おまけ
黒糖かりんとう

冬:お茶屋さん

 

 

 

 

 

 制服に着替え、ダイニングテーブルについた僕は、母の用意した朝ご飯に「いただきます」と手を合わせた。
 こんがりといい焼き色のついたバタートーストにたっぷりイチゴジャムを乗せていると、母さんが「そうだ、くーちゃん」と話しかけてきた。
 帰りに商店街のお茶屋さんで、いつもの玄米茶を買ってきてほしいとの事だった。
 つまりお使いを頼まれたのだ。
 もちろんだと引き受け、おつりでコーヒーゼリーでも買ってねとお金を渡された。
 テーブルにそっと置かれた紙幣をちらっと見やり、僕は即座に計算する。
 いつもの玄米茶がいくらで、おつりはいくらだから、とするとコーヒーゼリーは何個買えるか…ジャムバタートーストをかじりながら、質より量にしようか、量より質にしようか、様々な組み合わせを頭の中で思い浮かべる。
 悩むな、ふふ、どれを何個買おうかな。
 朝食を済ませるまでに大体の組み合わせを決め、ごちそうさまと手を合わせた後、僕は行ってきますと家を出た。

 通学路で、鳥束がいつものように「おはよっス」と元気よく声をかけてきた。
 続けて、毎度恒例ともいえる朝のお天気お姉さんの今日の装いを、嬉々として語り出した。
 毎度興味がないので僕はパス、いつも通り聞き流す。鳥束の話のタネはそれだけではなく、昨夜見たテレビ番組や、今朝見かけた幽霊たちの様子、途中すれ違ったお姉さんがすげえいい匂いだった…尽きる事がない。
 どれもこれもまったくもってどうでもいい。よって僕は最低限の反応に留め、一人勝手に喋らせておく。
 話の中身に興味はないが、鳥束の声や喋り方は嫌いではない。あまり、うるさいとも感じない。むしろ心地良かったりするから癪に障る。
 普段のお喋りはもちろん煩悩まみれの時でさえ生き生きとして、平坦でありたい僕の感情を何かとくすぐってくる。
 だから無視が出来ないのが、本当に腹が立つ。
 僕はこっそりとため息をついた。

 一人ペラペラ喋る鳥束の脳内では、今日の昼飯なに食おう…がふわふわ漂っていた。
 朝っぱらから、もう昼の事かよ。
 かくいう僕も、お使い後のコーヒーゼリーが八割を占めているので、人の事は言えないのだが。

「そーだ斉木さん、お昼、一緒に食べましょう」
『今日は食堂で、日替わり定食にする予定だ』
 父さんが休みなので今日は弁当なしなんでな。
「あーオレ弁当…じゃあ、レンジ使うので食堂ご一緒しようかな」
『来るな、食堂利用したい他の生徒の迷惑だ。教室で一人寂しく食べろ』
「えーやだ。ね、斉木さん、お好きなパン奢りますんで、一緒に教室で食べましょうよ」
 もちろんコーヒーゼリーもおつけしますよ。
 何でもコーヒーゼリーで片付けられると思うなよ。
 でもまあ今日はとりわけ気分が良いのでそうするか。
『まあ、お前がそう言うなら。じゃあ――』
 コロッケパン、焼きそばパン、照り焼きサンド、ツナポテト、フィッシュバーガー、カレーパン――。
 僕は、覚えている限りの総菜パンの名前を口にした。
「ああ、はいはい、コロッケパンと焼きそばパンと照り焼きサンドっスね!」
 四個目あたりから鳥束も察し、最初の三つを復唱すると、じゃあこれでと強引に断ち切った。
 っち。
 心の中でこっそり舌打ちする。実際にやると、鳥束がうるさいんでな。
『別に、本当に全部だって僕は食べ切れるぞ』
「知ってますけど駄目っスよ、腹八分にしときなさい」
『やれやれわかったよ。じゃあ頼むぞ』
「はいっス!」
 鳥束は張り切って答え、にっこり笑った。

 そして迎えた昼休み、鳥束は買ってきましたよと満面の笑みで教室に入ってきた。
 ご苦労、じゃあ早速食べよう、いただきます。
 向かい合って手を合わせる。
 まず、たっぷりのソースが染みて絶妙な美味さのコロッケパンからいくかな。
 袋から取り出し、大きくかぶりつく。
「そうだ斉木さん、三限目の事なんスけどね」
 午前中の授業がこうだった、ああだったと鳥束は淀みなくペラペラと紡ぎ始めた。
 それらを聞き流しながら、僕は鳥束の買ってきた総菜パン三個とお菓子パン一個を、一つずつ丁寧に平らげていく。
 二個目の焼きそばパンに差し掛かった時、こんどのパン屋の、パンが美味しいっスよねと鳥束は同意を求めてきた。
「まだそんなに色々食べてはないですけど、以前のパン業者と比べると違うなって、違いわかります」
 美味いっス。
『ああ、確かにそうだな』
 それは僕も思っていた事なので、素直に頷く。
 春からパン業者が変わって、以前より僕好みの菓子パンが増え、それだけでも充分嬉しいが、総菜パンも軒並み美味いとあって僕は上機嫌だ。
 そんな僕を、鳥束はニコニコと嬉しげに見つめてくる。
 気が散ってしょうがない、鬱陶しいが、しかめっ面されるよりずっといい。コイツの緩んだ表情筋を見るのも嫌いじゃないので、僕はさせたいようにさせておく。
「そーだ斉木さん、帰り、本屋寄りません?」
 本屋か、うーん…先日サイサイの最新刊買ったばかりだし、週刊雑誌の発売曜日でもないし、だが何か新しい出会いがあるかもしれない、が、残念ながら今日はおつかいを頼まれているのでな、寄り道には付き合えない。
「う、そっスか、残念っス」
 下唇を突き出し、鳥束は見るからにしょぼくれた顔付きになった。
『残念だったな、今日は寄り道せずにとっとと帰って、真面目に修行しろ』
 そう尻を叩くと、今度はうぇーっと唇を思いきりひん曲げた。

 放課後、僕はまっすぐ商店街のお茶屋に向かった。
 定休日はなく、年中無休で、茶葉各種はもちろん茶道具も色々取り揃えている。そう広くない店内に様々な品が整然と並んでいて、僕はたまに訪れる程度だが、物珍しさにあちこち目を引かれる。
 だが一番目を引くのは、店頭で売られているソフトクリームだったりする。
 お茶屋さんらしく「抹茶ソフト」がいちおしで、生乳を使ったミルクとミックスした「抹茶ミルク」もあり、おつかいで来る度いつも迷ってしまう逸品だ。
 ちなみにどちらも食べた事があり、どちらも嫌いじゃない味で甲乙つけがたい。ので、交互に食べる事にしていた。前回は「抹茶ミルク」にしたので、今日は「抹茶」の日だ。
 買い物を終えたら頼もうと内心のウキウキを堪えていると、店主である中年の女性が「いつもお買い上げありがとう」と、店内で売っている黒糖かりんとうをひと袋つけてくれた。
 思いがけないおまけに目が丸くなる。
 実を言うとこのかりんとうも、密かに目を引かれていたのだ。
 店内には他に緑茶のかりんとうもあり、今度おつかいで来たら、そちらを買ってみようと思うくらいにはこの店に惚れた。
 個人の商店はこういうところがにくいな。

 帰宅して母に渡すと、くーちゃん甘い物大好きでしょう、食べていいわよと言われたので、ありがたく貰う事にした。
 部屋に引っ込み、早速一つかじりつく。
 洋菓子ばかり食べているように思われがちだが、和菓子だって決して嫌いじゃない。独特の甘味はほっと心が落ち着く。
 かりんとうは、緑茶はもちろんコーヒーや紅茶に合うのだ。
 ということでコーヒーを合わせる。
 かりんとうの強い甘みがコーヒーのほろ苦さと合わさり、丁度良い味わいになるのだ。
 うん、ふふ、悪くない。
 黒糖の風味がよくて、歯ごたえもよし、すっきりと抜ける甘さでコーヒーに合う、これは素晴らしい組み合わせ。
 たまにはこういうのもほっとするな。
 ぼりぼりと無心で味わっていてふと、鳥束にも食べさせてやりたいと思い浮かぶ。
 ……なんだおい、なんだ。
 慌てて追い払う。
 何を見ても鳥束を思い浮かべるとか僕の脳みそどんだけだ。鳥束じゃあるまいし恥ずかしい。
 気を取り直して楽しもう。
 素朴なお菓子だよな、かりんとう。
 歯ごたえの良さが病み付きになる。
 これを、鳥束に…いい加減にしろ僕。
 さっさと食べてしまえばいいんだ、あるから余計な事を考えてしまうんだから。
 とはいえ、思い浮かぶのはやっぱり鳥束の顔。
 洋菓子より和菓子を好むあいつのことだから、これもきっと喜ぶだろうな。
 ……っち、鬱陶しい
 だが、この気持ちを無視して一人で全部食べ切ったら、後々までもやもやがつきまとうのは明白だ。
 今からもう想像がつく。
 僕はちらっと袋を見やった。随分食べてしまったな。
 やれやれ仕方ない。
 ひとまず、奴が今何をしてるか視てみよう。
 下らない事をしていたら、一人で全部食べてしまおう。
 いつものゲス束出てこいと願いながら千里眼で見通す。
 ああ、うん…残念だ鳥束。
 僕は、かりんとうの入った袋の口をぎゅっと握り締め、奴の部屋に飛んだ。

 ベッドに大の字になり昼寝している鳥束のおでこを、平手でベシっと叩く。
「いたっ!……さ、さいきさん?」
 がばっと跳ね起き、鳥束は目を白黒させた。
『朝だぞ』
「ちょ、もー…いらっしゃい」
 さすがに騙されないか。しょうがない人だなあって微笑がムカつくな。
 いきなり叩き起こされたってのに、その程度で許すのか、まあお前のその甘さ、嫌いじゃない。
 気兼ねなくこんな下らないやり取りできるのが何だか楽しいしな。
 もっと楽しくなろうじゃないか、鳥束。
『てことで熱いお茶を用意しろ』
「え、はぁ」
『いいもの持ってきてやったから、早くしろ』
「え…あ、あ! はいはい」
 かりんとうを見た途端キラッと目を光らせ、鳥束はベッドから飛び出した。

「はい斉木さん、おまたせ――うぇあ!?」
 戻ってきた鳥束の顔が、驚きに染まる。
 まあそうだな、部屋を出る時は普通だった僕が、戻ったら小人サイズになってるとなれば、誰でも驚くか。
 それが、僕の能力をあれこれ知ってる鳥束であっても。
「うわ〜…おわ〜……」
 鳥束はテーブルにお盆を置くと、ぐいーっと顔を近付けて僕を凝視し、親指と人差し指で大きさをはかり、頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見回した。
「幽霊たちから聞いて知ってはいましたけど、……自分の目で見るのは初めなんで、ちょっとドキドキしてます」
 おい、そんなにじろじろ見るんじゃない、ぶしつけなやつだな。

 やっと興奮が収まった鳥束は、僕の方に一つ、自分に一つ湯飲みを配った。
「でもなんで、小人に?」
『それより早く袋あけろ、かりんとう出せ』
「りょーかい」
 鳥束は持ってきた菓子器にかりんとうをあけた。
 残り五本か、随分食べてしまったな。
『よし、いってくれ』
「これ、ほんとに食べちゃっていいんスか?」
『そのつもりで持ってきたんだ、遠慮はいらん』
「では、頂くっス」
 鳥束の指が、ひょいと一本持っていく。
 それを僕は、半ば無意識に惜しいと見送る。
『本当はもっとたくさん入ってた。自分だけで食べるつもりだったが、お前の顔がチラついて鬱陶しいので、持ってきた』
 お前と分けないと夢見が悪い気がしてな。
『お前、こういうかりんとうとかも好きだろ』
「ええはい、うわ、嬉しいっス斉木さん!」
 わざわざおやつのおすそ分けなんて…あざっス!
「この袋の具合から見ると、もっと一杯入ってたようっスね」
 お一人で結構食べちゃったんスね。
 鳥束はにやにやと見やってきた。
『……これでも我慢した方だ』
「ふは、そうっスね、斉木さんなら」
 うるさいよ。
 で、これっぽちを分け合うのはちょっと難しいので、縮小化したんだ。
 この身体なら、一本で充分満足出来るからな。
 僕は、巨木のようなかりんとうを両手に抱えかじりついた。
「はーなるほど、超能力者ならではの楽しみ方っスね」
 鳥束がボリボリと噛みしめるのを聞きながら、僕もガリガリと巨木もといかりんとうに挑む。
「ん、美味しい! 斉木さんあざっス、これ美味しいです」
 このかりんとう!
 鳥束は目を輝かせて礼を言ってきた。
 そうだろ。なかなかいけるだろ。
 僕が、我慢しきれず食べちゃったのも納得だろ。
「ええ、よくわかります」
 さもおかしそうにくすくす笑う鳥束が気に食わないが、幸せそうな顔を見るのは嫌いじゃない。

「あー美味しいな、嬉しいな」
 斉木さんのおすすめのかりんとう、美味しい。
 ニコニコと食べ進める鳥束を見て、無理してでも持ってきて良かったと、柄にもない事を思う。
 でもたまにはこういうのも、悪くない。

 

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