幸せなら手を繋ごう
厳冬、ラーメン、コーヒーゼリー、たい焼き、甘酒。

また明日

 

 

 

 

 

 今日は、今年一番の冷え込みになるでしょう。

 朝、テレビでお天気お姉さんが言っていた通り、空の色からして寒々しい天候だった。
 その上強い北風がびゅうびゅとひっきりなしに吹き付け、道行く人たちの体温を容赦なく奪っていった。
 皆一様に首を竦め、足早に歩き去っていく。
 聞こえてくる彼らの心の声も皆同じで、寒い、学校に会社に行きたくない、帰りたい…といった厳しいものだった。
 自分は超能力でどうとでもなるので暑さ寒さに悩まされる事はないのだが、彼らの声には悩まされる。
 聞いていると、自分まで寒さに凍え死ぬような、あるいはうだる暑さで死にそうな気分になる。
 だから、出来るだけ早く遠ざかる為学校へ急ぐ。
 学校に着いて、玄関に入ると、寒い寒いの合唱は少し弱まった。
 教室に近付くと更に和らぎ、教室内から聞こえてくるあったけぇ、マジ天国、身体とろける…にちょっとだけ救われる。
 はやる気持ちを抑え、いつもの調子で教室に入る。
 ドアを開けた途端聞こえた、早く閉めてーとの訴えは、実際に誰かが言ったものではない。ドア付近に座った女子による文字通りの心の叫びだ。
 この季節、ドア付近の席はつらいものがあるな。
 彼女の健康を害さない為にも素早くドアを閉める…閉めようとした時、誰かの手ががしっと掴んで止めた。
 自分よりやや小さな手、その指に巻かれた赤い包帯を見るまでもなく、海藤だとわかった。
 廊下の先でこちらを見つけた時から、今日の第一声を繰り返し練習する心の声が聞こえていたからだ。
 ああそうだな、今日の異様な寒さはダークリユニオンによる陰謀だな。
 心の声を含めもう三回は聞いた口上を背中で聞き流し、自分の席に着く。
 早く入ってよー、という女子の心の叫びと海藤の気取った声とが入り交じり、ちょっとしたカオス状態になっていた。
 それもまあいつもの事なので、聞き流すのはたやすい。
 海藤と一緒に燃堂も登校してきたのは海藤によってわかっていたので、教室内に溢れるお喋りをかき分けるようにして届いた相棒!の声にも、さして驚かされる事はなかった。
 毎日の事なのだからいい加減自分も慣れていいと思うのだが、そうはならないのが歯がゆいところだ。そしてそこまでを含めて、毎日の事だ。
 いつもと同じように、燃堂と海藤が、自分を挟んで好き勝手お喋りを始める。
 それを聞き流して適当に文庫本を読む、読んでいると、隣のクラスからひと際醜い心の声が聞こえてくる。
 やれ、冬場は女子が厚着でつまらんだの、気合の入ったミニスカはいないかだの、教室の温度上げたら女子が薄着になってくれないかなだの、聞き苦しいものばかり。
 お前は本当に、煩悩まみれだな。
 密かにため息を零すが、それもまたいつもと変わらない普通の朝の風景だった。

 

 午後になると、白いものがちらちらと舞う天候となった。
 お天気お姉さんも気を付けてと言っていたな。
 こういう寒い日ほどラーメンがうまいんだよな、帰り食ってこーぜと、のんきに燃堂が誘う。
 対して海藤は、今日は遠慮するぜ闇の宴が云々と断った。解読すると、寒いので早く帰りたいという意味だ。
 多少の寒さならあったかいラーメンもありだが、雪が降るほど寒いのでは寄り道もままならない、風邪を引く、今日は絶対お断りだと、心の中で叫んでいる。
 そっかぁ、とつまらなそうにしながらも燃堂は納得した。相棒も早く帰ってあったかくしろよ、なんて、まっとうな気遣いが怖い。ああだから雪が降ってるのか、いや空気が読めないだけで燃堂にも思いやりの心はあったっけなと思い出す。
 お言葉に甘えて、今日は早く帰るとしよう。

 

 だからお前も早く帰れ、鳥束。
 放課後下駄箱に向かうと、待ち伏せしていたくせにさも今着いたような顔で鳥束が立っていた。
「今帰りっスか斉木さん。お供するっス」
 無言で横目に見つつ、靴を履き替える。
 鳥束は何がそんなに嬉しいのか、綺麗に整った顔に満面の笑みを浮かべて見てくる。
『わかったから、そんな待ての顔で見るな。帰るぞ』
「はいっス」
 いい返事だな、行儀よくお座りした状態からすくっと立ち上がる大型犬の幻が見えたよ。
 鳥束を伴って学校を後にする。
「雪、とりあえず止んでよかったスね」
 どんより曇った空を見上げて、こっちを見て、鳥束はお喋りを始めた。
『夜にまた降り出して、積もるかもしれないそうだ』
「ああ、朝のお天気お姉さんスね。斉木さんも同じの見てるんスね、じゃあ斉木さん、あのお姉さんと――」
 このお姉さんと、どっちのおっぱいが好みですかと聞かれてもな。
 お前のそのての質問に、一度でも答えたためしがあったか?
 しかし鳥束は気にしない。あっちはどうだから、こっちはこうだからと真剣に比較を続けていく。
 ちらっと見て目を逸らす。内容を無視すれば、悩む横顔はさほど悪くない。この場面だけ切り取って別の言葉を当てれば、五秒くらいは騙せるだろう。
 中身が腐りきってるから、それが限度だ。
 澄んだ目をしたクズめ、いいからさっさと帰れ。夜まで待たずに雪が降りそうだぞ。
 その願いも空しく、鳥束はとあるラーメン屋の前で立ち止まり、ここ、ここ、と手招きしてくる。
「授業中に幽霊たちに聞いてもらったんスけどね、この店、わりと評判らしいんスよ」
 お前、授業中に何やってんだちゃんと授業聞けよ。あと幽霊たちに使いっ走りさせるんじゃない。なんて奴だ。鳥束に代わって謝りたい気分だ。まったく、このバイ菌め。軽く額を押さえる。
 大体な、今日はあの燃堂でさえ気遣う天候なんだぞ、だというのに結局お前とラーメンか…なにか? 放課後はラーメンと、そうしないといけない呪いにでもかかっているというのか?
「ねえ斉木さん、ラーメン食べてあったまっていきましょうよ。奢りますから」
 幽霊たちの聞いた話だと、ここでよく注文されるのが昔ながらの中華そばだそうだ。
 鳥束の話を無視してさっさと帰るという選択肢もある。
 こっちが背を向けて歩きだせば、コイツも諦めて後をついてくるだろう。
 入るか迷う場合、コイツはこっちがその気になるまで、幽霊情報のプレゼンを延々繰り広げるだろう。そしてどんどん冷気に侵されていく事だろう。
 帰るにしても、家までまだ道のりがある。
 なので、奴の首根っこを掴んで速やかに店内に入る事にした。
 幽霊情報は中でゆっくり聞く事にしよう。

 

 中華そばを二つ頼んで待つことしばし、やってきた見るからに昔ながらの醤油ラーメンに、揃って舌鼓を打つ。
 店内は時間帯もあってか客はカウンターに二人ほど、それぞれがこの店自慢の中華そばともう一品――片方はチャーハン、もう一方は餃子――を頼んで美味そうに食べているのを見せられては、腹の虫も黙ってはいない。
 長く待たされたわけではないが、酷寒の中歩いてたどり着いた暖かい店内と、先客の美味そうに頬張る様とで、すっかりよだれがたまっていた。
 そして運ばれたラーメンは、待つ間に鳥束から聞いてイメージした通りの品で、本当に、何の変哲もない醤油ラーメン。しかしかえってその見た目が心を震わせた。
 立ち上る濃いめの匂いもたまらない。
 二人で揃っていただきますと頭を下げ、ひと口麺をすする。
 鳥束はもぐもぐと噛みしめた後、美味いっスねと眩しいくらいの笑顔を見せた。
 悪くない。素直に頷く。
 スープも後を引く。しょっぱいのだがそれだけではなく癖になる味で、ついもうひと口と手が止まらなくなる。
『鳥束、あとで件の幽霊たちに礼を言っておいてくれ』
(もちろんス。気に入ってもらえて良かったっス)
『実に悪くない、また来たいと思うほどだ』
(ほんとに? じゃあまた、今度来ましょうね)
「絶対ですよ」
 笑顔で念を押す鳥束に、もちろんだと頷く。
 もっと、寒さが和らいだらな。

 

 ありがとーございましたあー
 独特の声に見送られ、店を出る。
『ご馳走様、じゃあ帰るぞ』
 掛け声にはいと応え歩き出した鳥束だが、少し進んだ先にコンビニを見つけ、騒ぎ始めた。
「ねえ斉木さん、あのコンビニ寄りません? そうコーヒーゼリー、コーヒーゼリー買ってあげるから! ね、行きましょう」
 なんだその、おもちゃ買ってあげるからついておいでよ、みたいなのは。
『誘拐犯かお前は』
 そういう手口で女の子をさらってるんだな。
「ちょ、斉木さん……いいから、コンビニ行きましょうって」
『……やれやれ仕方ない』
 あまりのしつこさに折れる。たちまち鳥束はぱあっと顔を輝かせた。
 二人でコンビニに入ってゆく。
 っしゃーせー
 あざーっした
 自動ドアを出たところで、鳥束は嬉しげな顔でコーヒーゼリーの入った袋を渡してきた。
「はいどうぞ斉木さん」
『ありがたくいただこう、じゃあ帰るぞ』
「はいっス」
 素直に応えた鳥束だが、内面はひどく焦っていた。
(くう、もう終わりか、もうあとは帰るしかないのか……!)
(もうすぐ斉木さんちに着いちゃうじゃん……どうしよ)
 表面上はいつも通り下らないお喋りをしつつ、その内側では、いつかの誰かみたいに、他に寄り道出来るところはないか、もっと長く一緒にいられないものかと必死になって寄る場所を探していた。
 そのいつかの誰かに心当たりがあるだけに、鳥束をたしなめる事も出来ず、複雑な気持ちになる。
 少し歩くと、たい焼きの文字が書かれた移動販売車が停まっているのが見えた。
「あっねえ斉木さん、たい焼きも好きですよね! 食べてきましょうよ、好きなのなんでも奢りますから」
 発見した時の鳥束の顔を見てしまったからには、もう断る事は出来ない。
 自分もこんな顔をしたのかね。
 でもな鳥束、今日は本当に寒いだろ。もうすぐ雪が降るんだぞ。
 手招きする鳥束に従い、メニューが見えるところに移動する。
 見ると、たい焼きだけでなく大判焼き、たこ焼き、お汁粉に甘酒も販売していた。
「斉木さんどれ食べます?」
(うーさみー、甘酒とかあったかそうだな)
(斉木さん何食べるかな)
(さみーけど斉木さんとデート…たのしーな、でもさみーな、くぅーさむい!)

 

 ……やれやれ。
 こちらの返答を待つ鳥束をその場に待たせ、たい焼きと甘酒を一つずつ注文する。
 それぞれを受け取り、ぽかんとする鳥束に甘酒のコップを差し出す。
「……あざっス
 おいなんだ鳥束、おいおい嘘だろあの斉木さんが奢ってくれるとか何かの間違いだろ、ってなんだ、おいおいこりゃ雨通り越して大雪振るよああだから今夜大雪なのかってなんだ、誰かさんみたいな事言ってると両肩外すぞコラ。
『これ飲んだらもう帰れ。また明日会えるだろ』
 伝えると、鳥束は見るからに色あせた顔になった。笑おうとしているだけに、余計に胸に突き刺さった。
「……そうスね」
 やめろ、お前が、そんな泣きそうな顔で笑うな。
 ずっといたいって気持ちが止まらないのはわかる。
 離れがたい、帰るのが嫌だ、ずっと一緒にいたいって気持ちもわかる。
 明日まで、とても待ち遠しい。
『僕も同じだ。でも、これでお前が風邪で寝込んだら、明日会えないだろ。それはもっと嫌だ』
 明日も今日と同じように普通に、何の変哲もなく普通に過ごしたいんだ。
 鳥束の手にコップを押し付ける。
「……わかりました」
 鳥束は笑顔でコップを受け取ると、両手で暖を取りつつちびちびと甘酒をすすった。
「あち! あっつ! あぁっつ!」
(あっつ! あつ、ふーふーしても熱い、マジ熱い。甘くてうまーい、でもあつ! あったまるー)
 どっちもうるさいな。
 呆れて見やる。目が合った途端鳥束は嬉しそうに笑った。
(斉木さん、これマジあっちぃ。そんですごく美味しいっス)
『そりゃよかったな』
 自分のたい焼きにかじりつく。こちらも出来立て熱々だ。生地はもっちり小豆の甘さも程よくて、つい顔がほころぶ。
(わー斉木さんいい顔ー、それに美味そう。ほんと好きだなー)
(マジ美味そうだな…ひと口貰いたいけど、うんやめとこ)
 そうだな。悪いがこれはひと口たりとも譲れない。次があればこっちを買ってやるから、お前は大人しくあつあつ騒ぎながら甘酒で暖を取ってろ。
(ね斉木さん、どんだけ熱いか、ちょっと手繋いでみます? それともキスがいい?)
『どっちでもいいぞ、一瞬内臓をぶちまける覚悟があるならな』
(ちょ、あれはもう勘弁して下さいよ!)
 以前、憑依した零をはがすのに使った荒業を持ち出すと、たちまち鳥束は震え上がった。
 うむ、良い反応だな、たい焼きがより美味くなる。
『ならやめとけ』
(ちぇー斉木さんのケチ、乱暴者、大好き!)
 軽く睨み付けるが、目が合うと鳥束はやっぱり嬉しそうに笑った。
 しばらく二人で、各々の甘味をじっくり味わう。
 コップの中身が半分くらいになった頃、鳥束は本当に繋いできた。今なら誰も見てない、やるなら今だと、タイミングを見計らう声も聞こえて事前にわかっていたのに、どういうわけか荒業を繰り出す気にはならなかった。
 それどころか、ぎゅっと握ったと思うとすぐに離れてしまった手に何とも言い難い感情が込み上げ、心をモヤモヤとさせた。
「ごちそうさまでした。斉木さん、このお礼は必ず!」
『期待しないで待ってる』
 じゃあまた明日と別れ、一瞬繋がった手を大事にポケットにしまって、家路につく。
 超能力でなんとでもなるはずなのに寒さがこたえ、仕方なく肩を竦める。
 コーヒーゼリーが一つ入っているだけなのに、袋はやけに重たい。
 帰ったら早速食べようか、それとも風呂上りにしようか。
 とても楽しみなはずなのにあまり心が弾まない。
 家までの道中頭に浮かぶのは、早く明日にならないかと、そればかりであった。

 

目次