あなたを想う花

冬:イチゴ

 

 

 

 

 

 鳥束が、妙な事を始めた。
 また。
 これまでもアイツは色々珍妙で不気味な事を色々思い付いては、実行に移してきた。
 オカルト部だのサイキッカーズだのあれやこれや…それらに比べればまあ健全と言えば健全でちっとも不気味ではないが、変態クズのやる事という目で見てしまうので、やはり妙に映った。
 まあ一人でやる分にはお好きにどうぞと突っ放せるが、がっつりばっちり巻き込まれた。
 鳥束が商店街で見つけた「それ」を前に、僕はため息をつく。
「……やれやれ」
 庭の、日当たりのよい特等席、三段のひな壇状になったフラワースタンドの上段に鎮座するプランターに植わった「それ」…イチゴの苗、三株を前にして、ため息ついでに小さく首を振る。
 ああ、天気も良く澄み渡った青空が気持ち良い冬の朝だというのに、気分はまったくすっきりしない。
 やれやれ、鳥束め、面倒な事を。
 こいつがうちに来て、一週間前経つ。



 事の始まりはこうだ。
 一週間前の土曜日に遡る。
 その日は奴と遊ぶ約束をしていた。部屋の片付け…は毎日復元しているので特に必要なく、来客用の振る舞いの用意なんて奴相手には全く必要ないので考えもせず、休日らしくのんびり起きてのんびり朝食をとって、休日素晴らしいと気分よく過ごしていた。
 で、奴が来る時間が近付くにつれ段々気分は落ち込んで、そわそわ落ち着かなくなっていった。
 別にこれは、奴みたいにウキウキ舞い上がるの言い換えでもなんでもない。僕に限って断じてない。
 一人で留守を預かるのが嫌だからと、奴を呼び付けたりした事もあった気がしないでもないが。
 まあとにかく、本を読んで気を紛らせていた。
 やがてやって来た奴は、約束した手土産のコーヒーゼリーの他に、件のイチゴ苗が入った袋を手にぶら下げていた。
 やたらウキウキと目を煌めかせている奴を出迎えると、興奮もあらわに矢継ぎ早に説明を始めた。

「これ、あのあそこの商店街にあるお花屋さんで見つけたんです。あ、イチゴの苗っス」
『ああ、札にある通りだな。……四季成りイチゴか』
「そう! これを自分で育てて、収穫したイチゴでショートケーキ作ったら、斉木さん喜んでくれるかなーって」
『ケーキ……』
「ごほ」
『それで三つも衝動買いか』
「だってだって、ほら見て下さいよこれ、苺には珍しい紅色の花で斉木さんの髪色そっくり、でしょ、そう思ったらもうこれ買わないとってなって」
『だからって、三つもか』
「一つじゃ心もとないから、三つで。それで上手くいったらイチゴ沢山収穫出来ますし。沢山とれたら、沢山ケーキ作れちゃいますよ」
『ケーキ沢山……』
「ごほごほ」
『で、どこで誰が育てるんだ?』
「あーはは……勢い込んで三株も買っちゃったんですけど、オレ土も鉢も持ってないなあーてことで、斉木さんちにヘルプしに来た次第っス」
『……はあ。だと思った』
「すんませーん、ママさんならお助けしてくれるかなーって」
『まあ確かに、母さんは草花育てるの好きだから、専用の土も鉢もひと通り揃ってるがな』
「あぁよかったー、じゃあ斉木さん、ひとつ!」


 というわけでうちで育てる事になった。
『自分も出来るだけ寄って世話しますーとか言って、あいつめ……結局僕がやる羽目になるんだ』
 ああめんどくさいな
 日の光を受けキラキラ輝く瑞々しい緑の葉を見つめ、ふぅっと息を吐く。

 それから今日までの一週間、奴は朝に夕にうちに寄っちゃ様子を眺め、昼間はイチゴの成長具合ばかり気にしていた。
「あ−、うんと甘く実るといいなあ」
「どんくらいなるかな。何粒くらい?」
「たくさんたくさん収穫出来たらいいなあ」
「ケーキにぐるっと飾れるくらいなったらいいなあ」
「甘い甘いイチゴの実…斉木さん、楽しみっスね」
 奴の口からイチゴの話が出る度、喉の奥の方がつまり胸の辺りがモヤモヤして、落ち着かない気持ちになった。


 そして一週間が過ぎた。
 買った時はまだ小さくかたいつぼみだったのが、一週間経ち、新しい土に上手く根付いて環境にもなじんだようで、綺麗に花をほころばせた。
 一見すると真っ赤のようで、じわりと紅色が滲む濃桃の花。
『……似てるか?』
 僕は前髪を一束摘まみ上げた。
 わからん。
 奴はえらくはしゃいでいたが、自分じゃよくわからない。
 手を下ろす。

 さて今日も奴はうちにやってくる。
 どうせまたイチゴの事で頭一杯だろうがな。
 別にいいけど。
 引き受けた以上、僕も責任もって世話してるし、僕自身も結構気にはしている。
 じわじわと、ゆっくりながら確実に成長していっている葉の色や形、広がり具合、花の数とか、大きさとか、ちょっとの変化も見逃さぬよう気にかけている。
 奴が呪文のように唱えるものだから、僕も「甘いイチゴ」「美味しいケーキ」が頭にこびりつき、ついうっとり顔をほころばせてはその度に何だか癪に障って元に戻したり。
『……ふん』
 一つ鼻を鳴らして部屋に戻る。

 そろそろ時間になるという頃、不本意にも馴染んでしまった奴の思考が僕の頭に割って入った。
(斉木さーん、来ましたよー)
 うん、ずっと手前からお前の思考に気付いてたよ。
(わー、咲いた!)
 ああそうだな、ついに花が開いたぞ。
(斉木さん、綺麗に咲いて、えらいねー)
 いつからか呼ぶようになったんだよな、あいつめ、花に僕の名前つけやがって。
(美味しい実がなりますように。美味しい実がなりますように。頑張れ斉木さん)
 気持ち悪いんだよ、鳥束が。
 ……僕はここだぞ。

 っち。
 秋に奴が言った事、その気持ちがわかってしまった。
 こんな気分になるなんて、だから人と関わるのは厄介なんだ。
 こうなったら、とことん調べ尽くしてうんと甘いイチゴを実らせてやる。
 そして鳥束に作らせるんだ、イチゴを使ったスイーツ、思い付く限りうんとたくさん。

 そうか…そうやってイチゴの花も実も全部食べてしまえば、結局僕に全部来るよな。
 アイツの全部が。
 僕にまっすぐ残らず来るはず。
 実に下らなくて良い思い付きに、自然と口の端が緩んだ。

 ようやく部屋に入ってきた鳥束。
「まだまだちっちゃいですけど、でも形は立派にイチゴっスね!」
『当たり前だ、僕が毎日見てるからな』
「ねー、アンタが愛情持って毎日世話してくれてるから、きっと絶対甘く美味しくなりますよ」
『じゃあ鳥束、お前も甘くて美味しいのはそういうわけか』
「へ……?」
『その手元のドーナツ、駅前に出来たばかりのだろ。丁度食べたいと思ってたら、今日手土産に持ってきてくれた。言ってないのに、いいタイミングだ』
「え、っと、実に気の利く良い下僕、てか」
『うむ』
「うむじゃないの。もー。はいどうぞ」
 差し出された細長の箱には、たくさんのドーナツがぎっしり収まっているのが、視えた。
 チョコ、イチゴクリーム、抹茶…ああ、いいな。ドーナツ、全然嫌いじゃない。
 自分にコーヒー、奴には無糖のカフェオレをいれて、部屋に戻る。

「あ、その何もついてないのはオレのです。お、オレのです斉木さんオレのです!」
 一番シンプルで、どこか懐かしさを感じさせるドーナツをひょいと摘まみ上げると、血相変えて鳥束は叫び始めた。
 おい落ち着け、食べたりするか。
 ハラハラ成り行きを見守る鳥束に、あーんと差し出す。
「え、え……」
 たちまち脳内がグルグル混乱し始める。
 直前で取り上げられるに違いない、そんで食われちゃうんだ、オレの唯一の食べられるドーナツ…ああドーナツ!
『バーカ』
 フェイントも仕掛けも何もせず、素直に口に押し付ける。
『ほら、バクっといけ』

 おっかなびっくりかぶりつき、モグモグ噛みしめながらも、鳥束はまだどこか半信半疑だ。
 はあ、まったく。
 僕の愛情を疑うとは、鳥束め。

 でも芯のところでは僕を疑ってもいない。
 ピーピー情けなく泣き喚いて引く事はあっても、気持ちが萎えたり萎んだりすることはあっても、またすぐ復活するのは、僕をよく知ってるからだ。
 僕の能力の事を粗方知ってる癖に、懲りる事無く付きまとう鳥束を、鬱陶しい部分もあるがそう悪いものでもないと思っている。
 遠慮のいらない仲なんて、そんな存在なんて、初めての事だ。
 自分には一生現れないものと考えていたのに、コイツは呆気なくその境界線を踏み越えた。
 自分にはないものと切り離して生きてきたから、鳥束の存在に戸惑うばかりだ。

 お前がもっと僕に甘くなるように、僕もお前をうんと甘やかす。
 すべては自分の為だ。お前の為じゃない。
 箱の中で一番見た目が派手で、きっと食べたらこってり甘いんだろうと予想されるキイチゴ色のドーナツにかぶりつく。甘いは甘いが、見た目ほどくどくなく、もっちりしていて歯ごたえもいい。
「美味しーっスね」
『ああ、全然嫌いじゃない』
「ね!」
 鳥束の顔に浮かんだ満面の笑みは、明るいオレンジの大輪の花のようで、あまりに元気一杯でうっと息が詰まった。

 甘いお前は全然嫌いじゃない。
 お前が嬉しそうに笑っているのを見るのは嫌いじゃないから、うんと愛情注いでやる。

 だからもっと、その花を見せろ、鳥束。

 

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