お花見
一面の銀世界に大はしゃぎの鳥束君と、いつも通りのようでそうでない斉木さん。

雪としおりと野の花に

 

 

 

 

 

「すげー! 見ろよ、雪積もってるぜ!」

 

 はしゃぐ声に続いて、マジだ、すごい、校庭行こうと喜びが伝播し、我も我もと連れ立って、教室にいた人間のほとんどが外へと駆けていった。
 今の今まで昼時の喧騒に包まれていた教室内が、あっという間にしんと静まり返る。
 燃堂は真っ先に飛び出していった。相棒も行こうぜと声をかけられたが、いつも通り無視を決め込んだ。
 まだ弁当を食べている途中なのでな。
 駆けていく燃堂の後ろ姿を、表面上クールに装い鼻で笑った海藤だが、窪谷須に誘われた途端あっさりと仮面をかなぐり捨て、子供のごとき無邪気さで競うように走っていった。
 その際も二人に誘われたが、行ってらっしゃいと僕は見送った。
 まだ弁当を食べ終わってないのでな。
 照橋さんが誘いたそうにこちらを見てくる。
 完璧美少女の心からなだれ込んでくる思考の数々…おっふ作戦の数々を聞き流しながら、僕は無心で弁当を口に運ぶ。
 ここは、夢原さんに協力願おう。彼女が正月太りを気にしているのは心の声を聞いてわかっていたので、そこをちょいとつついて、一緒に連れて行ってもらうとしよう
 果たして小細工は上手くいき、一人になる事に成功する。
 食べ終わったら絶対来てねと夢原さんに念を押されたので、うん、行けたら行こう。
 ごちそうさまでした。
 窓越しに、校庭の喧騒が遠く届く。
 室内は自分だけでとても静かだが、テレパシー圏内なので校庭の連中のはしゃぎようはもれなく頭に響いた。とはいえ、自分に関係ないものなので聞き流すのは容易だ。
 僕はのんびりと弁当箱をしまい、代わりに、持ってきた文庫本を取り出した。

 

 中々読み応えのある短編集を休み休みじっくり楽しんでいると、ある一つの心の声が飛び込んできた。
 自分の名前が出ない限り、ただの雑音として聞き流す事に長けているはずなのに、ソイツの声だけはどうしてか無視出来なかった。
 もう、そういう風になってしまったらしい。
 僕は短く息を吐いて本を閉じた。
 ソイツは、校舎裏でひどく困っているようだった。
 まず千里眼で様子を視る。
 全身びしょ濡れで、手の甲から血を流し、倒れた鉢植えを前にしておろおろと弱り果てていた。
 何やってんだアイツ。
 誰もいないのをいい事に、そこへ瞬間移動する。

「あ、さ……斉木さん!」
 何をやっているのだと問い詰めると、ソイツ…鳥束は、救世主が現れたとばかりに大喜びで僕を振り返った。
「いやあ、あのう……」
 気まずそうに説明する鳥束の話を聞いて、非常に頭が痛くなった。
 雪合戦に熱中する女の子たちに何かしらのハプニングが起きて、スカートがめくれたりブラが透けたりしないかなと期待して外に出たのだが、焦るあまり本人に何らかのハプニングが起きてしまったという次第だ。
 それでその、血だらけ濡れねすみになったという訳か。
「そうっス……」
 園芸部の大事な鉢植えも巻き添えにして。
 大きな素焼き鉢は、半分を残しもう半分はたくさんの破片となって割れ散らばっていた。
 鳥束は、倒れた拍子にそこに手をついて、破片の縁で切ってしまったのだ。
 鉢に植わっているのは、枝に生える無数の棘を見るにどうやらバラだろう。
「斉木さん、すんませんが頼んます!」
 せめて鉢植えだけでも元通りにしてやってくれと、鳥束は両手を合わせた。
 その手の片方、手の甲からは、いまだ出血が続いている。
 まあ、女子に不埒を働こうとした天罰はてきめんに下ったようだから、願いを聞いてやるとしよう。
 鉢植えと、びしょ濡れの制服と、傷を負った鳥束と、まとめで復元する。
「あざっス!」
 ありがとうございます!
 鳥束は直角に腰を折り曲げて声を張り上げた。

 

 教室に戻るべく廊下を歩く。
『もうお前は外に出るな、教室でおとなしくしてろ、これ以上面倒を起こすな』
「ほんとすんませんでした! 斉木さん、お礼します、させて下さい」
 早足で教室に入り、自分の席に座り、しっしっと鳥束を追い払う。
『いい、いらん、自分の教室に戻って静かにしててくれ。席に座って息だけしてろ』
 しかし鳥束はしぶとく食い下がった。机に手をつき、ずいと顔を寄せる。近いよお前。
「ねえ斉木さん、コーヒーゼリー奢らせて下さいよ。純喫茶魔美の、何かお礼しないと気が済まないっス!」
 僕は無視して本を読み進め…られなかった。コーヒーゼリーと聞くと身体が自動的に反応してしまうようだ。自分では無反応でいたつもりだが、鳥束に目敏く見つけられてしまう。
 っち、仕方ない。そんなに奢りたいというなら、行ってやってもいいい。
「じゃあ放課後にまた来ますんで!」
 目を輝かせ、鳥束は教室に戻っていった。去り際、誰もいないのをいい事にせっかちなキスを寄越していく。タイミングを見計らう声は筒抜けで、自分としては特にこれといって波立ってはいなかったのに、奴の柔らかな唇に触れた途端どうしてか胸が甘くときめいた。
 そんな自分が恥ずかしくて赤面する。
 鳥束が背を向け行った後だったのは幸いだ。
 ……やれやれ。
 今更こんな事くらいで鼓動が早くなるのは、どういうわけだ。
 好き、という気持ちが込められたキスに、ぞんざいながら自分もだと頭の中で応じた、それだけなのに。
 人を想う熱量はあなどれない。自分の事なのにわからなくなるのだから。
 気を取り直して文庫本に手を伸ばす。
 わからないといえば、これだってそうだ。
 しおりが挟まれたページを開く。
 注目すべきは文庫本ではなく、しおりの方。
 白の厚紙に薄い青紫の花が一輪咲いているそれは、元々は何の絵も描かれていない無地のものだった。

 

 去年の暮れだったか、書店で文庫本を買い求めた時におまけでもらったもので、その書店ではたまにそうしておまけでしおりをつけてくれた。
 今までもらったものは、薄い色彩のチェック模様とかポップな絵柄とか、何かしら絵入りだったが、その時もらったのは白い紙の色のままだった。
 薄い水色のリボンがついただけの、無地のしおり。その潔いシンプルさが気に入り、また紙もちょどよい厚さだったので、気付けばよく使うようになっていた。
 そう、元は何も描かれていない白色のものだった。
 そのしおりに、どうしてこのように写真のように絵が浮かび上がったのか。
 念写してしまったのだ。
 思い出すと、今でも脳みそが煮え立つようだ。
 春のあの日、鳥束とたどった帰り道の土手で見た青い花を、無意識の内に念写したのだ。
 本当に無意識だったから、あの花が綺麗だと思ったとか、あの帰り道がどうだったとか、何を考えていたのかはわからない。
 それほどに自分は深く深く、あの光景に没入していた。
 念写に必要な時間は一分だが、思いに耽っていたのは一分どころではなかった。
 ふわふわとして、とても心地良い時間だった。
 本当に、鳥束、わからないものだな。
 僕は本を閉じ、机に頬杖を突いた。
 花の名前は忘れたが、ひどく不憫だなと思ったのは覚えている。
 まあ、また奴に聞けばいいか。
 窓の外に目をやる。
 空は少し薄日が差して明るいが、雲の流れを見るに夜にまたどかっと雪が降るようだ。
 あの土手も、すっかり雪に覆われた事だろう。
 けれどその下には根や、種が残り、花咲く春を待ちわびているに違いない。
 自分と同じように。

 だがまずは、今日のコーヒーゼリーが待ち遠しい。

 

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