本当にうるさい

 

 

 

 

 

「見て見て斉木さん、あの娘サイコー!」
 右前方を指差し、オレは鼻の下を伸ばした。
「あ、あっちにも完熟発見!」
 向こう正面に方向を変え、オレは鼻の下を更に伸ばした。
 ああ、右を見ても左を見ても、前も後ろも際どい水着姿のカワイ子ちゃんで溢れ返ってるなんて、ここは天国か!
 だらしなく口を開けて、波間に揺れるあの子や浮き輪に乗ってぷかぷか流れるあの子を目で追う。
 と、ここまでがお約束。
 ここからよ。
 オレはふふんと腕を組んだ。
「まあでも、一番の最高の最上はもちろん――あれ?」
 ところが、今の今まで隣にいたはずの人物は、いつの間にやら消えてきた。
「え、あれえ?」
 オレは慌てて辺りを見回す。
 きょろきょろ探すとずっと後方、ジュースやかき氷を売っている売店にまっすぐ向かう斉木さんの後ろ姿を人ごみの合間に見つけ、オレは急いで後を追った。
 ねーねーねーと呼びかけるが、斉木さんは自分の順番が来て、注文して、品物を受け取るまで、ちらりとオレの方を見る事はあっても絶対に応えなかった。
 やっと応じてくれたのは、トロピカルなドリンクをひと口堪能してからだった。
 見た目はド派手でどぎついが、味の方は好みに合ったらしく、それまでの仏頂面が至福の時に切り替わるのを、オレはだらしない顔で眺めていた。
 ああやっぱり、斉木さんが一番の最高の最上だなあ
 あんまり美味しそうに飲むものだから、それほど甘味を好まないオレもつい興味を引かれた。
 まあ斉木さんの事だからきっとくれないだろうけど、ダメ元で頼んでみる。
「ひとくち、もらってもいいスか?」
『なんだお前、いたのか』
 斉木さんはちらっとオレを見て、すぐに前方に目線を切り替えた。
「いますよそりゃ、一緒に来てんだから別行動なんてありえないでしょ!」
 あっちこっちよそ見したのがまずかった、前フリが長すぎたのだと、先程の軽率な行動を悔いる。
 でもなあ、そんな修行僧みたいな真似、オレには到底無理だし。
『修行中の身だろうが、このゲスエロ坊主』
 冷え冷えとしたテレパシーと共に、すっとドリンクのカップが差し出された。
「……あ、いただきます」
 え、ウソ、と目を瞬きながら受け取り、夢でなかろうかとおっかなびっくりストローに口をつける。
 こんなに気軽にくれるなんて、怒っているわけではないのか。
「あ、美味い!」
 こんなどぎつい色してるから正直どーかと思ったけど、こりゃ斉木さんもいい顔になるわけだ。甘さの中に絶妙な酸味があり、後を引く。
 もうひと口いきたかったが、早く返せとばかりに見てくる斉木さんに気が引け、オレは口を離した。
「ごちそうさまっス」
 うん、美味しい美味しい、さすが斉木さんの選んだものだわ。
 オレは感心しながらカップを返した。
 斉木さんは受け取ると、美味しさに緩んだオレの顔をじっと睨み付けてきた。
 そんなに不愉快にさせてしまったかと口を噤む。さっきの軽率なよそ見については十回でも百回でも謝るから、せっかく二人でプールに遊びに来てるのだから機嫌を直してほしい。

 

 誘ったのはオレの方からだった。
 一週間くらい前から打診して、嫌だ僕の夏休みは今年こそ白紙なんだとか言われたけど諦めず食い下がり、前日の電話をガチャ切りされてもめげずに当日朝家まで行って、一度は玄関を閉められた。
 でもすぐに、斉木さんママさんの見送りで出てきてくれた。
 斉木さんは妙にげっそりしていて、ママさんは反対にとても上機嫌で、冷房の利かせすぎじゃないかと思われるほど玄関が冷え冷えとしてたのが印象に残っている。
 そんなにオレと出掛けるのが嫌なのかと問えば、別にそこまで嫌じゃないとさらりと返ってきて、白紙にこだわり過ぎただけだと斉木さんは言った。
 じゃあ嬉しいかと尋ねれば、お前がナンパに失敗して嘆く様を思い浮かべるのは最高に嬉しいと、とってもいい顔で言われた。
 ……斉木さん。

 

 そんなこんなで電車を乗り継ぎ、炎天下を歩いて、屋内プール完備の施設にやってきた。
 最初は結構順調だった、斉木さんも満更ではない様子でオレの膨らませた浮き輪に乗って波に揺られたし、何種類もあるスライダーに誘った時も、やれやれって顔しながらも付き合ってくれた。
 まあ斉木さんにしたらどんなにスリル満点のスライダーも物足りなく感じるだろうけど、誘えば必ず一緒に滑ってくれた。
 嬉しくて楽しくて、つい調子に乗ってしまった。
 何しろ誘惑が多いのだ。
 そういった下心がオレから切っても切り離せないのは、斉木さんも承知の上だよねと甘えたのがいけなかった。
 ひと通り遊んで気分が高揚したオレは、つい、鼻を膨らませ鼻の下を伸ばして、施設内に散らばるカワイ子ちゃんを物色した。
 結果、それまで二人行動だったのが、なんだか危うくなってしまった。
 わかってください斉木さん、オレが心を無にしない限り、無理なんス。
 斉木さんも可愛いし、あの娘も可愛いこの娘も可愛い。
 斉木さんあの娘あの娘斉木さんあの娘斉木さん斉木さん斉木さん…間に挟んじゃって申し訳ないスけど決して同列ってわけじゃないっス、
 どーしても目がいっちゃうんです。
 でもどうか安心してください斉木さん、斉木さんが一番ですから。
 本当ですから信じてください。
『うるさいな』
 冷静なひと言感想に、オレはすんませんと小さく呟いた。
 やっぱり怒ってるか。
 そりゃそうだろうな、あちこち欲張っちゃそりゃいい気はしない。
 斉木さんがじっとオレを見つめてくるのがわかったが、どうにもいたたまれず足元に目を落とす。
 まずった、まいった、どうやって機嫌直してもらおう。
 美味いもので釣ろうかしかしあからさまなご機嫌取りじゃかえって機嫌損ねるだろうし――
 言葉でヨイショしてみるかでも嘘くせえとか道端のゲロを見る目されるのがオチだろな――
 もしそんな目されたら悪いってわかってても下半身直撃でえらい事なるよなオレの場合――
 はぁ…どの女の子も可愛いし、斉木さんはもっと可愛い。
 目が腐ってるだの脳みそが手遅れだの斉木さんは言うけど、ほんとのほんとに斉木さんが一番可愛い。
 まず顔が可愛い、可愛いしカッコいい、いや美しいかな?
 目だね、目が綺麗。
 オレは、斉木さんのどこが良いかを指折り数え始めた。
『うるさい』
 しかしすぐに、斉木さんの囁くようなひと言で中断となった。
 すんませんと謝るオレの横で斉木さんは飲み終えたカップを近くの屑籠に放り入れると、ちらりと見やってから、どこかへ歩き出した。
「あ、ちょ……斉木さん」
 ついてこいという目配せに従い、オレは後を追った。

 

 着いた先はロッカールームだった。
「あー……帰るんスか?」
 ロッカーから荷物を取り出し持っていたバスタオルやらをバッグに詰め込む斉木さんに、オレは恐る恐る声をかけた。
 手際よくというよりは怒っているような、どこか急いた行動に、悲しいような怒りたいような気持が湧き上がる。
『違う。でもここは出る。お前も早く荷物をまとめろ』
「出るなら、着替えないと」
『着替えはいい。さっさと荷物を持て』
「斉木さん、なんなんスか」
 ちっとも意味がわからない、ちゃんと説明してくださいよ。
 うるさくしたのは悪かったです、オレの行動が不快だったのも謝りますから、どうか許してくださいっス。
『別に不快じゃない』
 嘘だ、そんな慌てて帰り支度するなんて怒ってる証拠でしょ。
 ほとほと困り果てるオレからロッカーのカギを取り上げ、斉木さんは二人分の荷物を引っ掴むと、もう一方の手でオレの手首を掴んで、今度はトイレへと向かった。
 何だっていうんだ本当に。
 またトイレか…斉木さんにトイレに引っ張り込まれるの、これで何度目だろう。
 またシメられるのかなあ。
 そんなにも怒らせてしまったのかと戦々恐々としていると、ふっと息の漏れる音がした。
 あれと思い斉木さんの顔を覗き込むと、なんと笑っていた。
 どういう事だ、思い出し笑いなの?
 それともビビるオレを見て楽しんでるの?
 先客が出ていくのと入れ違いに、無人のトイレに二人で乗り込む。
 斉木さんは適当に選んだ中ほどの個室に、オレを伴って突き進んだ。
 狭い個室に入るにしては、随分勢いがあった。
 そのままオレを壁に押し付けるつもりだろうか、怒りの原因はわかったが、何をしようというのかまるで見当がつかない。
『別に怒ってはいない』
 ぐいぐいと引っ張る斉木さんの手がやたらに熱く感じる。
 仕方ない、いざとなったら、この空気抜きが間に合わなかった浮き輪を盾にしよう。
 一回くらいは、斉木さんの攻撃を防いでくれるだろう。
 覚悟して肩を竦めたオレが見たのは、白くぼやけた狭いトイレの個室ではなく、どこまでも広がる大海原と、青い空と、そこに浮かぶ白い雲だった。
「んんっ?」
 オレがくぐったのは、トイレのドアじゃなくどこでもドアだったのか。

 

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