おすそ分け
ミカン
リンゴ
クレープ作りや、好きなほうなあじで結構斉木さん出てるから、自分も出してみた。
よだれが出るほど愛してる
斉木さーん、来ましたよー。 |
鳥束からのテレパシーが届いた後、チャイムが鳴り渡った。 リビングでテレビを見ていた僕は、入れと送って玄関の鍵を開ける。 玄関先から聞こえてくるお邪魔しますとの肉声に、少々うんざりした気持ちが湧き起こった。自分で招いたのだが、奴の軽やかかな声はどうもイラっとくる。 別に邪念に満ちている訳でも、ふざけた声という訳でもない。休日にも会える喜びを含んだ声は好ましい筈なのだが、奴から発せられたのだと思うと何だか癪に障ってしまうのだ。 決して、自分も、同じように弾んでいるからではない。断じてない。自分も声を出したらきっとあんな感じだろう、それが気恥ずかしくてごまかしたくてムカつくのだろう…なんて事はない。 理由なんてない、奴はいちいちムカつく、存在自体が害悪、ただそれだけの事だ。無理やりひねり出して納得する。 テレビの音を頼りに、鳥束がリビングに入ってきた。 「もう、パパさんとママさんはお出かけされたんですね」 いつもなら出迎える筈の母の姿がない事から、鳥束は言った。僕は頷く。今日は二人の、何回目だかのデート記念日とやらで、それを祝って夜までデートに出掛けている。 まったく、いつまでも変わらない…どころか、年を経るごとに熱量が増しているんじゃないかというほどだ。 とにかくそういった理由で、二人は新婚カップルにも引けを取らぬ熱々ぶりを見せつけて、意気揚々と出掛けて行った。 それに乗じて鳥束を家に引っ張り込む僕も大概だが。 『ああ、もう一時間くらい前か、出掛けていったよ』 「へえー。仲良しさんでいいっスね。じゃあオレたちも仲良くしましょう、てことで座っていいっスか」 仕方なく許可すれば、奴は嬉々として隣に座ってきた。そしてその勢いのまま肩を抱き、顔を近付けてくる。それより早く手で遮る。手のひらに奴の唇がくっついて不快だが、まあ許してやろう。手袋を破ったらその限りではないが。 「うむ……もう、斉木さん」 奴が仕切り直しを要求する。頭の中から飛んでくる声がやたらにうるさい。 仕方なく目を閉じる。 あんなにうるさくしたくせに、奴はキスをするより抱き着く時間の方が長かった。 落ち着く、好き、心地良い。 ゆっくり流れ込んでくる声に、こちらも似たような気分になる。 鳥束は抱き着いていた腕を解くと、にっと歯を見せて笑い、元の位置に戻ってテレビを見始めた。何見てるんスか、これ、面白いっスよね…すぐに馴染み、ずっと一緒にテレビを見ていたかの如く鳥束は喋り始めた。気付かれぬよう小さく息を吐く。 以前なら、こんな馬鹿な真似はしなかった。 一人で静かに、ひっそりと、好きなように過ごしていられた。家にいる分テレパシーを拾う事も少なくて済むし、超能力者である事がばれてしまわないかと余計な気苦労を負う事もなく、気ままに過ごしていられた。 誰かと接すればその分だけ知れてしまう危険性が増す。それだけでなく、そいつの聞きたくもないテレパシーにうんざりする事も増える。悪いものばかりでは決してないが、出来れば余分なものは遮断したい。 ずっとそうして、ずっとそうであったのに、いつ頃からかすっかり崩れてしまっていた。 崩されてしまった。 クラスの連中に。主に、隣にいるコイツに。 一人で留守を預かるのが嫌だなんて、小さい子供じゃあるまいし。 目だけで鳥束を見やる。バラエティ番組を楽しみ、二回三回と繰り返し身体を揺すって笑っている。人んちだって事を忘れた様子で、すっかりくつろいでいる。 癪に障ったので、テーブルに用意していた用紙で視界を遮ってやった。 「わっ……何スか?」 『お前が今日呼び出された理由だ』 面食らいながらも、鳥束は紙を両手に持った。 『これから、ミカンとリンゴが届く予定なんだ』 「ああいつもの、田舎からのお届け物っスね」 『そうだ。届いたらお前にも少しおすそ分けしてやるから、その駄賃としてアップルパイを作れ』 「え、えぇっ……?」 突然の指令に鳥束は目を白黒させる。構わず僕は紙面を指差した。 『ネットで探して、手ごろなレシピをプリントしたのがこれだ。いいな』 「いいなって……はぁ、まあいいっスけど」 鳥束は頷き、頭をかきかき用紙に目を通し始めた。 「ええと、アップルパイね、はいはい、カスタードクリーム入りの、はいはい。で、えーと……」 必要な材料は、手順はと、上から順繰りに声に出して読んでいくのを隣で聞き入ってると、鳥束が慌てた様子で呼びかけてきた。 「ちょ斉木さん、よだれよだれ」 ……はっ。うるさいな、この僕がよだれだと? やめろ鳥束、小さい子を見るような目で見るな、微笑ましい顔をするな。 |
それから三十分もせずに、件の荷物が届いた。 玄関先に置かれた二つの大きな段ボール箱をキッチンに運び入れ、早速開封する。 こっちの箱には橙色の宝石、こっちの箱には深紅の宝石。 粒の揃った上質なミカン、艶々とした上等なリンゴ。 あまりの眩しさに思わず手をかざすほどだ。 特にリンゴに目を奪われる。どれも良いものだな。蜜をたっぷり含んでいるものもあって、そのままかじっても頬っぺたが落ちるほど甘いだろう。 それに匂いも良い。ずっとこうしていたいと思わせるほどだ。 これだけあれば、アップルパイの他にも色々作れるな。考えるだけで震えが止まらない。 『よし鳥束、早速作れ、まずは甘煮リンゴだ』 「了解っス」 僕は箱の中から適した二個を選び手渡した。しかし、奴が包丁で一つひとつ手作業で皮むきから行うのかと思うと、途端にまどろっこしくなり、つい手を出してしまう。 「うわっ」 鳥束の驚く声がする。まあ、わかっている奴でも、目の前でリンゴがひとりでに一口サイズにカットされたら、そりゃ声も出るだろう。 うるさく思って悪いな、僕はどちらかというとせっかちなんだ。 ことこれに関しては。 鍋に収まったリンゴに分量の砂糖をかけ、今度こそ鳥束に任せる。 「ええと、汁けがなくなるまでじっくり煮る……ね、はいはい」 鳥束は作業台に置いた用紙を読み上げ、木べら片手に鍋を火にかけた。 よし、煮えるまでの間、ミカンでも食べて待つとしよう。 「そうだ斉木さん、パイ生地と、あとカスタードクリームも作らないとですよね」 ミカンの箱に行きかけた時、ちょっと焦った顔で鳥束は振り返った。 僕は黙って冷蔵庫の前に立ち、ドアを開けた。リンゴが届くとの連絡を受けてすぐ、冷凍パイシートを買いに行ったのだ。現在は冷蔵室でゆっくり解凍中だ。 「さすが斉木さん!」 鳥束は驚きに目を見張った。 だろう。 それから、中段の棚にある平たいガラスの容器を指差す。 『カスタードクリームはこちらになります』 午前中に作って、冷やしておいたのだ。 「さすが斉木さん!」 鳥束は顔をほころばせた。 だろう。 だからお前は心配せずリンゴの甘煮を作れ、任せたぞ。 さて、今度こそミカンを食べよう。鳥束を背に椅子に座り、持ってきたミカンをせっせとむく。 「あー、斉木さん自分だけずるいっス」 |
っち。 まあ、別の部屋で隠れて食べるわけじゃないので見つかるのも時間の問題だが、早すぎだ。 『やれやれ仕方ない……、そら』 爪の先で取った白い筋の部分を差し出す。 まあ当然、怒るわな。 実の方を下さいと、鳥束が涙混じりに叫ぶ。 落ち着け、やらないとは言ってないだろ。そら食べろ。 どうだ、甘くていいミカンだろう。 なに? 口移しでよこせだと? 調子に乗るな鳥束が、ひと房貰えただけでもありがたいと思え。 『後でちゃんと持たせてやるから、鍋に集中しろ』 不承不承頷き、鳥束はコンロに向き直った。しかしその身体からは、絶えず不満がにじみ出ていた。 本当にうるさい奴だな、ゆっくりミカンも味わえないのか、鳥束め。 せっかく、今年のミカンも良い出来で満足しているというのに、水を差すとは無粋な奴だ。 僕は最後のひと房を口に放り込んだ。立ち上がって鳥束の横に並び、少しむくれた横顔を見やる。 ちらりと目がこちらを向いたのを機に、片手で顎を鷲掴みにして自分に引き寄せ、唇を塞ぐ。舌でミカンの房を押しやって食わせると、奴はびっくりしたように目を丸くし、それから、にっこりと細くした。 (あざっス! 最高っス!) たったこれだけの事で、奴の脳内がバラ色に染まる。易い奴だ。 怒涛の勢いで押し寄せる美しい花園に囲まれ、似たような気分になるとは、自分も大概易いな。 『まだか』 「まだっスね、というか、これから始まりみたいなもんスね」 鳥束の見せてくる鍋を覗くと、言う通り、ジャブジャブと煮汁が溢れていた。こいつがすっかりなくなる頃、甘煮リンゴが出来上がる。 『よし、もう一個食べるか』 「ちょ、斉木さん」 『なんだ、もう口移しはやらんぞ』 「じゃなくて、……いや欲しいですけど、じゃなくて、ミカンでお腹一杯になっちゃって、肝心のアップルパイ入らなくなりますよ」 笑うべきか怒るべきか束の間迷い、僕は笑う方を選んだ。誰に物を言ってるのだと、鼻から息を抜く。ああ、これは呆れたというやつか。 「誰って……斉木さんスよ」 一歩踏みよると、鳥束はやや圧倒されたように顎を引いた。 (いつも甘い、いい匂いさせてる人。オレの好きな人) バーカ……変な奴。 僕はもう一歩近付いて互いの距離をなくし、目の前に迫った奴の唇を塞いだ。 お前はお前で、鳥束、嫌いじゃない匂いがするよ。 |
「発火だけじゃなく、急速冷却もお手の物なんスね」 出来上がった甘煮を入れた器を手に、僕は軽く細工した。それを見て鳥束が感心した顔で笑う。 『よし、じゃ成形するぞ』 僕は棚からパイ皿を引き出した。母もよくお菓子作りをするので、ひと通りの道具は揃っているのだ。 皿に生地を敷き、クリームを塗って、煮リンゴをのせて、細く切った生地で籠目編みするんだったな。 手の熱でダレないよう手早くか、そういうのは得意なんだ。 「おおー斉木さん、鮮やかっスね」 見る間に組み上がっていく網目模様に、鳥束がやたらに興奮した声を上げるものだから、得意げになりがちな顔を引き締めるのに苦労する。 『で 表面に水溶き卵黄を塗って、オーブンで焼くんだな』 「はい、ええと180℃で40分ですね。楽しみっスね斉木さん」 僕はさっさとオーブンにセットし、スタートボタンを押した。押してから、ひと口くらいクリームと甘煮を食べておくんだったと悔いた、あくまで味見として。まあいい、さて、出来上がるまで瞑想でもして待つかな。 オーブンの前から離れたがらない目と戦っていると、また鳥束が指摘してきた。 だから僕はそんなもの出してないと言ってるだろ、しつこいぞ鳥束。奴に見つからないようこっそり拭う。 「もう斉木さん、アップルパイにばっか心奪われてないで、オレも見て下さいよ」 鳥束の舌が、ぺろりと唇の端を舐める。瞬間背筋に走ったぞくっとする甘い痺れに、思わず僕は震えた。覚られまいと、顎にかかる手を振り払う。 『うるさいな、お前なんかもう飽きるほど見てるよ』 透けるほど見てる。骨の髄まで見てる。それだけ見ているのに、全く飽きる気配がない自分に腹が立つ。軽く睨むと、奴の頭からどぎつい思考がなだれ込んできた。 まずいと思った時にはもう、がんじがらめにされていた。 股間を弄ってくる奴の手を振り払えず、せめて残った矜持で顔を背けるが、押さえ込まれ易々とキスを許してしまう。 口の中を軽く舐められただけで力が抜けた。逃げるようにしてオーブンの方を向く。 「そっち見ちゃ駄目っスよ斉木さん。今はオレに集中して」 また唇を塞がれる。もう逃げる気は失せていた。それどころか、自分から進んで奴の舌をもらいにいく。今度はより深く、長く舌を絡められ、音を立てて吸われて、息が上がる。 「ね、斉木さん……オレ見てよだれ垂らしてくださいよ」 『なら、それだけの事をしてみろ』 奴の頭を抱くようにして腕を回し、自分から口付ける。 |
脱ぎ散らかした服を着終わる頃、オーブンが焼き上がりを知らせてきた。 その前からいい匂いが充満していたが、ドアを開けるとより一層幸せな気分になった。 取り出すのにミトンはいらない。 『鳥束、敷台はそこに』 「ここっすね」 テーブルの中央に敷台が置かれる。僕は頷いて、取り出したパイ皿を乗せた。 「この焼き色、最高っスよ斉木さん。店で売ってるのみたいじゃないっスか」 さすがだと奴が大はしゃぎで褒め称える。まあ、悪い気はしない。 『当然だ。二人で作ったんだからな』 上機嫌で応える。鳥束を見やると、むず痒そうに笑っている。まあ、お前の手間は確かにちょっとだったが、僕のせっかちが過ぎただけなのでそう気にするな。 『冷めて落ち着いたところもいいが、焼き立てはまた格別だからな。さっさと席につけ、特別に僕がサーブしてやる』 「うわ、あざっス!」 鳥束は喜色満面で腰かけた。 僕は大急ぎでコーヒーをいれ、食器をセットする。 さあおやつタイムだ。 またしても口が緩むが、もう気にせずアップルパイにかじりつこう。 |