おやつ
鳥束君特製スコーン。

どこも行きませんから

 

 

 

 

 

 放課後になった途端、鳥束が教室にやってきた。
 一緒に帰ろうという誘いである。
 昼休みに、今日お邪魔してもいいかと奴に聞かれ承諾していたので、僕はさっさと荷物をまとめて席を立った。
 今日はラーメン行かねーのか、相棒、という燃堂にちらりとだけ目配せして、連れ立って教室を出る。
「じゃあな斉木…お互い無事だったら、明日また会おう!」
 そうだな純平、また明日。
 僕の隣で、鳥束が二人に軽く手を振る。
 廊下を少し進んだところで鳥束が口を開いた。
「今日は斉木さんに、とっときのおやつがあるんスよ」
『だから、いつも背中に背負ってる鞄を、丁寧に肩にかけてるのか』
「あ、もう視えちゃいました?」
 えっち、と茶化すように笑い、鳥束は説明した。
「さっきの調理実習の授業で、リンゴとかぼちゃのスコーンを作ったんスよ」
 そいつが入ってるので、潰れないよう丁寧に鞄を持っているのだと。
「オレのこの――」
 鳥束は右手を上げた。
「いつも、斉木さんをひいひい泣かせてる手で作り上げたおやつ、斉木さ――うごっ!」
 非情に不快な言葉が聞こえた気がしたので、拳を脇腹に叩き込む。一瞬内臓をぶちまけたようだが、すぐさま復元してやったので衝撃はあっても痛みはない筈だ。
 ただショックは大きかったようで、鳥束はすっかり青ざめた顔で僕を見てきた。
 僕は構わず同じ歩みで進み続けた。
「あ、あ……さーせん……」
 足元をふらつかせながら鳥束はついてきた。
 腹に全く力が入っていない。なんだ、一切ダメージはない筈なのに、だらしない奴だな。
『で、なんだって?』
「はい……美味しく出来たと思うんで、斉木さん…食べて下さい……」
 蚊の鳴くような声で鳥束が言う。
 僕は小さく頷いた。
『うむ、いただこう』
 家に帰るのが楽しみだ。

 

 見た目はとても素朴だが、ひと口かじるとたちまち口の中一杯に幸せが広がった。
 鳥束曰く、トースターで軽く温めるとよいというので、その通りにした。
 その間に紅茶を入れ、今か今かと出来上がりを待った。
 待つ事しばし、温められた事でいい匂いが漂ってきた。
 ほんの数分がとても長く感じられ、より美味しく頂く事が出来た。
 部屋まで運ぶのもじれったいくらいだった。
「どっスか斉木さん、お味の方は」
『うん…噛みしめるほどに甘味が増していくのが、とてもたまらない』
 スコーンは、生地に入れる砂糖の量が少なく甘さ控えめなので、リンゴやかぼちゃのほのかな甘みがより感じられるな。
『変態クズの作ったものとは、とても思えないな』
「喜んでもらえて嬉しいっス」
 ひと言余計っスけど。
「あー…斉木さんの至福顔見られてオレも幸せー」
 鳥束は紅茶を啜り、しみじみと呟いた。
 お前ごときに見られる僕は不幸せだがな。
 幸せと不幸せを交互に噛みしめながら、おやつを楽しんでいると、鳥束が、調理実習中の出来事を喋り始めた。
 エロ束だのキモ束だの女子にバイ菌のごとく嫌われているお前が、またどんな迷惑をかけたのかと、気も重く耳を傾ける。
 まったく、せっかくのスコーンが不味くなるだろうが…そう思ったが、これといって悲惨な出来事は起きず、それどころかごく普通に和気あいあいと実習時間を過ごしたという。
 それはそれで、スコーンが不味くなる気がする。
 僕は複雑な思いで素朴な塊を噛みしめた。
 鳥束が何の問題も起こさず、女子に忌み嫌われる事なく実習を終えられたのは、単に、僕の事で頭が一杯だったからだそうだ。
 下劣でどぎつい妄想が大半だが、それに混じって、こいつで楽しくおやつタイムを過ごしてもらえたらといいなと、希望を込めてスコーン作りに没頭していたから、女子に騒がれる事態が起きなかったのだ。
 つまり僕が今噛みしめているこれには、奴の煩悩と期待とか込められるのだ。それを思うと、本当に複雑だ。
「周りの連中は、子供の頃どんなおやつ作ってもらったか、で盛り上がってたっス」
 子供の頃のおやつか…僕は三つ目に手を伸ばした。
「オレはよくお袋に、鬼蒸しパン作ってもらったっスね」
『どういうものだ?』
「ええっと…スねー」
 鳥束は記憶をたどりながら説明した。
「小麦粉を水で適当に溶いたものに、角切りのさつまいもを入れて、このくらいの小さいカップに入れて、蒸したものっス」
 思い出そうと頑張っているからか、不明瞭ながら全容はわかった。
『なるほど、美味そうじゃないか』
「や、美味かったっスよ。芋がほんのり甘くてね」
 ガキの頃ってすぐ腹減るじゃないっスか、あっちこっち駆けまわってるから。
 それで親も考えたんでしょうね、腹持ちよくて食べ応えもあって、簡単に作れるってんで、よく作ってもらってました。
「あっ! ああ〜…秋の芋祭りの時、それも作ればよかった!」
 なんであの時思い出さなかったのかと、鳥束は頭を抱えて悔しがった。
『お前じゃ仕方ない。今度作れ』
「うう……うっす! 今度斉木さんがうちに泊まる時、用意するっス」
 よし、楽しみが一つ出来たぞ。
「斉木さんちの、思い出のおやつって何スか?」
『コーヒーゼリーだ』
「あ、やっぱりコーヒーゼリーっスか」
 なんの捻りもなくて済まんな。
「斉木さんのコーヒーゼリー好きも、生まれつきっスか?」
『単純に、親が好きだったからだ』

 

 ずっと昔の記憶。
 小さい頃、おやつに出されたコーヒーゼリー。
 自分の好物を子供が美味そうに食べているのを見たら、親は幸せな気分になる。
 ――美味しいか、美味しいだろ。
 親が幸せな気分になってると感じたら、子供も幸せに感じる。
 親が笑ってると、幸せに感じるから。
 僕には、それが誰よりはっきりわかった。
 だから自然と好きになっていった。
 その時ばかりはアイツも、下らない勝負なんてすっかり忘れて、素直に美味しいと感じていたから、そして僕はそれを幸せだと感じていたから、だから好きになった。
 あれから色々な事があって自分たちは元に戻せないほどいびつに崩れたが、幸せだと感じたのは間違いないから、ずっと一番の好物になっている。

 

 遠い記憶を掘り返していると、鳥束が手を重ねてきた。
『なんの真似だ』
「いえ。オレは、どこも行きませんから」
 奴の思考を読み取り、いささか不快になる。
 僕が寂しそうに見えたから、ついこうしただと?
 鳥束の癖に小癪な真似をするものだ。
 即座に振り払うも、奴は懲りずにまた手を握ってきた。
 百回でも千回でも繋いでみせると、決意が顔に表れている。
 っち、やれやれ…人のそういった想いがいかに厄介でめんどくさいか、身に染みてわかっているからな。
 僕は諦めて受け入れ、奴のさせたいようにした。
 勝ち誇る笑顔を、どうしてくれようか。
 僕は何もせず、奴に手を握られたまま、スコーンを食べ続けた。

 

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