とある終末の顛末

 

 

 

 

 

 三年に進級して二ヶ月。
 斉木さんと同じクラスになって二ヶ月。
 斉木さんが超能力を封印してから、二ヶ月が経った。

 

 今まで当たり前のように使えていた超能力がなくなって、斉木さんは、時々物を落とすようになった。

 

 斉木さんて実はわりとうっかり者だったんだなって思うようになったのは、衣替えを迎えた六月に入っての事。
 というのも、この二ヶ月の間頻繁にとまではいかないが、物を落とす事が少なくないのだ。
 これまでは超能力で落下を免れてたけど、それもなくなった今、落ちるものは落ちる割れるものは割れるという、当たり前の世界にようこそ新入りさん、て感じだ。
 覚えている限りの一度目は、進級してすぐの昼時、食堂で。
 食器を返却する際に、コップを落としてしまったのだ。
 これは斉木さんというよりむしろオレに責任があるようなもので、遠いからとつい大声で呼びかけてしまったのがいけなかった。
 斉木さんは声に驚き、飲みかけのコップを手から取り落とした。
 殺気立った怒鳴り声ならびっくりするのもわかるが、親しい人間からの普通の呼びかけにそこまで驚くなんて、ちょっと普通じゃない。
 でも、斉木さんには仕方のない事なのだ。
 教室で後ろの席から呼びかけられただけでびくついてしまうほどなのに、遠くから大声でなんてもってのほかだ。
 完全にオレが悪い。
 激変した環境にまだ馴染めず、見る事聞く事色んなものに驚き過敏になっているのだ。
 まだ二ヶ月、やっと二ヶ月、今の斉木さんはいうなれば二ヶ月の赤ちゃんみたいなものだ。
 オレは驚いて硬直してる斉木さんの元へ行って、すんませんと手を合わせた。
 すぐに食堂のおばちゃんが出てきてくれて、後はやっとくから、危ないから近寄るんじゃないよ気を付けなって、後始末をしてくれた。
 オレたちは礼を言って、食堂を後にした。

 

 二度目も昼時教室で、これは割れ物ではなく弁当箱の蓋、食べ終わって蓋をする際に手で弾いて机から落としてしまったのだ。
 三度目は教科書で、四度目は斉木さんちのコップ。
 超能力がなくなり、それまでとは身体の使い方や力の入れ具合が違うから戸惑う事も多いのだろうなと、オレは心の中で声援を送ったりドンマイと慰めたりしていた。
 五度目は、今日、オレの部屋で起こった。

 

 斉木さんから超能力がなくなっても、オレはつきまとい…もとい付き合いをやめていない。
 まあ、色々残念だと思う事はあるけど、それ抜きで一緒にいて楽しいし面白いから誘う頻度は特に変わらず、映画見たりゲームしたりと二人で過ごしている。
 最近は、一山いくらで売ってるようなクソゲーをクリアする事にはまっていて、操作性が悪い判定がおかしいのもめげずにプレイし、詰まればネットで調べて、疲れたら交替して、結構熱中していた。
 二人でしか出来ない事も、相変わらずだ。
 いや変わらずではないな、テレパシーがなくなったからか斉木さんの可愛らしい声を聞く事が増えて、オレは毎回腰が抜けてる。
 いちいち目を逸らさなくてもよくなったから、目を合わせる事も多くなった。けど、今度は恥ずかしがって目を逸らすようになった。追いかけるとちゃんと合わせてくれるけど。ほぼ睨み付けだけど。拗ねた目で睨まれてオレはまた腰が抜ける。
 斉木さんからのキスや接触にオレがいちいちびくつかなくなったのも、変わったものの一つだ。余計な気遣いさせずに済むし、心配事なく没頭出来るのは大きい。

 

 それはそれとして。
 色々変わったところもあるけど、斉木さんは相変わらずコーヒーゼリーが大好きで、食べる時はいつも極上の笑顔を見せてくれた。
 だから今日も抜かりなく用意して、こないだのクソゲーの続きをやろうと斉木さんを部屋に招いた。
 着いたら早速おやつタイムだ。
 今日は三個いくらの安価なものなので、せめて見た目だけでも凝ろうとガラスの器に盛って出した。
 器も百円ショップのものだけど、結構洒落たデザインだからちょっと上質に見えた。
 斉木さんはご機嫌でコーヒーゼリーを食べて、オレの目と心をたっぷり潤わせてくれた。
 そして片付ける際、五度目が起きた。
 器を落として割ってしまったのだ。
 ひどく驚いた顔になった斉木さんにいつものようにドンマイと声をかけ、危ないから動かないよう言い付けてオレはすぐに掃除機を取りに行った。
 戻ってみると、何と斉木さんは割れた破片を思いきり握り締めてうずくまっていた。
「な――何やってんスかあんた!」
 思ってもない光景に目玉が飛び出るほど仰天した。
 オレが戻った事に気付いていなかったのか、叫び声に斉木さんはびくりと顔を上げた。
「ああ、もう、馬鹿! ほんとに何やってんの、ほら手見せて!」
 オレは掃除機を放り投げ慌てて駆け寄り、手首を掴んだ。
 開いた手のひらは出血で真っ赤で、オレはぶっ倒れそうになった。
 そりゃ切り傷くらいすぐに治るけど、痛いものは痛いしつらいじゃないか。
「どうしたの斉木さん、なんだってこんな」
 急いで洗面所に連れて行き、傷口を水で洗い流す。
 洗面台に落ちた破片のからんという音に、背筋がぞっと冷えた。
 一分も洗い流していると血は止まり、試しに一度拭ってみた。まだ傷口は生々しいが、もうしばらくすれば塞がって傷も消えるだろう。
 そこでようやくオレは息を吐いた。それからもう一度、深呼吸をする。
 本当に肝が冷えたよ斉木さん。
「どうして、こんなことしたんスか」
 わざと傷を作るような真似を。なんで。
「斉木さん?」
 呼びかけても、斉木さんは口を噤んだまま突っ立っていた。

 

 部屋に連れて戻り、さっきまでの位置に座って落ち着くのを待った。
 しばらくして、斉木さんはやっと口を開いてくれた。
「落としたの……わざとじゃない」
 かろうじて聞こえるほどの弱々しい呟きに、ずきんと胸が痛んだ。
「そんなの、わかってますって」
 そこを責めるつもりなんてないと、オレは首を振った。
 何です、うっかり者の自分に腹が立っちゃったとかですか?
「お前は苛々しないのか?」
 僕は自分に苛々する
「何スか斉木さん、どうしたっていうんですか」
 斉木さんは小さな声でぽつりぽつりと語った。
 順応出来ない自分に苛々する。
 良い事なんて何一つない忌々しい力だと思っていたのに、こんなに依存してたなんて。
 こんなに出来ないなんて。
 顔はすっかり下を向いて、見るからに痛々しい。
 こんな斉木さん、初めてだ。
「ちょっと上手くいかないくらい、なんだってんですか。誰でもそんなうっかりありますから。やっちゃった時はひと言、ごめーんでいいんです」
 斉木さんは黙って瞬きを繰り返していた。
 オレは何とか元気を出してもらおうと言葉を重ねた。
「そりゃ、すぐには切り替えなんて無理ですって。産まれた時からあったんですもの、そういう風であったのがそうでなくなったら、誰でも慣れるのに苦労します、そういうもんです」
 膝の上でぎゅっと握られた斉木さんの手を包み込んで、オレは明るい声を出した。
「さーいきさん、大丈夫ですって。じきに馴染みます、自然になっていきますよ」
 斉木さんの目に大粒の涙が浮かんでいるのを見て、オレは思わず息を詰めた。
 見るなと弱々しい呟きが耳に届く。
「じゃあこうしましょう」
 オレは抱き着いて、これで見えないと斉木さんの背中をさすった。
「斉木さん、前にオレに、靴紐結べるようになれーって言ったじゃないスか。オレ、頑張って結べるようになりましたよ」
 まだちょっと頼りないけど、斉木さんが背中押してくれたからここまで来ることが出来ました。
 斉木さんだって、靴紐結ぶだけじゃなくて、もっと色んな事頑張ったじゃないですか。
「力が強すぎる時も、頑張って調整していったじゃないですか。だから今度も大丈夫、ちゃんと出来るようになりますって」
 だから――まずい、声が震えた。元気出してほしいのに、自分まで泣いてどうするんだ。
 オレは必死に歯を食いしばった。
「だからお願い、斉木さん、元気出してください。心配しないでください」
 どうにか涙を堪えようとしたが無理だった。
 我慢するほど胸が詰まって、しゃっくりが出て、とうとう涙が零れた。
「斉木さんなら大丈夫ですって、本当に大丈夫なんです」
 斉木さんの頭を胸にしっかり抱きしめる。
 腕の中で泣きながら震える斉木さんに、オレも涙が止まらなかった。ぼろぼろ泣いていた。
 斉木さんの片手が、遠慮がちにオレの服を掴む。
 オレは泣きながら無言で斉木さんの背中をさすり続けた。

 

 でもいつまでも泣いてたら駄目だ、
 心細くなってる斉木さんの為にも、オレが頑張るんだ。
 二人で頑張っていくんだ。
 大きく鼻をすすって、オレは身体を離した。
「斉木さん、手を出して」
「……もう塞がった」
「いいから出してください」
 斉木さんはおずおずと左手を伸ばした。
 オレはその手を取ると、ちょっと上でさする仕草をしながら言った。
 痛いの痛いの飛んでけー
 おまじないを唱え、さすった手をぱっと上に払う。
 そろっと斉木さんの顔を見やる。
 なんとも言い表しにくい顔で、オレを見ていた。
 子供だましだったかな。バカにすんなって、怒るかな。
「っ……」
 ん?……斉木さん、吹き出した?
「変な顔だな」
 ほっぺたも鼻の頭も赤くてさ。
 笑わずにはいられないって、斉木さんは肩を震わせた。
「なぁっ……! それ言うなら斉木さんこそ、充分変な顔ですぅー」
 歯を見せてわざと憎々しげに言う。でもその顔は、すぐに笑いに変わった。おかしくて笑いたくて、お互い遠慮がちにふふと声に出して笑う。
「ありがとう、鳥束」
 痛いの、飛んでった。
「そりゃよかったっス」
 どういたしまして。

 

「ねえ斉木さん、今度の土曜か日曜、美味いもの食べに行きましょうよ。スイーツ巡りとか、とことんまでお付き合いするっスよ」
 美味しいもの好きなものたくさん食べて、お腹一杯にしたら、気持ちも一杯になって、心配事なんてすぐに吹き飛びます。
 斉木さんは一つ鼻をすすって、なんでだ、と言った。
「なんでお前、いつまでも僕と付き合うんだ」
「へ……?」
 自分はもう超能力者じゃない、
 お前にとって何のうまみもないただの人間。
 一緒にいる価値なんてないのに、なんでいつまでも誘ってくるんだ。
 それを聞いて、頭にかっと血が上る。
「はあ? ちょ、斉木さん、そりゃないっス!」
 本気で言ってんスか?
 オレの剣幕に、斉木さんは怯みながらも頷いた。
 ほんとにわからないのか、この人は本当に、ああもう、なんてこった。
 怒りで目の前がぐらぐら揺れるようであった。
 オレは額を押さえた。
 でもそれは自分も悪いのだ、元々近付いた目的はそうだったのだし、そう思われるのも自業自得と言える。
 けどね、斉木さん。
 少し冷静になり、オレはゆっくり息を吐いた。
「人間、そんな単純じゃないんスよ」
 あーあ斉木さん、超能力封印するなんて馬鹿だなもったいないって思う自分がいるのは否定しない。
 もう斉木さんに超能力で助けてもらえないや、もう頼れないやって残念がる自分がいるのも否定しない。
 本人の願望が叶って良かった、それが一番だって思うけど、その一方でガッカリしている部分もある。
「それは認めます。すんません、けどね」
 斉木さんと一緒に過ごすの、すごく楽しいんスよ。
 斉木さんが好きなんです。
 この好きって部分は、超能力のあるなしは関係ないんです。
 斉木さんのものの考え方が好きなんです。
「斉木さんて人が好きで、一緒にいて楽しいから、オレは今日も誘ったんです」
 人間、楽しいのが一番だ。
「斉木さんも、オレといて楽しいでしょ。じゃなきゃ、誘いに応じたりしませんよね。オレと寝たりしませんよね。楽しいから、オレといるんですよね」
「………」
「ちょ、そこはそうだよって言うところ! もう〜斉木さあん」
「……コーヒーゼリーくれるから一緒にいる」
「残念! 今更そんなのでごまかされませんよ、残念でした!」
 いい加減付き合いも長いんだ、あんたのそれが照れ隠しだっての、もうわかってんスから。
 斉木さんは心なしか赤い顔になって、かと思うと手の甲を目に押し付けてしゃくり上げた。
「……鳥束がいじめる」
「う、嘘泣きは卑怯っス!」
 高三男子の嘘泣きなんか可愛さの微塵もない…わけがなかった。
 一発で骨抜きにする最強の攻撃に、オレは天を仰いだ。
「はい…はい、オレが悪うございました。この通り謝るっスから、ね、斉木さん」
 オレが必死に謝り倒すと、斉木さんはゆっくり手を下ろした。
 ほんのりにやついてるのが腹立たし…いや可愛らしい。
「ああもう…斉木さんには勝てないっス。完全にオレの負けっス」
 オレは心の中で、掲げた白旗を力一杯振りたくった。
 当然だと勝ち気な目をする斉木さんに、嬉しさがこみ上げて仕方ない。
 オレは斉木さんの両手をしっかり握りしめ、改めて誘う。
「ねえ斉木さん、土曜か日曜、行きましょうよ」
 斉木さんは、今から行きたいなんてわがまま言ってオレを困らせいい気分になった後、土曜日に行こうと目を輝かせた。
 全部お前の奢りかと聞かれ、オレは半分やけくそになって任せろと胸を叩いた。
 それから一緒にゲームで盛り上がって、もう一回コーヒーゼリーを食べて、その日は解散した。

 

 約束した土曜日までの毎日、オレは学校で斉木さんと顔を合わせる度へらへらしてしまうのを止められなかった。
 指折り数え、ついに明日に迫った金曜日の朝。
 オレの顔は、これまでにない程光り輝いている気がした。内面の嬉しさが表面に出ちゃってるね、これ。
 通学路で会った斉木さんもうわあと驚いてたし、間違いないね。
 でも斉木さんだって、すっげえ良い顔してますよ。
 スッキリ晴れ晴れして、見惚れるくらいの明るい顔。
 良かったなあって、オレはほっとした。
 明日が本当に楽しみだ、オレも、斉木さんも。
 ああもうダメ、今日は学校どこじゃないな。

 

 そうしたら本当に、学校どこじゃなくなった。

 

 あと数時間で日本に隕石が墜落するという速報に、学校中がいや日本中、世界中が騒然となった。

 

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