お土産
ちょこっと窪海アリ。

気分が悪い

 

 

 

 

 

 最近、チワワ君のチワワと少し仲良くなれた。
 吠えられないし、噛みつこうとされないし、ちょっと警戒しつつも寄ってきて遊ぶ仕草をするようになった。
 そうなると可愛く感じるもので、見かける度手を振っていたら更に仲良くなれてきた、そんなある金曜日の昼休み。

 

 オレは屋上で一人、弁当をかっ込んでいた。といって別に斉木さんと険悪になったわけじゃなく、こっそりエロ本を楽しむ為だ。
 斉木さんてば、うちにある分には割と寛大で、ちょっと蹴散らすくらいだけど、学校で見かけるとすぐ燃やそうとしてくるから厄介で、それで隠れてるってわけ。
 まあこの思考も全部筒抜けだけど、斉木さんは結構寛大だから、許してくれるよね、ね斉木さん。
 などと一人芝居をしつつおっぱいお姉さんにじっくり見入っていると、しょぼくれたチワワが視界の端を通り過ぎていった。
「どしたおい、ご主人元気ないのか?」
 こいこいと手招きすると、オレの方を向きパタパタと尻尾を振った。しかしすぐにまたしょんぼりうなだれて行ってしまった。
 行った先を追うと、隅っこで一人つまらなそうに弁当を食べるチワワ君を発見した。
「あれれ、よーっすチワワ君、そんなとこでボッチ飯っスか」
 声をかけると、それまで物思いにふけっていた顔をきりりと引き締め、見やってきた。
「ぬ、鳥束か。貴様いい加減チワワはよせ」
「えー、チワワいいっスよ。身体は小さいけど、賢くて、勇敢で、愛情深いんスよ。小さいからって侮れないんスから」
「え……く、詳しいんだな」
「うち、犬飼ってるんで、それで色々調べたりするんでね、ひと通りは頭入ってんスよ。チワワいいっスよ、チワワ」
「そ、そうか」
 賢いにか、勇敢にか、とにかく彼は満更でもない様子。きみ可愛い笑い方するね、小さいから余計可愛いや。
「で、どうしたんスかこんなとこに一人で」
 まさか斉木さんとケンカ…な訳ないから、燃堂辺りと口喧嘩でもしたのかな。
 と思ってたら、まさかの恋煩いだった!
 チワワ君は言い難そうにしながらも、ぽつりぽつりと心情を語り出した。

「一月の中頃に、オレと斉木が不良に絡まれて、窪谷須とお前が駆け付けたあの事件、覚えてるか?」
「あああれね、うん、覚えてるっスよ」
「あ、あれから、な……」
 あれから、元ヤン君の事を意識するようなったんだと。
 元ヤン君の傍にいると、妙にドキドキ落ち着かないんだと。
「今日もな、春休み中に行った田舎のお土産を渡そうとした時、ちょっとその…手が、触れてな、それで……ドキドキが収まらなくなってしまって」
 それで、どうにも落ち着かないから、一人でこうして屋上に来たんだと。
 オレは合間に頷きながら、段々顔がほてっていくのを感じていた。
「けど、一人でいるとそれはそれでこう、胸の辺りが、こう……」
 赤い顔で切なそうに口ごもるチワワ君。
 あのさチワワ君、それさ……それ、ちょっと前のオレじゃねえか。
 オレはズバリ言ってみた。
「チワワ君、元ヤン君の事が好きなんスね」
「す! すっ、す……きなのか……?」
 自分で自分がよくわからないと、チワワ君が聞いてくる。
「うん、どう見てもそれ好きになってんだよ、特別な感情持っちゃったんだよ」
 はぁ…ぐずぐずしていた自分を見ているようでいたたまれない。
 チワワ君に必要なのは、さっさと好きだと自覚する事、まずはそこからだ。
「と、特別な…そうなのか……?」
「恋してるんスよ、元ヤン君に」
「えっ……!」
 いよいよ真っ赤、言葉は出ないし、目なんて泣きそうに潤んでいる。
 オレもこんなだったのかなあ…第三者の目線で見ると、恥ずかしいのなんの、中々つらい。
 にしても真っ赤だね、顔。熱出ちゃってないかね。
 今、チワワ君のほっぺたに生卵割って落としたら、絶対よく焼き目玉焼きが出来るに違いない、そのくらいもういっそ色を塗ったかってくらい赤くなっていた。
 その状態でしばし考え込んでいたかと思うと、チワワ君は口を開いて喋り出した。最初は遠慮がちに、すぐに饒舌になって、いかに元ヤン君がすごいか、素晴らしいか、あんな時こんな時のとてつもなくすごい元ヤン君を語り続けた。
 最初は調子を合わせてうんうん聞いていたオレも、さすがに五つ目辺りからは馬鹿らしくなり、適当に頷くようになった。
 正直うんざりである。とめどなく自慢話聞かせたくなるほど好きなのに、好きだって自覚してなかったのかよと、げんなりである。
 まあでもこんな話、中々人には出来ないもんな。オレだってあの時は、幽霊くらいしか話相手いなかったし、我慢して聞きますか。
 そんなオレの内心を察したのか、滔々と語っていたチワワ君ははっとなって口を押さえると、あたふたと謝ってきた。
「いいっスいいっス、無理に溜め込んどくとひどい事になっちゃうし、喋りたいだけ喋ったらいいんスよ」
「あ、でも…迷惑だったよな……あ、あとあと! オレが言った事は――」
「元ヤン君やみんなには内緒ってんでしょ、わかってるって」
「と、特に斉木には言うなよ! お前、よく斉木といるから、絶対だぞ!」
「え……まあ絶対内緒は守るっスけど、なんで斉木さん?」
「いや、あの…さ、斉木とは一番の友達だから、その……」
 口ごもるチワワ君の話を辛抱強く、ある意味ハラハラしながら聞き続けた。
 こういう事を相談するなら、斉木さんにいの一番に言うのが本当だろうけど、今回成り行きでオレに先に言ってしまったのが後ろめたくて嫌なんだそうな。だから、特に斉木さんには絶対内緒なんだそうだ。
 なるほどね、元ヤン君の他に、密かに斉木さんも好きだとか言われたらどうしようってハラハラしてバッカみたい、オレったらもうホントバカみたい。
 あ、あと斉木さん、多分そういうの面倒がってうんざりすると思うんで、そういう意味でも内緒にしとく。
「りょーかい、絶対言わないっスよ」
 人差し指を口に当てて内緒のポーズをし、チワワ君の肩をポンポン叩く。そうしながら内心で謝る。斉木さんには筒抜けだけど、オレは絶対喋らないしあの人も喋ったりしないから、聞こえちゃった分は勘弁してくれと密かに謝る。

 しばらく押し黙っていたチワワ君だが、何かもごもごと口の中で呟いた後、おずおずといった感じにオレを見てきた。
「と、鳥束はこういう気持ち……わかるのか?」
「うん、すっげえわかるっスよ」
 オレは目一杯力を込めて頷いた。
 女の子のおっぱいに夢見てばっかじゃないんスよ。
 好きだと自覚するまで長くて、そっから伝えるまでもまた長くて、結局一年近くグズグズして、好きな人に多大な迷惑かけちゃった。それくらい患ってたから、よくわかる。
 オレも恋愛に関しちゃ見習いみたいなものなんで、こうしたらいいとかああしたらいいとかのアドバイスは憑依頼みだけど、応援はするよ。

「で、チワワ君、元ヤン君にいつ告白する?」
「いぃっ!」
 零れそうなほど目を丸くして、チワワ君が絶句する。
 うん、まあ、そうだよね。
「だ、だってさ、亜連がオレの事どう思ってるかも、わかんないし……」
 いやいやいや。
 さっきの長い長い自慢話からすると、向こうもチワワ君の事かなり特別に思ってる感じだけどね。自分で話しててわかんないもんかね。
 って、オレが言えた義理じゃないね。
 ふと見ると、チワワ君の横で守護霊のチワワが、胸を張って凛々しく立っていた。心なしか光を放っているようにも見える。ああ、じゃあ大丈夫か。
 やる気満々のチワワを眺めていると、予鈴が鳴った。
「上手くいったら報告頂戴ね」
 オレは励まし、自分の教室に向かった。
 その際、斉木さんの教室の前を通ったので、共有したであろう秘密について目配せしつつ、オレは軽く手を振った。
 斉木さんはやれやれって顔で小さくため息をつき、オレから目を逸らした。
 ああもう、そういうつれないところも好き、可愛い!
 そうだ、今日帰り寄る予定だから、それもよろしくね斉木さん。

 

 放課後、やっと終わった解放感からオレは大きく伸びをして、帰り支度を始めた。
 今日はどこのコンビニのコーゼリー手土産にしようかな、そんな事を考えていると、いつの間にか正面に、元ヤン君が仁王立ちになっていた。
「あ、よーっス……」
 何か用っスかとのんきに見上げたそこに、元どころか現役バリバリの凄まじいオーラを感じ、オレはごくりと唾を飲み込んだ。
 元ヤン君の顔には、笑顔が浮かんでいた。けどそれは、殺人ロボットに人の笑った顔を貼り付けただけのような、ひどい違和感があった。
「よぉ、時間あるか?」
 ない、とは言い出せない雰囲気。どっと汗が噴き出した。
 ちょっとツラ貸せやと、オレは体育館裏に連れてかれた。

「えーと……話って何スか?」
 声が上擦っている事に泣きたくなった。
「昼休みの事なんだけどよ」
「はい……」
 昼休み、一緒に屋上からチワワ君と帰ってきたのはどういう訳だ、親しげに話して、何かもらってたよな、なんだよと凄まれるオレ。
 なんだよって、今朝あんたらも貰ったでしょ、チワワ君の田舎のお土産。あれの余りを、話聞いてくれたお礼にってくれたのを受け取っただけっスよ。
 しかしオレはどう説明したものかと、しどろもどろになってしまい、上手く喋れずにいた。
 どうしようこれ、顔も知らないヤンキーなら憑依でぶちのめしても全然心は痛まないけど、斉木さんの仲間だしオレだって少なからず交流あるし、なんたってチワワ君の恋煩いの相手だし。
 というか元ヤン君のこれって、あれでしょ、両片思いとかいうやつで、元ヤン君てばさっそく嫉妬発動なんでしょ。独占欲強そうだもんなー。
 実は斉木さんもああ見えて、そうなんだよねぇ…じゃねえや!
 そんなのんきにしてる場合じゃないっつの。
 まあとにかくなんだ、二人して相手に矢印出してんならこりゃ楽勝、一件落着じゃん。
 ああビビった。あー怖かった。
 オレはほっとして口を開いた。
「なんだ、あんたもチワワ君好きなんスね!」
「オレも? あぁ? てめぇまさか瞬の事……!」
 あれー違う違う違います!
 お互い好きあってるのねって言いたかったのー!
 ピキる元ヤン君。
「てめぇ…いいぜ、オレに勝てたら――」
 その後も元ヤン君は何か言ってたが、元ヤン…どころか現役バリバリのヤンキーに胸ぐらを掴まれ、体育館の壁に押し付けられて、オレは恐怖のあまり一時的に耳が聞こえなくなってしまった。
 耳どころか頭全体がきーんてなった、きーんて。
 ああ、オレの命はもってあと五秒ってとこかな。
 チワワ君からお土産もらったばっかりに、オレ死んじゃうんスか。
 やだー! 死にたくねーっスよ斉木さん!
「おい、亜連、なにして……!」
「……瞬!」

 そこに、元ヤン君を探してチワワ君登場!
 ああ、救世主はチワワ君でしたか、やっぱりチワワだ、賢くて勇敢で愛情深くて…とか思っていたら、なんだか雲行きが怪しくなった。
「何してんだよ亜連…それに鳥束、お前なにして、まさか……」
 まさかチワワ君、まさかと思うけど、元ヤン君がオレに凄んでるのを、オレに迫っていると勘違いしてない?
 お前なにしても何も、元ヤン君に誤解されて凄まれてんスよ!
 見ての通り絡まれてんの!
 まさかとは思いますが、オレが元ヤン君を誘惑してるとか誤解しちゃってない……よね?
 なんでそんな事になるのー!
 チワワ君は一人で勝手に話を作り上げ、一人勝手にショックを受けると、ボロボロ泣きながら走っていってしまった。
 やだもうなにこれ、何スかこれ!
「待て、瞬!」
 追いかける元ヤン君、取り残されるオレ。
 ええー……どうしよう。
 元ヤン君に頭カチ割られるのは回避出来たが、それ以上のややこしい事になってしまい、オレは壁を伝ってずるずるとへたり込んだ。
 やべえ、こんなんでオレ今日、斉木さんち行けるかな。
 今日は楽しい楽しいお泊りで、ずっとウキウキしてたのに…ああ。
 春の夕暮れ、一人校舎裏で這いつくばって何やってんだろ――。
『まったくだな』
「え!」

 見るとそこに斉木さんが立っていた。
「ああ…斉木さん…大変な事になっちゃったんスよ」
 斉木さんの姿を見て安心したからか、じわっと涙が滲んだ。
『僕以外の男に現を抜かすから、そうなるんだ』
「そんなあ……オレは斉木さん一筋っスよ!」
『知ってる。ずっと視ていたからな』
「そっスか…うん……じゃあ、オレが斉木さんの事で頭一杯なのも、見えてますよね」
 オレのすぐ前で立ち止まると、まだへたり込んでいるオレの頭を雑に撫でてきた、
『ああ、全部見えてるし、うるさいくらい聞こえてる』
 だからそう心配するなと、ぐしゃぐしゃ髪をかき回される。
 ホッとしたからかオレはちょっと泣いてしまった。
 とんでもなく怖い思いをして、とんでもなくこんがらがった糸に巻き込まれ、疲弊したからだろう。
『さっさと泣き止め、鬱陶しい』
「すんません……」
 鬱陶しいときつい事を言うのに、撫でる手が優しいものだから、オレはますます涙が滲んで困ってしまった。
 オレは急いで涙を拭い、斉木さんを見上げて笑った。たちまち斉木さんは、きたねえとばかりに顔をしかめた。それでもオレが笑っているのは、斉木さんの手が変わらず優しいからだ。
 そう思った途端、えいとばかりに突き放されたが、不満などありはしない。
『もういいか? じゃ、帰るぞ』
「ねえ斉木さん、あの二人は……」
 斉木さんは遠方に目を向けると、ふうと小さく息を吐いた。
『大丈夫だ。ある意味お前のお陰で、早くまとまった』
「ホントっスか? 誤解とけた?」
 斉木さんが無言で頷く。ああよかった。そうか、まとまったなら安心だ。
「ねえ斉木さん、オレお手柄っスか?」
『ちょっとだけな』
「ちょ…とでもいいっス。仲良くなったなら、それでいいっス。じゃあオレたちも、仲良く帰りましょうか」
『コーヒーゼリー忘れるなよ』
「もちろんっス!」
 オレは立ち上がり、斉木さんの後について意気揚々と歩き出した。
 だが、数歩も行かない内に斉木さんはぴたりと足を止めた。
 何だろうと伸び上がって顔を覗き込もうとした時、こちらに駆けてくる足音が聞こえてきた。建物を回り込んで現れたのは、元ヤン君とやけに息を切らしているチワワ君だった。

 

「勘違いしてすまねえ鳥束! 気が済むまでオレを殴ってくれ!」
「亜連が悪いんじゃないんだ鳥束、殴るならオレを殴ってくれ!」

 二人揃って、オレに頭を下げてきた。
 いいよいいよそんなのいいよ、いいから早く顔上げて。なんかいたたまれなくなってきたからさ。
「いいのか……?」
 いいです。
「ごめんな鳥束」
 いいってほんと。
 オレはオロオロと、両手を振り続けた。
 まあそんなこんなで、二人の距離はぐっと縮まりめでたしめでたしっスね。
 というのに、なんでオレ、斉木さんの小脇に頭抱えられてんのというかヘッドロックかけられてんの?
「さ、斉木……?」
「おい、どしたんだよ」
『鳥束が済まなかったな。コイツが余計なくちばし突っ込んだせいでこじれたからな、せめてもの詫びだ』
 だからって、なんでオレ技かけられてんの?
 二人もびっくりドン引きっスよ。
 もしもし斉木さん、斉木さーん、元ヤン君にシメられずに済んだってのに、アンタに殺られるとかシャレになんないよ、おーい!
「お、おいわかったよ斉木」
「もう離してやれ……って斉木、お前結構力つえーんだな!」
「さ、斉木! オレが一番に相談しなかったの怒ってるのか、それで鳥束に八つ当たりしてるのか?」
(いやそれ絶対違うよチワワ君)
 オレも一生懸命降参のタップを送るが、斉木さんが力を抜くまで、決して外れなかった。

 オレは少し不貞腐れた気分で地べたに座っていた。さっきと同じく頭に斉木さんの手があったが、今度はそう簡単に機嫌は直らない。というか簡単には直りませんよ。
 ひでえっスよ斉木さん、いくら「自分の」を教える為とはいえ、限度ってもんがあるっス。
 二人は、仲良く肩を寄せ合って帰っていった。帰り際、付き合っている事はこの四人だけの秘密だと約束を交わした。
 オレはまだ、いじけた気分でいた。
 さっきのあの乱暴な扱い、謝ってくれるまでてこでも動きませんから…なんて、実はとっくにいじけ気分など吹き飛んでいた。今は代わりに、猛烈な恥ずかしさに見舞われ立ち上がれなくなっていたのだ。
 誰かに、自分たちの事を知られるって、こういう気分になるのだな。
 これまでずっと幽霊ばかりが相手だったから、初めての事に対処出来ないでいた。
『気分が悪い』
「……え」
 具合が悪いのかと、オレは慌てて振り仰いだ。
 そこには、不機嫌さを露わに顔を歪めている斉木さんがいた。
「海藤も、窪谷須も、気分が悪い」
「あ、あー……」
 何がどう気分が悪いのか、オレは何となくわかった。この人の言いたい事がわかった。
「じゃあ斉木さん、オレの事も、気分悪いっスね」
 尋ねると、オレにぎろりと目玉を向け、斉木さんは頷いた。今にも捻り潰しかねない迫力に震えが走るが、それ以上に、この人の稚拙ながらも強い愛情に身体の芯が熱くなった。
 気分が悪いからアンタ、オレにあんな技かけたんスね。
 自分のものに他人が手を出そうとするのが、許せないから。
 元ヤン君は恋敵…勘違い…であるオレに来たけど、アンタは直接オレに来るんスね。
 わかった途端、この人が猛烈に愛しく思えた。

 オレは大きく息を吐いた。
「オレら、大概恥ずかしいっスね」
『恥ずかしいのはお前の存在だ』
「もー…斉木さん、帰りますか」
『コーヒーゼリー』
 おっと危ない、忘れるところだった。
「もちろん買っていくっスよ」
 オレは声を張り上げた。と、斉木さんの手が頭から離れ、目の前に差し出された。
「……?」
 よくわからず、オレはとりあえず「お手」をしてみせた。即座に違うとはたかれる。まあそりゃそうだ。
『海藤から貰ったお土産、あれを寄越せ』
「……ええー、はい……でもなんで?」
『寄越せ』
 短くも凄まじい圧力をかけてくる。さっき、気分が悪いと言った時とまるで同じ顔で、オレが他の男から貰った物を持ってるのがどうにも許せない、って顔だ。
 はは、すげえ、顔に書いてあるってまさにこの事だ。
 おっかない事この上ないが、オレはどうにも嬉しくなって、さっさと渡した。それをどうするのかと思ったら、なんとその場で食べてしまった。
 包みを開けるや、ひと口に頬張る斉木さん。
 黒っぽい塊はどうやらチョコレートケーキのようで、濃厚なカカオの匂いがこちらまで届いてきた。
 きっと、さぞ甘くて美味しいに違いない。でも斉木さんの顔は複雑であった。手放しでスイーツに喜びたいがしかし、まだ怒りがくすぶっているのでそう簡単に緩むわけにもいかない…そんな、どっちつかずの顔。
「斉木さん」
 呼びかけ、オレは手を伸ばした。斉木さんは一瞬迷った後、オレの手を掴み、引っ張り上げてくれた。
 下からでも上からでも、オレは変わらずまっすぐに斉木さんを見つめた。
「お土産、美味かったっスか?」
 嫌味とかではなく、美味いものは美味かったかという質問だ。
 斉木さんはむすっと唇を引き結んだまま、ほんの小さく頷いた。
 そりゃ、良かった。色々複雑な味はしただろうが、美味かったらなそれに越した事はない。
 それが何よりだと喜んでいると、斉木さんの目がちらりとオレを見やった。
 なんともいえぬ可愛らしい目付きをするものだから、猛烈にキスしたくなった。
「さいきさん……」
 オレはそっと身体を近付けた。
 まだ、お互いの手は繋がったままだ。
 離さないまま、唇を重ねる。
 ぴったり合わさった途端、深みのあるチョコレートの香りと、苦味の強い甘さとが、舌の上に乗ってきた。
 あ、美味しい、斉木さんの口の中美味しい。
 自然と頬が緩んだ。

 唇が離れて、寄っていた互いの距離も少し離れて、でも手はまだ繋いだままだった。
 ほどこうとするが、結構力の強い斉木さんの手は簡単にはほどけなかった。顔を見ると、渋々してやってる、仕方なくやっているって顔付きになっていた。
 自分の意思で離さない癖にそうやってオレに押し付けるところ、たまらなく可愛いっス。
 斉木さん可愛い、大好き。
 心臓が破裂しそうなほど。
「じゃ、帰りますか」
 途中でコーヒーゼリー買って、斉木さんちに行きますか。
 斉木さんが頷く。
 その頬が少し赤いのは、夕日のせいか気のせいか。
 オレも顔が熱いので、きっと夕日のせいだろう。

 人の目がないのをいい事に、オレたちはしばらく手を繋いだまま歩き続けた。

 

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