Dominance&Submission
砂時計
三十の言葉と同時に、僚の眦から溢れた涙が頬を伝って床に滴り、すでに幾粒も降り注いだ上に音を立てて落ちた。 約束どおり男は鞭を振るう手を止め、声を殺して啜り泣く僚の傍に跪いた。 泣き顔を見られまいと、慌てて顔を背けるその顎に指をかけ、やや強引に自分の方を向かせる。 一瞬抵抗したがすぐに諦め、僚は素直に顔を向けた。束の間目を合わせ、恥ずかしさにすぐに伏せる。 打たれるまま数えられずに、実際は倍近くも鞭を受けた尻は縦横に朱い筋を浮き上がらせ、痛々しく腫れ上がっていた。 男はそこにゆっくり手を伸ばすと、いたわるように優しく触れた。 飛び上がりそうな痛みをぐっと飲み込み、僚は喉の奥でうめいた。 「少しは、反省出来たかな」 手のひらに伝わってくる熱に口端を緩め、神取は目を覗き込んだ。 瞬きを繰り返しながら男を見上げ、僚は途切れがちにごめんなさいと囁いた。 眼差しを受け止めたまま、神取は熱を帯びた尻を優しく撫でた。 幾筋も流れた涙で濡れた頬に唇を寄せ、ついばむような接吻を繰り返す。 柔らかい唇の感触に僚は微かなため息をつき、恥ずかしさを感じつつも素直に身を委ねた。 心地好い口付けに、じくじくとした痛みが段々薄れていく。 男の与える苦痛は、時に涙を流してしまうほど苛烈だが、翌日の夕暮れまで尾を引いた事は一度も無かった。その瞬間は辛さのあまり気が遠くなる事はあっても、実際は傷の一つも付いていない。 それだけ、慎重に加減されている。 傷付けるのが目的ではないからだ。 だから、それを知っている僚も本当は安心していいはずなのだが、打たれている瞬間にそれを思い出すのは容易ではなかった。 いつも、早く終わって欲しいとだけ願い苦痛に耐えて、そんな自分に無意識の内に酔い痴れる。 自覚した瞬間この上もない羞恥に見舞われて。 この時はまだ、そこまで届いていなかった。 痛みを癒してくれる唇に委ねて目を閉じ、少しずつ呼吸を整える。 男は僚を抱き起こすと、片方の手を背中に這い登らせ、もう一方の手でそっと髪を梳いてやった。 額に軽く口付ける。 そしてゆっくり唇で辿りながら、頬から首筋にかけて愛撫し、音を立てて耳朶に吸い付く。 「んっ……」 白金の輪を舌で絡め取られ、引っ張られて、僚は思わず小さな声を上げた。 身体の奥深くで、埋め込まれたビーズから生じた疼きが脳天を直撃する。 はっと目を見開き、男の腕の中怯えたように身を竦める。 気付けば、薬の効果か痛みは耐えがたい快感のうねりとなって身体を包み込んでおり、ひりひりと痛むほどに、震えが走るほどの愉悦を引き寄せる。 「うっ…あ……」 今にも溺れてしまいそうになる自分を必死に奮い立たせ、僚は愛撫を寄越す男から逃れようと身を捩った。 「あ、あぁ……」 けれど男の手と舌は動きを止めず、どころかより強烈で深い快楽をもたらしながらゆっくりと肌の上を這った。 どこが感じるか、知り尽くした動きで。 それは、鞭を受けた事で一旦は萎えた下腹を煽り、更に威力を増す媚薬とあいまって僚を苛んだ。 痛いほどに屹立したそこを、男が見逃す筈がない。 それでも何とか隠そうと、痛む尻を庇いながら必死にあとじさる。 直後、男の手が強引に僚の身体を抱き上げ、ベッドにおろした。 突然の浮遊感に僚は一瞬目を眩ませ、状況を把握した時には、両手をばんざいの形で押し付けられ、じっと見下ろす男の眼差しに晒されていた。 強く鋭い双眸に、ごくりと唾を飲み込む。 抵抗を封じる手に、格好に、鼓動が幾分早まる。 目を合わせている事に耐えられなくなり、僚はおどおどと顔を背けた。 微かに過ぎる恐怖とすれ違うようにして、腰の奥がざわめき始める。 無意識に膝を擦り合わせ、僚はもぞりと身じろいだ。 ほぼ同時に、男が背を屈めて胸元に顔を寄せた。 「んっ……」 吐息が触れ、すぐ後に濡れた唇が乳首に音を立てて吸い付く。 ねっとりとした感触に脳天がじんじんと痺れ、少しでも気を抜けば声をもらしてしまいそうになる。 僚はぐっと息を詰め、目眩がするほどの強烈な刺激に耐えた。 しばらくの間、男が胸元を弄るいやらしい響きと、僚の押し殺した息遣いだけが続いた。 今にも男を突き飛ばして隠れたい気持ちと、後からくる羞恥など忘れて溺れてしまいたい気持ちとがせめぎ合う。どちらも出来ぬまま、僚は男に押さえ付けられていた位置で両手にシーツを握り込み、掠れた喘ぎに身悶えては息を飲み込んだ。 やがて、硬く尖った乳首を嬲っていた舌が徐々に下方へとずれ、気付いた僚ははっと目を見開いた。臍に届く寸前、声にならない声で嫌だともらす。 そこで一旦男は身体を起こし、変わらぬ穏やかな表情で静かに言った。 「足を、開きなさい」 まっすぐに見据えられ、再び出かかった言葉を飲み込む。嫌だと言いたいのに、声が出ない。 あの目に見つめられると拒めない…… 辛うじて、僚は首を振った。 身体は、男の愛撫をもっと欲しいと訴えていた。けれどそれがどれほどの羞恥を生むか、嫌というほど知っている。 そして、底なしの快楽となる事も。 男は黙したまま、身動きせずに僚を見つめた。 静かに時が流れる。 薬の効果を自覚した瞬間から生じた疼きが、微熱を伴ってじわじわと全身を侵していく。手に取るように分かる。 熱が治まるまで、男に委ねるしかない やがて僚は強張った身体をびくびくと弛緩させると、ぎこちなく足を開いていった。 頬は燃えるように熱く、身体の中心で痛いほど屹立した熱茎は、それ以上に熱を放っていた。 見つめられる羞恥からか、それとも悦楽を待ち侘びてか、それは不規則にひくひくとわななき、だらしなく涎を垂らしている。 真っ赤な顔で虚空を睨み付ける僚の眼差しは、薬によって艶めかしく潤み、濡れた睫毛とあいまって男の嗜虐心を大いにかきむしった。 彼が、愉悦に溺れ我を忘れて乱れ狂う様を思い浮かべるだけで、身体の芯が熱く痺れる。想像だけでいってしまいそうになる。 長く続く沈黙に怯えて、僚はベッドを軋ませわずかに身悶えた。渇いた喉をごくりと鳴らし、引き攣れたため息をもらす。 「そのままでいなさい」 言って、男は再び身を屈めた。 「う…っ…あ……」 ぎゅっと目を瞑り、僚はきつく唇を噛んだ。飲み込もうとしても、男の熱く湿った唇が肌に触れた途端に声はもれ出て、自らの生々しい吐息に頭の芯がぼうっと霞む。 その一方で、腰の奥から突き上げてくる射精欲を解放したいと男に縋りたがってもいる。 どちらも選べない状況に翻弄され、噛んだ唇の痛みも麻痺しかけた直後、男の声が唐突に耳に飛び込んだ。 「反省しているかい」 波に飲まれそうになった自分に差し伸べられた手に即座に縋り、はっと目を瞬かせた。正面に男の顔がある。しゃくり上げながら、僚は何度も頷いた。 「してる…もう、二度と……」 あんな事しません 心を見透かすように向けられた強い眼差しに、僚はぎこちなく答えた。 「嘘ではないだろうね」 「嘘なんか…ちゃんと…言う事聞く……から――!」 言い終える前に突然後孔に指を突き入れられ、僚はひっと息をもらした。 「本当に、ちゃんと言う事を聞くかい?」 ビーズをかき回すように指を蠢かしながら、男は言葉を続けた。 「ああぁっ……あぁ――!」 しなやかに背を反らせ、僚はびくびくとわなないた。 頭の芯が真っ白になりそうな刺激に、一瞬意識が遠のく。辛うじて目眩を振り払い、必死に頷く。 「どうかな」 それを、男は素っ気ない一言で一蹴した。 「君はいつもそうだね。さっきの言葉も、その場しのぎの嘘だったんだろう?」 「違う、そんな事……!」 「そんな事はない?」 続きの言葉を口にしながら、まだ少しきついそこに男は三本の指を押し込み、根元まで埋めて突き上げた。 「うああぁぁっ……!」 少し高めの、張りのある叫びを迸らせ、僚は激しく身悶えた。前立腺を刺激され押されるようにして先端からおびただしい量の雫が溢れる。 「私の目を見て答えなさい」 手を動かしながら、神取は追い詰めた。 まるで耳に入っていないのか、僚はいやらしく腰をくねらせ、がくがくと弾ませながら愛撫に身悶えた。 「ああぁ……もっ…いく……いく――」 熱に浮かれて呟く様に男はふっと口端を歪め、今にも破裂しそうに屹立したそれを強く握りしめた。 「ひぃっ……!」 突然の圧迫に僚は混乱の声を上げ、即座に男の手を打った。 「…い…たい……」 快感の解放口であったそこを突然急所にすりかえられ、僚は涙ながらに痛みを訴えた。 それがどれほど辛いか知っている男は、しかし表情を崩さず、淡々と言った。 「今は、お仕置きをしているんだよ」 その言葉に僚ははっと息を飲み、浅ましい姿を晒してしまった自分に顔を歪ませた。 「やっぱり、口先だけだったんだね」 言って、握った手に一層力を込め僚に悲鳴を上げさせると、神取は静かに指をほどいた。きつい圧迫から解放されたそれは半ば萎えて、ずきずきと鈍い痛みを放ちながら恐ろしさに震えていた。 謝る事も出来ず悲痛な表情を浮かべる僚の視線を連れて、神取は一旦ベッドからおりると、傍の引き出しから細い革紐を取り出した。 目にした瞬間、僚は首を振った。 蜘蛛の巣を壊したような、何本もの革紐が連なるそれは、射精を禁じ、鈍く長く性器を戒めるもの。その拘束がどれほど辛いものか身に染みてわかっている僚は、両手で自身を庇い必死に首を振った。 「手をどけなさい」 支配者の声に逆らい、頑なに拒む。 薬を飲まされた身体で射精を禁じられ、抱かれたら、それこそ狂ってしまう。いっそ消えてしまいたいほど淫らに狂ってしまう。そうなるくらいなら、痛みの方がずっとましだ。 「やだ……」 喉の奥から声を振り絞った途端、唐突に涙がぽろぽろと零れた。自分で自分の反応に驚き、慌てて泣き顔を隠す。 胸が震えるほどの愛しさに、男は瞬きも忘れ僚を見つめた。 追い詰められ、混乱する彼の仕草全てが愛しくてたまらない。 こんなにも心乱される事は、彼に逢うまで一度もなかった。頭に思い描いたとおりの役割を、寸分違わず辿って、それがあたりまえと肩を竦めていたのが嘘のよう。彼を前にすると、どんなに冷静に振る舞おうとしても必ず失敗して、それを悟られないようにするのが精一杯だ。 こちらが主導権を握っているように彼は思っているだろうが、それは大きな間違いだ。 驚き、うろたえて移り変わる表情に目を奪われ、気付けば、冷静さなどどこかへ吹き飛び、彼と共に快楽を貪っている。 以前の自分からすれば目も当てられない失態を、繰り返している。 逆にいえば、それだけ、彼に魅了されている。 自分は、僚のくれる全てが好きなのだ。 僚を喜ばせたい、それを感じ取りたくて、彼を支配する。 必ず失敗してしまうやり方で。 神取は密かに呼吸を整えると、革紐を傍のテーブルに置き、横にあった砂時計を手に取った。おもむろに口を開く。 「……使って欲しくなかったら、自分で握って我慢しなさい」 砂時計を僚に近づけ、言葉を続ける。 「中の砂が全て落ちきるまで」 いいね 砂時計と男の顔とを交互に見つめ、僚はおずおずと頷いた。庇っていた手を恐々ほどき、先走りの雫にぐっしょりと濡れた自身のそれを両手に包む。 神取は砂時計を逆さにしてテーブルに置くと、ベッドに座り、握った手から覗く僚の雄に顔を寄せた。 寸前までそれを見つめていた僚は、間際に目を閉じ、ねっとりとぬめる粘膜に包まれる瞬間を瞼の裏に感じ取った。 「は、うっ……」 敏感な先端の窪みに舌を挿し入れられ、続けざまに背筋を走る快感に、頭の芯がじんじんと痺れた。 薄く目を開き、砂時計を見やる。 砂が全部落ちきるまで、五分。 この身体がいつもと同じならば、耐えられるだろう。 だが今は、これ以上我慢出来ないほど薬に煽られ、思考さえ覚束ないところまで追い詰められている。 硬く張り詰めた睾丸は引き攣れた痛みに苛まれ、どうして解放してくれないのかと僚を内側から責めた。 五分我慢すればいい 思い浮かべるだけ無駄な言葉を、呪文のように繰り返していた内側の声は瞬く間に掠れ、いつしか僚は、先端を執拗に嬲る男の舌に自ら腰を突き出して快感を貪っていた。 握っていたはずの手がほどけ、いつの間にか扱く動きに変わったのを見て取り、神取は密かに笑みを浮かべた。僚の手に合わせ舌を絡め、片手を後孔に近づける。ビーズについたリングにそっと指をかけると、一つずつじっくりと、抜き始めた。 途端に、僚の口から甘い鳴き声がもれ、男の腰に響いた。 「はっ…あ……いい……ん、あ……」 絶え間なく嬌声を零しながら、僚は何度も呟いた。 「あぁ…いっ…い……鷹久……たかひさ――」 陶酔しきった様子で繰り返す僚に、はからずも、射精なしの絶頂を味わう。 それは、引き抜かれるビーズの最後の一粒がとどめとなり、待ち侘びていた射精を遂げた僚と、ほぼ同時だった。 目も眩む官能が背筋を駆け抜ける。 己の代わりに放たれた白液を口中に受け止め、神取は小さくわなないた。 掠れた吐息に唇を震わせ、僚は全身を突っ張らせて絶頂の悦びを表した。自身のものを強く吸い、残らず飲み干そうとする男の咽頭の動きに、恍惚の表情を浮かべる。 やがて神取はゆっくり顔を離すと、荒い息に胸を喘がせ余韻に浸っている僚を静かに見つめた。それからそっと、彼の意識を呼び戻さないようベッドをおりると、濡れた手をテーブルのティッシュで拭い、砂時計の横に置いた革枷を掴んだ。 ちらりと僚を見やる。 いまだ漂っているのか、こちらにはまるで気付いていない。 神取は微かに口元を緩めた。 視線はそのままに、引き出しの中から手探りで玉状の口枷を取り出す。 二つを手に、音もなく僚の横に腰を下ろすと、微かな揺れに気付いてはっと見開かれた瞳がぎくりと強張った。 「口を開けなさい、僚」 何事か伝おうとして震える唇に口枷を近づけ、神取は穏やかな声で言った。 僚の眦に、新たな涙がじわりと滲んだ。 |