衣替え
春服への衣替え:4月1日

春:見飽きる日は来ない

 

 

 

 

 

 マフラーを取った。
 十二月の終わり、冬休みに入る直前からし始めたマフラー。
 冬休みがあけても手放せず、分厚いコートにマフラー、さらには手袋と付け足して、登下校の寒さをしのいだ。
 それを、今日の朝は取った。マフラーなしで登校した。
 毎日毎日お天気お姉さんが、今年一番の寒さ、今季一番の冷え込みと、朝に晩に伝えてくるから、日本はもうこのまま氷河期に入るんだー、なんておバカな妄想もしてしまう。けど、季節は着実に春に近付いていってる。
 その証拠に、今朝はそれほど冷え込みもきつくなくて、それまでずっともこもこの防寒服を着込んで屋外の中継をしていたお姉さんも、少し軽めのコートに変わったし、オレも、マフラーを取る事に成功した。
 そう、春はもうすぐそこまで来ているんだ。

「斉木さん、今度の土曜っスけど――」
 重いコートも、重たい冬色のマフラーもそろそろお役御免。
 制服にも合わせられる春らしいマフラーが欲しくて、オレは登校途中斉木さんを買い物に誘ってみた。
『え……めんどくさいんですけど』
 思った通りの反応にオレはちょっと涙が滲んだ。
「そう言わず、一緒に買い物行きましょうよ。付き合って下さい」
『え……家でぬくぬくコーヒーゼリー食べてたいんですけど』
「あー…斉木さん、たい焼きの中身は粒あん……なのは決まりとして、もう一つは何がいいですか?」
 渋るのはわかっていたので、対策として、店の近くの甘味処はしっかり押さえてある。
 カフェだのファミレスだの色々より取り見取りだったが、とある甘味処の店頭で冬季限定まもなく終了のたい焼きを見つけたので、それを理由に来てもらう事にする。
 ちなみに「粒あん」で一旦途切れたのは、粒あんとこし餡とどっちが好きですかという、定番の質問をしようとしていた。言ってる最中、斉木さんはそうだ粒あんのがお好きだったと思い出し、急遽質問内容を変えたのだ。
 オレは聞きながら、件の店をスマホに呼び出す。たい焼きの、中身の、一覧…これでよしっと。
「えー、粒あん、こし餡、カスタード――いて!」
 読み上げていると、まだるっこしいとばかりにスマホを取り上げられた。もぉこの乱暴者め、手首が危うく一回転するとこでしたよ。恨めしく見やるが、真剣な眼差しで中身を吟味する斉木さん見たら、文句なんて引っ込む。代わりにとろけた笑みが浮かぶってもんだ。
『抹茶白玉あずき……』
「そうそれ、そこ変わってますよね!」
 オレは賛同して声を張り上げた。
 スタンダードなたい焼きの他に、生地を抹茶にして中身に白玉あずきを詰めたものも売っている。だから、ここを選んだ。ショップの近くに店を構えててくれてありがとう。お陰で見て、斉木さんのあの可愛い顔ったら!
 目はウルウル、ほっぺたぽーっとのぼせて、ちょっと口開いちゃって、もう抱きしめたくなる可愛さ!
 そこで斉木さんははっと我に返り、オレにスマホを突っ返してきた。もはや投げ付ける勢い。オレに醜態をさらしたのがよっぽど堪えたらしい。だからってもぅこの乱暴者め。
 手の中で踊るスマホを何とか受け止め、オレは改めて「付き合って下さいよ」と買い物に誘う。
『やれやれ……仕方ない』
 苦虫を噛み潰したような顔で、斉木さんは了承した。
 斉木さん、詰めが一歩甘いっス。目が煌めいちゃってて、バレバレっス。
 ほんとこの人たまんねぇな。
 内心そっと愛でていると、道端のシミになるかって目で睨み付けられオレは震え上がった。
 やめて、春はそこまで来てるの、春めいて穏やかな朝に、そんな冷えた目やめて斉木さん。


 当日、ショップにて。
『さっさと決めろ』
「すんません、どっちがいいと思います?」
『知らん、わからん。もうこれでいい』
 柄物と無地とどっちがいいか悩んでいたら、別の棚にあったボーダー柄を放って寄越された。
 渡されたのは、綺麗なグレープ色のマフラーだった。ボーダー柄と言っても単純な縞模様ではなく、少し凝った配色で、オレはひと目で気に入った。
 斉木さんおすすめだからこれにする!
『よし、たい焼き行くぞ『』
 早く食べたいから適当なのを選んだ、なんて装ってるけど、オレの髪色と揃えたとか、斉木さんバレバレ、愛情バレバレ。もう、ほんと憎いわこの人ったら。
 ドキドキのキュンキュンだわ。
 オレの心臓、確実に鍛えられてるね。
 かなりレベルアップしてるだろこれ。
 でもそれでも、斉木さんのちょっとした、本当にささやかな仕草にさえもときめくんだから、オレってば本当にキモ乙女だわ。
 いいんだ、それで。
 だって、ようやくお目当てのたい焼きにかじりついて、こんなに幸せな事がある世の中万歳、みたいな顔で喜んでる斉木さんにキュンキュン出来るんだから、それでいい。
 ああ、いいなあ…斉木さん。

 で、その晩、買い物とたい焼きとでテンション上がったからか、このオレが珍しく春物の服とか出して衣替えなんかしちゃったり。
 まあ毎度やってはいるけど、もっと何日にも分けて、ダラダラこなしてたんだ、いつもは。
 それが今日に限ってこんな、一日できちんとしっかりばっちり仕上げるなんて、多分生まれて初めてかも。
 ははは。
 でもまだ寒い日が続いてるから、春物になるのは少し先になりそうかな。


 翌月曜日、オレは真新しいマフラーをして学校に向かった。
 朝のお天気お姉さんが、今日は一日良く晴れるでしょう、手袋はいらないけど、まだ風が冷たいからマフラーでしっかり防寒しましょうね、って言ってたので、こりゃ丁度いいとマフラーを用意した。
 選んだのはもちろん…斉木さんが選んでくれたもの!
 週の始まり、ちょっと気が重たい月曜日だって大はしゃぎだ。
「おはよっス斉木さん」
『よう、変態クズ』
「斉木さんっ!」
 朝からきっついなこの人!
 けどオレの顔は緩みがちだ。冷たい風にさらされてるけど、全然寒くない。
 だって今日も元気に斉木さんに会えたし、斉木さんの選んでくれたマフラーはあったかくて最強だし、怖いものなしだ。
 オレはニッコニコで足取り軽く歩き続けた。

「ねーねー斉木さん、いいでしょこのマフラー」
 オレは前に垂らしたマフラーの端を持ってひらひら振り、斉木さんに見せびらかす。
 そんなオレに斉木さんはわざとらしく空を見やって、はーぁと息を吐き出した。
「綺麗な色っスよね。これ。ね、似合うでしょ」
『マフラーは悪くないんだがなぁ』
 肝心の本体が駄目だと、斉木さんは首を振る。
 むぬぬ、出ましたよひねくれ斉木さんが。
 でもいいもんね。アンタの愛情、しかと受け取ったし。
 ほんと、このマフラー生地もいいです。柔らかいしチクチクしないし、軽いのに充分あったかいし。
「ねえほんとに、肌触りいいんですよ」
 ほらほらと、オレは端っこを斉木さんの頬っぺたに近付けた。両端で斉木さんの頬っぺたを包み込もうとするが、斉木さんがそれを素直に受け取るはずもない。
 右に左に避けられた挙句、オレは正面から腹パン一発を食らい悶絶する事となった。
『しつこいんだよ』
「はい…すんません……」
 オレはうずくまり、はひはひと青息吐息で答えた。
 うぅ…ちょっとくらいイチャイチャしたって罰は当たんないのに。

 段々衝撃が収まってきた。そろそろ立ち上がろうかという時、斉木さんの左手がマフラーの端に伸びた。握手するように軽く握りしめ、ふんと鼻を鳴らした。
『どれだけ暖かくて柔らかいかなんて、もう知ってる』
 誰が選んだと思ってるんだ。
 その言葉にオレは顔を跳ね上げた。
 恥ずかしそうに、得意そうにオレを見下ろす斉木さん。
 たちまち全身がかーっと熱くなり、オレは泣きそうな顔で笑った。
「……そっスね」
 オレはあらためて、この人の愛情を受け取る。
『そら、さっさと立って歩け。遅刻するぞ』
「はいっス」
 オレはいい返事のあと、きびきびと歩き出した。

「ところでね、斉木さん」
 少し行ったところでオレは切り出した。
「ここ何日か、誰かに見られてるような気がするんですよ」
『被害妄想激しいな。あれか、木の芽時で頭おかしくなったか』
「ひでえ斉木さん、ひでぇっス……!」
 オレは手の甲を目蓋に押し付けた。ぐすぐすと泣く真似をしてみるが、当然と言うべきか、嘘泣きで斉木さんの心を動かす事は出来なかった。
 諦めて手を下ろす。
 しかしなあ。オレなんかストーキングしても、しょうがないのになあ。
 あ、でも、カワイ子ちゃんだったら嬉しいけどね。
『お前じゃ万に一つもありはしないな』
「いーじゃないっスか妄想するくらい。こう、絶世の美女に密かに惚れられるオレ、とかさあ、想像するだけなら自由でしょ」
『可哀想に鳥束…その若さで』
 斉木さんは口に手を当てると、よよとばかりに嘆いてみせた。
 なんて演技派だろうねまったく!
 いーっだ、斉木さんの意地悪。

 ふーんだ。
 なんて思いつつ、オレは、絶世の美女として斉木さんを思い浮かべる。
 斉木さん♀じゃなく、今オレの隣を歩いている斉木さんそのものだ。
 いやいやマジで。
 冗談抜きで、オレの中では斉木さんが一番綺麗な存在だ。
 あーまあ、照橋さんはまた別枠だ。
 都合よく分けちゃうけど、くくりが違うんだよね。
 うん、そう、斉木さんと照橋さんとで二大ナントカって感じ。
 まあそれはそれとして、斉木さんはとにかく絶対、唯一無二の存在なんだ。
 オレにとって、とって……神様みたいな?
 うーむ、もっと超越した存在だな。
 うんと高次の存在で、でもオレと同じ位置にもいてくれる。とんでもない超能力者でそしてとても人間らしいひと。
 オレの好きな人。
 ふへへ…オレの好きな人、オレの斉木さん。
『お前のじゃない』
 聞き捨てならないと、すかさず切り込まれる。
 いーや、オレのだね。
 そんでオレは、斉木さんのだよ。
『お前なんかいらん』
「そういわず受け取って。オレはとっくに、身も心も斉木さんのものっスから」
 靴を履き替えながら、斉木さんはげんなりだって顔でオレを見やった。知らない人が見たら、本当にオレ嫌われてると思うだろうね。この顔は間違いないわ。でもオレは、ちゃんとわかってるので大丈夫。ごくたまにタイミングが合わなくてちょっぴり泣けちゃう時もあるけど、オレはちゃんと斉木さんのものだし、斉木さんはオレのものだから、何も問題はない。
「じゃまた、お昼休みに」
 来ないで下さい、なんて味も素っ気もない言葉叩き付けて、斉木さんはさっさと自分の教室に向かった。
 本気の早足じゃないから、すぐに追いつける。
 そう、こういうところだ。
 すっごくわかりにくいけど、オレはわかっているので大丈夫。


 それからも、誰かの視線を感じる事はあった。
 時間はまちまちで、登校中、下校時、本屋とかに寄り道した時…決まって一人で出歩いてる時だった。
 でも気のせいなんスかね。そっちを見ても誰もいないし。
 妄想内の存在だから、オレをつけまわしてる絶世の美女なんていない。
 気のせいなんだろうな。
 春だから…斉木さんが云うような完璧頭おかしアレじゃなくて、でも春だから、気温の変化とか季節の変わり目の何か諸々が心身に作用して、そういった過敏な状態を引き起こしてるのだろう。
 そんな風に自分なりに決着をつけたところで、幽霊たちから、衝撃の事実を教えてもらった。

 それは、一人で下校して帰宅した時の事。
 ここ最近、斉木さんてば燃堂たちのラーメンの誘いばっかに乗って、一緒に帰ってくれない。
 ラーメンでない時も、家の用事とかでさっさと帰ってしまう。
 毎日ではないけど、でも寂しいやら腹立たしいやら切ないやら。春だってのに隙間風ぴゅーぴゅーだと腐りながら部屋で着替えていると、守護霊である燃堂父が「をっをっ」言いながら部屋にすいーっと入り込んできた。
「オメー、今日も相棒にフラれてたな! を!」
 うっせ!
 てかフラれてねーよ!
 何でも今日は斉木さん、パパさんに頼まれごとされたとかで先に帰っただけで、フラれたわけじゃないんだよ。
 フラれた訳じゃ……ないけど。
 ずーんと打ち沈むオレ。
 たかが一緒に帰れないだけだが、そのたかがは思いの外大きいのだ。
 オレくらいの斉木さんバカになるとな、一緒に登下校がとにかく重大なんだよ。
 四六時中一緒に居たいって熱ががーんと上がってて、とにかく大変なんだよ。
 そんなオレの気も知らないで、簡単にフラれたとか言いやがって。
 これがオレの守護霊とかさ…もうほんと燃堂やだ。
「を? 用事? オメーの後つけ回すのが用事だったんかなあ」
「は……は? なんだって?」
「いや、だからよ、先帰ったフリして、オメーの後つけてたぜ」
 つけてた?
 だれが、だれを?
 あまりの事に頭が正常に働かない。
 何がどうなっているのだ、どういう事だと必死に回転させていると、別の幽霊がやってきて、写真撮ってたんでしょ、と燃堂父をフォローした。
「を! そうそう、スマホな!」
 こんなやってな、撮るんだよな。
 斉木さんがやったらしい行動を真似て、燃堂父は親指をぐっと突き上げた。
 うん、それは何かちょっと違うけど、大体わかった。
 てか、え、え――ほんとかよ!
 翌日問い質すと斉木さんはあっさり認めた。

 翌朝、登校中に出会った斉木さんに「はよーっス」と片手を上げ、隣に並ぶ。
 聞くつもりではいたが、オレは昨夜からずっと半信半疑であった。
 燃堂父はともかく、幽霊は嘘をつかないから、疑うなんてもってのほかだけど、でもよりにもよって斉木さんがオレを・・・だなんて、にわかには信じられない。
 何かを勘違いしたって可能性はないのかね。
 斉木さんと並んで歩きながら、オレはこれでもかと頭を捻った。
 そんなオレに、斉木さんはあっさりと、撮ってたと自供した。
『データだけじゃなく、プリントもしてある』
「――!」
 その時の衝撃たるや。

「え、えと…なんでっスか?」
 まだ半信半疑だった。
 そんなオレの問いに、斉木さんは『お前を見たいから』と答えた。
 写真なら、透けても下の紙が見えるだけで済む。いくら幼少時から見て慣れてるといっても、お前はお前で見ていたい。
「うっ……」
 とんでもない告白に息が止まりそうになる。何なの急に、斉木さん何なの、斉木さんこそ、木の芽時!?
『お前の筋肉の張りや、頭蓋骨の形は決して嫌いじゃないが、僕だって普通にお前の顔が見たい』
「まって斉木さん…オレもう心臓破裂する…むり」
 感激のあまりオレ泣きそうっス。

 どうにか呼吸を整える。
「なら…なら、盗み撮りじゃなく正面から言ってくれればいいのに」
 いくらでもポーズ取りますよ、斉木さんのお望みどおりに。どんな注文にもお応えします。
 さあ撮って撮ってと斉木さんを見つめる。
 呆れつつもスマホを構える斉木さん。
 しかし。
『やっぱりやめた』
「……え」
『駄目だ。全然ダメ』
 だ、ダメって、え、どんな顔でもこなしますから、リクエストあったら遠慮なく言って下さいよ。
 しかし斉木さんは首を振るばかり。
 なんで? このカッコが駄目だったっスか?
 コート脱ぎます?
 別のにします?

 今から帰って着替えて…は、さすがに遅刻するから無理だけど。あ、斉木さん、アポートどうっすか。どっか物陰でさっとやってみるとか。
 今の時間帯、まだそんな通行人も多くないから、やるなら今がチャンスだよね。
 そんな事を思いあたふたしていて、ふと斉木さん見やると、オレにスマホを構えたまま真っ赤になって固まっていた。
 それでピンときた。
 これでわからないんじゃ、斉木さんの恋人失格だ。
 ついさっきまで『撮りましたが何か?』みたいにしれっと平然と犯行自供してた癖に!
 オレまで動悸息切れしてきちゃう。
 一緒に顔が真っ赤になっちゃう。

 でも斉木さん、オレがアンタを見る顔なんてもう飽きるほど見てるじゃない。
 しかも散々撮ってきておいて、なんで今更照れちゃうかな…こっちまで何か恥ずかしくなってきましたよ。
『……お前の幸せそうな顔、ムカつく』
「ええ、ひでぇっ」照れ隠しだってわかりますけどさ「だって斉木さん見たら幸せ気分になるんですもの、お澄ましなんて無理っスよ」
 てか、これでも一生懸命澄ましてるつもりなんすけどね。
 そんなににやけちゃってます?
 ヤな顔になってる?
 残したくないほど気に食わない顔になってしまっているのだろうか。
 オレはじっと答えを待った。

 別に……これっぽっちも嫌な顔じゃない。
 お前の、どんな顔も、嫌いじゃない。
 とんでもなく情けない時も、煩悩の塊でも、寒い時も暑い時も。お前だから嫌いじゃない。
 更に言うと…お前のカッコも、その――

「うぅ…斉木さん…」
 顔は熱いわ動悸はするわ涙が出るわ、大忙しだ。

『うるさい、大体お前、お前は僕のものだろ。自分でそう言っただろ。僕のものを僕がどうしようが、僕の自由だろ』
 う、うっ……開き直った斉木さん最強。
 でもすぐ勢いは消えてなくなった。
『勝手に撮って悪かった。お前を、一枚でも多く残したかったんだ』
 斉木さんの顔がわずかに下を向く。
 もう限界、心臓はじけ飛んじゃう!
「んな事言われたら許すに決まってるでしょ!」
 斉木さんのする事なら、オレはなんだって受け入れますよ。
 受け入れてきたじゃないですか。
 そりゃ、たまーに、きついなぁってなったりもしますけど、でもオレ、アンタといる時間、どれもこれも幸せですよ。

 だから、もっとオレの事見て!

 

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