなる。それが余計に興奮を煽った。

「気持ちいいかい」
「うん……すごく」

 僚はぼんやりした声で応えた。暗転の中に、自分の性器が浮かび上がる。自ら恥ずかしい事をしているのに、止められなかった。

「だろうね、涎が溢れてきている」
「やだ……」
「君の手もすっかり濡れているね。とてもいい音がする」
「やめろ……」

 僚は首を振り立てた。声から逃れようと脚に力を込めるが、やはり叶わなかった。ああ、と濡れた声をもらし、しゃくり上げる。本当はひどく興奮していた。男に押さえ付けられ、自慰に耽る様を見られて、今にも身体が弾けそうに昂る。
 男に支配される自分が、情けない姿を晒す自分が好きだからだ。

「僚はそうやって、自分を苛めるのが好きなんだね」
「あぁっ……」

 喉が引き攣って上手く答えられない。代わりに頷き、僚は泣きたくなるほどみっともない姿を晒した。
 男の声は続いた。どこがどんな風に変化していくか口にして、僚を追いつめる。
 音と匂いだけでもたまらないのに、言葉にされ、興奮はいや増す。
 顎を上げて呻き、僚は尚も擦り続けた。中断され、放っておかれる後ろが疼いてたまらなかった。男に聞かれずとも口に出し、どんな風になっているかありのまま答えた。

「だから、早く……入れてほしい」

 もじもじと腰を揺すって訴える。僚は抱える手を尻にずらし自ら開いた。孔が引っ張られて余計疼きは増し、しかしどうにも出来ず、もどかしさにぐすぐすと鼻を啜る。

「いけたら、入れてあげるよ」

 優しい男の声に僚は小さく震えを放った。

「ほんと……?」
「ああもちろん。いく時はちゃんと言うんだ。約束できるかい」
「できる……もう、も……もう、いきそ」

 腰から下がひどく熱く、溶けそうだった。擦る手を速め僚は没頭した。感じるままに声を出し、繰り返し男の名を呼んで、浸り、貪る。
 何度目かの時、唇に柔らかいものが触れた。男にキスされたのだとはっとなると同時に身体がぐうっと持ち上げられる錯覚に見舞われた。舌を舐め合っていると、まるで抱かれている時のように身も心も幸せに包まれ、たまらない満足感が押し寄せてくる。

「あぁいく……いく!」

 男の唇を食みながら叫び、僚は激しく胸を喘がせた。

 好き、好き――

 

「――!」

 背骨を引き攣らせ、僚は熱を開放した。声を、呼吸さえも止める勢いで抑え込み、最後の最後まで白いものを絞り出す。
 手を離すと同時に息も吐き出し、長い距離を走り抜いた後のようにぜいぜいと肩で息をする。落ち着いたところで深くため息をつき、記憶を貪るのをやめる。
 その後は極力何も考えないようにして湯船に浸かり、髪を洗い身体を洗い、浴室から出る。
 瞬く間に洗面所に満ちる石鹸の匂いに、自然と頬が緩んだ。

 

目次