お花見
オオイヌノフグリや春の野花。
学校帰りの川縁でのひとコマ。
春のうららの
放課後、川沿いの道をオレは少し上機嫌で歩いていた。 春はのどかで穏やかで、日差しも柔らかく気持ち良い。歩くだけで心が弾んでくる。 今日のように風の強い日は、特に心が浮き立つ。 こういう日は、土手を下りて川縁を歩くに限る。 そうすれば、突風で女の子のスカートがめくれたりして、ラッキーな事に遭遇するかもしれないからだ。 まあそんな偶然に頼らなくても、隣を歩く斉木さんに頼めば、突然の風なんて指先一つなんスけどね。 「ねー斉木さん」 『よし、このまま警察まで行こうか』 「ちょ! まだ頭で思っただけっスから! やってって言ってないっスから」 『お前は存在自体がダメだ、いいから来い』 「あ、ちょ…いたいたいたい!」 肩を掴まれ、関節に食い込む指にオレは情けない悲鳴を上げる。 もー、いつものオレのおふざけ、おたわむれじゃないっスか。 「マジになるの勘弁……」 オレは立ち止まり、ずきずき痛む肩をさする。半分外れてるんじゃってくらい痛い。まったく、斉木さんは容赦ねえなあ。 恨みがましく見やると、もう隣に姿はなく、オレのずっと先を行く背中が見えた。 早くコーヒーゼリー食べに行きたいのはわかるけど、いくら何でも急ぎすぎ。 そう、今日はこれから一緒に純喫茶魔美に向かうのだ。 放課後一緒に帰ろうと声をかけたら、今日はあそこのコーヒーゼリーが食べたい気分だって斉木さんが言うので、ご馳走しますんでお供させて下さいと申し出た。 じゃあコーヒーゼリーの他に、パフェとホットケーキも頼むとするかと、斉木さんは浮き立った。 人の金だと思ってまったく…可愛い人だなあもう。 オレは肩をさすりさすり小走りになって、斉木さんに追い付いた。 やっとこ隣に並んだ時、ひと際強い風が吹き付けた。 オレはほぼ反射的に道路の方へ顔を上げたが、残念な事に女の子はおろか誰も歩いていなかった。 あらがっかり。 目を戻す途中、土手に散らばる小さな青色に気付いた。 「あっ!」 ねえねえ、斉木さん! オレは立ち止まり、手招きした。 しゃがみ込んだオレから少し距離を取って、斉木さんが足を止める。 『なんだ?』 何故呼んだのかではなく、オレが示したいものについて訊いているのは、斉木さんの返答の調子でわかった。 「これ、この青いの、オオイヌノフグリっていうんスよ」 質問にそう答えながら、オレは肩越しに振り返って見上げた。そこには、黒い死骸を見るよりひどい顔があった。 『下品で下劣な垂れ流しやめろ』 地を這う低音にしまったと思いつつ、ショックを受ける。 確かに、ちょっと人様にはお聞かせできないお下劣な思考が頭に渦巻いていたよ、けどそこまでひどい顔しなくたっていいじゃないっスか。 しかし斉木さんの表情は変わらない。 うう…春から下品ですんませんねえ。 オレは気を取り直して口を開く。 「この花、ふぐりとか冗談みたいにあけすけでかわいそーな名前と裏腹に、すっげぇ可愛いんス。オレに免じて見るだけ見てやって、斉木さん」 そう頼み込むと、斉木さんは渋々ながら距離を縮めた。 『名前、何だって?』 「オオイヌノフグリっス。種の形が、犬のたまたまにたまたま似てるんでついたらしいっス」 ちょっと余計な事言い過ぎだらしい。さっきよりずっと冷たい目になってオレを見てきた。 斉木さーん、少年漫画の主人公がしていい目じゃねえっスよ! 今のは完全にオレが悪かったっス。 斉木さんはやれやれとばかりにため息を一つつくと、あらためて青い花に目を向けた。 『お前、なんだかんだで花の名前をよく知ってるし、花を愛でる心があるんだよな』 「まあそりゃ、寺生まれっスから」 顎に手を添えてカッコよく決めてみせるが、斉木さんは白けるばかり。 「いやあ……まあちょっと苦い思い出があるんスけどね」 『めんどくさいな、飛ばそう。あと虫が来ると嫌だから帰ろう。じゃあまた明日な』 「あ、ちょちょ、聞くだけ聞いてってよ」 あとあとそれから、コーヒーゼリーとパフェとホットケーキはいいんスか? 『……っち』 オレの奢りは振り切れず、仕方なしに斉木さんは足を止めた。 「前のガッコにいた時の話っス」 切り出し、斉木さんの様子をうかがう。 オレからよそへ目を逸らしあまり興味なさそうに突っ立っていた。 オレは独り言のつもりで、話を続けた。 |
丁度このくらいの時期でした、 通学路の途中で、死んで間もない若い女性の幽霊と知り合ったんです。 新入りで不安そうで、でも花を見るとなんだか気持ちが落ち着くからってんで、オレはよく話し相手になって、スマホで調べながらこれは何て花、こっちは何て花って名前を教えて、結構親しくなったんスよ。 とても可愛い幽霊だったんでね、オレはすごいねって言われたくて、一生懸命名前を調べたり、覚えたり、あっちには何々が咲いてるよって教えてあげたりしてね。 その幽霊とは結構長く過ごしたんスけど、また春が来るって頃、満足して成仏しちゃったんスよ。 学校近くの空き地で、そろそろ春の花が咲く頃、オレにありがとうって言ってね。 成仏出来るって、とてもよいことなんスけど…まああの、胸のここら辺がちょっとね。 |
「まあそんな事がありまして、オレは色々詳しくなったって訳なんスよ」 『ふうん』 「斉木さん、試しに聞いてみて下さいよ。ここらにある花なら、大体は答えられますから」 斉木さんは面倒そうにため息を一つ零し、渋々ながらオレの名前当てクイズに乗ってくれた。 そっちの薄紫のは? スミレ そっちの背の高いは? コメツブツメクサ 白い丸いのは? シロツメクサ その薄桃色は? カラスノエンドウ どうだと、オレは得意げになって胸を張る。 『偉い偉い』 「はは、ありがとうございます」 褒めてくれたのと、付き合ってくれたのと、二重に礼を言う。 『僕は花は嫌いじゃないが、咲いた花に寄ってくる虫が大嫌いだから、野花を愛でるのは中々難しい』 「そうっスね、ほんと、難しいところっスね」 まあそうだよなと、オレは何度か頷いた。 気付くとさっきよりずっと距離があいていた、 『だがお前に付き合うのはやぶさかではない。あまり覚える気がないから何度もお前に聞くだろうが、そこは構わないよな』 「え、はあ、いいっスよ。なにか気になるのがあったら聞いて下さい。満足するまで、お教えするっス」 ほんと、結構自信あるんで。女の子が絡むと覚えがいいんだよね、オレは。今でも忘れないくらいだし。 『今言った通り、僕はあまり覚える気はないからお前に何度も聞くだろうな。それでいい加減覚える事になっても、僕は成仏したりはしないから、安心して答えろ、鳥束』 「あっ……斉木さん」 そこまで汲んでくれなくても、オレは――。 ゆっくり立ち上がり、斉木さんと目を見合わせる。 普段と変わりなく、さして表情のない顔だが、オレを見つめる瞳には柔らかいものが確かに滲んでいた。 オレがそれをそうだと認識した途端ふっと消えてしまったが、心が触れたのは間違いなかった。 『行くぞ』 「はいっス」 さっと背を向け歩き出した斉木さんを追って、オレは足取りも軽やかに踏み出した。 |