Dominance&Submission

革手袋

 

 

 

 

 

 地下の駐車場からリビングのソファーまで、神取は僚を抱いて運んだ。理由は、まだ少し左足を庇って歩いているのに気付いたからだ。支障なく歩けるようになったと本人は言っているが、まだ一週間しか経っていないのだ。完治には程遠い。一時の無頓着が後々まで響き、下手をすると一生不自由な思いをする事になる。そんな思いをさせるなんて冗談じゃない。心配し過ぎるくらいで、ちょうどいい。
 僚にしてみれば、そこまで過保護にされるのは正直勘弁願いたかった。いくら心配だからといって、小さい子供でもあるまいし抱っこの状態で運ばれるのは非常に恥ずかしかった。それに、いつどこで人とすれ違うかわからない。部屋にたどり着くまで、冷汗の連続だった。
 ソファーにおろされ、ようやく肩の力を抜く。ほっと息を付き、当然とばかりに澄ましている男の顔を密かに睨み付ける。その一方で、限りない優しさに感謝している自分もいる。
 気付いているのかいないのか、目を合わせて男は微笑み、僚のコートを脱がせ始めた。
 間近に寄った顔に胸が高鳴る。僚は慌てて目を逸らした。
 男の手が、丁寧にマフラーをほどき、コートのボタンを外していく。拒もうとして思い直し、僚は素直に身を任せた。

「今日はちょっと変わったものを用意してあるんだ」

 自分のコートと僚のコートをハンガーにかけ、男は嬉しそうにそう声を掛けながらキッチンに向かった。
 変わったもの…何だろうと僚は顔をほころばせた。
 自身の出張先で購入したみやげ物や、会社の人からのもらい物を、よくお裾分けされる。今回も、出張でしばらく逢えないと聞かされた時、寂しいと思う気持ちもあったが、出張先でのみやげ物に期待した気持ちも、少なからずあった。
 何が出てくるのだろうとわくわくしながら待っていると、ふっくらとした日本茶の香りが漂ってきた。
 男の運んでくる小さな角盆に目を凝らす。

「どうぞ」
「……へえ」

 僚は嬉しそうに目を見開いた。
 出されたのは、渋色の器にしっとりと映える鮮やかな色をしたあんぽ柿だった。添えられた湯のみからのぼる白い湯気が、よく似合った。
 今回は残念ながら出張土産を用意出来なかったが、その代わり秘書の柏葉から、彼の実家からの贈り物…今が最盛期の干し柿を貰ったので、お裾分けだと男は説明した。
 果物は何でも好物、目がない僚は、おお、へえ、と感嘆の声を上げた。
 輝く横顔に微笑みながら、男は柏葉の出身地を口にした。

「そこが一番有名なんだ、干し柿、あんぽ柿」

 続けて、あんぽ柿に関するちょっとした知識を伸べ、ただの干し柿とはひと味違うんだよ、と僚は滑らかに説明した。
 男は素直に感心する。
 ただ果物が好きというだけではなく、好きなものを熱心に追究する姿勢に好感が持てた。
 その中に少し、おや、と思う部分が紛れる。久しぶりだから、お喋りにも熱が入るのだろう。
 上手く言葉の合間をついて、召し上がれとすすめる。
 たちまち僚は目を見開き、ありがとうと満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ、いただきます」

 あんぽ柿と少年という奇妙な組み合わせに、男の頬が自然と緩む。
 とろけるようなあんぽ柿を頬張り、僚の顔もとろけそうになる。
 緑茶をひと口啜り、僚はお喋りを続けた。
 男も参加する。
 聞いたのは、学校での生活や授業の事、たまに僚が口にする美味いラーメン屋、そしてまたチェロの話。
 特に、チェロには二人とも思い入れがあるせいで、話は中々尽きなかった。
 二度お茶をいれなおし、ようやく話も一段落ついてふと見れば、とうに昼下がりを過ぎていた。
 そんなに経っていたのかと内心驚きながら、僚はもう一度、男に言われた通りに指を揃え煙草の箱を持ってみた。
 持つだけなら理想的な形になるのだが、いざ弾き始めると左手に気持ちが持っていかれてしまい、気が付けば弓を握り込んでしまっているのだ。
 まだまだだな。
 ふうと息を吐く。
 その様子をじっと眺めていた神取は、ふうと息を吐いて煙草の箱をテーブルに戻した僚に向かって、静かに口を開いた。

「ところで、僚は」

 妙なところで言葉を区切る男に軽く首を傾け、僚は続きの言葉を待った。

「逢えない間、自分でしたのかい?」

 ややあって紡ぎ出された質問を、一瞬遅れて理解する。瞳を忙しなく左右に揺らし、僚は口を閉じたままぎこちなく頷いた。

「どんな風に?」

 すかさず神取は次の質問に移った。

「どんな……て」

 うろたえ、僚は普通にと答えた。

「普通に?」

 聞き返され、口ごもる。男の声音には、まさか普通で満足出来るはずかないと驚きが含まれていた。遠まわしの侮辱だが反論の余地はない。
 僚は押し黙った。
 と、いきなり身体をすくい上げられ、驚くより先に男の肩にしがみ付く。
 そのまま寝室に運ばれ、ベッドに寝かされて、僚は顔を強張らせた。

「本当に、普通に?」

 神取は手首を掴んで覆い被さると、もう一度問い詰めた。
 まっすぐ見下ろされ、全て見透かしているのではないかと思えるほど強い視線の先で、僚はぎこちなく頷いた。頷いてから、激しい後悔に見舞われる。
 支配者の前で、嘘などつき通せるはずがないのだ。
 しかしもう、遅かった。
 突然唇を塞がれ、瞬間思考が止まる。掴まれた手に力を込めて押し返そうとするが、それ以上に男の力は強く、抵抗の出来ない格好と状況が、激しい興奮となって僚に圧し掛かった。

「ん…んっ……」

 まるで飲み込まれてしまうのではないかと思えるほど荒々しい口付けに、僚は息を乱れさせた。鼻にかかった声をもらし、ひゅうと喉を鳴らす。

「あ…やっ……」

 何を目的とした口付けなのかおぼろげに悟り、僚は無駄に等しい抗いを試みる。
 しかしそれより先に男の舌が唇を舐め、口の奥で萎縮して震える赤い柔肉を絡め取って、そこから抵抗を奪い取ろうと奔放に蠢いた。

「んん…ん……」

 耐え切れず首を振って逃れても、間を置かずまた塞がれて舌を強く吸われる。甘く強烈な痺れが瞬く間に全身に広がっていき、僚はなす術もなく震えを放った。

「や、だ…ぁっ……」

 自分でもぞっとするほど甘い吐息をもらしながら、胸を喘がせる。これ以上感じては駄目だと手を強く握り締めるが、その両手を誰が押さえ付けているのか、口付けを交わしているのは誰なのか、そこまで無視するのは叶わなかった。
 湿った音を立てて唇を貪られるごとに、腰の奥で何かがうねりを上げる。目を逸らそうにも、一旦昂ぶり始めた身体が素直に言う事を聞くはずもない。
 ジーンズの硬い生地の下で確実に変化する自身の雄に、僚は目の端を熱く潤ませた。

「もっ…う……」

 かすれた声でそう訴えると同時に、男はゆっくりと顔を離した。
 試すように薄く笑った顔で見下ろされ、たまらずに僚は顔を背けた。
 直後、片方の手首から離れた男の手が、まっすぐ下腹に伸ばされる。
 咄嗟に身を捩って避けようとしたが、それより先に下部に触れられ、結果僚は男の手を挟む形で身体を丸める格好になった。

「っ……」

 顔の半分をシーツに埋め、僚は喉の奥で小さく呻いた。
 動けなくなった僚に口端を持ち上げ、神取は静かに言った。

「硬く、なっているね」

 恐れていた言葉を耳にし、僚は頬を熱くさせた。生地を通して徐々に伝わってくる手のひらの熱に、下部の膨らみがかすかにわななく。

「キスだけでここを硬くさせるようないやらしい子が、普通のやり方で満足するなんて、とても信じられない」

 意地悪く追い詰める神取の言葉に、僚は唇を引き結んだ。

「そう思わないかい、僚」

 応えはないだろうと、神取は問い掛けた。案の定、目を逸らしたまま黙り込んでいる。
 ただ瞬きだけを繰り返す僚の顎をもう一方の手で掴み、神取は自分の方に向けさせた。

「君は、どう思う?」

 頬をさする指の感触に、僚は小刻みに身体を震わせた。すぐ傍に、支配者の貌がある。決して声音を荒げず、それどころか錯覚してしまうほどの優しさと、また裏腹に泣き叫びたくなるほどの恐怖をも与える支配者の息遣いに触れ、身体の芯がびりびりと痺れた。

 もう、始まっているのだ。

 早く答えなければ。しかし、この男がとうに自分の性癖を知り尽くしていようとも、一人の夜をどう慰めて越えたかなんて、口が裂けても言えない。
 しかし沈黙を貫けば、より大きな羞恥を与えられるのはわかりきっていて、かといって素直に答えても、それを理由にやはり同じく羞恥を感じねばならない。
 いっそ目も眩む恥じらいに身を縮ませ、僚は途方に暮れた眼差しを男に注いだ。
 時折思い出したように身じろぎ、何とかして手を振りほどこうとする僚に、神取は胸の内の昂ぶりをどう操ろうか思案する。哀願にも似た縋るような目が、何か伝いたげにわななく唇が、たまらなく愛おしい。
 ともすれば声を聞くだけで極まりを迎えてしまいそうな、全身を余す事無く満たす歓喜に、息が乱れる。
 しばらく声を聞いていなかったからだろうか。キスの合間にもらした甘えるような響きが鼓膜を震わすたび、もっと泣かせたいと、涙を飲んでみたいと貪欲で残酷な自分が深奥から這い上がってくる。
 止めようもない。
 抑え切れない感情に突き動かされて、僚の下腹に向けた手に力を込める。

「っ…い……たっ……」

 とせり上がってくるような鈍痛に、僚は息を詰めた。咳込むように訴える。硬い生地に阻まれ、実際はほとんど痛みとはいえないが、もしかしたらという恐怖によって増幅され、それに支配される。

「や……」

 信じきっていながらも拭いきれない恐怖に僚の瞳は苦痛を浮かべ、ほんのわずか潤んだ黒い光に、神取は我を忘れて見入った。

「早く言わないと、ここを握り潰すよ」

 しゃくり上げ、僚は激しく首を振った。
 拒絶だろうか。それとも、そんな事をするはずがないと言っているのだろうか。
 とっくに自由になった両手も使わずただじっと見上げるだけの僚を見つめ返し、神取はさらに力を強めた。

「やっ……赦し……」

 全身を強張らせ、僚は切れ切れに訴えた。今では使う必要のなくなった一言が今にも口から零れそうになるのを必死に飲み込み、闇雲に掴んだシーツを強く握り締めて耐える。
 不意に圧迫がとかれた。一瞬間を置いて息を吐き出し、恐々と四肢を伸ばす。

「そこまで隠すということは、やはり、普通などではない、という証拠だね」

 恐々と揺れる瞳に微笑を向け、神取は続けた。

「ますます聞きたくなったよ」

 言葉と同時に立ち上がり、今度は僚の足元に腰を下ろす。そのまま手を伸ばし、僚の右足を掴むと、前屈みになって顔を寄せた。

「えっ……」

 何をするのかと途方に暮れた眼差しで成り行きを見守っていた僚は、持ち上げられる右足を強張らせ、わずかに上体を起こしかけた。
 すぐ後に、信じられない光景が目に飛び込む。
 靴下を引き脱がされ、まさかと思った瞬間には、男の唇が足の指に押し当てられた。

「なっ……!」

 自分の目に映るものを、俄かには信じられなかった。

「や――……!」

 僚は酷く狼狽し、止めてくれと叫んだ。しかしそんな一言で男の常軌を逸した行動が止むはずもなく、足の指を舐められる凄まじいおぞ気に身震いを放ちながら僚は繰り返し叫んだ。

「や…めっ……!」

 皮膚が浮くような疼きに、言葉が途切れる。
 構わずに神取は、逃がさぬようしっかりと足首を掴むと、見せ付けるようにわざとゆっくり舌を動かし、親指の裏を丹念に舐め愛撫した。時折湿った音を立てて吸い付き、咥え込んで、軽く歯を当てては、硬い皮膚を溶かすようにじっくりとねぶる。

「や…も……おねが……ごめんなさい……」

 悲鳴混じりに叫び、僚は何度も謝った。頭が混乱する。いくら出掛けにシャワーを浴びたとはいえ、たった今ではないのだ。しかも、足の指だ。なのに、舐められる行為に異常なほど興奮してしまっている。どうしてだかわからない。どうしていいかわからない。
 自由な左足を踏ん張って逃れようとした瞬間、だるい痛みが足首を襲った。

「いっ……」

 眉根を寄せ、一瞬の痛みを訴える僚に、男は眼を眇めた。

「無理に暴れると、また左足を痛めるよ」

 動けなくなった僚に意地悪くそう投げかけ、軽く首を傾げる。
 その一言に、僚は白旗を上げた。

「言う…から……ごめんなさい……お願い……」

 男の手を掴み、涙を零しながら訴える。
 そこでようやく神取は足を離してやった。
 同時に僚は身体を支えていた肘を崩し、ベッドに身を沈めた。しゃくり上げるように息をつき、頬に流れた涙を慌てて拭う。

「どんな風に、していたんだ?」

 まだ息を乱れさせている僚に、男は静かな声音で問い掛けた。ためらいながらも何とか言葉を綴ろうとする僚に目を細め、薄く微笑を浮かべる。そしてゆっくりと再び足首に触れ、びくんと跳ねる感触を楽しみながら脚を撫で上げる。
 張りのある太股を楽しむように這い上がり、やがて男の手は僚の下腹に触れた。また痛みを与えられるのかと竦み上がる僚の恐れとは裏腹に、膨らみの輪郭を確かめようとするだけの力で握り込む。

「ん……」

 まだいくらか痛みの残っていた箇所に加えられる圧迫は、何かがじわりと溶け出す瞬間の淡い疼きとなって、僚を翻弄した。小さく喘ぐ。

「ここで?」

 萎えた気配のない僚のそれに唇を緩やかに持ち上げ、神取は問い掛けた。
 恥ずかしさをこらえ、僚はこくりと頷いた。

「ここだけで?」

 まさかと驚く声に顔を真っ赤に染め、僚はごく小さく首を振った。

「他にどこを弄って、自分を慰めた?」

 穏やかな口調のまま、しかし無言を許さぬ強さで、神取は尚も問い詰めた。

「う……」

 言いかけて、僚は口を噤んだ。
 その口が再び開くまで、神取はじっと待った。下部を握り込んだ手のひらに、時折不規則な脈動が伝わってくる。痛々しいほどに恥じらいながらももっとひどく苛めて欲しいと訴える僚に、激しく胸が高鳴る。

「うしろ…に……」

 時折言葉を詰まらせながら、ようやく僚は、震える唇から残さず白状した。
 言い終わった時には、耳まで真っ赤に染まり、今すぐ消えてしまいたいと小刻みに震えていた。
 今日に限って僚が指輪をしてきた理由を知り、男は口端を軽く歪めた。しかし今はその事に触れず、後の愉しみにと、口を開く。

「……私に、嘘を吐いたね」

 微笑み、ぞっとするほど穏やかな声で囁く。

「僚は悪い子だね。私に嘘を吐くなんて」

 背筋がぞくぞくする。

「そんな悪い子には、お仕置きをしないといけないね」

 男の言葉の一つ一つが、僚の興奮を激しくかきたてる。目が眩み、呼吸も満足に出来ない。
 触られたきりほとんど刺激もないのに、男の声だけでいってしまいそうになる。
 腰の奥に感じる重々しい脈動に、今にも身悶えてしまいそうになる自分を必死に押しとどめ、僚はかたく目を瞑った。
 不意に男が立ち上がった。

 

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