Dominance&Submission

出会い編

 

 

 

 

 

「あ、桜さん、ピアス……また失くしちゃった?」
「ううん、新しいの見つけたんだ。今、来るの待ってるとこ」
「なんだあ。いよいよオレ様の出番かと思ったのに」

 ざんねーん、と上杉は大げさに腕を振り下ろした。

「そういうオレ様は、新しいのしてるんだけど、これどうよ」
「前のと変わりねえじゃん」
「今度のはシルバーなんです、よく見てよマーク、もう」
「色違いかよ」
「形もちゃんと違うってば」
 もう、マークってばさ

 ブツブツ零す上杉を目の端でぼんやり眺めながら、僚は左耳に触れる。
 新しいの、どんなデザインと聞かれ、見てのお楽しみと返す。
 うわあ、待ち遠しいと上杉は声を上げた。
 自分もと、僚は心の中で返事をする。

「あそうだ、帰り、ジョイ通行くっしょ」

 いつものとこ、新しい機械入ったから行こうよ、と誘いがかかる。

「ああ、行く行く」

 頷きながら僚は南条を振り返った。
 そこへは行かん、と南条は素っ気なく言った。

「じゃあ、そこじゃなきゃいいんだ」
「……少しならな。たまにはどーっと付き合ってやる」
「お、めずらしー」

 稲葉が声を上げる。まとわりつくなと冷たくあしらい、南条は目を上げた。
 僚は目を見合わせ、さんきゅと軽く笑って肩を上下させた。

 

 

 

 テーブルの上に置かれた小箱を前に、神取と僚は神妙な顔で座っていた。
 互いの顔には、隠してはいるが、それぞれ緊張が浮かんでいた。
 いつもの食事会にと、車に迎え入れた時、僚はピアスをしていなかった。
 事情を知らぬ柏葉の笑顔にいつものように一礼し、車に乗り込んだ僚は、車内の神取の目をじっと見つめた後、先にマンションに寄りたいと言った。
 ひどく思い詰めていた。ややもすると迫力に飲まれてしまいそうだった。
 神取は希望通りマンションへと車を向けた。
 そして今、二人は、しんと静まり返った部屋で顔を突き合わせ、目の前にある黒い小箱にじっと視線を注いでいた。
 神取はちらりと目を上げた。
 僚の口が小さくほどけ、何か云いたそうに動いた。
 じきにそこから出るのは何か、神取は半ば予想がついていた。
 自分から切り出すべきかしばし考え、待つ事にする。
 やがて覚悟が決まったのか、僚は言葉を発した。

「っ……たかひさ」

 未だ口に馴染まぬ言葉が、少しもつれ気味に僚の唇から零れた。
 神取にも少なからずショックを与える。少ないが、そう呼ぶ人間はいる。決して聞き慣れない言葉ではないはずなのに、どうしてだろう、彼の口から発せられると、不必要に胸が高鳴った。
 多分それは、これから切り出される話に関係するのだろう。そう、名前だからではない。状況のせいで、過剰にうろたえてしまうだけだ。
 何でもない風を装い、目線で応える。
 静かに、俺は、と声が紡がれる。
 ああ…と諦めの気持ちで、続く言葉を待つ。

「言ってない事がまだたくさんあって、嘘も、平気で言うし……」

 は……?

 最初の頃、彼の口から何度か出た言葉が、喉元まで出かかる。
 何の話をしているのかすぐに飲み込めず面食らう。神取は気を取り直し、続く言葉に耳を傾けた。
 僚が言おうとしているのは、自分はまだ隠し事をしていて、つい最近まで馬鹿げた事も平気でしていた人間で、嘘吐きで汚くて最低だ、という事だった。

「……それで」

 突き放す響きにならぬよう気を付けて相槌を打つ。
 僚は言いにくそうに唇を歪め、続けた。

「それでも、あの……好きだ、って」
「ああ、言った。君が好きだよ」

 僚はまた呼吸を忘れる。今度はすぐに思い出し、小さくしゃくり上げるだけで済んだ。
 神取は堪え切れず笑った。
 たちまち僚は、燃えるような怒りを両目に滾らせ男を睨み付けた。

「なに……うそ?」

 わなわなと唇を震わせ、僚は言う。どうやら彼は、からかい半分で口にした言葉を本気にするなんて笑ってしまう、と、そのように受け取ったようだった。

「いや、本気だ。君が好きだ、本心から言っている。ただ、今の君の反応があまりに可愛らしくて……嬉しくて、ほっとして、つい笑ってしまった。不快にさせて済まない、心から謝る」

 神取は頭を下げた。
 僚は怒りを引っ込め、いや、別に、とやや困惑気味に首を振った。
 落ち着くまで待って、神取は口を開いた。

「隠し事というなら、私も自分の全てを君に話した訳ではない。どうしても言えない部分がある。だから、君に追求する気はない」

 誰でも触れてほしくない部分はあるものだ。無理に暴こうとする手に脅かされた時、どれだけ嫌な気持ちになるか。わかっているから、自分は人にそういう事はしたくない。してはいけないと心に留めている。

「それでも無意識に君に踏み込もうとしてしまう事があるだろう。そういう時は、遠慮なく叱ってほしい」

 僚は戸惑いがちに男を見た。自分よりも年がずっと上の人間から言われるには、あまりにそぐわぬ言葉。困り果てる。
 大体、男はいつだって思慮深く思いやりに満ちている。そんな人間が、ついの感情で人を困らせる事があるのだろうか。

「現に今、遠慮なしに笑って、君を怒らせてしまっただろう?」

 本当に済まない、と、神取は苦笑した。
 つられて僚も小さく笑った。

「だから、僚、言いたくない事は言わなくていいんだ。出したくなった時に出せばいい。それだけの事だ、難しく考える必要はない」

 しばらく男を見つめ、納得がいき、僚は頷いた。

「それで、君の返事は?」

 僚は即座に黒い小箱を指差した。
 男に頭を下げる。

「お願いします。つけて、下さい」

 持って帰った夜、つけた自分を鏡で確かめた。その時猛烈に思った。これを始めに見る人間は男でなくてはいけない、そう思った。だから綺麗にして元のように小箱にしまい、大事に保管して、今日まで誰にも見せずにきた。
 ひどく思い詰めた声で僚は説明した。
 また笑いが込み上げてくる。嬉しいから笑いたいのだ、分かってほしい…いや、これはただのわがままだ。もう嫌な思いはさせたくないので、神取は必死に飲み込んだ。

「チェロの為かな」
「チェロ、も……続けたいです。それもあります」

 顔を歪め、正直に白状する僚の顔を見て、意地悪な質問だったと、軽く自己嫌悪に陥る。

「欲張りで…ごめんなさい。本当に……でも弾きたい」
「済まん、こちらこそ嫌な聞き方をした。正直に言ってもらえて、むしろ嬉しい」

 もちろんチェロは続けようと言い足す。
 僚は顔を伏せたまま首を振った。両方欲しいです、と少し苦しそうにしながら続ける。

「……隣にいたい」

 囁きほど小さな声が、僚の唇からもれる。
 神取は小さく息を飲んだ。

「欲張りというなら、私こそ欲張りだ。こちらも正直に言うが、私は、君の身体も目当てだ。それで本当に、いいのかい」

 僚はおずおずと顔を上げた。そこには意外にも、喜びが広がっていた。本当か、と尋ねてくるおっかなびっくりの眼差しにやや面食らい、ああ、そうだった、と遅れて理解を得る。

「君の身体も、君も好きだ。いいかい」

 僚はゆっくりと頷いた。

「隣に、いたい…お願いします」
「私の方こそ」

 そしてお互い、相手の表情を伺う。探るように目を見合わせて、始めは遠慮がちに、次第に自然と、笑い合う。
 神取は箱からピアスを取り出した。手が震えるのは、嬉しさのせいだろうか。思いがけずまごついてしまう。
 何とか耳を飾り、神取は手を差し伸べた。握り返す僚の手を引き、鏡の前に立たせる。

「うん、とてもよく似合う。これを選んで正解だった」
「これで、俺は……鷹久の、もの?」

 鏡越しに僚は聞いた。
 また胸が高鳴った。痛いほど疼いた。
 そうであってほしいと、いっそ憐れなほどひたむきな少年の眼差しをしっかり受け止め、神取は頷いた。

「そして私は、君のものだよ」

 両肩に手を添える。
 幸せそうな笑顔が少年の顔一杯に広がる。
 嗚呼、やっぱり彼の笑った顔は格別だ。
 やっと、この手に得たのだ。

「チェロの授業料の事とか、他にも二、三、決めておかねばならない事がある。それは食事の後で、ゆっくり話をして決めよう」

 まずは腹ごしらえだと男が言ったところで、不意に僚の腹が音を立てた。
 小さく微かなものだったが、静かな部屋ではごまかしようがなかった。二人の耳にしっかり届いた。
 僚は一杯に目を見開いて、男を凝視した。
 一拍置いて男は笑う。

「君の腹は正しいよ。君と同じく、実に規則正しい」

 丁度夕食の時間だ。だから気にするなと肩を抱き、軽く叩く。僚は腕の中で小さく縮こまった。見れば、耳まで真っ赤にしている。真っ赤になった耳にピアスが白く輝く。
 無性に唇に触れたくなり、男はやや強引に顎をすくって口付けた。恥ずかしさに最初は抵抗した僚だが、すぐに自ら腕を回して抱き付き、身を委ねた。
 顔を離して笑い合い、連れだって歩き出す。

 

 

 

「これが上杉だったら、もっとゴテゴテしたの選んでただろうな。頼まなくて正解だったな」
「やれやれ、相変わらずマークはシットの塊なんだから」

 ばーか、なにおう…相変わらずの小競り合いに僚は軽く笑い、ピアスに触れた。

「でも桜さん、それマジで似合ってるよ」
「マジいいカンジじゃん、桜井って選ぶのウマいね」
「ありがと」
「今度アヤセにもなんか買ってよ」
「オマエ手当たり次第それ言ってるよな」

 呆れ顔で稲葉は言った。
 誰か一人くらい買ってくれたっていいじゃん、ケチ…綾瀬はマニキュアの具合を確かめながら零した。

「もしかして桜さん、そのピアスって彼女からのプレゼント? だからそんなにうれしそーなんでしょ」
「残念、ハズレ」

 上杉のからかいに、僚は心の中で『彼女』じゃないと付け足す。

「なんだあ、オレ様、結構勘鋭いのになあ」

 まるで信じていない稲葉が、またもばーかとからかう。
 ばかって言う方がばかなんです、上杉も負けじと言い返し、南条に顔を向ける。

「なあ南条、今日は初カジノチャレンジしてみない?」
「断る。うるさいのは嫌いだ」
「そっか、じゃ別のとこ行こ」

 まだ行くと決めた訳ではない、と南条は返すが、上杉はまるで聞いていない様子だった。
 始業のチャイムが鳴る。
 まとわりつく上杉を、以前のようにきっぱり振り払えないにも関わらず、以前ほど迷惑しているようではない南条に笑いながら、僚は席に着いた。

 

目次