靴紐

 

 

 

 

 

 斉木さん好き好きやりたいやらせてお願いお願い!

 頭の中で思うだけでなく、時には口に出して言ってくる事もあった。
 コイツ、女子でなくてもいいのかよ、見境ねぇな。
 こんな有害物質がこの世に存在するのかと、深い絶望を味わった。
 こんなのが人間の形をしているなんて神のいたずらも度が過ぎる。
 超能力が使えるようになる云々抜きにして、非常に不快だから今すぐ始末していいよな。
 込み上げる衝動と戦う毎日だった。

 

 そういった不愉快極まりない鳥束の付きまといが、いつからか質を変えた。
 脳内は相変わらずどぎついままだが、接してくる態度がやたらにぎこちなくなったのだ。
 名前一つ呼ぶにもやたらおどおどして、そわそわと落ち着きがなく、見てくるかと思えばさっと逸らしたり。
 初めは、こんなになるような脅しを何かしたかなと記憶をたどるが、覚えがない。
 どんだけ脅してもえらい目にあっても懲りない奴が、こっちまで緊張しそうな態度になるなど……あれしかないか。
 また絶望した。
 どいつもこいつも、いい加減うんざりだ。
 ただこれまでの方法は何かと失敗が多かったので、発想を変え、応える事にした。
 勘違い、単なる気の迷いだから、一度発散させてやれば気が済むだろう。
 奴は単純だから、おぞましいが抱かせてやれば興味を失うはずだ。
 両親が出掛ける日を選び、放課後鳥束を家に誘った。
 奴は二つ返事でやってきた。

 

 知識だけはいっちょ前だがこれが正真正銘初めての奴の事だからと、それなりに覚悟はしていた。
 わかった風な口を利くが、未経験者が初めから何でも上手くこなせるわけもなく、裂けるわ血は出るわで散々な結果となった。
 ある程度予測はしていたので、結構血のシミが広がったシーツを見ても、まあそうだろうなと冷静でいられた。
 赤色に対抗してか、鳥束は真っ白い顔をしていた。
 人間の顔はそこまで白くなるのかと、目を見張るほどだ。
 つい感心してしまったが、気の毒なのでさっさとベッドを復元する。
 起き上がるのに少々苦労したが、どうしてだろう、鳥束に対してこれといった怒りだのは湧いてこなかった。
 奴の心の声に引きずられたのか、身体は痛いが心は満足していた。
 僕と出来ると舞い上がり、最高に幸せだと謳い、行為の最中は見事にバラ色に染まっていた。
 それはそれは見応えのある花の園だった。
 いつもの、どぎつい妄想を垂れ流してばかりの人間には似つかわしくない、華やかで美しい光景。
 それに引きずられたに過ぎない。
 身体のあちこちに意識を向ける。
 思い返しても、気持ち良さなんてなかったじゃないか、満足なんてありえない。
 これも気の迷いだ。
 さて、鳥束の気の迷いを徹底的に消す為、心残りはしっかり潰しておかないとな。
 ベッドから退いて正座したきり動かない鳥束に目をやる。

 

 行為の最中はあれほど浮かれ舞い上がっていた鳥束だったが、事後熱が引いて冷静になった途端、眼前の惨状に青ざめていた。
 自分勝手に行為に及んで気遣い出来なかった事を、激しく悔いていた。
 すみませんすみません、許してください、本当に悪かったと思ってます、こんなはずじゃなかった、どうしてちゃんと出来なかったんだ、好きなのに、本当に大事にしたいのに。
 床に平伏し、鳥束は必死に謝ってきた。
 それを、ベッドの中からじっと見据える。
 どれが肉声でどれが心の声か判別出来ないほど後悔一色だ。
 奴は自分勝手に謝罪を並べ立てた後、こちらを見もせずに帰ろうとした。
「ほんとに……ごめんなさい。オレ、もう……あわせる顔がない」
 荷物を引っ掴み出て行こうとするので、無性に腹が立ちドアを封じた。
「あ、あか……開かない……斉木さん、ねえここ開けてください」
 うろたえる後ろ姿は滑稽で、ちっとも笑えなかった。
 悔しくて悲しくて、胸が痛い。痛くてたまらない。
 また奴に引きずられてるな、そうに違いない。
 だのに。
『まだ帰るな、こっち来て座れ』
 このまま帰したら駄目だと頭の中で強く思う。
『まだ帰す気はない、さっさと戻って座れ』
 どう頑張ってもびくともしないドアノブから手を離し、鳥束はしばし迷った後、ふらつく足でベッドサイドに戻りへたりこんだ。
 首が折れているんじゃないかと思うほど、がっくりうなだれている。
 やれやれどうしたものか。
 自然とため息が出る。
 最初から上手くいくものなんてないのに。
『僕だって、つい最近まで靴紐を結べなかったのに』
 何度も練習して、失敗を重ねて、どうにか上達していったんだ。

 

 気の迷いを取り払う為とはいえ、なんだってこんなにむきになって鳥束を宥めているのだろう。
 こんな奴に。
 こんな、自分の欲望に正直な煩悩まみれのどうしようもない奴に。

 

 まあとにかく、このくらいの傷なら復元を使うまでもない、現にもう血は止まっているし、痛みも引いた。
『ほら、来いよ』
 膝にかけていた毛布を払いのける。
 鳥束の頭がわずかに揺れた。
『まだおさまってないだろ』
 紫陽花色の髪に手を伸ばす。びくりと反応があり、ややあって鳥束は顔を上げた。
 後悔の念を繰り返しながらも、まだ未練を引きずっているから、裸の一つも見せてやれば乗ってくるだろうと思っていたが、驚いた事に奴は初心な少年のようにかあっと頬を染めて目を逸らした。
 頭の中も似たようなもので、あまりの純情ぶりにこっちまで眩しさを感じる始末だ。
 今頃その反応かよと、少々面食らう。
 一度目の、遠慮も何もないがっつきようはどこいった。
 さっきは紙のように真っ白になった頬が、今は色を塗ったように真っ赤だ。
 どれだけ熱くなっているやら、興味本位で触れてみた。
 すると奴は、壊れ物を扱う手付きで両手に包みこみ、やけに熱っぽい目を向けてきた。
 想いで腫れ上がった目を寄越されるのはこれが初めてではない。誰だっていつだって真剣で、けれど自分はそういったものの枠内にいなくていいと、目を逸らしてきた。
 今回も目を逸らす。
 鳥束の顔から目を逸らす。
 鳥束の真剣な顔が透けてしまう前に見ては逸らして、一回でも多く目に焼き付け、脳に刻み込もうとした。
 なんでそんな事をするのか自分でもわからない。
 鳥束はこの行動を、戸惑いと受け取ったようだ。
 やれやれ、前に話しというたのに、すっかり頭から抜けているようだ。
 まあこんな状況で全部正確に覚えていろというのも酷な話だな。
「斉木さん、さっきは……本当に済みませんでした。何度でも謝りますから……もう一度、チャンスを下さい」
 わかっている。
 こっちもそのつもりだ。
 一回も二回も変わりない、さっさと心残りが消えて欲しいからな。

 本当にそうか?

 鳥束の唇が手の甲に押し付けられる。
 ぞっとなったが、それほど嫌でもなかった。
 好きだ好きだと、馬鹿みたいに頭の中で繰り返している奴の気持ちが手の甲から身体中に広がっていく。
 不思議な感覚に全身がほんのり熱を帯びた。
 だというのに肌寒く感じられ、反射的に鳥束の手を掴んでベッドに引っ張り上げる。
 超能力でなんとでもなるが、実のところ寒いのは好きじゃないんだ。
 名前を呼ばれながら抱きしめられ、やっと寒くなくなりほっとする。
 始まった二回目はさっきとさほど変わらず、ややましと言った程度の差だった。
 今日の今日で上達するわけもないのだから当然だ。
 しかし劇的に違うものがあった。
 鳥束の脳内は変わらず自分への愛情で溢れ、洪水のように押し寄せてくるのがたまらなく気持ち良かった。
 一度目はもっと冷静に聞き流す事が出来ていたのに、斉木さん大好き一色に包まれて、天にも昇る気分になる。
 なんでこんなに変わるのだろう。
 鳥束の汗ばんだ手のひらで身体を撫でられると、何とも言えない感覚が腰の奥から込み上げてくるのもたまらなかった。
 おぞましさと紙一重のその感覚が何故だか病みつきになって、気付けばもっととねだっていた。
 鳥束は一度目のように自分本位に焦ったりせず、何をするにもこちらの反応を伺った。
 こうされるのが好き?
 ここが気持ちいい?
 これは嫌?
 じゃあ、こっちは?
 気持ちいいなら、もっとしてもいい?
 頷いたり首を振ったり、自分でも驚くほど素直に応えていた。
 すっかり熱に浮かされていた。
 鳥束の心境に飲まれて、あたかも自分のもののように感じているだけだ。
 ああでも、熱い硬いものに侵食されるのは嫌ではない。
 湧き上がる肉欲に逆らわず、自分で触ったり鳥束の首筋を舐めたりするのも嫌いじゃない。
 鳥束の汗の匂いも、舌の熱さも、息苦しさも、全部――。

 

 反応に鳥束はますます嬉しがり、初めての興奮が収まったからか力任せに突くのはやめて、技巧めいたものを振るうようになった。
 思わず出そうになった声を喉元で食い止めて、鳥束の激しさに耐える。
 なにせこいつときたら、ちょっと甘い顔をしたら図に乗って、僕をいかせようと躍起になっている。
 さすがに無理だと首を振るが、息苦しさに赤くなった顔で首を振る様はかえって奴に火をつけるだけだった。
 なんとしてでもいかせてやると息巻いて、動きながら身体のあちこちを触ってきた。
 こっちにだってそれなりに性欲はあるし、正直言えば気持ちいい事は嫌いじゃない。だから自分でも知らなかった感じやすい箇所を見つけてくれてありがとうよと言ってやる。
 だが、いくらなんでもお互いまだ二回目だ、ハードルが高い。
 気持ちいいが、それ以上に息が詰まって苦しいんだ。
 もういいから自分だけいけ、さっきのように中に出して構わないからそっちに専念しろ。
 それでも鳥束は諦めない、
 うつ伏せになった身体に覆いかぶさって、好き、好き、とうわ言のように繰り返す鳥束を密かに呪う。
 と、不意に重みと圧迫がなくなった。
 出した気配はないのにどうしたとぐったりしていると、汗ばんだ手のひらが身体を仰向けにさせた。
 そして入れながら、抱きしめてきた。
 汗でぬるぬるになった身体を擦り合わせるのは気持ち悪くて、心地良かった。
 圧迫死させるつもりかと思うほどの力で抱きしめられるのも、たまらなく気持ちよかった。
 ああでも駄目だな…お前の死にそうなほど速まった鼓動とか、顔にかかる荒々しい息の匂いとか頭が眩むけれど、やっぱりいけない。
 もういい、僕の事はほっといて早く出せ。
 そして早く心残りを解消しろ。
 好きだなんて一時の気の迷いなんだから、早く消え失せろ。
 何らかの感情で、顔が歪む。
 鳥束の動きが直線的になって、限界が近いのがわかった。
 ああそうだ、それでいいからさっさと――
 唇を塞がれたのは、諦めて目を瞑った時だった。
 ただでさえ息苦しいのにこの馬鹿、と思ったのも束の間、嘘のように解放された。鳥束の愛情が口から直接流し込まれ身体が破裂しそうなのに、吸っても吸っても足りなかった胸が楽になった。
 違う、いったんだ。
 たまらない解放感に。抑えていたのも忘れて叫ぶ。
「……っ……あ!」
 とりつか
 奴の口の中で声を弾けさせた。
 直後、頭の奥で激しい光が明滅した。

 

 今度は出血もなく終える事が出来た。
 遠慮なく出されてぐちゃぐちゃになった下半身を、鳥束は丁寧に拭って綺麗にした。
 こんな風に他人に世話をされるのは正直屈辱だったが、だるくて動くのが億劫だったからされるまま任せた。
 鳥束は済まなそうにしながらもどこか嬉しそうで、そこはもっと恐縮するところだろうと腹が立ったが、面倒なので口を噤んでいた。
 好きです斉木さん、好き、好き……頭の中で繰り返される甘ったるい囁きが鬱陶しくて、口を利く気にもならない。
 甘いものは嫌いじゃないが、豪快に砂糖を放り込んだものは口に合わない。
「斉木さん、ひどくつらいですか?」
 いつまでも寝転がったままなのを心配して、鳥束が聞いてくる。
『平気だ、つらさはない』
「本当に……?」
 恐る恐るといった顔で目を覗き込んでくる。少し合わせてさっと逸らし、なんだってこういう時も変わらずコイツの目は澄んでいるんだと、憎らしくなった。
『二回もしたのだからダメージはそれなりだが、じきに回復する』
 今はただ、少し眠くてぼんやりするだけだ。
 良かったと、鳥束は心底ほっとした顔で小さく笑った。
 何を笑ってるんだ、こっちは泣きそうだってのに。
 まったく、この眠気さえなければ今すぐ窓から放り投げてやるのに。
 歯がゆい思いにじれったくなる。
 せめて十分の一でもダメージを与えてやりたいが、何も思い浮かばない。
 ああもどかしい、鬱陶しい。
 いつまで好きだ好きだと、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す気だ。
 ちっとも弱まらないのはどうしてなんだ。
 気の迷いだなんて、どうして思ったのだろう。
 こうなるってわかっていたのに、どうして僕は、鳥束と――。

 

 一度やれば気が済むだろうなんて、とんでもない。
 逆に強まった。
 愛情が深まった。
 より執着するようになった。
 鳥束が?
 それとも僕が?

 

「斉木さん、オレ……オレも、ちゃんと靴紐結べるように頑張りますから、また来てもいいですか」
『……結べるようになったら、終わりか?』
「そんな、終わらないっス! 結び方は一種類じゃないですもん!」
 もんじゃねえ、ああなんだって僕はこんな事を思ったんだ。
『ただの気の迷いだ、忘れてくれ』
「いやです、もう聞きました、脳に叩き込みました」
 次も次もその次も、機会を予約出来たと弾み浮かれまくる鳥束のいかれた脳内に、意識が遠のきそうになる。
「つらかったら斉木さん、眠っていいですよ。二回も無茶させちゃいましたし」
 いそいそと毛布をかけてくる。少し肌寒いと思っていたので、気遣いはありがたく受け取った。
『本当にな、無茶苦茶だった』
「ですよね……済みません。本当に済まなく思ってます」
 おいやめろ、お前の顔で殊勝にされるとお前でないようで気持ちが悪くなってくる。
 冗談で思ったら本当に胸がむかむかしてきたな。
 幸せそうな顔でにだらしなく笑っているのが本当にむかつく。
 顔面はいでやろうか。
「斉木さん、なんかひどい事考えてません?」
『よくわかるな』
「わかりますよ、目がそう言ってますもん」
 鳥束は苦笑いして、胸の辺りをとんとんと軽く叩いてきた。
 寝かし付けようって魂胆か。鳥束の癖に小癪な真似をする。
「斉木さんは最悪だったでしょうけど、オレは、その……」
『ああそうかよ』
 申し訳なく思うけど、二回とも天にも昇るほど気持ち良かったと告げてくる鳥束に、良かったなと返す。
 こっちは十割近く散々だった。
 でも、まあ。
『……悪くなかった』
 もっと、平然と言うつもりだったのに、まるで平静を装えなかった。
 最中の不思議な快感が生々しく蘇って、頬を赤くさせた。
 くそ、と慌てて隠す。
「……斉木さん、キスしたい」
 したいじゃなくてもうしてる。
 鳥束が、調子に乗るな。
『もうお前帰れ、また来たいって言うなら帰れ』
「!……はい、帰ります、帰って、そんでまた来ます」
 何度でも、と晴れやかな顔をするものだから、僕は目を逸らした。

 

目次