Dominance&Submission
幕間
「立っていられるかい?」 「……だいじょうぶ」 背後からの声に、僚は肩越しに首を曲げ答えた。背中の蝋を落とす間、十分に身体を休めた。ずっと床についていたせいで膝が赤くなっているが、見た目だけで痛みは全くない。 「肩も平気?」 「……はい」 男の大きな手に掴まれ、思わずどきりとする。感じる場面ではないのに腹の底が一瞬疼いてしまい、そんな自分に恥ずかしくなる。 と、両手首を掴まれ軽く持ち上げられる。 「首の後ろで手を組んで」 言われた通りの姿勢になり、僚は確認の目線を送った。 男は一つ頷き、背後に回った。彼の姿勢を固定する為、首輪の後ろにあるリングと左右の手枷の金具を繋ぎ合わせる。 「あまり大きく動くと首が締まる。気を付けなさい」 言って、実際に彼の右手を軽く引っ張る。どんな風に苦しくなるかすぐに理解した僚は、肩を竦めるようにして頷いた。 男は前に回り込むと、哀れに怯える従う者の貌をじっくりと堪能した。おどおどと震えているが、この姿勢ですでに感覚が昂っているようだ。 薄く笑い、手を差し伸べる。 「!…」 僚は息を飲んだ。直後男の指が乳首を摘まみ、更に身を縮める。 「いっ……!」 少し強めにつねられ、視線だけで過敏になっていた僚は思わず声をもらした。すぐさま首を振る。 男は手にした鞭の柄で顔を上げさせた。 「しっかり胸を張っていなさい」 「……はい」 僚は切れ切れに息を啜った。どうしても、男の手にある鞭に目が行ってしまう。いつもの乗馬鞭とは違う、房鞭だ。いつも使われる一本きりの鞭と比べて、痛みは浅い。音がかなり派手に響くからつい反射で声を出してしまうが、それほど痛みは感じない。 それでも怖さはある。苦痛を与えられる事。苦痛の奥から込み上げてくるものを感じる事。打たれて熱を持ち、そこに重ねて苦痛を与えられると、次第に感覚が曖昧になってゆく。痛いのか、熱いのか…それとも気持ち良いのか。判別がつかなくなってゆくのだ。 打たれる事が快感になってしまう。切り替わる自分が怖くて、また心地良くもあった。それを密かに望んでいる自分が怖くて、心地良い。 そんな姿を男に晒すのが、たまらなく――。 僚は大きく喘いだ。 呼吸に合わせてわずかに上下する喉元の膨らみに鞭の柄をそっとあて、神取は尋ねた。 どこを打ってほしいか、と。 僚は何度も瞬きしながら男を見つめた。 「ここ?」 「んっ……!」 鞭の柄が乳首を横にかすめた。 「それともここ?」 今度は房の方で、下腹の急所をくすぐられる。 僚は頬を引き攣らせ、びくびくと小さく震えを放った。自然呼吸が浅くなる。 「ここはいや?」 神取は手にした鞭を左右に軽く振って、更に恐怖を与えた。怯える青白い顔が、思いの外可愛かったからだ。無論打つつもりはない。乞われればその限りではないが、自分もそして彼も、そこまで壊す事は望んでいない。 わかっているから聞くのだ。 「……い…いやです」 「聞こえない」 あえて煽る。僚はひっと息を飲み、絞り出すように言った。 「いやです……」 「では、どこを打ってほしい?」 「お…お尻……お尻、打ってください」 「他には?」 少し低めの声が、即座に返ってきた。僚はまた喉を鳴らした。それだけでは物足りないだろうと、薄く嗤う支配者の貌に、身体のあちこちが熱く疼き出す。 「背中と……足もいいです…打ってください」 息苦しいのを堪えて告げる。 「……いくよ」 背後に回り込みながら男は言った。 足音が止まる。息を詰める。 試す為か恐怖を煽っているのか、撫でるような接触が二度、三度繰り返された。次こそ来ると、僚は身を強張らせた。 まず打たれたのは尻だった。過度に緊張していたせいで、さほど痛みを感じないにも関わらず叫びを上げる。 そのまま十回ほど、尻を狙って鞭が振るわれた。 頭の後ろで手を組んだ姿勢で立ち、まっすぐ正面を見据えて、僚は、どれだけ我慢したら許してもらえるだろうと少し悲しく浸った。 回数が増えるごとに段々と尻が熱を持っていく。まだ平気、まだ耐えられると瞬きを繰り返していると、不意に手が止まった。 一拍間を置いて、名を呼ばれる。 答えの代わりに息を吸った時、いつの間に近付いたのか、上げた腕を優しく撫でられ思わずびくりと反応する。 緊張を解くように、神取はゆっくりと手のひらで撫でた。 「ここにあるのは、誰の身体?」 「鷹久の……ぜんぶ」 肩越しに小さく振り返る。肩にかかる手からたどって顔を見やり、目を合わせる。 答えに満足して微笑む支配者の貌があった。 僚はうっとりと見惚れた。 「もっと打ってほしい?」 低音に魅了され、素直に頷く。 男は笑みを深めた。穏やかで、ひやりと背筋が疼く笑顔に、何故だか涙が滲んだ。 「痛いのが好き?」 「……あんまり」 でも。男のくれるものは何でも欲してしまう。どんな痛みでも、一つ残らず与えてほしい。持っているものすべて、自分に。 男は肘の辺りに唇を押し付けると、先程の位置に戻った。 再開された鞭は先刻より厳しいものだった。 三度目までは耐えるが、四度目に尻で弾けた痛みに僚は咳き込むように息を吐き出した。続け様に尻を打たれる。もう一度。もう一度。もう一度。 回数が増えるごとに声が我慢しきれなくなっていく。それでも何とか歯を食いしばって堪える。 しかし、鞭が背中に移るとそれももろく崩れた。少し力は抑えられているが、骨に沁みる痛みは強烈で、真横に打ち据えられる度に僚は短く叫んだ。 本当はそれほどきつい痛みではないのだ。充分耐えられるものだ。けれど、涙が零れてしようがない。無様に泣きじゃくってしまう。 両手を拘束された無防備な状態で、数え切れないほど鞭を受けている自分がたまらなく悲しくて、苦しくて…そんな自分が気持ち良くてたまらない。 もっと打ってください、ご主人様――ずっと以前吐いた事がある上辺だけの台詞が、喉元まで込み上げた。そんな自分に僚は震え上がった。あの時はせめてそれらしく聞こえるよう演技したが、今あるのは、心からの言葉。それほどまでに浸ってしまう自分が恐ろしくて、快くて、訳がわからなくなる。 嗚呼、涙が止まらない。 足の付け根で強烈な痛みが弾けた。僚は悲痛な叫びを上げ左右の足を踏みしめた。 それでも鞭は続いた。 もう声を殺す事はせず、僚は痛みのまますすり泣いた。 一回ごとに哀れを誘う声で身悶え、零れる涙に頬を濡らした。 そこでようやく神取は手を止めた。 最初に言い付けた通り、必死に胸を張った格好を保っている僚に近付き、抱きしめるようにして背後から腕を回す。触れた途端彼はびくりと過剰に反応したが、すぐに力を抜き、甘えるように身をもたせてきた。 ほんのわずかな身じろぎだが、愛しくてたまらない。 充分耐えた彼を労り、神取はそっと頭を撫でた。 そして先程した質問をもう一度口にする。 この身体は、誰のもの、と。 「た、たかひさの……ぜっ…、んぶ」 泣きじゃくる合間に僚は喘ぎ喘ぎ答えた。いつも心で思っているが、あまり言葉にする事のないものを口に出すのは、たまらなく心地良かった。ああ、自分はこの男のものなのだと、あらためて思う。誇らしく思う。 「そう…君は私のものだ。僚はいい子だね」 零れた涙を丁寧に拭ってやり、神取は補助しながら膝立ちにさせると、顔を床につける姿勢を取らせた。 「窮屈なところはない?」 「だいじょうぶ……」 震える声が返ってきた。まだ涙が止まらないせいで身体が小刻みにわなないている。しゃくり上げるのに合わせて肩が弾む。 上げさせた尻は、じんわりと朱に染まっていた。軽く触れて確かめる。どこも、ひどく痛む個所はないようだ。 ほんのり淡く染まった肌が、たまらなく愛しい。 「声に出して数えなさい」 「……はい」 弱々しい返事に口端を緩め、神取は手を振り上げた。 空気の揺れで感じ取った僚は、全身をぎゅっと強張らせた。 ふくらはぎを打たれる。 「いち……」 「聞こえない」 もう一度という冷たい言葉とともにまた鞭が飛ぶ。 「……いち!」 またふくらはぎ。尻、腿、足の裏。 泣き叫ぶようにして、僚は数え上げた。新たに零れた涙で頬が熱くなる。きっとみっともない顔をしている事だろう。いやだな、見られたくないな…見てほしいな。みっともない自分を見て、笑ってほしい。 それから――妄想に耽っていると、身体を起される。よく我慢したねという言葉とともに抱きしめられ、僚は思い切り顔を歪めた。どこかが痛むからではない。今、思い願っていた事が、すぐに叶うなんて信じられないのだ。 けれど男の腕はしっかりと自分を抱いていた。力強くて、少し息苦しさを感じる抱擁。たまらなく気持ちいい。これだけでとろけてしまいそうになる。 男は繋いでいた金具を外し、先程と同じようにゆっくり腕を伸ばした。 詰まっていた血潮が全身に巡り、じんわりと身体があたたかくなる。むず痒く、気持ち良かった。 「痛かったろう」 「……いたく、ない」 「こんなに泣いているのに?」 涙を拭いながら頷く。本当に痛くないのだ、男の鞭は。自分でも不思議に思う。 「熱いのも、痛いのも……」 男がしてくれていると思うと、たまらないほど甘美なものになる。使ってるものは同じなのに。鞭も蝋燭も変わりはないのに何もかも違う。 男の唇がゆっくり触れてくる。 僚はほのかに笑みを浮かべた。腕に抱かれ、硬い床の上から柔らかなベッドへと移る。間近の視線を見つめ返し、好きと声に出すが、先刻泣き叫んだせいかかすれた音にしかならなかった。たったこれっぽっちも言えない自分に焦れて、もう一度絞り出しながら口付ける。深く求めながら、片手を男の下腹へと伸ばす。 「っ……」 積極的に求めてくる少年の右手に小さく震え、神取は素直に腰を動かした。お返しに彼のものを手のひらに包み込む。 口の中で僚が呻く。いや、自分の声かもしれない。 互いに与え合う歓びに頭の芯がとろけてゆく。 入れて。僚が乞う。 入れてほしいの。余裕もないくせに聞き返す。じれったそうに身悶える、少し拗ねた顔がしようもなく可愛い。 お願い…濡れた声に微笑んで頷き、ゆっくり彼の中に埋める。 「あぁ、あっ……」 腕の中で僚の身体がぶるぶると震える。耳にかかる湿った吐息に神取も身震いを放った。 「あつ……気持ちいい……」 濡れた瞳が縋るように見上げてくる。背筋がたまらなく痺れ、神取は欲望の赴くまま腰を前後させた。 繋がったすぐ傍で、彼のものがびくびくと苦しそうに喘いでいた。触れた瞬間は、すぐに開放しようと思ったのだが、嬉しそうに緩んだ顔を見て、少し意地悪をしたくなった。 「それ、すぐ…いっ……」 同時に責められたら、いくらももたない。僚はもつれる舌で告げた。 忙しなく吐息を紡ぐ唇を親指でなぞり、神取は首を振った。 「たかひさ……」 穏やかに微笑む男を不安げに見つめ返し、僚は自身の下腹を見やった。 「私がいいというまで、いってはいけないよ」 「やぁ、だ……」 僚はきつく眉根を寄せた。せめてこれがなければと、男の手首を掴む。 「僚、我慢して」 「だめ……たかひさ、もっ……いく!」 「……まだだ」 少し手が緩む。言い付けを守るにはいいが、出したくてたまらなくなっている身体には、物足りなくて、もどかしさに涙が滲む。 半ば無意識に後ろを締め付けて男を貪る。けれど嗚呼足りない。 どうかもう意地悪しないで、いかせてほしい。 「たかひさ……い、いきたい」 「君のその顔……とてもいい」 笑う男を恨めしそうに見上げる。 「だからもっと見せて。泣くほど我慢している君の顔を、見せてごらん」 「やだぁ……」 濡れた声でよがり、僚は変態、と投げ付けた。 男は笑みを深めた。腹の底がぞっとするほど優しい微笑に、喉が引き攣る。 「そうだね……でも違うよ」 「……しってる」 返事ににっこりと笑い、神取は強く突き込んだ。繰り返し何度も何度も、彼の好きな最奥を先端で抉るように刺激する。 始めの数回は歯を食いしばって耐えた僚だが、すぐに崩れ、駄目、と鋭い声を上げた。 「やだ、や……いく!」 「まだ許していないよ、僚」 「もう許して、あぁっ……おねがい!」 愉しげに笑い、神取は動きを速めた。彼の喘ぎに隠すようにいてため息をもらす。 嗚呼、彼とこうしている時は本当にたまらない。 手の中で若い雄がびくびくとのたうつ。 「ああぁ…もうだめっ……!」 腕の中で若い身体がびくびくと身悶える。 限界の寸前、神取は耳元で許しの言葉を囁いた。 僚は何度も低く呻き、おこりのように四肢を強張らせた。 互いの腹に、身体の奥に、熱いものを吐き出す。 やっと許された開放に僚は幾度も喘いだ。身体の震えが止まらない。止まらない、欲望も。男が欲しくて、もっともっと欲しくて止まらない。 まだ収まらない身体が、次の高みに向けて動き出す。 |