お手伝い

手遅れ

 

 

 

 

 

「はよーっス、斉木さん」
 角を曲がり道の先に学校の正門が見えたところで、後ろからそう声をかけられる。
 振り返らなくても誰だかわかったし、もっと言えば、声をかけられるずっと前から気付いていた。
 四六時中他人の思考が否応なしに流れ込んでくる身としては、平穏を保つ為出来る限り雑音として聞き流したいところで、実際そのように日々過ごしているわけだが、どうしてかこの男の声だけは聞き取ってしまう。
 というか、聞き取りたくなってしまう。
 一日のほとんどを下衆な思考で埋め尽くしている、どうにもしようがない煩悩の塊で、聞いても損しかしないようなものなのだが、自分はそれに安らぎめいたものを感じていた。
 奴とは大っぴらに出来ない仲つまり恋仲であるが、それであっても奴は隠す事なく女体への欲望を募らせる。そして同じ口で僕に愛を囁く。
 つまり、自分にとても正直な奴なのだ。
 自由で奔放で変態クズで一途、視界の端でよそ見する事はあっても、絶対に僕から目を離さない。
 それを非常に鬱陶しいと思いながら、僕もまた目が離せない。
 未だに、こんな奴とという抵抗が大きい事を、自分自身厄介に思っている。すんなり受け入れるのがどうしても難しい。しかし自分はそういう性分なのだから仕方ない。
 奴もそれをわかった上で僕に付きまとうのだから、そこは存分に甘えよう。
 曲がり角で僕を見つけた鳥束が、駆け足で隣に並ぶ。頭の中で、今さっき見かけた女子の黒ストッキングがエロかっただの、途中で出会った幽霊がどうの、何から話そうかとごちゃつく思考をかき回している。
 僕はそれらが奴の口から出る前に、今週末暇だなと持ち掛ける。
「え、デートっスか」
 たちまちデレデレと顔を崩す鳥束。
 まあ、広義ではそんなところだ。
 一緒に遠出して、買い物して、多分食事もするだろうから、うん、デートと言えばデートだな。途中ちょっとした何かが起こるかもしれないが、ハプニングもデートにはつきものだからな。
 そうだと頷くと、たちまち奴の顔が嬉しさでキラキラと輝き出した。僕は数秒見て目を逸らした。
 もっと見ていたいのにと残念がる自分が腹立たしい…それ以上に悔しい。本当に忌々しい能力だ。自然と顔が強張る。
 奴も心得たもので、僕が目を逸らした理由も、険しくなる顔のわけも、寸分違わず理解して、気遣ってくる。
 ますます腹立たしい。
 当日、思いきり手伝わせてやる。
「何をです?」
 僕の買い物をだ。そう伝えると、そんなに沢山買い物するのかとびっくりしながらも、斉木さんなら当然だよなあ、とのんびり構えている。
 働きを期待しているぞ、鳥束。

 

 当日、約束した時間に鳥束の部屋に瞬間移動する。
 身支度の済んだ格好で壁に寄りかかり、鳥束は僕の訪れを待っていた。姿を見るやぱっと顔を輝かせ、待ってたっスよ〜とへらへらしながら抱き着こうとしてきた。容赦なく顔面を鷲掴みにして制し、さて、このままの状態で三分経つのを待つとするかな。
「痛い、痛いっス斉木さん」
 おいおい、掴んでいるだけで全く力は入れていないぞ。寺生まれが嘘は良くないな。嘘は良くないから、嘘でなくしてやろう。僕はじわじわと指を食い込ませていった。
「いやほんとに……いたたたた! ギブ! ギブ!」
 降参のタップをされたので、仕方なく力を抜く、が、以前顔面は掴んだままだ。
「斉木さーん、いいじゃないっスか、キスくらいしてくれても」
 でかい図体して甘ったれた声を出すな、気持ち悪い。誰がしてやるか。
「じゃあじゃあ、オレからするんで斉木さん、手を離して下さいっス」
 立ってるだけでいいんでと鳥束はにこやかに言う。誰がそんな事許すか。
「……ダメっスか?」
 それまで調子に乗っていたのに、たちまちしゅんとなって沈むなよ、困るだろ馬鹿が。
 コイツ、本当に困る。
 もっと変態クズ丸出しで迫ってくれれば、こっちも容赦なく叩き潰す事が出来るっていうのに。
 触れられない、抱きしめられない事に心を痛め、乙女モードでしくしくされたら、困り果てるというものだ。
 手を退けてやると、今までの泣き顔はどこへやら、心底嬉しそうに目を細めて見つめてきた。
 結局こうなるんだ。
 なあ鳥束、お前自分の事しょっちゅう易い男だと笑ってるが、僕も大概易いものだぞ。
 鳥束の手が頬に触れてくる。たかが、体温が少し異なるくらいで息が乱れるなんて、易い以外なんだ。
 向かってくる唇に顔を上げ、僕は静かに受け止めた。

 

 いつもなら特急列車で向かうのだが、なるべくなら鉢合わせしたくないので、現地には瞬間移動で飛ぶ事にした。
 その旨伝えると、鳥束は大げさに驚いた顔をしてみせた。
「えぇっ、そんな危険な奴がいるんスか?」
 斉木さんに敵う奴なんて、この地球上にいるわけないのに。
 信じ切って疑わない奴の思考に、頭の中で当たり前だと返す。その一方で、駄目だと思いつつ「えー…そう?」なんていい気になってしまう。くそ、僕も立派に父の子だったか。自分で自分が恥ずかしい。
 追い払う為に、もしもの時の対処法を今一度頭の中で整理する。
 ああそうだ鳥束、お前、僕が言った物忘れてないだろうな。
「もちろん、しっかり入れてますよ。オレの秘蔵のおっぱいセレクト!」
 いい、出さなくていい。入っているなら充分だから見せるな馬鹿。
 よし、準備は出来てる。
 ええと…もしもヤツに遭遇したら、鳥束の本を投げ付けて目くらまし、怯んだ隙に鳥束をぶつけてかく乱し、無事逃げおおせる――よし、完璧だな。
「ねえ斉木さん、このおっぱいセレクトは何に使うんです?」
 それは後のお楽しみというか、事が起きた時にわかるから、楽しみにしておけ。
 じゃあ行くか。
「はいっス」

 

 しかし幸運というべきか残念というべきか、僕が危惧した展開にはならず、無事に名産品をゲットする事に成功した。
 家で食べる用ひと箱と、展望台で食べる用ひと箱が入った袋を、落とすなよと鳥束に預ける。
 面倒がなくて何よりだが、鳥束の使いどころがないのは少しがっかりだ。
「斉木さんが警戒するそいつって、どんなヤツなんスか?」
 展望台に移動し、景色を眺めつつ名産品の饅頭を一つずつ味わっていると、鳥束からそう質問される。
 気になって当然か、これまでに二度遭遇したあの超生物について、僕は大まかに説明する。
 ついでに、遭遇した場合の対処法と鳥束の使用法も説明する。
「おぉい! 恋人盾にするとかひでーなアンタ!」
 この人でなし!
 おに、あくま、ちょうのうりょくしゃ!!
 うるさいな、せっかく美味いもの食べてるんだから静かにしろ。
 尚も鳥束はがなり立てるが、暖簾に腕押し糠に釘、全く効果がないと悟ると、大きな大きなため息をついた。
「もう、せっかく持ってきたのに、ただ重かっただけじゃないっスか。え、てか……危うくオレの厳選おっぱいが失われるところだったんスよね、あっぶねえ!」
 なんだ、重くて嫌なのか?
 じゃあ捨ててくか。
 そのまま捨てたんじゃ皆様の精神衛生によくないから、しっかり真っ黒こげにしておこうとパイロキネシスを発動させて鳥束に迫る。
「やめてー! オレの大事なおっぱいちゃん!」
 でかい声で騒ぐな、自分たち以外いないとはいえ、清々しい空気を汚しているようで気分が悪いぞ、僕のいるまんじゅうまで不味くなるだろ。
「これだけは! 斉木さん、この子だけは勘弁してやって下さいぃ!」
 腹に抱え地べたに這いつくばって死守する鳥束が、情けないやら悲しいやら。
 僕はどうしてこんな奴を選んだのだろう。
 何をやってるのだろうとすっかりさめたので、仕方なく免除する事にした。

 

「てかアンタ、マジでオレを盾にするつもりだったんスか?」
 いそいそと本を鞄にしまい、鳥束は立ち上がって膝をはたいた。
 信じられないという目を向けられるが、お前、付き合い長いのに僕の性格がまだわからないのか。
「いやまあ、知ってますけどね」
 ふくれっ面で、鳥束はそっぽを向いた。
 聞いたところによるとヤツはお手入れが得意だそうだから、お前も手入れしてもらって、真人間に生まれ変われ。
「げえ、やですよそんなの。そんなのオレじゃないっス! 斉木さんに嫌われるだけっスよ、そんなの」
 信じて疑わない鳥束の真面目ぶった顔に、息を詰める。
 その通りなのが腹立たしい。鳥束の癖に。
 僕は残り半分となった饅頭を、黙々と噛みしめた。
 隣では鳥束が、景色を眺めたり、持ってきた本を楽しんだり、のんびり過ごしていた。
 気紛れに一つ差し出してみる。
「え!」
 いいんスかと目を煌めかせたかと思うと、悪いからいいっスよと、鳥束は穏やかに笑いかけてきた。
 うるさい、お前に遠慮なんて似合わないんだよ、何の働きもしてないから単なる気紛れだが、一つくらいはくれてやってもいい。
 サイコキネシスで強引に口に押し込む。
「もが!」
 目を白黒させた鳥束だが、すぐに満面の笑みで饅頭を頬張った。

 

「はー美味かった」
 ごちそうさまです。
 両手を合わせ、鳥束は神妙な顔になった。僕はその顔を、焦点を合わせずぼんやり見やる。
「ねえ斉木さん、ここには月一で来てるって言ってましたよね。次もオレ、お供するんで、呼んで下さい」
 なんだ、お手入れされたいのか。真人間になる決心がついたのか。
 実は嫌われたいのか?
 答えをわかっていて、あえて聞く。
「違いますよ! 斉木さんのボディーガードっス。お手入れなんかされる前に逃げてみせますよ、愛のパワーで。斉木さんは、このままのオレが好きなんですもんね」
 にやつく顔に拳をめり込ませようか、腹に蹴りを入れようか、それとも頷こうか。
 何も答えない、だな。それではいもいいえもなくしてしまおう。
 無視されても、鳥束はまるで気にせず熱烈な視線を注ぎ続けた。
 じりじりと焼け焦げるような熱線によって僕の表情が微妙に変化するのを見止めては、嬉しがったり喜んだりしている。
 なんて鬱陶しい奴だ、お前の言う愛のパワーとやらで、僕を溺死させようって魂胆か?
 そんな事しても無駄なんだよ、とっくにお前に溺れているんだからな。その中で呼吸する方法も、とっくに会得しているくらいだ。

 

 

 来月も、こうして会わずに済むといいが。
 手伝わせるなんて言いながら、お前ごと逃げる醜態を晒して、嘘つきにはなりたくないからな。
 だったら一人で来ればいいのだが、どうやら無理になってしまったらしい。
 嫌で嫌でたまらないというのに、一人はもっと嫌に感じる。
 まったくなんてことだ、鳥束のせいで…やれやれ。
 さて食べ終わったことだし、帰るとするか。
「行きますか斉木さ――いたただ!」
 腹いせにしっかり鳥束の肩を掴み、僕は瞬間移動する。
 自分の部屋に戻り、あたふたと靴を脱ぎながら鳥束は文句を言ってきた。
「もお斉木さん、もうちょっとで、肩が取れちゃうとこでしたよ」
 それはあれだ、愛のパワーが大きすぎたせいだ。
「そうなんスか? 細かい事はわかんないっスけど、アンタがオレを好きだってのはわかってるっスよ」
 そんな事をほざきながら、鳥束は優しくキスしてきた。
 狭山茶のよい香りとあんこの甘さを漂わせた、何とも色気のないものだが、甘いもの全般が大好きな自分としては嬉しいので、鳥束のキスも大人しく受け取る事にした。

 

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