ひと口分の
冬:感謝の気持ち
八時から見たいドラマがあって、それに合わせて夕飯や入浴を済ませ、準備万端でこたつに潜り込んだ。 すぐ隣には鳥束がいて、一緒に、食後のミカンをのんびりと味わう。 現在の時刻は、そろそろ七時半になるところ。 ここは、鳥束の部屋。 こたつにミカン…素晴らしい。 僕は、あの白い筋を昔からの何となくの習慣で取り除く派だが、鳥束は特に気にせず口に入れる派だ。 いつの冬だったろう、鳥束のこたつがまだ四角だった頃だ、なんとなく見ていたテレビで「ミカンの白い筋には驚きの効果が!」と詳しく紹介されており、鳥束がうざいドヤ顔で見てきたんだよな。 殴りたい笑顔だったのをぐっと堪え、蹴り一発で済ませてやった。 その後、乱暴な子はキスしますよといつもの流れから、いつものアレに流れ込み、その後から、僕もミカンはそのまま口に放り込むようになった。 「あっ!」 ミカンをひと房頬張った途端、鳥束は目をむいた。 何だと思ったところへ、「このミカンすげぇ甘い!」と心の声が息せき切って飛び込んできた。 ああうん、そういう顔をしているわ。 「斉木さんこれ、食べて、甘い!」 そりゃ良かったなと思って自分のミカンを食べようとした時、鳥束が分けてきた。 有無を言わさず押し込まれたミカンは確かに甘く、それ以上に、見守る鳥束の顔は甘くとろけている。 美味しいものを分け合って、幸せに溶けている顔の、何と――。 『僕のも負けてないぞ』 そら、とサイコキネシスで突撃する。 「むぐっ……ほんとだ、うまーい!」 斉木さんのが、ちょっとジューシー、かな? かもな。お前のは飛び上がりたいほど甘いな。 「こたつにミカンは、やっぱ最高っスね!」 もー最高過ぎでニヤニヤが取れないと、だらしなくたるんだ顔で鳥束は笑った。 ちょっと、暑いな。 風呂上りにすぐ羽織った鳥束御自慢のはんてんが、よく効いているようだ。 ほかほかして気持ち良い。まずいな、これじゃドラマが始まる前に寝てしまいそうだ。 「斉木さん、お眠です?」 お布団いかれます? おねむとか言うな。 また蹴るぞ。 「寝ない? じゃあ、眠気覚ましにアイス、食べましょうか」 『持ってこい』 「はいはい」 鳥束は困ったように笑って、よっこらせと立ち上がった。 僕の今日の手土産であるお高めのカップアイス。小遣いが入ったばかりなので、ちょっと奮発したのだ。 スイートなストロベリーと、香り高いコーヒーと。 さてどちらにしよう。 『好きな方選べ』 「うーわ、うーん、難しいっスね、アンタならイチゴでしょうけど、でもコーヒーも捨てがたいでしょ」 こたつの天板に置いた二つのカップを見比べ、鳥束がうんうん唸る。 「えーと、あー……あっ」 そうこうしていたら、ドラマが始まってしまった。 「あっあっ」 画面とアイスと行ったり来たりの忙しい鳥束に、僕は有無を言わさずコーヒーを突き付けストロベリーをぶんどった。 「ああ、はい、ありがとうございます」 こたつで二人ぬくぬくしながら、とある漫画原作のドラマを見る。 両片思いでとてもじれったく、ちょっとした勘違いで陰で泣いちゃう、けど最後はハッピーエンドのとても甘酸っぱいラブコメもの。 男も女を好きだなと思っていて、女も男を好きだなと思っている、彼らの友人たちも二人はお似合いだし、早くくっつけとじれったく思ってるが、当の二人は「自分なんかを好きになる訳ないよね」などと消極的なのだ。 じれったいというか、常人はめんどくさいな。 「斉木さんはなんでもお見通しですもんね。オレがたとえば勘違いしたとしても、すぐにわかって、正してくれますよね」 程よく溶けかけのアイスをひとすくい口に含んで、鳥束は言った。 「そういう点では、恋のドキドキって斉木さんには縁遠いか」 『あの日燃堂父にトイレまで付きまとわれた時は、さすがの僕も頭に血が上ってドキドキしたぞ』 あっ…藪蛇 「その節は…多大なご迷惑をおかけして……」 蚊の鳴くような声で鳥束はぼそぼそと綴った。 ふんと鼻先であしらう。その拍子に、ストロベリーの贅沢な香りがふわっと全身に広がった。 『まあ、お前の勘違いがわかったとしもだ、放置するって選択もある。正してやる義務などないからな。めんどくさいし』 それまでも『電柱にしとけ』と、いくつかの恋心をかわしてきた。 「……でもオレにはしなかったっスね。あ、もしオレの守護霊がアイツじゃなかったら、……何でもないっス」 怖いからやっぱやめとく! 鳥束はぶるぶるっと震え上がり、追い払うようにアイスを口に運んだ。 そうか、そういう「たられば」はあんまり考えた事なかったな。 『お前の守護霊が超絶鬱陶しい燃堂父でなかったら、どうしただろうな』 「やーダメダメ考えないで斉木さん!」 アイツに感謝とか死ぬほど癪ですけど結果的にはそれで斉木さんと付き合えたようなもんだし! もしアイツじゃなかったらオレら今ここにはいなかったかもだし! 怖い怖い怖い! ………。 落ち着けよ寺生まれ。 いや、てか、あいつに折れてお前んとこ行ったように思ってるだろうが、まあそうなんだが、アレのせいで早めただけで、来なきゃ来ないで―― 『待ったぞ。お前が来るまでな』 耳を塞いだって無駄なのに。ぴったり手で押さえてる鳥束の頭の中に、言葉を送り込む。 鳥束は零れんばかりに目を見開いて、かと思うと顔中くしゃくしゃに歪めて、ひっくひっく泣き始めた。 なんだなんだなんだ? 嬉しい爆弾の集中砲火に、少し頭がくらりとした。 「あー…オレも斉木さん好きっス…愛してるっス……これ、感謝の気持ち……あげます」 食べかけのアイスのカップを寄越される。 『ってもうあとひと口もないじゃないか。しかも半分以上溶けてるし、まったく大した「感謝の気持ち」だな』 「すんませ……」 鳥束は心底済まなそうに詫びた。 好きなのに困らせてごめんなさい、と、いつものゲスっぷりはすっかり鳴りを潜めまともぶっている。いやまあ、こいつも極稀にまともになる事もあるので、少し言い過ぎではあるが。 そら、いい加減泣くのやめろ、せっかくの時間がもったいないだろ。 あーあー、頬っぺた真っ赤だな。 色を塗ったように見事な朱に染まった頬へ、手の甲を押し付ける。 「斉木さんの手…あったかい」 『お前の顔は燃えてるようだな』 「生きてますから」 ちょっとむきになって鳥束は言った。不覚にも泣いてしまったのが、今になって恥ずかしくなったようだ。開き直りとは可愛くない、こともないな。 少し頬が緩んだ。 しかし本当に熱いな、顔。 生きてるもんな。 さっきの鳥束の言葉を繰り返した時、何とも言い表しにくい激情が背骨を駆け上がった。 まるで鳥束の熱が移ったかのような突然のほてりと激しい動悸に、訳がわからず息を詰める。 何か冷やすものをと思い至り、目に映ったのが、鳥束の残した…寄越した「感謝の気持ち」だった。 僕は衝動のままそいつを口に運び、熱冷ましを願った。 しかし思ったような効果は得られない。 当然だ、溶けるほどの気持ちを口にして、どうして熱が鎮まるだろう。 結果、鳥束と同じような赤面を並べて、ただ動悸が収まるのを待つしかなかった。 |