Dominance&Submission

出会い編

 

 

 

 

 

 服が乾くまでの間と渡したバスローブを着込み、ソファーに座り小さく縮こまっている僚に、ふと笑いが零れる。
 神取は静かに隣に腰を下ろした。
 僚は俯いたままだ。
 頬へそっと手を伸べた。
 果たして彼はびくりと過剰に反応した。一旦手を止め、それからゆっくり触れ、自分の方に向くよう力をこめる。無理やりにではなく、あくまでそっと、意思を伝える。
 少しの抵抗の後、僚は顔を向けた。
 顔を寄せる。その時も僚はびくんと身を強張らせた。緊張が解けるまで待って、接吻する。
 静かに、ゆっくり、彼の中に入り込んでいく。
 怯えや怖さがなくなるよう、神取は丁寧に触れた。
 僚の肩から力が抜ける。
 それからもうしばらく触れ合って、神取は触れた時と同じように静かに顔を離した。

「どんなに口で言ったところで、実が伴わないのでは意味がない」

 見やってくる僚の目は、心持ち潤んでいた。

「証明しよう。私の全てを見せるから、君も、全てを見せてほしい」

 おいで…神取は手を差し伸べた。
 眼前に差し出された手を、僚は握り返した。
 神取はにこりと笑い、寝室へと誘った。
 ベッドに座り、自分にもたれさせる形で僚を抱き寄せる。腕にしてあらためて、彼の痩せた具合を知った。
 バスローブの帯を解き、肌蹴て、肌に目をすべらせる。
 胸、腹、肩、背中、尻、脚を見渡し、なんだ…わざとがっかりした声を出してみせる。

「あんなに言うから、どれほどひどいものかと思ったが、傷なんてどこにもないじゃないか」

 全く無い訳ではない。よく目を凝らせば確かにいくつか見つかるが、彼が心配するような醜い傷跡など、一つとしてない。場違いに、若さに感心する。四月のあの日、彼の身体を覆っていた傷や痣は嘘のようにきれいさっぱり消えていた。あんなにひどかったのに。思い返すと背筋が震えた。左肘にあったかさぶたは、少しだけ白い皮膚となって、もうすっかり痕跡はない。
 よかったじゃないか。神取は言葉をかけた。
 僚は弱々しい声でごめんなさいと呟いた。
 腕の中で竦み上がる少年を抱きしめ、神取はゆっくり頭を撫でた。
 やがて、ほんのわずかに僚は力を抜いた。少しは安心出来たようだ。
 神取はほのかに笑んで、耳元でじっくり囁く。

「でも……好きでもない事をしてあんなに自分を苛めるなんて、いけない子だね、君は」

 流し込まれる低音に僚はぞくりと背を震わせた。

「っ…ごめん、なさい」

 許しを乞う言葉が口から自然に零れる。
 神取は背後から回した手でそっと頬を撫でた。

「許してほしい?」

 小さく頷く。

「もう嘘はつかない?」

 また頷く。

「もうしない……」
「いい子だ。では、よく反省できるように、お尻を叩いてあげよう。いいかい?」

 振り返った僚の目はとろんと潤んでいた。
 内心密かに笑う。素質がある。支配される、服従する事に嫌悪はないようだ。
 わずかに怯えを含んだ声が聞こえてきた。

「お尻……叩く?」
「悪い子には、お仕置きしないとね。少し痛い思いをしてもらうよ。いいかい?」

 目の動きや仕草を慎重に観察する。痛い思いという言葉に僚は慄いたように瞳を揺らしたが、逃げ出そうとはしなかった。じっと目を見続けていた。男も見つめ返す。ここから何かを見出そうとするならば、いくらでも明け渡す。こちらの真意を、読み取るといい。傷付ける為に叩くのではない。やがて僚はこくりと頷く。

「では、お仕置きして下さいと言ってごらん。言えるかい?」

 漂う空気を壊さぬよう、神取は控えめに囁きかけた。
 僚は小さく唇をわななかせ、言葉を繰り返した。

「お仕置き…して、……ください」

 かすれた声がした。うまく入り込んだようだった。男は少なからず興奮する。
 バスローブを脱がせ、膝の上に這うよう言い付ける。
 僚は何度かためらった後、のろのろと言われた通りの姿勢を取った。
 十回叩くから、声に出して数えなさい。
 膝の上でうずくまる僚にそう告げる。恥ずかしさから、彼は顔を真っ赤にして頷いた。しかし、嫌がる素振りはない。諦めて、無理に装って従っているようでもない。
 やはり素質がある。
 彼の手、指を、誤って叩いてしまわないようひとまとめに掴んで押さえ付ける。
 思いがけない拘束に僚は胸を喘がせた。何か云いたげに顔を曲げ見上げてくる。あえて厳しい目付きをしてみせると、僚は息を飲み、顔を戻した。少し悲しそうな顔になったが、抵抗はしなかった。

「……覚悟はいいかい」

 むき出しの肌に手を添える。僚はびくりと肩を震わせ、ぎくしゃくと頷いた。
 音が派手なだけで、あまり痛みの無い叩き方で一度打ち据える。少し手を丸め、振り抜くのではなく肌の上で弾ませるのだ。音は大きく、肌にじいんと響くが、ダメージはほとんどない。
 いち、と僚は震える声で言った。
 神取は二度目の前に、打った場所をゆっくりさすった。それから振り上げる。
 に、さん、と続く内、徐々に僚の声が変化していった。
 あと三回というところで、今度は息遣いが変化する。
 居心地が悪いというように何度も身じろぎ、何か云いたげにしゃくり上げた。
 終わった時彼は興奮していた。雄の象徴が腹につかんばかりに反り返っていた。
 そのせいで、終わりを告げても彼はすぐに動けずにいた。

「わからない…見ないで……こんなの、今までなかった」

 知らない、わからないと激しく取り乱しながら僚は答えた。
 痛い事をされたのに、どうしてこんな反応をするのだろうか。こんな事、今まで一度もない。
 身体を丸めて隠そうとするのを無理やり仰向けに押さえ付ける。振りほどこうと抵抗するが、すぐに彼は無駄だと察し力を抜いた。すると、怯えの奥から期待を覗かせたのだ。
 男は目を細めた。
 痛め付けられるのは、本当は好きでもなんでもない。混乱具合から見て、そういった言葉に嘘はないだろう。本心では嫌いながら、何らかの目的の為に、必要とし、彼は無理やり苛烈な環境に己を置いていたに過ぎない。
 何が必要なのかはわからない。これから話してくれるかもしれない。
 とにかく彼は、好きでもない状況に自分を追い込みいやいやながら行っていたのだ。
 ところが、今し方行ったお仕置きでは全く異なる反応を見せた。
 言葉でくすぐられ、五歳の子供のように膝の上で尻を叩かれて、興奮を露わにした。
 そして彼自身、そんな己の反応に驚いている。
 更には、きつく拘束される事に怯えながら、その先の行為に期待を抱いている。

 嗚呼、この子――

 心配しなくていいと神取は笑う。

「叩かれる事が興奮に繋がる子は、少なくない。小さな子供のようにお尻を叩かれるなんて、堪え難い屈辱だろう? けれどそれが、快感に繋がる…君もそうだったとは嬉しいね。私は、君を叩いた事で興奮している」

 証を見せる。
 僚は、男の下部をまじまじと眺めた。きつく勃起した様にごくりと喉を鳴らす。

「今までは、痛みが強すぎたんだろうね。君の好みに合っていなかった。単なる暴力は論外だが、本当は君は、痛くされるのが好きなんだ。少しばかりね」

 そしてきつく支配され、快感を与えられる事を望んでいる。

「ち、がう……おれは」

 再び僚は抵抗を見せた。

「違わないよ」

 逃すまいと神取はより力を込めた。少し冷たい声を出す。
 圧倒的な力の差に怯え、僚の喉が引き攣る。
 だのに彼の目はとろんと潤み、支配する者を熱く見つめていた。
 熱心に注がれる眼差しを受け止め、神取は支配者の貌でゆっくりと笑みを浮かべた。

「君自身、わかっていない事があるんだよ。一緒に探そう」

 拘束を解き、委ねる。
 僚の瞳が左右に揺れる。
 しばしの黙考の後、彼はおずおずと頷いた。
 胸元に手のひらを当てる。指先で小さな一点をさすると、びくんと身体が反応した。
 一度きりの接触だが、僚はたまらないとばかりに身をくねらせた。

「ああ、良い感度だ。私好みだよ」

 思ったままを口にする。
 態度で示すのはもちろんの事、何を考えているか全て明かすのも必要と思ったからだ。
 彼は不安になっている、
 自分のしてきた事のせいで、汚いと思われ、だから触れてももらえないと悲しんでいる。
 残らず解消したかった。

「私好みの、感じやすい、いやらしい身体だ」
「んんっ!」

 そそり立ったものを指先でくすぐる。
 僚は首を曲げて自分の身体を見やった。あちこちに残る傷跡を目で追う。

「こんな、の…でも?」
「こんな? とんでもない。たまらなくそそるよ」

 彼が気にする傷の一つひとつに接吻する。盛り上がった跡。引き攣れた皮膚。残らず唇でたどる。痛い思いはさせたくないが、悲しい思いはもっとさせたくない。
 少しばかりの傷、過去にこだわる人間ではないと証明する為に…彼が好きだと告げる為に、神取は丹念に愛撫を続けた。
 訳ありはお互い様だ。お互い、口に出来ない過去を抱えている。全てを曝け出すのも結構だが、言わずとも、そこにあるものは変わらない。見えるもの見えないものに必死に目を凝らして、精一杯求め与えるだけだ。

「う、う…ん」

 感じる場所からずれているせいであまり大きな反応はないが、接吻する度震える身体が愛しい。

「君がどうされると喜ぶか、どう触ってもらうのが好きか、残らず調べさせてもらうよ。いいかい」

 真上からまっすぐ見つめ、尋ねる。
 僚は見つめ返し頷いた。
 深く口付ける。
 舌をゆっくりと絡め合い、貪る。
 そうしながら神取は片方の手で僚の身体をさすった。腋から肘まで。肩、首、うなじ。脇腹。足首もくるぶしもふくらはぎも。そして薄い胸板、乳首。
 軽く摘まむと、僚は大きく仰け反って反応した。
 唇が、駄目、と綴る。
 快感が強すぎて、かえって辛いのだろう。
 男は構わず小さな突起を責めた。
 優しく、甘く指先で舐める。

「あー、あっ…あぁ……!」

 熱い声が僚の唇から零れる。
 誰かに教え込まれ、抱かれる事にすっかり慣れた身体。
 少々の悔しさが過ぎるが、苛め甲斐がある、とも思った。
 まっさらな身体を一から作り上げるのも楽しいが、自分好みに作り変えるのもいいものだ。
 この身体を自分のものにできるのだと思うと、脳天がくらくらと眩んだ。
 彼は、合わせると、何でもすると言ったが、そんな無理をしなくてもお互いそりが合うようだ。

「も、やだ……」

 感じ過ぎておかしくなりそうだと僚は首を振りたくった。腰をがくがくと揺すり立て、こちらも触ってくれとねだる。
 見ると、先端からはしたなく涎を垂らしひくひくと揺れていた。早く触ってくれと、怒りに打ち震えている。
 知らず笑みが零れる。
 執拗に胸を責めながら神取は聞いた。

「触ってほしい?」
「おねが、い……」
「なら、私がその気になるように、おねだりしてごらん。どこをどんな風に触ってほしい?」
「っ……」

 僚は言葉を詰まらせた。
 あちらのアルバイトをしていたというなら、そういった碑語はいくらでも口にしていたはずだ。こういった状況で何を言えばいいか、ある程度は理解しているだろう。しかし彼は顔を真っ赤に染めて、言おうとしては何度もためらった。
 それが彼の得手かと思ったが、そうではないようだ。

「言えないのかい?」
「言える、言う……」

 そう言いながら、僚は唇を噛んだ。
 縋るように見上げてくる目には、怯えがありありと浮かんでいた。
 唇がなにごとか綴った。
 汚い、と言ったようだ。
 こうなったきっかけを思えば、彼が何に囚われ怯えているかすぐにわかった。
 可愛らしい。たまらなく。
 僚は今にも泣きそうに顔を歪めた。
 言いたい、怖い、言えない。
 嫌われたくない、もっと欲しい、どうしていいかわからない。

「なら、この手を、触って欲しいところに導いて」

 頬に触れる。
 目線で聞いてくる僚に頷いて促す。
 僚は手を掴むと、恐る恐る下部に持っていった。
 怯えていた顔が、期待にすり変わる。
 神取はそっと摘まんだ。

「あぁっ……!」

 神取さん…切なげな声がもれる。
 男はそれをいささか不満に思った。

「きもちい……」

 うっとりともれた声にいくらか洗い流される。

「どうしてほしい?」
「う、ぅ……扱いて」
「ひどく? それとも優しく?」
「……ひどいのはいや」

 目に涙を浮かべ、僚は唇を震わせた。
 以前の非道な扱いを思い出したのだろう。恐ろしげに頬が引き攣っていた。
 神取は宥めるように頷いた。

「ひどくはしない。君の望むようにしてあげよう」

 そっと囁くと表情がいくらか緩んだ。
 本当はこんなに怖がりなのに、どうして嫌なものを欲したのだろう。
 落ち着くように頬を撫でる。
 やがて僚の顔に安堵の笑みがゆっくりと広がった。
 もつれていた呼吸が元に戻ったのを見届け、手の中の若い張りを優しく扱く。

「あぁ……」

 ため息をもらし、僚は素直に腰を揺すって浸った。
 緩慢に身悶えながら、僚はごく自然に男のものに手を伸ばした。
 突然の接触にびくりと背を震わせる。

「う、あ…の、……入れて…うしろに……」

 おどおどと反応を伺いつつ、僚は言った。
 あからさまな単語は口に出来ない癖に、行動は中々大胆だ。ますます気に入る。

「いつもそうやって、誘っているのかい」

 途端に僚は青ざめ、手を引っ込めようとした。
 神取はそれを制し、続けるよう促した。僚の目が伺うように覗き込んでくる。頷いて肯定した。

「気持ち良いよ。もっとして」

 始めはぎこちなく、すぐに慣れた手つきになり、僚は手淫を続けた。

「君の手…いいね。好みだよ」
「……したことも、ある」

 どこか諦めたような顔で僚は言った。
 相手に望まれれば何でもした。どんな言葉でも本当のように口に出してせがみ、欲しがった。
 大半は、構わず突っ込まれ、あるいは玩具で遊ばれ、泣きたいのを我慢してばかりだった。
 本当は、好きでもなんでもない。

「でも、そうでもしないと、おさまらない」
「依存症?」
「そういうんじゃ…ないと思う。痛いなら、なんでもよかった。ただの馬鹿だ」

 好きではないのに、痛みを求める。
 厄介な心の反応。
 両手で顔を覆う。

「こんな話……嫌わないで」
「嫌う? とんでもない」
「んっ……!」

 証で彼に触れる。

「君の話を聞いても、ちっとも変わらないだろう。……入れてほしい?」

 聞きながら、先端を小さな口に押し当てる。ひくひくと妖しくわなないて、刺激を今か今かと心待ちにしていた。
 しかし、僚自身はまだ硬いままだった。すぐに察する。かつて彼の身体で遊んだ連中が望んだ事を、そのままなぞっているだけなのだとわかる。
 彼らにそう言うと喜ぶから、彼らがそうする事を望んだから、今もそれを用いているだけ。
 自分の望みではない。本心ではない。
 身体自体はすっかりなれている。今すぐ突っ込んだとしても難なく受け入れるだろう。
 だがそんなもの、いらない。そんなものが欲しいのではない。
 神取は、顔を覆ったきり身を固くしている僚の手を掴み、少しずつ引きはがしにかかった。

「……入れて」

 僚の口から力のない声がもれる。思った通り、まるで気持ちがこもっていない。上辺をなぞっているだけの声だ。

「顔を見せて」

 力尽くのける事も出来るが、本人の意思に沿わぬ事はしたくない。
 正直なところ、自分も今すぐ入れたい。この状態で堪えるのは中々きついところだ。内股が引き攣って痛い。早く解放したい。けれどそうして、後から何が襲ってくるのか、いやというほど知っている。本当に求めるものとは違うから、自分が嫌になるのだ。

「顔が見たいんだ」

 神取は少しだけ力をこめた。やがて僚は抵抗を止め、わななきながら手を下ろした。
 案の定そこには、怯えきった青白い頬があった。
 少しでもあたためようと頬に手を添える。僚はびくりと大げさに反応した。反射的に手が動いたのは、殴られると慄きかばおうとしたのだろう。
 どれだけ乱暴に扱われてきたか、それだけで理解出来た。
 変態と蔑んだ時の彼の顔が、脳裏に過ぎる。
 怒りが湧く。胸が悪くなる。同時に、どこまでも彼を甘やかして、とろけるような喜びを与えたくなる。そしてほんの少し、苛めたい。
 神取はそっと唇を重ねた。
 怯えて縮こまる舌をすくいとり、ゆっくりゆっくり舐める。
 やがて僚も動き出す。悪意がないのを感じ取ってくれたのか素直に求めてきた。
 嬉しくなり、神取はより深く接吻に酔った。片手で髪をまさぐり、もう一方の手は肌を撫でる。
 頬をさすり、首筋を撫で、先ほど彼が過敏に反応した胸の一点に向かう。

「ん、そこ……」

 直前で察し、僚は唇をずらして喘いだ。
 思った通りの反応に薄く笑い、指先にとらえる。

「ああぅ…やぁ……!」
「嫌じゃないだろう? 気持ち良い?」
「あっ…」
「教えて。どんな感じだい?」
「う、ぅ……気持ちいい」
「……もっと聞かせて」

 僚はうっとりと、気持ち良いと繰り返した。
 神取は一度頭を撫でた。僚の表情が、さらにとろんと緩む。自然と笑みが浮かんだ。またねだられる前に、彼が先ほど一緒に欲しがったところへ手を伸ばす。
 指に代わって唇と舌で愛撫を続け、同時に彼の張り切った雄を優しく握り込む。

「ああぅ――!」

 彼は敏感に反応した。
 いい声だと、神取は肌の上で囁いた。
 僚は一瞬恥ずかしそうに唇を歪めたが、与えられる快感に素直に鳴き、腰を揺すった。
 僚のそこからはたらたらととめどなく涎が溢れ、男の手を濡らした。扱く音がいやらしく変化する。
 彼のものを飲んでみたい欲求が猛烈に込み上げる。神取はほっそりした身体の中心に何度も接吻を繰り返しながら、下腹に顔をずらした。

「そこ、は……!」

 男の目的を察し、僚は慌てて肩を掴んだ。必死に押しやろうとする。

「されるのは、好きじゃない?」

 好きではないならすぐにやめる…非常に苦しいが。
 僚は言葉に詰まり、何事か口を動かした。
 途切れ途切れに語られるのは、男も予想した事だった。
 これまではするばかり、無理にさせられるばかりで、自分がしてもらう方に回る事は滅多になかった。
 つまり慣れていないのだ。
 また、脅しだが軽く歯を当てられたり乱暴に扱われたりしてばかりだったので、その時の事が思い出され、どうしても腰が引けてしまうのだ。

「約束する、決して怖い思いはさせない」
「わかってる、もう、充分……」

 充分過ぎるほど、行動で証明されている。

「俺が勝手に怖いだけだから、神取さんのせいじゃない……ただ」
「どうした?」
「……神取さんが、そんな事…したら……」
「私では駄目かい?」

 僚は縋るように見つめた後、辛うじてそうとわかるほど小さく首を振った。
 本当はしてもらいたいが、恐縮しているだけ。なんて可愛いのだろうと、男は手に捕らえた熱塊をぺろりと舐め上げた。

「だめっ……神取さん、お願い…だ、め……あぁ」

 神取は躊躇せず、喉奥まで飲み込んだ。嫌悪がないなら安心だ。それに、駄目と言われると余計興奮してしまう。彼をもっと泣かせて、もっと快感に沈めたい。そんな意地の悪い欲望に、少しの不満が過ぎる。さっきからなんだというのだ。
 神取は振り払うようにして口淫に耽った。
 駄目、お願い、と切羽詰まった制止の声の合間に、何ともたまらないよがり声が混じる。鼻にかかった甘い声。まるでしっとり濡れた手のひらで、ひたひたと肌をまさぐられているようだった。たまらない。脳天が熱く疼く。
 神取は喘ぎ喘ぎ愛撫を続けた。
 肩を掴んだきりの手が、受ける快感に敏感に反応して、強く弱く縋ってくる。やがてそれが、ぎりぎりと力強く握る無遠慮なものに変わる。絶頂が近いのだ。唇からもれ出る声もいくらか変わり、高い喘ぎだったのが、何かを堪えるような低い呻きに変化した。

「あ、あぁ…だめぇ……もっ……」

 僚は素直に腰を振った。自然な反応に思わず笑みが零れる。もっとむき出しの彼を見せてほしいと、神取は口にしたものをより強く吸った。舌先で先端をくじり、唇で何度も扱く。その度に僚のそれは嬉しさを表すかのようにびくびくと跳ねた。そしてある瞬間、ぐぐっと反り返る。

「く、う……出る――んんんっ!」

 僚は喉の奥で呻き、全身に力を込めた。
 神取は呼吸を合わせ、勢いよく放たれる熱いものを口中に受け止めた。頭上で、少し苦しげに僚が息をついている。長い潜水から、ようやく陸に上がった人のそれに似た息遣いを聞きながら、思いの他多い口中のそれを飲み下した。
 音を耳にして僚がはっとなる。
 ゆっくり顔を離し、神取は目を見合わせた。

「中々うまかったよ」

 途端に僚はきつく眉根を寄せた。快感に酔ってうっすらと紅潮した頬が、何とも言えず可愛らしい。潤んだ目も、まだ息が整わずほどけている唇も何もかも。恐る恐る手を伸ばし口に触れてくる。ひどく済まなそうにしているが、それでいてどこか嬉しげだった。神取は触れてくる手を掴み、指先にそっと噛み付いた。
 あ、と淡い声が唇から零れる。

「今度は、私を満足させてくれるかい」

 僚は慌てて身体を起こし、男のそれに手を伸ばした。
 神取はそれをやんわりと制し、再び僚の身体を仰向けに横たえた。

「……できる」
「ああ、そうじゃない」

 不安げな少年に笑いかける。

「君の――」

 神取は奥の方へ手をやった。
 触れると、僚はびくりと身を強張らせた。

「――ここで」

 指先に、きゅうっと締まる感覚が伝わる。少しだけ力を込めて押すと、ふっと一瞬だけ緩み、また締め付けてきた。たったそれだけで、腰が熱くなる。背筋にぞくぞくとしたものが走る。
 僚の下部は、先走りのものですっかり濡れていた。指に塗り付け、まずは中指を埋め込む。

「あっぁ……」

 締め付けは強いが、かたさはない。神取は薬指も添えて差し入れた。

「くうぅ……!」

 僚は大きく背をしならせ、内部を奔放に弄る指を後孔で噛んだ。

「君の声…本当にたまらない」

 どこを触っても、敏感に反応してくれる。
 神取は片足を大きく持ち上げ、彼がどんな風に咥えているか確かめる。

「あ、や…見るな……」

 うろたえた声と共に僚は身体を起こしかけ、掴まれた脚を震わせた。男の指が時折、敏感に感じる箇所を擦る。思わず高い声がもれ、自分の事ながら恥ずかしくなり、慌てて口を塞ぐ。

「見られるのは嫌いかい?」

 神取はゆっくり指を前後させながら尋ねた。僚のそこはひくひくと震え、絶妙の力で締め付けて、おしゃぶりに耽っている。なんともそそる光景だ。
 僚はわずかに身悶え、口を押さえたまま何度も頷いた。その割には振り払おうとしない。本当に嫌だというなら、全力で蹴り付ければそれで済む。

「見ていなければ、いいかい?」

 内部の様子を伺いながら、少し強めに押し込む、根元まで埋め込んでぐいぐいと抉る。

「あ、あぁっ…神取さんはいやだっ! ……あ、ちがう――」

 僚はすぐさま、自分の言葉を否定した。しかし上手く言葉が継げないようで、ああ、くそ、とばかり首を振り立てた。
 僚の言わんとするところを理解し、込み上げてくる嬉しさに神取は笑いを抑えられなかった。
 慣れた身体を見られ、何かを思われるのが怖いのだ。

「……ごめんなさい」

 密かに笑んでいると微かな吐息が聞こえてきた。声は、こんな身体、と続いた。眦まで真っ赤にして恥じらい、淫撫に耐えている姿に、ますます興奮が募る。

「あぅっ…そこ――!」

 僚は鋭く叫んだ。
 ここが、彼のいいところか。
 神取は探り当てた一点を執拗に指先で舐めた。

「だ、め…そこ、おかしい……!」
「大丈夫、当然の反応だ。何も心配いらないよ」
「あ、ぅ…あっ…やだ、や…そこ……やめて――ああぁ!」

 腰をがくがくと弾ませ、僚は少し怯えた声で首を振った。
 振りほどこうと僚がもがく。させまいと、神取はしっかりと足を掴んで押さえ、執拗に指先でくじった。
 先ほど放って満足したそこが、刺激を受け見る間に張り詰めていく。

「ほら、ごらん」

 視線を誘うが、僚は激しく首を振るばかりだった。濡れた、弱々しい声が、見るな、と訴える。
 ふと笑い、指の位置を少しずらして休める。

「ここは、誰でもそうなってしまうところだ。君だけがおかしいわけではないよ」

 僚はよそへ顔を向け、小さく喘ぎながら俯いた。

「君の身体、好きだよ。こんな身体? 最高だよ。抱かれる事には慣れているのに快感には不慣れで、怖がりで、その癖とても感じやすくて。たまらない」

 僚は諦めたような顔付きになって、弱々しく首を振った。

「本当だ。君の身体も……君も、好きだよ」

 姿勢こそ変わらないものの、僚は大きく目を見開き、視線の先にあるものを凝視した。
 しばらくして、彼は大きくしゃくり上げた。言われた瞬間から、呼吸を忘れてしまっていたようだ。
 びっくりしたといった顔で一生懸命呼吸しているのが、少し可愛かった。
 神取はゆっくり指を引き抜いた。

「っ……」

 僚はそこでようやく男を見た。弾かれたように顔を向け、何か云いたげに、険しい表情になった。
 男もまっすぐ受け止め、彼が何を訴えようとしているのか掴もうとした。
 僚の呼吸が少し落ち着いたところで、自身のものをそこにあてがう。
 僚の身体がびくりと反応する。
 神取は口を開いた。

「もっと、大きな快感に飲まれるだろう。君には少し怖いかもしれない……どうする?」
「……俺と、したい?」

 こんな身体でもいいのかと、僚が訊く。
 神取はゆっくり頷き、身を寄せた。

「ああ……君に入れたい」

 しばしの逡巡の後、僚はおずおずと仰向けになり、自分で自分の脚を抱える格好を取った。
 そして。

「……入れて」

 熱い吐息と共に声がもれる。
 先ほどと同じ言葉だが、響きがまるで違った。
 怯えが抜け、強張りが解け、声はどこまでも甘い。
 全身に震えが走る。
 何もかもさらけだし、無防備に預けてくる僚に息も出来なくなる。
 男は自分のものに手を添えた。

「っ……んぅ――っ!」

 ゆっくり押し込むと、僚の口から張りのある高い声がもれた。
 その声に紛れるように、神取も声をもらした。
 指が食い込むほど強く足を掴み、僚は全身を強張らせていた。固まってしまったような手を引き、自分の首に回させる。僚はおずおずと抱きしめた。

「……いい顔だ」

 間近に見つめ、神取は半ば無意識に呟く。苦しさの中に、うっとりと酔い痴れる快感が見え隠れする。心をくすぐる僚の表情に目が釘付けになる。

「ああぁっ……!」

 力強く腰を進め、根元まで埋め込む。僚はまた切なげに鳴いた

「ほら…全部入った。苦しい?」
「……へいき」

 潤んだ目を何度も瞬き僚は言った。本当はいくらかきついようだ。眉根に少し力がこもっている。健気な様子に胸が疼いてしようがない。
 きゅうっと食い付いてくる内部に男も思わず喘ぐ。

「っ……恥ずかしそうにして、その癖大胆で、欲求に素直。困ってしまうほど、魅力的だよ、君は」
「あ、あぁ……神取さん」

 恍惚とした声で僚は呟いた。
 抱かれる悦びに浸る声だが、神取にはいささか不満。
 何が不満なのか自分でもよくわからない。
 彼は喜んでいる。自分も、ようやく一つになれて満足のはずなのに。
 実は相性は申し分なく、身体も好み、お互い一致しているのに、一体何が不満なんだ。

「……ここにいるよ」

 腕に膝を抱え、顔を近付ける。
 僚は嬉しげに微笑んだ。
 愛くるしい、その小さくほどけた口に接吻する。
 僚の手が背中に回る。

「動いてもいいかい?」

 唇の上で囁く。
 僚は吐息にぶるぶると震え、それから、小さく頷いた。
 神取も抱き返し、あやすように緩く揺すりながら口付けを続けた。

「あ、あぁっ…こんな……ん…きもちい……」

 深いため息と共に僚は言った。そのひと言で容易に推測出来た。こんな風に抱かれる事は、滅多になかったのだろう。
 どいつもこいつも、好き勝手貪って、好き勝手吐き出して、それで終わりにしていたのだ。彼には何も与えず、自分勝手に。彼はそれをよしとした。
 どうして、そんなものを欲しがったのか。
 それでなければいけなかったのか。
 神取は抱き直し、より彼が深く浸れるよう、いたわりながらじっくりと快感を与えた。
 僚は大きく身悶え、とろけんばかりの声を上げて応えた。

「あ、くぅ…きもちい……」
「よかった……もっと聞かせて。声が聞きたい」
「ん、あっ…あぁ…神取さん……んぅ、きもちい、い……」

 キスの合間に僚が呟く。
 ようやく、不満の種がわかる。
 隔てる壁を、取り払わなくては。

「君の中…とても具合が良い」

 頬を赤くしながらも、僚は喜んだ。
 様子を見ながら、少しずつ動きを速める。

「ああ、いい…そこ、いい……も…と、激しくして……」
「いい子だ……どこに欲しい?」
「あぁ…おく、おくがきもちいい…ついて、もっと……ああそこ……もっとぉ」

 恥じらうよりも快感を追う方に傾いたのか、僚は素直にねだった。
 自ら腰を揺すり、足を開いて、男を煽る。
 望む通り、深く覆いかぶさって上から押し込むように腰を使う。

「んんぅ! あ、あっ…あぁう…きもちいい…あ、すごい……」

 その度僚は甘いよがり声を零し、喜悦に身悶えた。少し癖のある黒髪を振り乱し、ちかちかとピアスを煌めかせて、素直に快感に溺れた。
 本能をむき出しにした姿に男もますます昂る。細身を抱き起こして膝に乗せ、尻を掴んで奥まで貪る。 
 身体は随分華奢に見えたが、僚は男の激しさをやすやすと受け止めた。

「ああぁっ…おくが…すごい……あぁそこ、いい、きもちいい――んぅ!」

 激しく喘ぎ、よがり、涎を垂らさんばかりに僚は悦んだ。
 心はどうだろうか。
 神取は再びそっと仰向けに横たえ、大きく腰を前後させた。一回ごとに強く突き込む。一回ごとに僚は喉を晒して呻き、喘いだ。腰を捕らえた男の手に掴まり、緩慢に身悶えた。
 それまで高い声で鳴いていたのが、ある時ふと低い呻きに変わる。
 限界が近いのだろう。
 僚の手が、自身の下部に伸びる。
 そういえば、ずっとほったらかしだった。
 動きに合わせ自分の良いように擦っている。
 それを見て神取はにやりと口端を緩めた。
 陶酔している顔をしばし眺めた後、僚の手を封じ、自らの動きも止める。

「なんで、や…いきたい……!」

 もうあと一歩なのに。
 僚は甘ったれた声でぐずった。自覚しているのかいないのか、何度も後孔を締め付け、必死に貪ろうとしている。
 しようもなく可愛い…苛めたくなるほどに。

「私がどんな風に君を思っているか、わかってくれたかい?」

 僚は何度も頷いた。疑ってごめんなさいとしゃくり上げる。

「もちろん許すとも。私の態度も、良くなかったからね」

 そんな事はないと、僚は即座に首を振った。

「う、うれしい……あぁ…おねがい、いかせて」

 神取さん…泣き縋る声に背筋が痛いほど痺れる。自身の限界も近い。

「いかせてあげるから……私の名前を呼んでごらん」
「神取さん……」

 はあはあと忙しなく喘ぎながら、僚は応える。
 男は首を振った。

「もう、知っているはずだ」

 名前を呼んでほしい。

「っ…でも」

 僚にとって、神取は主人だ。自分は平伏する奴隷に過ぎない。気安く主人の名を呼んでいいはずがないという思いに囚われ、名前を呼べない。
 男からの奉仕を嫌がったのもそれが理由だ。
 どうしても喉が詰まる。
 苦しむ僚の頬を、神取は優しくさすった。

「私を呼んでくれ……僚」

 奴隷などいらない。彼自身が欲しい。切なく望む。
 しばし沈黙が続き、やがて小さく、声がもれる。

「……たかひさ」

 ぎこちない響きだったが、男は目も眩む快感に飲まれた。目を瞑って浸る。震えが止まらない

「もっと……」

 手にした僚の熱塊を激しく扱きながらねだる。

「ああ――! あ、ああ! いく、だめ……!」
「呼んで……僚」

 何度も、音がするほど強く腰を打ち込む。

「ああぅ――たかひさ……いく、いく……鷹久!」
「……いい子だ」

 男の柔らかな低音が耳に響いた瞬間、脳天の奥深くで強い光がぱっと弾けた。目を見開いていても感じる真っ白な輝きを見据え、僚は大きくわななく。

「……ああ」

 僚の先端から白液が噴き上げ、二人の身体にかかる。
 腹の辺りに飛び散った熱いものを指先で擦り、神取は口端を緩めた。
 絶頂に達して僚の内部がきつく収縮を繰り返す。貪るような動きに挑発され、神取は続けて内奥を嬲った。
 ひ、と僚が喘ぐ。息も整わぬ内から再開され、身体がついていかないのだ。

「ま、て……まだ…んん!」

 構わず手にしたものの先端を擦る。僚は苦しげに泣きじゃくり、男の身体に抱き縋って身悶えた。

「だめ…まだ……」
「大丈夫……私に任せてごらん」
「でも、こんな……あぁ、こわい……」

 度を越えた快感は彼にとって未知のものだ。溺れるのが怖いと、しがみついてくる。

「そうだ、しっかり抱いて…すぐに良くなる」

 僚はがむしゃらに腕を回した。男はしっかり受け止め、少し強めに背中をさすって宥めた。そうしながら、深く、深く、彼を抉る。

「あ、あぁう……そこ! ああ…いい、すごく!」
「そう…僚は、ここを擦られるのが好きだね。覚えたよ」
「あぅ、だめ! もうだめ…こわい……!」

 僚は腕を突っ張り、男の激しい突き込みから何とか逃げようともがいた。そうはさせまいとすぐさま腕を掴み、手を組み合わせて封じる。
 僚はきつく手を握り締めた。
 神取はその手を頭上に引き上げ、覆いかぶさって唇を貪る。
 僚ははっとなったように目を見開いたが振り払う事はせず、口中に滑り込んできた男の舌を吸った。合間に何度も息を継ぎながら、僚はキスに耽った。
 顔を離した時、僚はとろんと目を潤ませ、正面にある男の顔をうっとりと見上げた。
 神取は微笑みかけ、もう一度、今度は軽く唇に触れた。押さえ付けていた手を離し、愛おしげに頬を撫でる。
 心地良さに僚は目を閉じるが、すぐに引き起こされる。
 男の手が、僚の胸を這う。同時に後孔も抉ってくる。
 神取は休みなく内部を擦りながら、指先に摘まんだ胸の一点をゆっくりと優しく捏ね回した。

「うぅ――ああぁ! だめ、こんな…お、おかしくなる…やだ、やだぁ……!」
「大丈夫だ、僚…もっと声を出して……もっと乱れてごらん……ほら、もっと」

 僚のそれを扱きながら誘う。
 どろどろに濡れて、ぞっとするほどいやらしい音が耳に響く。
 それにすら僚は興奮し、駄目、許して、とたまらない言葉を濡れた声で繰り返した。
 強すぎて受け止めきれず、僚は男の中で暴れるように身悶えた。本当は欲しいが、どうしても身体が逃げてしまうのだ。しなやかに反り返った背をきつく抱きしめ、男はより深く貪った。目の前にある乳首を舐め転がし、歯を立て、吸い付く。
 彼が欲しくてたまらない。もっと欲しい。もっと。

「あうぅ…だめ! いく、も……いく――もう、たかひさ……たかひさ!」
 また、光が――

 甘い悲鳴を放ち、僚は絶頂を迎えた。二度、三度、白いものが飛び散る。

「く、うっ……」

 乱れに乱れた痴態に触発され、男も深い場所に熱を吐き出す。ようやく訪れた解放に半ば無意識に笑う。
 内側の奥深くでのたうつ男のものが、更に僚を震わせた。

「おく…あつい……」

 うっとりと呟く僚を抱きしめ、余韻に浸る。
 僚もまたきつく抱き返し、一つの影になる。
 二人の荒い息遣いはしばらく続き、やがて鎮まっていった。

 

 

 

 ベッドの上に仰向けになり、ぼんやりと天井を見つめていた僚は、ある時ふと意識を取り戻し、ぱちぱちと目を瞬いた。
 ゆっくり起き上がる。
 ここは自分のアパートではない。
 見知らぬ寝室…男の部屋。
 どうしてここで寝ているのか、段々と記憶が蘇ってくる。
 それにつれて満足感、高揚感が込み上げてきた。
 今までしたどんな行為よりも、深い快感があった。
 身体の奥底までさらって、返して、掘り上げたような、不思議な感覚。
 少しだるさが残っているが、それすらも心地良かった。
 乱暴で身勝手な行為に翻弄されるばかりで、満足した事など一度もなかった。痛みがあればそれでよかったのだ。こんなものがあるなんて、知らなかった。あるとわかっても、半信半疑だった。こんな事で快感が得られるなど、到底信じられなかった。
 自分の身に起きて、身をもって知って、ようやくわかった。
 痛みがあればいいなんて嘘だ。余計悲しくなるだけなんだ。そんな事をしてはいけなかった。そんな事で、晴れる訳がなかった。
 男の言う通り、別の方法で探そう。
 なんて馬鹿だったんだろう。
 こんなものが、あったなんて。
 少し前かがみになり、自分の尻に触れる。男に叩かれたのに、痛みは全く残っていない。
 叩かれた瞬間は確かに痛かった。怖かった。けれど。
 自分では見えないのでわからないが、押してもさすってもまるで痛くならない。熱を持っている様子もない事から、腫れてさえいないようだ。
 そんな事が可能なのか。
 僚は顔を覆った。手の中にふうっと大きく息を吐く。
 いつか男が言った、違うという意味がわかる気がした。
 余韻に浸っていると、隣接した洗面所から男がやってきた。

「汚れは取れたかな」

 手に持った僚のシャツを広げる。紅茶の染みはどこにも見当たらなかった。
 ジーンズもすっかり乾いたと、上下を揃えて椅子の背にかける。

「ありがとうございます」
「遅くなってしまったが、なんとか今日中に君を送り届ける事が出来そうだ」

 つられて時計を見上げる。
 言外に帰り支度を促され、もちろんそのつもりでいた僚だが、いくらかの寂しさが過ぎる。

「気分はどうだい。どこか、痛むところはないか?」

 男は正面に立ち、そっと頭を撫でた。

「夢見てる…みたいな……」

 平気だと首を振り、僚はふわふわと覚束ない声で応えた。
 男はもう一度手を滑らせた。
 うっとりと目を細め浸る僚に笑いかける。
 隣に腰掛け、チェロの授業料について切り出す。

「君の身体はいらない」

 僚はいささか顔を強張らせた。

「……なら、他の方法で、支払います」
「そうしてくれ」

 必死に悲しさを噛み殺している、美しく整った横顔を見やり、神取はすぐに続けた。

「対価としては欲しくない。そんな理由で、君としたくない」

 つまり、わけて考えてほしいのだ。するならば、純粋な欲求で行為に望みたい。

「それ、は……」

 何か云いたげな顔で僚は見やった。
 神取は肩を抱き寄せた。
 僚は引き寄せられるまま、素直に男の胸に顔を埋める。

「私は、下に置くものは望んでいない」

 腕の中で、少年の身体がぴくりと反応する。
 僚はのろのろと顔を上げた。

「たとえばこの先続けていくとして、私は、君が望まない行為は一切強要しない。君も、嫌だと思う事はきっぱり拒絶していい。お互い対等なんだ。普段も、行為の最中もね。君が初めてここに来た時、私が言った事…覚えているかい? 私は、コミュニケーションとしてこれを選択している。時に痛みや、制限を与える事もあるが、独りよがりの楽しみを追及している訳ではない。お互い合意の上で、こういった事を楽しみたいと思っている。私の言っている事が、わかるかい?」

 どこか訝る顔付きで、僚はおずおずと頷いた。
 これまでしてきた事とあまりに異なるからか、表情は硬い。
 そしてどことなく、嬉しげだ。喜んでいいのか、戸惑っている顔。
 喜びは、この先も続いていく事に対するもの。たとえ話として出されたので、素直に喜んでいいのか迷っているのだ。
 表情で問いかけてくる僚をしばし見つめ、神取は傍のローボードから黒い小箱を取り出した。

「渡すべきか、考えあぐねていた」

 買ったのはもう何日も前だ。拒絶されたらと思うと、怖くて中々切り出せなかった。

「好みの問題もあるからね。店の人間に色々聞いて、散々悩んで……これにしたんだ」

 どうだろうか。
 控えめに笑う顔を、じっと見つめる。この男でも怖いと思う事があるのかと、不思議な気持ちが込み上げる。小箱に目を落とす。
 中には、シンプルなリング状のピアスが一つ。一切装飾の無い、なめらかで質の良い白金が黒い台座に一つきり収まり、美しい輝きを放っていた。
 僚は大きく目を見開き、視線を注ぎ続けた。

「もし……私の隣にいてくれる事を選ぶなら、こちらを身に付けてほしい」

 左耳に触れる。
 次に会う時まで、考えておいてくれ。
 僚はピアスから目を上げ、隣に座る男にじっと視線を注いだ。何事か決意し、大きく一度、頷く。
 金曜日の約束を交わし、二人は一旦別れた。

 

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