明日は月曜日

ちゃんとある

 

 

 

 

 

「明日の月曜日に提出する課題を、今の今まで忘れてました、どうか助けて下さい、斉木さんのお力を貸して下さい!」

 

 誰の訪れもない、平坦で平凡で平和な日曜日を満喫していると、血相変えて鳥束が駆け込んできた。
 僕は思い切り顔を歪めて、よそを当たれと突っぱねた。
 玄関を開けるんじゃなかった、一体僕は何を考えてコイツの為に手と足を使ったんだろう。
「そこを何とか、お願いします!」
 鳥束は食い下がった。
 仕方なく振り返り、せめてコーヒーゼリーの一つも持ってきてるんだろうなと手荷物を視るが、鞄の中には課題と筆記用具のみ。
 いつものいかがわしい本が視えなかったのは幸いだが、コーヒーゼリーがないとはなってない。
 一昨日きやがれとドアを閉める。
 その隙間にがしっと両手を挟み込み、鳥束は半べその汚い顔で縋ってきた。
「あとで、後でちゃんと買いますから!」
 はぁ…やれやれ。
 何か頼み事するなら対価が必要、僕相手に頼むならもちろん報酬はコーヒーゼリー、その図式をよく知っていながら買って来ない…つまりそれだけ大慌てですっ飛んできたという事か。
 あとで買うという言葉に嘘はないようだし、仕方ない特別だ、ほんのちょっとだけ手を貸してやるよ。

『お前、他に頼む相手はいないのか』
 僕は仕方ないので、自宅の冷蔵庫にストックしているコーヒーゼリーを、鳥束から貰った気分で食べることにした。
 好物でも口にしていないと、こんな奴の相手などしてられない。
「まあ、いるっちゃあいますけど……」
 課題は空欄が目立った。
 午前中の間、わかる範囲だけでも埋めてきた課題を開き、鳥束は涙の余韻の鼻を啜りながら見上げてきた。
 僕は傍につき、空欄を埋めるべくアドバイスをくれてやった。

 課題をやりたいなんて、僕の家に上がる口実かと半信半疑であったが、どうやら真面目にこなすつもりはあるようだ。
 コイツは確かにあまり頭はよろしくないが、絶望的に悪いという事もない。
 期末テストは常に左端の常連だが、やろうと気を向けないだけ、不真面目なだけで、救いがたい程の馬鹿ではないのだ。
 理解力もそこそこ持っているし、回転もまずまずだ。
「斉木さん以上に頼れるヤツなんて、いないっスよ」
 そうか、うわあ、頼りにされて嬉しいなー。
 たまにはそうやって単純に、何も考えず言葉通り素直に受け取るのも必要かな。
 僕は一心に思い込もうとしたが、平穏な日曜日を邪魔してくれやがった鳥束に対する苛々ムカムカは尽きる事無く湧き上がってくるばかりで、ちっとも心が穏やかにならない。
『休みの日まで、お前の顔を見る事になるなんてな』
 腐され。鳥束は微妙な表情で目を向けてきたが、僕の顔を見た途端ふっと眼差しを柔らかくした。
「そんな顔で言っても、効果ないっスよ斉木さん」
 そんな顔ってどんな顔してるっていうんだ。
 貴重な休日をお前に潰されてげんなりしている僕が、一体どんな顔をしているというのだ。
 睨み付けてみるが、微笑ましく見つめてくる鳥束に堪え切れずいや付き合いきれず、僕は目を逸らした。
 逃げるようにコーヒーゼリーを口にする。
『ニヤニヤ見てくるな変態クズ』
「さーせん」
(でも斉木さん嬉しそう)
 嬉しい訳ないだろ、馬鹿が。
 鳥束が。
 もうひと口コーヒーゼリーを食べる。
 なんだろう、無性に泣きたい気分になってきた。
 悲しい訳でもないのに。
 そもそも僕は滅多な事じゃ泣いたりしない。
 だというのにこんなに揺らいで…だから鳥束といるのが嫌なんだよ、こんな風に安定さを欠くから。
 それでいて安らぐのだから訳がわからない。
 他の誰にもこんなもの感じた事がないから、本当にわからない。
 わからないまま僕は、静かにコーヒーゼリーを食べ続けた。

 馬鹿だが、手の施しようがない程の馬鹿ではない鳥束は、僕の少々のアドバイスで無事課題を終える事が出来た。
 嬉しい、ありがとう、純粋な感謝に顔をほころばせ、鳥束は興奮気味に見やってきた。
「ほんっと助かりました、あざっス斉木さん!」
 机に両手をつき、鳥束は深々と頭を下げた。
 どういたしまして。じゃ、さっさと帰ってくれる?
「えぇー、まだこんな時間じゃないっスか、オレ、実は暗くなるまでかかると思ってたんスよ。もうけちゃいました」
 晴れ晴れとした顔で鳥束は白い歯を見せた。
 て事で斉木さん――
「時間空いた事だし、久々に、あのゲームやりません?」
 すっかり遊び一色に染まった脳内を軽やかに弾ませながら、鳥束はそう言って誘ってきた。
 あのゲームってどのゲームだよ…と考え込む時点で、僕はまんまと鳥束のペースに乗せられていた。
 まあ言ってしまうと、退屈な勉強に付き合うよりはゲームをやる方が、何倍も良いのは確かだ。嫌いではないし。
 仕方ないけど、と自分に前置きして、鳥束の脳内を探る。
 鳥束は、タイトルこそど忘れしていたが、内容やゲームのビジュアルの方は記憶にあったので、僕は脳内からそれらを拾い、あああれかと頷いた。
『あの、負けてお前がピーピー情けなく泣いたゲームだな』
「ちょ……斉木さん、それはどうかご勘弁を」
 どうやらその辺りは本人にとって忘れたい記憶になっているらしく、本当に弱ったと泣きそうな顔になって言ってきた。
 でも、ゲーム自体は楽しく記憶に残っているので、嫌う事無く好印象を持っているようだ。
 キャラクターを選び、先にゴールした方が勝ちという単純明快ながら仕掛けたっぷりで楽しめるあのレースゲーム。
『誘うって事は、少しは上達したのか』
 僕に勝つ算段でもついたか。
「いえいえとんでもない、無理っス」
 鳥束は大慌てで首を振った。
「斉木さんにはどんなゲームも敵わないっスよ。何か急に思い出して、そんでやりたくなったんス」
 そういう事か、なるほど。
 まあ、メジャーどころは諸事情により苦手だが、ゲームは嫌いじゃないからな。
 僕は用意を始めた。

『お前、全然指が動いてないじゃないか』
「すんません、この…思うように動かなくって」
 鳥束本人も、もどかしそうに手を握り締めた。
 お互い、このゲームをプレイするのは久々だ。
 しかしそれにしたって、随分なまってやいないか。
「てか、斉木さんが強過ぎなんスよ」
 鳥束は胸の前に構えていたコントローラーを膝におろし、ふうっと大きく息を吐いた。
「ギブ! 参りましたごめんなさい!」
 ちょっと調子が悪いみたいですと、鳥束は潔く降参宣言をした。
 っち、歯ごたえのない奴だ。
「すんません、ちょっと休憩」
 言うが早いか、鳥束はそのままごろりと仰向けに寝転んだ。
 ならばと僕もコントローラーを置き、冷蔵庫から新たに持ってきたコーヒーゼリーに手を伸ばす。
 食べながらぼんやりと、特にこれといって何も考えない時間を過ごしていると、寝転がっていた鳥束がごそごそ動き始めた。
 横目にうかがっていると、ふざけた事に僕の膝枕で寝ようとしてくるではないか。
『気持ち悪いんだよ』
「いだっ!」
 即座に拳骨をくれて遠ざける。
 それでも奴はめげず、頭の中で色んな事を…全て僕に関する事をぐるぐるかき混ぜながらまとわりついてきた。

 斉木さんいい匂い
 斉木さん柔らかい
 今日の格好割と好き
 斉木さん好き
 斉木さん構って
 斉木さん楽しんでる?
 斉木さんコーヒーゼリー美味しい?

 ……ああうるせえ、喧しい、ちょっとは静かにしろ
 腰にしがみ付く形で鳥束は腕を回してきた。
 その体勢はつらいのだろうに、鳥束は意地でも姿勢を維持し続けた。
 段々腹回りが鳥束の体温に染まっていく。
 気持ち悪いような、心地良いような、なんとも言い表しがたい心境だ。
『邪魔だ。落ち着いてコーヒーゼリーが食べられない』
 身体を揺すると、たちまち鳥束は起き上がり、後ろから抱きしめるようにして腕を回してきた。
 おい…おい、余計邪魔くさくなったんだが、どういうつもりだ。
 腹回りだけだったのが、背中一面があったかくて落ち着かないんだが。
「お背中寒そうだったんで、温めてあげてるんスよ」
 一瞬怒りが過り、僕はスプーンをくわえ空いた手を鳥束の頭に回した。掴んで捻って放り投げようとするより先に、鳥束の右手がスプーンを掴んだ。更にはもう一方の手でコーヒーゼリーを取ってくる。
 何をする気だと頭を掴むのも忘れてぽかんとしていると、僕の肩から顔を覗き込むように頭を近付け、鳥束は食べさせてきた。
 コーヒーゼリーを。
「はい斉木さん、あーん」
 ふざけるなと新たに怒りが込み上げるが、つい、反射で口を開いてしまった。
 正面から食べさせられた事はあるが、こんな二人羽織のような体勢は初めてだ。
 するりと口に入ったコーヒーゼリーを、ゆっくり味わう…が、こんなにぴったりくっつかれては落ち着かず、せっかくの好物なのに味がよくわからない。
 飲み込むと、それを見届けた鳥束が再びスプーンを近付けてきた。
 もういい、おふざけはここまでだ、離れろ。
 睨み付けると、たちまち鳥束は悲しそうに顔を歪めしょぼくれた。
 なんだ、いきなりなんなんだ鬱陶しい。
「恋人同士のイチャイチャっス」
 わかってるでしょうと、鳥束は小さく身体を揺すった。
 ああ、まあ…うん、わからなくはないぞ。両親が似たような事をしてたりしてなかったりで、全くなじみがない訳じゃないが、僕はこういうのはむず痒くて性に合わないんだよ。
 それと、気持ち悪いから今の仕草やめろ。
「えぇ……」
 鳥束のしょぼくれがますますひどくなる。
 っち。
 お前がこういうのを好みそうなのはよくわかっているが、ここは相容れないな。どちらかが我慢するしかない。
「斉木さん、はい、あーん」
 やりたがる鳥束と、お断りしたい僕。
 せめてスプーンにのっているのがコーヒーゼリーでなかったら、断固拒否出来たのに。
 腹の底がむずむずしてたまらなく落ち着かないが、僕は必死に黙らせて、口を開けた。

 しかし、何だって急にこんなべったりくっついてきたんだ。
 そう問うと、明日、月曜だからと返ってきた。
 月曜だからなんだ。いつも通り、学校で会えるだろ。
 肩越しに振り返ると、鳥束は口ごもった。どんなに言葉を飲み込もうと、超能力者の前では無駄なあがきだぞ。
 だが、読めたとしてもそれがいいとは限らない。
 学校で会えるけれども、こんな風にぴったりべったり出来ないからつまんない、寂しいと聞こえたところで、いいことはない。
 僕はもう一度、こそっと舌打ちする。しかし鳥束は聞きとがめ、口に出して注意するまではいかないが好ましくないと感情を波打たせた。
 うるさい、変態クズの煩悩小僧の癖に、こういう事には厳しいなお前。
 またつい舌打ちしそうになり、僕はぎゅっと口を引き結ぶ。
 それをあらためて緩め、次のひと口を寄越せと鳥束にせっつく。
「あ、はいっス」
 鳥束は大喜びで、コーヒーゼリーを口に運んだ。
 やれやれ…つまんないし寂しいってのがお前だけだと思うなよ。
 この行為はやはり性に合わないので我慢してやってるだけだが、僕だってそれなりに、つまんない寂しいと思う気持ちはあるんだぞ。

 お前だけじゃ、ないんだぞ。
 絶妙のタイミングで口に運ばれるコーヒーゼリーを味わいながら、僕は、僕の脚に沿って開かれた鳥束の脚に、そっと手のひらを置いた。
 たちまち鳥束は一杯に目を見開いて、花のように顔をほころばせた。もちろん鳥束なので、純粋な喜びだけというわけにはいかないが、滾る熱が押し寄せてくるのもまあ嫌いじゃない。
 こんな風に一心に求められて悪い気はしない。
 食べさせる動きに妖しい仕草が混じるようになったが、それでも、膝に手を置いた事は後悔してない。

 自分にはこのくらいが精々だが、鳥束、二人きりでないと出来ない事を愛おしむ気持ちは、僕にだってちゃんとあるからな。

 

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