約束
春:こちらこそよろしく
斉木さん、ゴールデンウィークのご予定は? なかったら、お花見しましょ! 大勢の生徒で賑わう食堂の、窓際端っこの席に着いたオレは、向かいに着席した斉木さんに早速話を切り出した。 本当は、斉木さんとここに来るまでの廊下でこの話をしたかったが、混雑する合間を縫って歩く方に気を取られ、話どころではなかった。 腰を落ち着けてからの方がいいとオレは逸る気持ちをぐっと飲み込み、そわそわとタイミングを見計らっていた。 オレは親子丼、斉木さんはカレーうどんを注文して、空いていた窓際に向かい合ったところで、ようやくだとオレは口を開いた。 『そんな時期に花見? お前、何かおかしなこと企んでるだろ』 オレの話を聞き、斉木さんはさも胡散臭いと云うように顔をしかめた。 何も企んでなんかいませんよ、心外な! と憤慨するが、そうやって疑われる前科が一つもないかといえば、心当たりはあり過ぎるオレは、むにゃむにゃと唇を動かした。 その目の前で、斉木さんはきちっと手を合わせてカレーうどんを啜り始めた。 しばし見入る。ほんとこの人、器用にたぐるよな。オレにとってある意味天敵でもあるカレーうどんを、あんな綺麗にさばけるなんて羨ましい。 オレだって寺生まれの端くれ、行儀作法にゃちと自信がある、決して汚い食べ方なんてしないけど、ことカレーうどんに関しては負け続きだ。どんなに気を付けていてもシミを作ってしまうのだ。 でも斉木さんは常勝。それも超能力のなせる業なのかね。 しばらく見惚れ、はっと我に返って、オレはいただきますと親子丼に箸をつけた。 一口二口食べ進めたところで、話の続きを口にする。 「オレの下宿先の寺の境内に、桜植わってるのって話ましたっけ?」 まだでした? 「山桜なんですけどね、紅山桜っていう品種っス」 オレはスマホで適当な画像を選び、こんな花ですと斉木さんにかざした。 あの寺にあるの、百年越えの、結構立派なものなんですよ。あれ咲いたらすごい。 ソメイヨシノほど華やかさはないですけど、春の風情はばっちり感じられますよ、約束します。 「で、こいつの開花時期が、丁度ゴールデンウィークの頃なんスよ。だから斉木さん――」 『あ、もう見たのでけっこうです』 斉木さんは、オレのスマホからカレーうどんの器に目を戻すと、またも器用にたぐった。 オレは少しばかり下唇を突き出した。 「むぅ…そう言わず来てくださいよ、ご馳走とかお菓子とか、美味しいもの用意しますから」 『美味しいものね…そう毎度毎度釣られるとでも?』 斉木さんは顔も上げず続けた。 (思うけど) (だって一瞬目がキラってなったよアンタ) (美味しいものってとこで、目がキランって、キラキラ〜ってなったもん) オレは密かに笑う。 『なってねぇよ』 自覚があるからか、斉木さんはいつにもまして凄みをきかせた。 「さーせん!」 命の危機! オレは反射的に謝った。 気を取り直して。 「ねぇ〜、しましょうよお花見」 オレのおすすめは、日の出すぐの時間帯っス。 『えー…』 時間を聞いて、斉木さんは思い切り唇をひん曲げた。 お前に付き合って花見だけでもかったるいのに、朝早くかよ、早起きかよ、そう云いたいのである。 「いやほんと、いいんですって」 昼間の真っ青な晴天と桜の組み合わせも良いんスけど、朝の霞みがかった空と桜の組み合わせも、中々おつなものなんスよ。 騙されたと思って、一度この時間帯の桜を楽しんでみて下さいよ。 オレは一生懸命、朝の花見の良さを熱弁する。 「ね、モチモチの三色団子や桜餅ご用意しますから」 斉木さんは桜餅、関東風と関西風とどっちがお好き…どっちもお好きですよね。 『はぁ……やれやれ仕方ない、そこまで言うなら行ってやらんこともない』 「やった!」 『その桜餅、お前が作るのか?』 「えーっ……と」 『三色団子はもう知ってる。あれは悪くなかった』 「あざっス!」 『なら、桜餅も当然、お前が作るんだよな』 えー…っと…作った事はないんだけど、やってやれない事はない…かな? 『僕をそんな早い時間に叩き起こすんだ、お前も何かしら苦労しろ』 「わか、わかりました。腕によりをかけて作るっス」 オレは力強く頷いた。 『で、いつだ?』 「今週の土曜日、どうっスか?」 尋ねると、斉木さんは萎れた顔ではぁっとため息を零した。思わずぎくりとなる。 も、もう先約がありました? オレは悲しみを抑えて尋ねた。 『残念な事に……空いてる』 「……びっくりさせないでよもう」 『時間は?』 前夜から泊まりはどうですかと持ち掛けると、また渋られた。 『ちゃんと寝かせてくれるよな?』 「えー…それは、斉木さん次第かな」 冗談交じりに軽く笑うと、たちまち斉木さんは目付きを険しくして拳を握った。 「すいませんすいません!」 おふざけが過ぎました本当にすみません! オレは即座に謝る。 『今度言ったら、お前の顔面がまっ平になるからな』 はい、気を付けます! 「じゃあ土曜日、日が暮れたらオレの部屋に」 『わかった。どうにか細工してその日は日が暮れないようにする』 ちょ、斉木さーん! アンタ以外の人間だったら冗談ってすぐにわかりますけど、アンタのはほんと、本当にシャレにならないから。 しかも、日が暮れなくても誰も不自然に思わないマインドコントロールのおまけ付きだろ、マジで無敵だよこの人。 『と冗談はこのくらいにして。今くらいの時期の日没は、大体六時過ぎか。じゃ、半になったらお前の家に行くよ』 「はい、待ってます」 約束を取り付け、オレは小躍りせんばかりに喜んだ。 『なあ鳥束』 心の中で軽やかにステップを踏んでいると、斉木さんがじっと視線を向けてきた。 『桜餅の餡はこし餡か?』 はい、と頷きかけて、オレは思いとどまる。 これは果たして、どっちの意味の質問だろうと思案する。 定番のこし餡で作るよな、という確認なのか。 それとも、実は粒あんが好きな少数派だが、やっぱり定番のこし餡にするんだよな、と残念がるものか。 えー、どっちだどっちだ。 『斉木さんのお好きな方で作りますから、遠慮なんてせず言って下さいよ」 『別にどっちだっていいんだ』 「えー、よくないっスよ。好きな方、美味しい方を食べてもらいたいですもの」 ほら、強がってないで正直に言って下さい斉木さん。 『別に強がってるわけじゃない。どっちでもいい』 オレは、ここまでのやり取りでどちらが好きなのか、ピンときた。 斉木さんが好きなあんこはどちらなのか。 もうわかりましたよ斉木さん。 そう気持ちを込めてじっと見据える。 『じゃあ、粒あんで頼む』 わかりやすく目を逸らした斉木さんの可愛いこと! 思わず顔を緩めると、反比例するように斉木さんの顔付きが険しくなった。 それでも、オレはニコニコしてしまう。 「はい、了解です、美味しい粒あん炊いて、お作りしますね」 寺生まれの味、存分に楽しんでください。 |
なんて大見得を切っといて、この有様かよ。 桜の葉っぱに包まれた小さめのおむすびみたいな、真っ白な塩むすびみたいな、そんな見た目の関西風桜餅を前に、オレは作業台に両手をついてがっくりうなだれた。 綺麗な桜色にならなかった原因はわかってる。色がどぎつくなるのをおっかながって、食紅をごくわずかにしたせいだ。 薄焼きの皮であんこを包む関東風も、これまた色味がすっかり飛んで白けている。こちらは、形はほぼ完璧だけど色がなあ、やっぱりなあ。残念な仕上がりだ。 「はぁ……」 出来立てがなんといっても美味しいから、頑張って早起きして、暗い内から張り切って取り掛かったのに、こんな単純なミスをするなんて「はぁ…」だよまったく。 ほんとにさ、早く起きる為に、昨夜は斉木さんと楽しむのもほどほどにして早く床についたってのに――ああ。 作り直す時間はない、そろそろ斉木さんも目を覚ます頃だろう。 いくら寝てるからって、いつまでも部屋に一人にしとくなんて忍びないし。失敗したのは仕方ない、こいつで勘弁してもらおう。 してもらえなかったら、次こそ美味しく綺麗に作ると約束して、どうにか許してもらおう。 オレは祈るような気持で二種類の桜餅と三色団子とを重箱に詰め、部屋に運んだ。 寝起きの寝ぼけが大体抜けた斉木さんを連れて、オレは敷地の東側へと向かった。 手には重箱の風呂敷包み、脇には敷物、肩には熱いお茶を入れた魔法瓶をかけ、東に根付くどっしりとした山桜のもとへ案内する。 明け方は少し肌寒いから、オレはコートを着込んだ。斉木さんは平気だって言ったけど、万一を考えて羽織らせた。 そんな二人で、二人だけで、贅沢に花見を始める。 「どうでしょ、この桜。朝に見るのも中々おつなものでしょ」 オレはささっと敷物を敷いて、斉木さんを促した。 斉木さんはしばし頭上を見やって、オレの言葉に二度ほど頷いた。 特にこれといって表情の変化はないけど、短い付き合いじゃないから、何を云いたいかは大体わかる。しきりに瞬きしている理由もわかるってものだ。 オレは嬉しくなって、同じように顔を上げた。 それと入れ違いに斉木さんはオレへと目を移し…いや、オレが持ってきた重箱に視線を注ぎ、それからオレに目を向けた。 突き刺さるような視線とは、まさにこの事だな。 斉木さんの眼差しが何を物語っているのか、手に取るようにわかった。 じりじりと焼け付くような熱視線、オレの味を求める斉木さん…いつもだったら嬉しいところだけど、今回はちと弱る。 といって先延ばしは出来ないから、覚悟を決めて包みをほどいた。 「三色団子は、上手くいったんスけどね」 言い訳しながら、オレは重箱の蓋を開ける。 あーあ、三色団子の色味がいいだけに、桜餅がより一層悲壮感に包まれてら。 いたたまれない気持ちをなんとか飲み込み、オレはお茶の用意をした。 そしてどうぞと目を上げると、斉木さんは一番失敗した不格好な関西風桜餅を口に運んでいた。 申し訳なさに胸がきゅうきゅうした。 『色、ないな』 「……ええ」 食紅をね、おっかなびっくり入れたんでそんななっちゃったんです。 『あんこの包み方がいかにも素人だな』 「……ええ」 やる前はまあいけるだろ思ってたんですけど、実際やってみると均一に結ぶの結構難しかったです。 続いて斉木さんは、関東風の桜餅に手を伸ばした。 ただでさえ早い鼓動がさらに早まる。こめかみまでズキズキしてきたよ。 『こっちも真っ白だな』 「………」 オレはもう声も出せなかった。 『でも別に、あんこの甘さも硬さも、全然嫌いじゃない、皮の具合も悪くないし。このくらいがちょうどいい』 「……ホントっスか?」 情けないことにオレちょっと泣きそうになってるんですけど。 斉木さん、その言葉、そのまま受け取って大丈夫ですか? オレ、斉木さんの味、もうばっちり覚えましたからね。 お店のにだって負けてない!…よね。 斉木さんはオレにちらっと目を向け、ふっと鼻先を鳴らした。 小馬鹿にした風じゃなくて、心配は要らんって云ってるみたい。 はは、嬉しいな。 なんか泣きそ。 『ぐずぐず言ってないで、お前も食べろ』 「……はいっス」 オレは清々しい気持ちで桜餅に手を伸ばした。 「ね、来年もこうしてお花見したいっスね」 持ち掛けると、それまでほんわかしていた斉木さんの顔がやや引き締まる。 『桜餅』 「はい?」 『桜餅、来年もこれ作るなら、約束してやってもいい』 「ああ、ええ、もちろんお作りしますよ、お任せくださいご安心を」 もっと腕磨いて、見た目も整えて、売ってるのに負けない綺麗で美味しい桜餅、作りますから。 『なら、してやってもいい。来年も再来年もその次も』 桜餅をモチモチしながら、斉木さんは小指を突き出した。 無造作に伸ばされたそれに、オレはそっと小指を絡めた。 やっと乾いたのにまたも目の奥にじわりと熱いものが滲んで、少し困ってしまう。 これからも美味しい桜餅お作りするんで、ずっとずっと、オレの隣にいて下さいね、斉木さん。 |