並んで一緒に

夕焼け小焼けと缶コーヒー

 

 

 

 

 

 夕暮れ時、女体化して男と会ってるところを、鳥束に目撃された。

 こう書くと何ともいかがわしい感じがするが、会っていたのはイリュージョニストの蝶野雨緑で、依頼に応えた結果が女体化だったというわけだ。
 依頼の内容は、師匠のお知り合いに、マジックショーの助手をやってみたいという女性の知り合いはいませんか、というものだ。
 知り合いはいないが心当たりはあるので、今後の万一の食い違いをなくす為、妹として名乗りを上げた。
 無事ショーを勤め上げ、その報酬として某有名店のスイーツをご馳走になり、その場面を、たまたま通りかかった鳥束が目撃した、という次第だ。

 

『という訳だ』
 翌週、通学路である意味待ち伏せした僕は、顔を合わせた鳥束に委細もらさず報告した。
「そっスか、はい」
 説明はすんなり受け入れた鳥束だが、はいと頷いたにもかかわらず何とも複雑な顔をしている。
 何か納得いかない点でもあるか?
 まあ、あるだろうな。
 目にした瞬間大いに動揺したのを、僕も感知したからな。
 事前に説明しておくべきだったな。
 蝶野からの依頼が先だったが、あの日はお前からも誘われて、断っていたしな。
 その時に説明していればと、僕も後悔めいたものを感じている。

『その詫びといっては何だが、お前の希望を一つ叶えてやらん事もないぞ。それで水に流してくれないか』
「いえ、あの……別に怒ってるとかじゃないんで、そういうのはいいっス」
 困ったように笑いながら、鳥束は首を振った。
『僕に嘘は通用しないぞ』
 そう切り込むと、鳥束の顔が幾分強張った。
『お前が女の僕に未練があるの、まさかわからないとでも思っているのか?』
 鳥束の唇が、目に見えてかたく引き結ばれる。
 そのまましばし沈黙の後、鳥束はどもりながら口を開いた。
「じゃ、じゃあ言います。あの、女の斉木さんで、一緒に……」
 さて、一緒に何をしようか。中身は僕だからな、お前が希望するなら何だって付き合うぞ。まあ、出来ればお手柔らかに願いたいが。
 鳥束の脳内が様々な思考で埋め尽くされかき混ぜられる。中にはどぎつい、予測した通りの下劣な願いもあって、そいつはちょっと受けかねるなと戸惑っていた矢先、言葉が紡がれた。
「一緒に勉強してください!」
『……はあ?』
 お前から最も遠いな、勉強とか。
「いやあ、楠子ちゃんだと、なんかそういう図書館デート、みたいのが、似合うかなーって」
 図書館へ行くのがお望みか。
 にしてもお前、たった今思い浮かべていたあれやこれやの下衆な願いはどこいった。全部なしでいいのか。
 お前がいいならいいのだが、
 さて、ふむ…まあ図書館なら、力の制御で困る事もなさそうだしな。
『かった。それで、いつ、どこの図書館だ?』
 次の週末、駅の向こうにある大きめの図書館がいいと言う鳥束に僕は頷いた。

 

 当日。
 図書館は常人には静かな場所だが、僕には意外と騒がしいところなので、指輪をつける事にした。
 なので、道中の護衛の意味も込めて鳥束に家まで迎えに来させた。
 チャイムに応え玄関を出ると、やけに緊張した面持ちの鳥束がそこにいた。
 見るからにカチコチで、挨拶する顔もやたらに強張っている。
 お前はやっぱり女の子が好きなんだな。
 以前、本命と言っていたあの子やあの子に接する時みたいに、目は泳ぎ顔も赤くなって、初心な少年みたいになっている。
 それでも僕を選び僕のものになったお前に、ある種の優越感を抱くが、それはそれで少々複雑だ。
 まあ仕方ない、出掛けるか。
 片手を差し出すと、鳥束はびくっと大げさに反応した。
 おい、別にお前を殴る為のものじゃないぞ、デートだろ、手を繋ぐ為のものだぞ。
「あ、ああ…はいっス」
 鳥束はそーっと、まるで強烈な静電気を浴びる恐れのあるものに触れるみたいに恐る恐る手を伸ばし、そろそろと握り締めた。
「ち、小さいっスね…手」
 んん…そうか、バイ菌だものな、女性に触れるのは初めてみたいなものか。
 もじもじしたかと思うと、鳥束は寒くありませんかと尋ねてきた。思わず笑いそうになり、ぐっと堪える。
 超能力者相手に何を言ってるんだという意味と、随分かしこまって気持ち悪いぞという意味と、入り交じった笑いだ。
 しかし当の本人は大真面目で、真面目に真剣に一つ年が下の女子を気遣っての事だ。笑う場面ではない。
 調子狂うな。
「あの、じゃあ…行きましょうか」
 そう告げる声は震えていて、こちらまで妙な気分になるようだった。
 妙なというか、妙に腹が立つというか。
 今頃コイツの頭の中は、女の僕への下劣な妄想で一杯なのだろうな。
 指輪をしていて良かったのか悪かったのか。
 ますます腹立たしくなる。
 いや、これは自分が言い出した事なのだから、怒るのは筋違いというものだ。
 僕はぐっと飲み込み、歩き出した。

 着いた図書館の、適当なテーブルに並んで座り、それぞれノートを広げる。
 ちゃんと勉強道具を持ってきて偉いじゃないかと感心したのも束の間、鳥束は物思いにふけるばかりでちっとも勉強に身が入らなかった。
 一時間経っても、二時間経っても、鳥束は変わらない。いや変わらないどころかどんどん悪化していっているようだった。
 何だ、どうなっているんだ。
 コイツの望みを叶えたってのに、こっちをちっとも見ようとしないし、明らかにつまらないという顔をしているし、段々腹が立ってきたのだが。
 そこでふと、もしやコイツ、具合が悪いのではと心配が過った。
 こちらに悪いからと体調不良なのを隠して付き合っている可能性も考え、僕は尋ねた。
 しかし、聞いても歯切れの悪い返事ばかり。
 ならなんだ、何がどうしてそんなに気もそぞろなんだ。
 指輪を外して、直接思念を読もうか。
 しかし、せっかく静かなのに周りの連中の心の声は聞きたくない。
 僕は筆談を続けた。
 奴も、同じくノートに返事を寄越した。

 嫌なのか?
 嫌じゃない!
 嬉しいのか?
 はい、嬉しいです

 僕は口の端を歪めた。
 指輪をしていても嘘だとひと目でわかる。
 もう出るぞ、帰る
 無性に苛々してしまい、僕は乱暴にそう書き付けると、荷物をまとめ席を立った。
「えっ……!」
 ひどく動揺した音をもらし、鳥束は慌てて後を追いかけてきた。

 

 図書館の隣にある公園のトイレに引っ張り込み、脅しをかける。
 お前いい加減にしろよ、怒るぞ。襲うぞ。
 言葉通り鳥束の服に手をかけると、奴は本気で怯え抵抗してきた。
「やめてっ!」
 お前、男の僕に操立てして、こっちには絶対手を出さない出させないって自分なりにルールを設けているんだったよな。
 だからだ、襲うぞ。さすがの僕も怒る。お前の為にわざわざ二時間もかけたってのに、なんだ、一体何を考えているんだ。
「すんません! 斉木さんの事ばっかり考えてました」
 男の斉木さんに会いたくて会いたくて――。
「変スよね、女の斉木さんにずっと会いたいって思ってたんスけど、いざ会うと、斉木さんの顔が見たくてたまらなくなっちゃって……」
 鳥束は涙ぐみ、心底申し訳なさそうに顔を歪めた。
「嫌な思いさせて、本当にすみませんでした!」
 公衆トイレで土下座しようとするので、超能力で慌てて引き止める。実際の手足を使わなくてよかった、もしそうしていたら、今頃鳥束の手足がバラバラになっていたところだ。

 気持ちはわかった。
 元の僕に戻るから、土下座はやめろ。
「でもオレ、女の子に恥かかせて……」
 うん、うん……複雑でよくわからんが、そういう意味では怒ってないぞ。
「許してくれますか?」
 もともと、僕が悪いのだからな、お前を許すも許さないもないぞ。
「え、斉木さんの何が悪いんスか!」
 悪いだろ、お前におかしな勘違いをさせたのが発端なのだし。
 勘違いするお前もお前だと思わんでもないが…とにかく、僕だってそれを悪かったと思う心くらいあるぞ。馬鹿にするなよ。
「そんなの! オレが勝手に妄想したのがいけないんですし、斉木さんは悪くないっスよ!」
 しばし無言で見つめ合う。
 とりあえず、ここは出るか。
「……そっスね」

 

 トイレで女体化を解き、公園のベンチに並んで座る。
 指輪を外すと、元通り騒々しい世界が帰ってきた。
 やれやれとため息が出るが、関係ない声をいつも通り聞き流し、隣の男にだけ集中する。
 僕への申し訳なさが大半だが、思った通り女体への不埒な妄想も入り交じっていた。
 頭の中じゃそれだけ無遠慮にエログロを展開させるのに、実際はあの態度とは、おかしな奴だよ本当に。
 それでちょっと笑いたくなる自分も、大概おかしいな。

 ひと息ついたところで、近くの自販機でジュースを買い、それを飲んで落ち着いたのか、鳥束は晴れ晴れとした顔で言った。
「あ、これいいっスね」
 空を指さし、一緒に夕焼けを見るのが楽しいと顔を向けてきた。
『随分ささやかだな』
「斉木さんとだと、何でも幸せに感じるんですよね」
 言葉通り、鳥束の脳内は柔らかくあたたかい色で満たされていた。
 それで自分も穏やかな気持ちになるのは何とも癪だが、癒されたのは事実だ。

「腹空きましたね、何か食べに行きませんか」
『そうだな。今日は僕が奢ってやる』
「ええっ、い、い、いいっスよ!」
『今日くらいは僕に出させろ。でないと収まりがつかない』
 この僕が出すって言ってるんだ、大人しく聞け。
「あ、はい…じゃあ、ご馳走になります」
『よし。お前に以前連れてってもらったうどん屋な』
「あ、いいっスね! 寒いし、あったまりましょう。ねえ、じゃあ、コーヒーゼリーパフェの分は出しますよ。斉木さん、あれすごく気にいってましたし」
 ……お前が出したいというなら、そこは素直にご馳走になるかな。

「今後も、あのマジシャンの助手、するんスか?」
 なんか嫌だなあという気持ちを背後に、鳥束は尋ねてきた。
(なんかやだなあ)
(何が師匠だよ、オレの斉木さんに気安く師匠とかさ)
(そもそも大体オレの師匠だぞ)
 いや、どちらも、師匠になどなった覚えはないぞ。
 まあ、だが――。
『お前が嫌ならもうしない』
 めんどくさいのは御免だからな。
 変身すると力の制御で苦労して倍疲れたし、お前の厄介な感情に巻き込まれるのも疲れるし、お前をそんな気持ちにさせる自分にも疲れるし、良い事ないからな。
 しかし鳥束は、それはそれで複雑だとわずかに顔をしかめた。
 めんどくさいな、もう。
『じゃあお前も来い』
「えっ?」
『そうだ、次に女性の助手が欲しいって時は、お前を催眠で女性に見せて奴に渡せばいいんだ』
「え、ちょ、ちょ!」
『最初からそうしていれば良かったな。そうすれば、僕の貴重な二時間が無駄にならずに済む』
「ええ、オレの時間は?」
『あとで僕が埋め合わせしてやるよ』
「え、ならいいっス、へへ、何してもらおっかな」
 たちまち鳥束の脳内がどぎつい色に染まっていく。さっき、あんなに美しい色を見せた人間と同じとはとても思えないほど汚い。
 見慣れた色だ。
 少し吐き気がして、けれど落ち着く。
 おかしなものだと自分でも思うが、ああ鳥束だなとほっとするのだから始末に負えない。
 ほんのちょっと、口の端が緩んだ。
 奴に見られる前に僕は立ち上がり、屑籠に空き缶を放って、行くかと軽く手を振った。

 

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