衣替え
冬服への衣替え:10月1日
おすそ分けで貰ったミカンを、斉木さんと一緒に食べる鳥束君。

冬:さっさと寝ろ

 

 

 

 

 

 また、朝が来た。
 起きている間中、自分には無関係の他人の心の声が聞こえる為、起きている間中憂鬱な時間だが、朝目覚めた瞬間は特に憂鬱である。
 ――もう朝かよ
 ――起きたくない
 ――寒い…眠い…つらい
 ――あーやだ、あーやだやだ
 月曜日の朝は更に顕著で、ドロドロどんより濁り切った呪詛のごとき思念が、容赦なく頭になだれ込んでくる。
 自分は別段憂鬱でもないしつらくもない朝でも、この声のせいでどんどん気分が沈んでいくのだ。
 声の主らとは違った意味で、朝は最悪だ。
 生まれた時からそういった環境にあって、いつしか雑音として聞き流す事が出来るようになった今でも、出来る事なら暗く沈んだ思念は聞きたくない。
 聞きたくない、聞きたくない…しかし自分にはどうにもしようがないことなのだ。
 自分はそういうものなのだとして、ずっと生きてきた。
 だから、人とは別の意味で朝が嫌だ、月曜日は特に嫌だ。
 嫌だった。

 今は違う。

 朝食を済ませ、登校の準備を整えて家を出る。
 見送る母に行ってきますと応え、通学路をいくらも行かない内に、軽やかに弾む声が僕目がけて近付いてきた。
 今日も会えた、おはようって言える、顔見るの幸せ…歓喜で一杯の声を弾ませながら、ソイツは元気よくあいさつしてきた。
「斉木さぁん!」
 はよーっす!
 千切れんばかりに尻尾を振って…もとい、耳の横までまっすぐ手を上げて、まるで横断歩道を渡る時の見本のようにぴしっと綺麗に手を上げて、ソイツが僕の横に並ぶ。
 朝はいつでも元気、月曜の朝は特に元気一杯の鳥束が、眩しい笑顔を向けてきた。
 陰鬱な声を聴くのとはまた違った鬱陶しさに見舞われるが、コイツのお陰で、朝が嫌いでなくなった。
 決して伝える事はないだろうが、コイツに感謝している数少ない事柄だ。
 だから僕は気持ちを込めて『よう変態クズ』と返す。
 今朝もお前に出会ってしまった、お前に捕まってしまった、どろっと濁った色を塗り替え、朝に相応しい清々しい風景をくれるお前の目に留まった事への気持ちを込めて、精一杯伝える。
 たちまち鳥束は、悲しみ二割喜び八割の混ぜこぜ顔になって、斉木さんは相変わらずっスねぇと笑い声をもらした。
 ああ、相変わらずだ。変わりないのが一番だろ。
 お前も相変わらず、僕も相変わらず、変わり映えのない毎日が一番なんだ。
 だから遠慮なく、苦虫を噛み潰したような顔を向けてやる。
 めげないお前の反応を見るのが、僕の毎朝の楽しみなんでな。

 めげない鳥束は、毎朝の恒例ともいえるお天気お姉さんのファッションチェックから話し始めた。
 今日のお天気の具合には大いに興味はあるが、お姉さんの服装には全くと言っていいほど興味はない。
 今日の装いはどうだったこうだったと、やや興奮気味に喋る鳥束はほぼ無視しているが、コイツの声や語り口は残念な事に嫌いじゃないので、僕はつい、相槌を打ってしまう。
 話半分でろくに聞いていないが、無関係の陰鬱な心の声を聞くよりは、鳥束の突き抜けた煩悩のほうがよっぽどいい。
 下衆で下劣で救い難い。欲望にまっすぐひたむき、本当に救い難い。でも、嫌いじゃないのだから、僕も相当重症だ。
「――で、夕方から一気に冷え込むっていうから、帰りの事考えて手袋もしてきたって訳っス」
 茄子紺のもこもこした手袋をパフンと打ち合わせ、鳥束は得意そうに見せてきた。
「どうっスか、あったかそうでしょ」
 ふむ、指先までしっかり血が巡って、血流に滞りは見られない、ちゃんと暖めてくれているようだな。
「あは、斉木さんらしい判断の仕方っスね」
 鳥束は楽しげに笑い、手を表と裏とくるくる返してみせた。

「そうそう斉木さん、今年もこたつ、出しましたよ!」
 ほう。
「というか新しいの買ったんです」
 ほうほう。
「古いのは買取してもらいました。今度は円型で、ぐっと距離が縮まる事請け合いっス!」
 なるほど。
 お前とぐっと距離を縮めるつもりはないが、円型というのはちょっと興味があるな。
「気になるっしょ、いつでも遊びに来て下さい、斉木さんなら大歓迎っス」
 屈託のない顔でニコニコ笑いながら、鳥束は来て来てと願いを込めて見やってきた。
「そうそう、買い替える際に、値引き上手な幽霊に協力してもらって、結構安く買えたんスよ」
 店員もかなり手強かったっスけどね。
 ペラペラと、鳥束はいかに安く買ったかを自慢げに語って聞かせてきた。
 値引き、手強い店員と聞くと、以前正月にゼリーメーカーを買った時の事を思い出すな。
「その店員がですね、またすごくって、オレに高いの買わせよう買わせようとしてきてね、もーほんと大変でしたよ」
 余計なモノまで売りつけようとしたり、やたらに電池が電池が言ってきたり、かわすのにえらい苦労しました。
 うん…段々嫌な予感がしてきたから、早々に行くと返事をして話題を変えようか。
 そう思っていると、鳥束自ら話題を変えてきた。
 僕がいつも、訪問を渋るから、あの手この手で何とか招こうとしての事だ。
 今回奴が用意したのは、実家から送られてきたミカンの山だった。
 こたつにミカンで更に僕を囲もうとは、もう抵抗出来ないじゃないか。
 わかったよ、行けばいいんだろ行けば。
『コーヒーゼリーも忘れず用意しとけよ』
「もちろん、お任せ下さいっス!」
 鳥束は胸を叩いて自信たっぷりに答えた。


「そのこたつ布団、触り心地いいでしょ!」
 言われて、僕はほぼ無意識にさすっていた事に気付いた。
 いい買い物したでしょ、と、嬉しげに見やってくる鳥束にひと睨みくれ…八つ当たりすまんな…僕は隠すようにこたつの中に手を入れた。
「もお、素直に柔らかくて気持ちいいとか言えばいいのに」
(睨んじゃって、かーわいい!)
(気付いてなかったんだ、斉木さんかーわいい!)
(口寄せで頑張って値引きした甲斐があった、このタイプにして良かった)
 ……うるせぇや。
 鳥束はニコニコと僕を見つめながら、持ってきたコーヒーゼリーをテーブルに置いた。
「お待たせ、はいどうぞ。あとミカンも、どうぞ」
 ゼリーは僕の前に、編みカゴに積んだミカンはテーブルの中央に。
 では、早速。
 いただきますと手を伸ばしかけた時、お背中寒くないですかと鳥束は声をかけてきた。
「オレのでよかったら、はんてんお貸ししますよ」
 いいともいらんとも答える前から、鳥束は押し入れにしまったそれを引っ張り出した。
「はい斉木さん、着て着て」
 有無を言わさず背中にかけられたので、仕方なく袖を通す。
 傍で鳥束も、僕に渡したのよりもこもこ分厚いはんてんを着込む。
 別に、僕はそんなに寒がりじゃない。だかまあ嫌いじゃないので、とりあえず着ておくか。
 うん、いや、まったく寒くはないんだが、せっかくの好意を無碍にするのは、よくないよな。
 袖を通し、腹の所で紐を結ぶ。
 たちまち鳥束は一杯に目を見開いてニコニコしだした。
「うーわ似合う、斉木さん和柄もばっちり合いますね。可愛い、かーわいい!」
 おいやめろ、なんだそれやめろ、七五三で着飾った孫を見るおじいちゃんの顔やめろ。
 嬉しそうに目を細めやがって。うん、まあどうだと言われれば、悪い気はしない。
 似合う、可愛いという言葉につい反発しがちだが、全然、悪い気はしないんだ。
 満更でもない気分で、僕は今度こそコーヒーゼリーを手に取った。

 ――トロっとクリームの贅沢コーヒーゼリー

 新発売の赤いシールが目に眩しい。
 真っ白なクリームが更に眩しい。
 シックな色味のコーヒーゼリーにときめきが止まらない。
 汁気やクリームが飛び散らないよう、静かに蓋を取った。
 ふわっと漂う高貴な香りに包まれ、僕はさっそくいい気分になった。
 食べたらもっといい気分になるだろうな。
 いただきますと、スプーンに手を伸ばす。
 ふと、視界の端にやたらニコニコ上機嫌の鳥束がいて、思わずしかめっ面になる。
 鳥束の脳内は、可愛いとエロイが五分五分で、何度も何度も、はんてん似合う、かーわいいと繰り返していた。
 似合うかどうか自分じゃよくわからないが、着心地がいいのは間違いないぞ。
「これね、良いものっスよ。オレの持ってる中で一二を争うくらいの」
『ふぅん。まあ、悪くないぞ』
 しかしお前の着てるの、僕のと比べると倍以上厚みが違うな。
 鳥束は、はんてんを着込んだ僕の背中をいたわるように撫で始めた。
 やめろ、こそばゆい、やめろ。
「これ、一見薄く見えますけど、しっかり絹の綿が詰まってますんであったかいっしょ
「!…」
 僕は、胸元まで持ち上げたゼリーの容器を急いでテーブルに戻した。
「オレのは真綿が詰まってるんで、だからもこもこ分厚いんスよ」
 お前、馬鹿か。絹がどれだけ高価なものか知らない僕じゃないぞ。
 僕はそうそう零したりはしないが、万が一って事もある。超能力で受け止めたり戻したり朝飯前だとしても、やはり気持ちが違う。
 そんな上等な物、ほいほい人に貸していいのか。
「いいに決まってるでしょ、斉木さん、大事なんだから」
 あったかくしてね。
 鳥束。
 感動的だが…奴の脳内では、それをどのように脱がして行為に至るかという下劣極まりない妄想がドロドロ渦巻きグツグツ沸騰していた。
 相変わらず気持ち悪い奴。
 もういいや。
 無視してコーヒーゼリーを食べる。
 ああ…うむ…全然嫌いじゃない――
 一口ずつ丁寧に味わっていると、妄想は更に加速する。
 ぬるい粘液がべとべと身体にくっついてくるような錯覚に見舞われる。
 僕が聞こえてようが鳥束はお構いなしに垂れ流し、タイミングを虎視眈々と狙っている。
 無視してコーヒーゼリーを食べ続ける。
 今日は、今日こそは鳥束に引きずられまいと抵抗する。
 いつもなんだかんだ、奴の邪な思念に引きずられて行為になだれ込み、少なからず後悔してしまう。
 コイツとするのは嫌いではない、むしろ××だが、今はコーヒーゼリーを楽しみたいんだ。

 最後のひと口を名残惜しく飲み込み、ごちそうさまと手を合わせる。
 実に素晴らしい一品だった。
 よく見つけたな、鳥束、でかした。
 続いて目に入ったのはミカン。
 編みカゴに理想的な形で積み上げられた綺麗な橙色に、強く心が引かれる。
 実際のこたつのぬくもりと相まって、見ているとあたたかな気持ちになってくる。
 ああ、こたつは最高だな、発明した人はマジ神。
 そしてこたつにミカンの組み合わせもマジ神だ。
 ん…僕としたことが、どっかのうるさいおっさんみたいになってしまったな。
 気を取り直して、みかんを頂こうか。手を伸ばそうとして、しかしこたつから手を出すのが億劫に感じられ…決して寒い訳ではないのだ、ないのだが、せっかく温まった手を冷やすなんて馬鹿だろう。
 だから、てっぺんの一つを超能力で持ち上げ、テーブルに置いて、鳥束の方にコロコロと転がす。
『鳥束』
 ミカン
「もー、斉木さん、ミカンむいて下さいでしょ」
 笑いながら、鳥束はたしなめる。
『ミカン』
 構わず繰り返し、じっと視線を注ぐ。
「はいはい、まあオレは、そういう斉木さんが好きなんですけどね、……どうぞ」
 せっせと皮をむき、ひと房差し出す鳥束にぱかっと口を開く。
(うわー、斉木さん可愛い!)
(エロ、可愛い、エロ可愛い!)
(そのお口にオレの×××ねじ込みたいねえ!)
(奥まで突っ込んで喉ズボズボしちゃいたい!)
 むき出しの欲望で目をぎらつかせながらも、鳥束はそっと食べさせてきた。
(食べ終わったらやりたい!)
(やりたいやりたい!)
(まずは、はんてん着た斉木さんぎゅっと抱きしめたい!)
 ……うるせえな
 頭痛がするようだ。
 それでもミカンは甘く、美味しい。
 瑞々しい冬の果物を一つずつ味わいながら、僕は考える。

「このミカン、甘くて美味しいっスよね」
 全部食べ終わったところで、鳥束が唇に触れてきた。
 ミカンの良い匂いがするこの唇にチューしたい。食べちゃいたい!
 そんな思考を駄々洩れにしてつついてくる。
 顔を振って避けるか、邪魔な手を叩き落とすか。
 どちらでもなく、僕は。
『鳥束、ミカン』
「……は?」
 もう一個をコロコロと鳥束の方に転がす。
「あー……気に入ったようで嬉しいっス」
 もう一個、ゆっくり食べる。
 残りひと房になった時、またも鳥束の脳内が真っ赤に渦巻く。
『鳥束』
「ミカンっスか? そんなにいっぺんに食べたら――」
『ミカン』
 有無を言わさずねだる。
 鳥束は低く唸り、心配そうに見やってきた。
「斉木さん……」
『ミカンむいて下さい』
 構わず念力でミカンを持ち上げ、早くしろと顔にぐいぐい押し付ける。
「冷たい冷たいっ!」
 鳥束の悲鳴が心地良い。
 暖房の利いた部屋で、こたつにぬくまり、表面だけでなく内側からも温まった身体にミカンアタックは効いたようだ。
 しかし、それしきで挫けるコイツではないのは、僕自身よくわかっている。
 ……やれやれ、三個目はお預けか。

 鳥束は顔に貼り付くミカンをはがし、編みカゴに戻すと、ぐっと距離を縮めてきた。
 僕の両目を間近に覗き込み、上がる息を隠しもせず小鼻を膨らませて、やや低い声で僕の名前を呼ぶ。
「……斉木さん」
『なんだ』
 なんだ、なんて、聞くまでもないか。
 よくわかってるから、お前も、わかってる癖にと拗ねた顔するな。
 わかってるよ。
 ちゃんと応えてやる、満足させてやるから、お前もうんと良くしろよ。
 肯定の意を込めて、僕は片手で鳥束の肩に掴まった。
「斉木さん……」
 甘ったるい声が唇のすぐ傍で囁かれる。むず痒さに震えると同時に、柔らかいそれが重ねられた。
 心地良さに目を閉じる。
 腹がもぞもぞとくすぐったい。
 キスしながらちょっと笑う。
 はんてんの紐がほどかれ、脱がされ、寒さから僕は目の前の身体にぎゅっとしがみついた。


 こたつはぬくぬくと心地良く、事後の気怠さも相まって、僕はとろんと目を伏せた。
 こたつもそうだが、鳥束に借りたこのはんてん、非常にぬくい。
 背中が暖かいというのは、こんなに安心感があるものなんだな。
 しかもコイツの匂いがまた、なんというか…ほっとするのだ。
 非常に不本意ではあるが、コイツに抱きしめられているようで、眠気が増す。
 気持ち良く引き込まれていく。

 すぐ正面には、編みカゴに積まれたピカピカ橙色のミカン。
 隣には、へばって寝転がる鳥束。
 服はちゃんと着せ直したし、こたつ布団もかけてるし、寒くなる事はないな。
 僕が満足するまで存分にやりまくったので、すっかり腰が抜けたようだ。
 まあ、半分くらいは僕に責任があるが、お前だって悪いんだぞ。
 一応、最中に気を使ってやったんだからな。それでも挑んできたのはお前で、現在そうなってる責任の半分はお前にある。
 が…まあ、僕だってそこまで鬼じゃないので、栄養補給の意味を込めて、わざわざ手を使ってミカンをむいて、食べさせてやる。
『そら。むせるなよ』
 へぇへぇと情けない呼吸を繰り返す口にひと房押し付ける。
「……あざっス」
 鳥束はもごもごと呟くと、のっそり起き上がり、むぐむぐとミカンを味わった。
 なんだかふてくされているように見える。
 実際、鳥束はふてくされていた。
 まかり間違っても、僕とのセックスが良くなかったわけじゃない。
 その反対だ、大変満足いってるのは、思考をちょっと覗けば充分わかった。
 今も、気持ち良かった気持ち良かった、天にも昇る気分だった、あれが良かったこれが良かったと繰り返し浸っている。
 それでも不機嫌なのは、行為の最中僕に余裕があるのがムカつく、からだ。
 はぁ…まったく。
 馬鹿な奴だ。

(なんで斉木さん、あんなよゆーあんだろ)
(オレとスタート同じなのに)
(おんなじだったのに)
(童貞の癖に)
 おいそこうるさいぞ。
 さすがに聞き捨てならなくて、眉をひそめる。
 なんだ、お望みなら掘ってやろうか。あ?
 足腰立たなくなるまで一晩中可愛がってやるよ。
(上に乗っかると、すげえ余裕たっぷりにオレ翻弄してくんだよな)
「うまいっス……」
 大きなため息とともに、鳥束は呟いた。
 何が美味いだ、そんなに気もそぞろで味なんてわからないだろ。
 鳥束は、僕の前にあるむいたミカンをぶんどると、一つまた一つと口に運んだ。

 次々湧いてくる鳥束のぼやきを聞きながら、僕は口をへの字に曲げた。
 余裕なんてあるもんか
 内心憤る。
 同じ初心者同士だったのに、僕の方が鳥束に翻弄される事が多い、その腹いせに余裕あるように見せてるだけだ。
 上手く装えててとりあえず溜飲が下がるが、納得いかない。
 お前に抱きしめられると腰砕けになる自分が納得いかない。
 たかが十センチの差が、デカい顔するな。
 お前の声が筒抜けだから、どうされたら一番いいかよくわかるのは確かに不公平かもな、だがその分こっちだって素直に良い悪い伝えてるだろ。
 今度から全部悪いと嘘言ってやろうか。
 自分が損するだけか…くそ。

 本当にな、鳥束、余裕なんて何もない。
 そもそもな、僕に、物理攻撃は効かないんだよ。
 そりゃ不意をつかれればその限りじゃないが、馬鹿とマッドサイエンティスト以外、僕にダメージを与える事は出来ない。
 ナイフだって紙の作り物のように丸めて捨てる事が出来るし、その気になれば弾丸だって跳ね返すぞ。
 だから、本来なら僕の身体は性交渉には向いてない。
 する必要がない、もはや違う生き物だから出来なくていいと思っていたが、したいと思ったお前が現れたから、その時に限って、一時的に感度を変えている。
 つまり、常人並みにしている。
 言ってしまえば、お前に命を預けている状態だ。
 そこまでしている僕に、余裕なんてあると思うか。
 超能力者の僕が、わざわざお前の為に、お前とする為に、一時的に身体を作り変えてる。
 だから、初めての時は出血したし、苦痛も感じた。異物感に吐きそうになったし、痛みで気が遠のいたし、散々だった。
 そこまでしても、お前としたかったんだぞ。
 そして、したらしたで、自分じゃ知らなかった本性に気付かされて…自分があんなにも××が強かったなんて、知りたくもなかったよ。

 加えて、お前の素直過ぎる心の声が、精神まで侵した。
 卑猥で下品でどぎつくて、不快極まりない。
 だが、今ではすっかり病み付きだ。
 お前にいかれて、溺れて、以前の自分からは考えられないほど色を塗り替えられた。

 お前が、僕の本当に嫌がる事をしないのが、一番の理由か。
 まあ、煩悩まみれなのは嫌ではあるがな。正直言うと、今でも「死んでほしい」と思う時がある。
 今日こそやってしまおうかと思う瞬間があるのは事実だ。
 けれどそれ以上に、単純に、お前がいる方が「いい」から、手を下さずにいる。
 お前は色々都合が「いい」し、お前と居ると心地「いい」し、お前には気兼ねしなくて「いい」し…不本意だが、いないのは「よくない」んだ。
 どこかの僕に言わせれば、つまるところ「弱くなった」のだ。
 満更でもないのが非常に不愉快で、心地良い。

 こんなにもお前に翻弄されっぱなしで、何が余裕だ。
 こんな…非常に腹立たしいし屈辱なので、この事は死んでも云わないが。

 僕のむいたミカンを食べ終えると、鳥束は新たにもう一個手に取り、せっせとむき始めた。
 腹一杯だと苦しがってるのにミカンをむくのは、僕に食べさせる為だ。
 さっきの、覚えてたのか。
 イタズラ半分の悪乗りだったが、食べたかったのは嘘じゃないからな。
 じゃ、三個目、ありがたくいただくかな。
 隣から伸びてくる手に素直に口を開け、僕は瑞々しい果実を頬張った。
 うむ、いいミカンだ。
 どれ、まだ怒ってるのか。
 目を見合わせると、澄んだ瞳がわずかに揺れた。
 鳥束の頭に様々な感情が一気に押し寄せ、さすがの僕にも上手く読み取れなかった。
 ひと際大きな感情、歓喜が、眼差しに素直に上って、にっこりと細くなった。
 好き、好き、斉木さん好き、愛しい、大好き、幸せ――。
 やれやれ、不機嫌でなきゃないで鬱陶しいな。
 でも、悪い気しない。
 熱い手で抱きしめられるようで、全然、嫌いじゃない。
 僕はしみじみと噛みしめる。


「斉木さぁん…好きっス」
『はいはい、知ってるよ』
 二人して大の字に寝転がり、気持ち良くまどろむ。
 眠い。あったかい、腹一杯…苦しい、眠たい。
 うとうとする鳥束の思考。
 あれから、カゴに山とあったミカンを二人で食べ切ったのだ、苦しいのも当然だろう。
 僕も似たような感じだ。このまま寝たら、さぞいい気持だろう。
 よし、無駄な抵抗は止めてひと眠りしよう。
 逆らわず目を閉じて、大きく息を吐く。

 斉木さぁん
 鳥束は夢うつつの寝惚けた声で、僕の方にずりずり身体を近付けてきた。
 くっつきたがる目蓋をどうにか開き、確かめる。
 円形のこたつだとここまで近付けるのだな。しかも掛布団も偏らないし、寒くなる事はない。
 ベタベタ触れてくるのは鬱陶しいが、風邪を引く心配がないのはいい。
 よし、いいだろう。
「えへ、斉木さんて、結構心配性ですよね」
 普段素っ気なくしてるけど、ほんとはこうして気配りの人。だいすき。
 っち。
 うっせ、黙れ。
「斉木さんこそ、寒くないっスか? はんてんだけで大丈夫?」
 お前に心配されるほど落ちぶれちゃいない。夏バテで倒れた奴がいっぱしの口きくな。
「そりゃ…斉木さんに比べたら弱いでしょうけど、でもわりと頑丈で、しぶといもんですよ」
 うるさいって。いいから寝ろ。
「はい……だから斉木さんも、安心して寝て下さい」
 なんだこいつ…わかった風な口きくな。
「なんなら子守唄…歌いましょうか」
 いらん。余計な事しないでもう寝ろ。
「はい、ふふ……斉木さん愛してます」
 これがオレの愛の重みと、鳥束は仰向けだった身体をごろりと僕に向け、抱き寄せるように片手を乗せてきた。
 ふぅん…えらい軽くて、じんわりあたたかくて、優しいな。
 鳥束の匂いのするはんてんに抱きしめられ、実際のお前にも抱きしめられ、うん、悪くない。
 まったく、鳥束のくせに生意気だ。

 

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