待ち合わせ

十分前、五分前

 

 

 

 

 

 駅前のカフェでホットコーヒーを啜りつつ、文庫本をめくる。
 外は冷たい風の渦巻く季節で、窓の外、行き交う人々の歩みも心なしか早い。
 見るからに冬の装い、少々色味に乏しいコートやマフラーに身を包み、首を竦め、しかし風に負けじと足を運んでいる。
 いつもならそんな寒い休日は家に引きこもり、ぬくぬくと怠惰に過ごすのだが、今日は残念な事にこれから鳥束と出かける予定だ。
 世間一般でいうところのデートである。
 毎度コーヒーゼリーに釣られるかと一応の抵抗はした、が、新作と聞かされてはそれ以上抵抗は出来ない。
 コーヒーゼリーに罪はない。
 行く事を了承した。
 というわけで、こうして待ち合わせをしている次第だ。

 もうこれまで幾度となく、こうして鳥束と待ち合わせをした。
 あいつ、変態クズのくせにきちんと時間を守るんだよな。
 遅刻をしたのはたったの一度きりだ。
 秋に、電車のトラブルで遅れた事があったが、あれは奴にはどうしようもない事だからノーカンとする。

 さて一度きりの遅刻は、初めて待ち合わせをした時。
 奴には消したい記憶だろう。
 あれも、今日と同じように冷たい風の吹く日だった。
 約束の時間より十分ほど早く待ち合わせ場所についた。
 それは自分にとってはいつも通りの心構えで、ごく普通の行動であった。
 しかしこの時は、やたらに言い訳ばかりした。
 別に、奴と付き合いを始め一回目の外出だから浮かれている訳ではない…だの、自分はいつもこうして時間厳守なんだ…だの、誰も聞いちゃいない、誰に聞かせるわけでもないのに、いやに頭に浮かんでしようがなかった。
 気を落ち着ける為、持ってきた小説本を開いた。
 しかし、読めども読めども、内容は頭に入ってこなかった。

 自分にとってもあの待ち合わせは、消したい記憶かもしれない。

 約束の時間になったが、奴は現れなかった。気配の接近も感知出来なかった。
 浮かれる自分に苛々する気持ちが、そのまま奴への苛々に移行する。
 十分待ったところで、帰ろうかと思いつつ千里眼を使った。
 視えたのは、きちんと出かける格好になった鳥束が、部屋で倒れている光景だった。
 予想外のことにさすがに動揺した。
 出発直前に持病の発作でも起こしたのか?
 そもそも奴に、持病なんてあったっけ?
 とにかく確認せねばと、こっそり店のトイレから部屋に飛び病状を確かめた。
 結果から言うと、奴は何らかの病気から発作を起こしたのでもなんでもなく、ただ寝ているだけだった。
 驚かせやがってと、蹴りの一発もくれようかとした時、断片的な思考…見ている夢の切れ端が頭に流れ込んできた。

 夢の中でも、鳥束は遅刻していた。
 今日の初デートがあんまり楽しみすぎて、よく眠れなくて寝坊しちゃいました、本当に済みませんと、土下座する勢いで謝り倒している。

 夢でも現実でもカッコ悪いとは、鳥束らしい。
 さて、夢の中で述べたように、浮かれて寝不足なのは本当のようだった。
 この身支度も、随分早くに済ませたようだ。それで、まだ約束まで時間があるので、少し気を落ち着ける為に瞑想でもしようとなり、そのまま、眠ってしまったという訳だ。
 なんて間抜けなんだろう。
 さすが鳥束だな――でも。
 早く行こうという気持ちはあった。
 鳥束が今日をどれだけ楽しみにしているかも、僕には全て筒抜けだ。
 そのせいで、落ち着いたと思っていたウキウキが舞い戻り、顔を熱くさせた。
 コイツも僕と同じく、今日を楽しみにしていたんだ。
 自分としちゃ不本意だが、何らかの期待を抱いたのは間違いない。
 誰かのものになり、ソイツと付き合う、時間を共有するなんて無駄で馬鹿らしい、自分には出来ない事だと手を出す事も考えていなかったのに、コイツはそれをあっさりひっくり返した。
 守護霊が絡むというかなり特殊な反則技を使ったとしても、自分は自分の意思で鳥束といる事を選んだ。
 だから、こんな寝坊も、あっさり許す気持ちになった。
 思考が全て視えるからこそ、怒れない。
 自分と同じじゃ、腹も立たない。
 だが同じなんて癪に障るから、起こす為に拳骨をお見舞いした。
 力加減を誤り、復元が必要になるほど粉砕してしまったのはいい思い出…いや、これも消したい記憶だな。

 その後は、約束通り出かけた。時間指定のあるものではなかったので、多少遅れても問題なかった。
 むしろ得をした。寝坊したお詫びと、あれこれご馳走してもらえてホクホクだった。
 これなら、毎度寝坊していいぞと言うと、もう二度と待たせませんと真面目腐った顔で言ってきた。
 ――今日はほんとすんませんでした。せっかくの初デートなのにもう消えたいっス…今後は二度としませんと約束します
 ――なんだ、もう奢りはナシか
 茶化すと、ますます顔を引き締め、何でもご馳走しますから言って下さいと真剣な目をぶつけてきた。
 こっちはちょっとした冗談のつもりだったのに、そんな澄んだ目を向けるな、馬鹿。
 また、顔が熱くなった。

 宣言通り、奴はそれから一度も遅刻はしていない。
 一回目から寝坊をかましてきたので、始めの頃は「また今日も遅れるのでは」と疑わしかったが、奴は言葉通り時間を守り、着実に信頼を築いていった。
 今じゃ、心配すら過らない。
 自分は十分前の性質なのでどうしても自分が早くなってしまうが、奴は五分前になれば必ず姿を現した。
 他の人には聞こえない声が聞こえる僕には、店に姿を現す前から奴の接近がわかった。奴の声が、スキップのごとく軽やかに弾みながら近付いてくるのだ、嫌でもわかる、わからされる。

 今日の斉木さんはどんな格好かな
 今日はちょっとめかしこんだから、褒めてほしいな
 斉木さんのももちろん褒めるよ!
 斉木さんはいつでも可愛いから
 お出かけ嬉しい、熱出そう
 斉木さん斉木さん斉木さん――!

 こんな喧しい声、そうそうない。
 付き合いたてのカップルも相当うるさいもので、頭が割れそうになるが、奴はその十七倍うるさい。
 いい加減精神も鍛えられるというものだ。
 しかしどれだけ鍛錬を積んでも、慣れるという事はなかった。
 さすがに頭が割れそうになるのは軽減出来たが、あの両親の子である以上、こうと決めた相手にはとことん貫くものなのだろう。
 いつまで経っても初心なところは失われないし、摩耗する事もないし、それどころかどんどん研ぎ澄まされていくし、やれやれだ。

 そう言ってる間に、声が届く。
 感知圏内に入ったか。いつも通り、時間通りだな。
 僕は殊更に文庫本に目を押し付けた。実のところ内容など全然頭に入ってきてないのだが、本を閉じて、入り口を凝視なんてしたくないので、ポーズを取る。
 奴の声が聞こえる。今日こそカッコよく登場を決めたいな、なんて無駄な願いを抱いている。
 そうだな、お前、毎度毎度、キラッキラした顔で扉を開けてるものな。たまには一度くらいは、落ち着いた様子を見せたいだろうな。
 だがお前には無理だ、諦めろ。
 なんたって超能力者の僕でさえ無理なんだから、常人のお前にコントロールなんて夢のまた夢だ。
 もう少し、あと少し、今にも扉を開いてやってくる…それにつれて心臓の高鳴りが増していく。
 僕も、奴も。
 そして今日もまた、カッコいい登場が出来なかったお前と、渋々付き合うって演技が出来なかった僕の目線が、互いの中間でかち合うのだ。

 ――お待たせ斉木さん
(今日も最っ高に可愛いっスね!)

 うるさい、今日も最高にバカ面能天気だな。
 いつも通りで本当に呆れる。

 はぁ、やれやれ……全然嫌いじゃない。

 

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